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こうして東大第一問の解答を公開しようと思い立ったのは、GVで生徒と東大の過去問を解いていて、大手予備校などの解答を参照する時、特に現代文については、改善の余地が大きいと感じたからです。それで、とりあえず新しい年度から自作の解答を、その根拠となる解説を添えて世に問うてみようと思った次第です。どこかに奇特な方がいらしたら、是非、出版してくださいませ。笑
他にケチをつけた以上、僕の解答も「まな板の鯉」となるのを避けられません。それで、自分の能力が許す限りの洗練された解答を示すつもりですが、同時に一般の生徒が再現可能な範囲の解答でなければ、ただの自己満足でしかないでしょう。
GVでは以下の二点を生徒に求めます。まず、実力養成期には、時間をかけて問題文と徹底的に対話し、より良い解答作成を心掛けること。その上で、授業で説明する読解プロセスと自らの思考プロセスとを照合し、修正を加えて、今後の課題に挑む糧とすることです。ですから、一度そのように当該問題を吟味して、以下の解説を読んで頂ければ幸いです。

本文(出典は池上哲司『傍らにあることー老いと介護の倫理学』)をかいつまんで説明します。まず①②段落で、過去の自分と現在の自分の分断を前提とする見方が否定され、身体的にも意味的にも過去の経験を統合しながら「生成する自分」が現在において存在するだけだ、とする。(設問一)
③④段落。こうした過去の経験は選ばれ意味づけられ、現在の世界へ自らの行為として表現される。この「働きかけ」は、他人の応答を受け組み直されて、自分が生成していく。この「生成の運動」から現れる自分らしさは、他人によってしか認められないものである。(設問二)
⑤⑥⑦段落。ただ、そこで他人に認められた「自分らしさ」は、すでに「足跡」である。「生成の方向性」(自分らしさ)は、生成のただ中で、「…でない」という「虚への志向性」として、より自由な存在へ向かう可能性として、自覚されるものである。(設問三)
⑧⑨段落。この可能性の自分は、死してなお、その「足跡」を辿る人間に「働き」をもって感得される。(ソクラテスの例)(設問四)
最終⑩段落。以上をまとめて(「正確に言おう」以下)、生成する自分は徹頭徹尾他人との関係で成立する。そして、その生成する自分に含まれる可能性は「虚への志向性」によって開かれるものである。(設問五)

設問(一)「このような見方は出発点のところで誤っているのである」(傍線部ア)とあるが、なぜそういえるのか、説明せよ。(60字程度)

理由説明問題は、始点(S)と終点(G)を定め、その論理的飛躍を埋める(R)。Sとなるのは「このような見方」(x)で、これを具体化した上で「誤っている(G)」 につなぐ。xが誤りなら、それと対応する「正しい見方」(y)を示す必要がある。xは、「過去と現在を貫く自分という見方」くらいにまとめる。yは、①段落終わり二文を利用して「現在において生成する自分のみが存在する」とする。
では、yを基準にxのどこが「誤っている」か?「yから過去の自分を分離して、それが独立しているものとみなしているから」(傍線部アの直後を参照)。これで、七割加点。後は「出発点のところで」を表現しなければ!下の解答例を参考に。

<GV解答例>
過去と現在を貫く自分という見方は、現在において生成する自分から過去の自分を分離し、それを実体化して初めて成り立つものだから。(61字)

<参考 S台解答例>
不変の自分という発想は、過去を統合した現在の生成としてしかありえない自分を、過去と現在を分断することを前提とするから。(59字)

<参考 K塾解答例>
過去と現在の自分の差異を貫く不変の自己という発想は、現在の自分に統合されているはずの過去の自分を、現在の自分と別に設定しているから。(66字)

設問(二)
「この運動を意識的に完全に制御できると考えてはならない」(傍線部イ)とあるが、なぜそう言えるのか。(60字程度)

