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【2017年センター国語 第一問(評論)解説】
出典は小林傳司「科学コミュニケーション」。典型的な科学論です。科学論では、科学そのものの性質や方法論について述べるパターンと、科学と社会との関わりについて述べるパターンがありますが、今回は後者です。
近代科学の成立は、本文にもある通り、普通西欧の16、17世紀とされますが、特に「世俗化」(Mウェーバー)と「科学革命」(バターフィールド)を経て、宗教システム(善のシステム)から分離して真理性を至上とするシステムとして自立し、その後専門分化を重ねながら独自の発展を遂げます。20世紀の前半期の二度の世界大戦と相俟って、産業と軍事における科学の実用性が注目されて技術との結合を深め、「工学化」(理論の実用化)に多額の国家予算が割かれるようになりました。それにより科学(技術)が飛躍的な発展を遂げ、特に先進国の住人に大きな利便性をもたらしているのは日々実感するところです。一方で、実用性に過剰にコミットするようになった科学(技術)が、自然環境や人間社会や生のあり方(実存)に不可逆的な変化や破壊をもたらしている。なお表題の「科学コミュニケーション」(science communication)とは、専門分化が進み我々の知から大きく乖離した科学(技術)が、一方で我々の生に根源的な影響をもたらす中で、科学者の責務として、それをどう市民に伝え現実の地平に落とし込むかという現代的課題を指しています(今回の本文では主題化されていません)。

GVでは、典型的なテーマについては、こうした理解を前提に本文を読解することになります。読解においては「客観的な読解」(相手の立場で読むこと)が求められますが、それはつまるところ「表現上の工夫」に着目しながら読むことです。なぜなら、筆者(語り手)は同じ言語的バックグランドを持つ読者(聞き手)に対して、言葉の標準的意味はもちろん、その表現についても「一定の了解」(自明性)をあてにして、自らの思想(言いたいこと)を伝えるのですから。

それで本文。一段落一文目「現代社会は科学技術に依存した社会である」から始まります。助詞「は」は「対比」を含意します。それで三段階まで、「現代の科学技術(x)」が成立し問題化していく経緯を「かつての 科学(技術)(y)」と対比しながら述べていきます。それを承けて四段落では、問題化した科学に目をつぶり、かつてのまま「もっと科学を」に囚われた科学者とそのコミュニケーションの難点(批判される状況(X))を指摘するのですね。
五段落一文目「このような状況に一石を投じたのが科学社会学者のコリンズとピンチの『ゴレム』である」。ここから十一段落まで、状況Xに対するコリンズらの批判(Y)が述べられます。論点は二点。一点目は、Yでは科学に対するイメージを、現代の科学者(X)の「無謬の知識という神のイメージ(p)」から「ゴレムのイメージ(q)」に変えるべきだ、と主張する。二点目は、一点目を補足する形で、科学上の論争の終結が論理的な決着にならないことをケーススタディをもって示す。ここで注意したいのが、七段落から九段落までの「重力波」は、その具体例で、十段落で元の論点に戻るということ。つまり、間の部分は考えすぎないでサッと読まないと論点を外すことになる!
そして、十一段落でYの批判、つまり「ゴレムのイメージ(q)」への転換の主張が「科学を一枚岩とみなす発想を切り崩す効果を持っている」と、筆者は一定の評価をします。
その上で、十二段落一文目「にもかかわらず、この議論(Y)の仕方には問題がある」(筆者の立場(Z))とし、十三段落一文目「結局のところ、Yは科学者の一枚岩という「神話」を堀り崩すのに成功したが、その作業のために、「一枚岩の」一般市民という描像を前提(z)にしてしまっている」と批判します。そしてzを「一般市民も科学の「ほんとうの」を姿を知らないという前提」として言い換え、それにコリンズらが囚われているとして、論を終えます。記号化して大きな構造を押さえれば、X(現代の科学者の認識)に対するY(コリンズらの批判)、さらにそれに対するZ(筆者のコリンズらへの批判)ということになりますね。

予想通り、長くなりましたが(笑)設問解説です。ここまで、付き合って頂いて有り難うございます。問一の漢字は調べて下さい。以下、傍線部問題、GVでは安易に消去法を取らず、本文の理解を前提として「設問を分析して、本文から要素を拾い、積極的に選ぶ」という解き方で指導しています。それが現代文で求められている力だし、出題者(大学側)もそれを求めているだろうし、それが出来るようになったら間違えないし、結局早いからです。