理由説明問題で、Sは「この運動」で、具体化する必要あり。Gは単純化して「制御できない」となるが、そこに二つの副詞が並列でかかると捉える。つまり「Sは、意識的に(a)、制御できない」と「Sは、完全に(b)、制御できない」とに分けて考える。傍線部イの後もaとbとに分けて述べてある。つまり「自分らしさは、bでもないし、aでもない」「具体的に言えば、(bの否定)。また(aの否定)」。そして、この後の文で「ここには、自分の自分らしさは他人によって認められる」と双方を統括する文がくる。
この構造を理解した上で、Sを③段落から具体化して「過去の経験を現在の世界へ向かって組み直し自分を生成する運動」とする。それが「他人の影響を免れ得ないから」「制御できない」となる。どういう点で他人の影響下にあるかを考え、「(意識しても)他人の変容を受ける」(②段落より)、「(結局は)他人が自分らしさを判断する」(③段落より)を加えて、それぞれa、bの要素とした。

<GV解答例>
過去の経験を現在の世界へ向かって組み直し自分を生成する運動は、他人との関係の中で変容を受け、かつ、その固有性を承認されるから。(63字)

<参考 S台解答例>
生成する自己の自分らしさは、世界への働きかけが意図を超えた他者の応答に再編されて現れ、他人に判断されるものだから。(60字)

<参考 K塾解答例>
自分らしさをもたらす生成の運動は、世界に対する自分の働きかけが、意のままにならぬ他者からの応答によって再構成されて初めて成立するから。(67字)

設問(三)
「その認められた自分らしさは、すでに生成する自分ではなく、生成する自分の残した足跡でしかない」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題なので、傍線部ウを「その認められた自分らしさは(a)/すでに生成する自分ではなく(b)/生成する自分の残した足跡でしかない(c)」に分けて言い換える。a要素については指示語の具体化で容易、「他人のイメージに合致することで認められた自分らしさ」ぐらいにしておく。
それで後はbとcだが、これは何を言い換えるのか一見分からない。「生成する自分」については、すでに(一)(二)で考察したところなので、ここではポイントにならない。恐らくは「足跡」がポイントになるのだろうが、こういう誰もが意味を知っている名詞を、他の名詞に置き換えたところでトートロジーにしかならない。困った…
ここで「足跡」をイメージし、他の言葉との関係で「動きのある表現」に直してみる。「あしあと」を残したのは「生成する自分」である。「生成する自分」は、bより、もう「ここ」にはなく、「あしあと」を残し「どこか」に向かった。どこに?⑦段落に書いてある。「虚への志向性」つまり他者により規定された「自分らしさ」を否定し、自由な方へ。
この理解で「足跡」を表現すると、「…自分らしさが認められた時にはすでに、生成する自分は…に向かっている」という形になる。

<GV解答例>
他人の抱く印象に合致することで自分らしさが承認された時にはすでに、生成する自分はそれから自由な可能性に向かっているということ。(63字)

<参考 S台解答例>
他人が認めた自分らしさは、不断に変化し続ける現在の自分にとって、その過程のうちの固定された一断面でしかないということ。(59字)

<参考 K塾解答例>
ある時点で他者が認めた自分らしさは、その認定とともに変容していく自分の動きを含んでおらず、生成する自己の一断面でしかないということ。(66字)

設問(四)
「残された足跡を辿る人間には、その足の運びの運動性が感得される」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題なので、傍線部エを「残された足跡を辿る人間には(a)/その足の運びの運動性が(b)/感得される(c)」と分けて言い換える。a要素については、ソクラテスの例があげられていることから、書物でその思想を辿ることが想定されているのだろうが、ここは、口承による伝記とかでも良いはずなので、一つに限定せず一般的な表現にとどめておくべき。b要素の「運動性」にポイントがあるのは見抜きやすい。c要素については、死者からの「運動(働き)」の結果、生者に起こる精神的作用を具体化すれば良い。
そこで「運動性」なのだが、⑧⑨段落によれば、死によって生成が終わってもなお、生前と同じように、死者はそれに向かい合う他人に「運動性」を感得させるという。この理解があれば、ここで言う「運動性」も③段落で述べていた自他の相互作用(働きかけ⇔応答)と平行関係(パラレル)ではないか。③段落では、他人の応答による自分の変容に焦点が当てられたが、ここでは、死者となった生成する自分から「働き」を受ける客体の方の変容に照準をおいて「感得」の説明にする。

<GV解答例>
生成する自分は、死んだ後もなお、その生前の足跡を辿る者に働きかけ、応答に答える相互作用を通して、その者を活性化できるということ。(64字)

<参考 S台解答例>
自らの可能性を求め続けた人の生の働きは、当人の死後にその軌跡を辿る他者の中で生き生きとよみがえるということ。(54字)

<参考 K塾解答例>
ある死者が残した様々な足跡を追うことで、そのつど与えられる像を裏切りつつ変化していった当人の生の動きを、自らの内に追体験すること。(65字)

設問(五)「この秘められた、可能性の自分に向かうのが、虚への志向性としての自分の方向性でもある」(傍線部オ)とあるが、どういうことか。本文全体の論旨を踏まえた上で、百字以上百二十字以内で説明せよ。

おなじみの「内容説明型」要約問題である。東大の場合、傍線は基本、本文の結論部に引いてあるので、「理由説明型」も含めて、結論までの論旨で傍線部につながる要素を加えて解答を作る。基本的な手順は、
傍線部自体を簡単に言い換える。(解答の足場)
「足場」につながる必要な論旨を取捨し、構文を決定する。(アウトライン)
必要な小要素を全文からピックし、アウトラインを具体化する。(ディテール)
となる。
では、の作業だが、傍線部オの文がそもそも分かりにくい。こういう場合、文の骨格をつかむようにする。「…可能性の自分に向かうのが…自分の方向性でもある」と見ると、要は「可能性に向かうのが、自分(らしさ)だ」となる。その自分は「虚への志向性」(⑦段落で既出)を持つ訳だから、「虚への志向性により、秘められた可能性が開かれるところに、自分(らしさ)が現れる」くらいの理解で良いだろう。
については、最終段落「正確に言おう」の後から傍線部オまでの4文が、そのまま「足場」につながる全文論旨になっている。それを踏まえて、「自分の生は徹頭徹尾(つまり生きていても死んだ後も)他人により規定される」が、「その規定(足跡)を起点として、虚への志向性により、秘められた可能性が開かれるところに、自分(らしさ)が現れる」という構文に定める。ポイントは逆接の「が」を間におき、「ネガ」から「ポジ」に反転させたところにある。
については、①②段落から「生成する自分の歴史性」、③④段落から「生成する自分の他者性」、⑤⑥⑦段落から「虚への志向性」の説明、つまり「他人により規定された「足跡」から自由な可能性を目指すところに、自分の方向性(自分らしさ)が自覚される」という内容、⑧⑨段落から「死してもなお、自他の相互規定は継続すること」を盛り込んで、最終解答とする。

<GV解答例>
身体的・意味的に過去を現在の世界へ向かって組み直し生成を続ける自分は、生前に加え死後においても他人による変容を受け、その関係性に規定されるが、その規定を起点としてそれを逃れ自由を目指す可能性の中に、自分らしさを見出だすことができるということ。(120字)

<参考 S台解答例>
自己とは、固定された不変の存在ではなく、過去を引き受けつつ他者との関係において不断に生成され、自らの死後も他者の中で生き続けうる運動であり、そのような生の現在において、過去の自分を否定する自由にこそ、新たな可能性が自覚されるものだということ。(120字)

<参考 K塾解答例>
自分らしさとは、他者との応答の中で不断に自己が組みかえられる動きの方向性であり、自分や他人が認める自らのイメージから、自由であり続けようとする動きが、死してなお他者によって感じとられ、他者のうちによみがえるときに立ち現れるものである。(117字)

設問(六)
a.獲得 b.高潔 c.依然

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