問二 (内容説明問題)
「どういうことか」という問いかけなので、基本「要素に分けて、本文の言葉を利用して、言い換え」です。ただ、傍線部Aについては、本文中に直接的な言い換えはないんですね。この場合でも、傍線部Aについて適切に言い換えている選択肢を選ばないといけないんですが(後述)、他にもポイントが設けられていると考えましょう。
まず、傍線部の主語が欠けていることに気づくでしょうか。傍線部を伸ばして完全な文にすると「現代の科学技術(x)は、かつてのような~(y)を失い、(傍線部A)」となります。つまり、本文解説で使った(x/y)の対比が使えます。ここで注意して欲しいのは、ここでの「現代」の範囲を正しく特定することです。傍線のある二段落は第二次大戦後=二十世紀後半の話に限定されていて、「現代」はそれを承けている。また、次の三段落も参考にして、「しかし」(三段階三文目)の前後で二十世紀前半までと二十世紀後半に分かれているので、xは「二十世紀後半の科学技術」となります(つまりyは「それ以前」)。その上で(x/y)の要素をそれぞれ拾いますが、特に三段落が参考になります。yについては「思弁的/自然哲学的/社会の諸問題を解決する能力」、xについては「実験室/人工物/自然に介入、操作」などの要素が拾えます。
これより選択肢⑤が選べます。選択肢③はxの部分「自然災害や疫病から守り」が具体例になっており、狭くてダメです。また、⑤の選択肢だけが最後のパートで傍線Aを適切に言い換えていることに注目して下さい。(ここは、この設問のポイントではないはずだけど、ここだけでできちゃうんですね笑。ここだけで決めては本来ダメですけど、視点として大切です)。

問三 (内容説明問題)
「こうして/『もっと科学を』は低下し/『科学が問題ではないか』という新しい意識が生まれる」に分けて言い換えましょう。「こうして」は「経緯」を承ける指示語です。ここでは三段落を承けます。また(x/y)の対比です。かつて(y)は「社会の諸問題を解決する」から『もっと科学を』が「説得力を持ち得た」。しかし現代(x)は「両面価値(a/b)」となっている。xでは自然に介入、操作することで「その結果、~自然の脅威を制御できるようになってきたが(a)、~科学-技術の作り出した人工物が人類にさまざまな災いをもたらし始めてもいる(b)」。このうち、マイナス要素のbの部分が選択肢の後半と対応するので、それが述べてある④と踏んで、前半もyの説明として適切なので決定。②は、前半はいいが、後半の「一方的に」がダメ。

問四 (内容説明問題)
傍線部を伸ばして分けると、「(コリンズとピンチの処方箋は)/当初の「無謬の知識という神のイメージ(p)」から/「不確実でへまをする巨人」つまりゴレムのイメージ(q)に/取りかえることを主張した」。pについては上記のイメージで捉えておく(選択肢も全部同じになっています)。qの言い換え要素は五段落から、三文目と四文目(魔術/成長/人間を守る)と「しかし」の後の五文目(不器用/制御しなければ主人を破壊)を拾います。つまり、qには二面性があります。五段落の六文目以降はpの帰結について述べた部分なので、正解とは無関係です。
それで選択肢なんですが「pをq´に捉えなおすことで、q存在であると主張した」という選択肢になっている。つまり、後半を一般化しているのですね。ここは、これまでの内容も踏まえて、適切な一般化を選んで下さい。①は「人間の能力の限界を超えて」、②は「応用することができない」がダメ、④と⑤は五段落の六文目以降を後半に繰り込んでいてダメです。正解は③。

問五 (理由説明問題)
「なぜか」を聞いています。理由説明の場合は「始点」と「着地点」を定め、「始点」から始め「着地点」に綺麗に下りる要素を本文から探します。傍線部「にもかかわらず、この議論の仕方には問題がある」。始点は「この議論の仕方」で、着地点は「問題がある」。ならば、「この議論の仕方」を具体化した上で、そのマイナスを指摘すると、「問題がある」に着地できそうです。「にもかかわらず」も踏まえて「この議論はプラスだが、マイナスであるから」(→問題がある)という形になりますね。
このマイナスについては、上の本文解説で述べました。コリンズらは「一般市民も科学の「ほんとうの」姿を知らないという前提」に囚われている、これがコリンズらの議論のマイナスです。コリンズらの議論(Y)は、もうここで繰り返しませんが、選択肢の前半と照らし合わせて下さい。選択肢は後半のチェックを中心に、④で即決できると思います。

問六(i) (表現の誤り)
容易です。③の「極端な対症療法と見なされてきた」が明らかにおかしいです。

問六(ii) (構成・展開の誤り)
容易です。①の「その諸状況が科学者の高慢な認識を招いた」が明らかにおかしいです。