〈本文理解〉

出典は内田百閒の短編小説「冥途」。説明の都合上、本文をいくつかのパートに分けておく。
 
1️⃣ 高い、大きな暗い土手が…夜の中を走っている。その土手の下に…一ぜんめし屋が一軒あった。…私は一ぜんめし屋の白ら白らした腰掛に、腰を掛けていた。何も食ってはいなかった。ただ何となく、人のなつかしさが身に沁むような心持でいた。…
 
2️⃣ 私の隣りの腰掛に、四、五人一連れの客が何か食っていた。沈んだような声で、面白そうに話し合って、時時静かに笑った。その中の一人がこんな事を云った。「提灯をともして、お迎えをたてると云う程でもなし、なし」。私はそれを空耳で聞いた。何の事だか解らないのだけれども、何故だか気にかかって、聞き流してしまえないから考えていた。するとその内に、私はふと腹がたって来た。私のことを云ったらしい。…外の声がまたこう云った。大きな、響きのない声であった。「まあ仕方がない。あんなになるのも、こちらの所為だ」。その声を聞いてから、また暫くぼんやりした。すると私は、俄かにほろりとして来て、涙が流れた。何という事もなく、ただ、今の自分が悲しくて堪らない。けれども私はつい思い出せそうな気がしながら、その悲しみの源を忘れている。
 
3️⃣ それから暫くして、私は酢のかかった人参葉を食い、どろどろした自然生の汁を飲んだ。隣の一連れもまた外の事を何だかいろいろ話し合っている。…さっき大きな声をした人は五十余りの年寄りである。その人丈が私の目に、影絵の様に映っていて…連れの人に話しかけるのが見える。けれども、そこに見えていながら、その様子が私には、はっきりしない。話している事もよく解らない。…
 
4️⃣ 時折土手の上を通るものがある。…その時は、非常に淋しい影が射して身動きも出来ない。みんな黙ってしまって、隣りの連れは抱き合う様に、身を寄せている。私は、一人だから、手を組み合わせ、足を竦めて、じっとしている。通ってしまうと、隣りにまた、ぽつりぽつりと話し出す。けれども、矢張り、私には、様子も言葉もはっきりしない。しかし、しっとりした、〈しめやかな団欒を私は羨ましく思う〉(傍線部(1))。
 
5️⃣ 私の前に、障子が裏を向けて、閉ててある。その表示の上を、羽根の撚れた様になって飛べないらしい蜂が、一匹、かさかさ、かさかさと上って行く。その蜂だけが、私には、外の物よりも、非常にはっきりと見えた。隣りの一連れも、蜂を見たらしい。蜂がいると云った。その声も、私には、はっきり聞こえた。それから、こんな事を云った。「それは、それは、大きな蜂だった。熊ん蜂というのだろう。この親指ぐらいもあった」。そう云って、その人が親指を立てた。その親指が、また、はっきりと私に見えた。何だか見覚えのある様ななつかしさが、心の底から湧き出して、じっと見ている内に涙がにじんだ。
 
6️⃣「ビードロの筒に入れて紙で目ばりをすると、蜂が筒の中を、上ったり下ったりして唸る度に、目張りの紙が、オルガンの様に鳴った」。その声が次第に、はっきりして来るにつれて、私は何とも知れずなつかしさに堪えなくなった。…「それから己の机の上にのせて眺めながら考えていると、子供が来て、くれくれとせがんだ。強情な子でね、云い出したら聞かない。己はつい腹を立てた。ビードロの筒を持って縁側へ出たら庭石に日が照っていた」。〈私は、日のあたっている舟の形をした庭石を、まざまざと見る様な気がした〉(傍線部(2))。「石で微塵に毀れて、蜂が、その中から、浮き上がるように出て来た。ああ、その蜂は逃げてしまったよ。大きな蜂だった。ほんとに大きな蜂だった」。
 
7️⃣ 「お父様」と私は泣きながら呼んだ。けれども私の声は向うへ通じなかったらしい。みんなが静かに立ち上がって、外へ出て行った。「そうだ、矢張りそうだ」と思って、私はその後を追おうとした。けれどもその一連れは、もうそのあたりに居なかった。そこいらを、うろうろ探している内に、その連れの立つ時、「そろそろまた行こうか」と云った父らしい人の声が、私の耳に浮いて出た。〈私は、その声を、もうさっきに聞いていたのである〉(傍線部(3))。
 
8️⃣ 月も星も見えない、空明かりさえない暗闇の中に、土手の上だけ、ぼうと薄白い明かりが流れている。さっきの一連れが、何時の間にか土手に上って、その白んだ中を、ぼんやりとした尾を引く様に行くのが見えた。私は、その中の父を、今一目見ようとしたけれども、もう四、五人の姿がうるんだ様に溶け合っていて、どれが父だか、解らなかった。
 
9️⃣ 私は涙のこぼれ落ちる目を伏せた。黒い土手の端に、私の姿がカンテラの光りの影になって大きく映っている。〈私はその影を眺めながら、長い間泣いていた〉(傍線部(4))。それから土手を後にして、暗い畑の道へ帰って来た。

問一「しめやかな団欒を私は羨ましく思う」(傍線部分(1))とあるが、これは「私」のどのような状況を表しているか、述べよ。

内容説明問題(状況説明)。「私」が「しめやかな団欒」を「羨ましく思う」ときの「状況」を問うている。小説の問題の多くは主人公(視点人物)など登場人物の「心情」を問うものだが、それは当然、その心情に至る「状況」の説明と対になるものである。ここでは始めに「羨ましく思う」という心情を示し、そこに至る状況の整理を直接問うているのである。
 
そこでまず「しめやかな団欒」を具体化すると「隣りの腰掛で面白そうに2️⃣/身を寄せて話し合っている4️⃣/一連れの客の団欒」(a)ということである。ただ、私にはその「様子も言葉もはっきりしない4️⃣(3️⃣)」(b)。私は「淋しさに/一人足を竦めてじっとしている4️⃣」(c)。ここまでが傍線部に直接つながる状況の整理だが、より広く視野をとった場合、この短編全体を通して私の基調となる心情は「なつかしさ1️⃣」であり、隣りの客の声にはそのなつかしさに「悲しみ」を伴わせるものがある(2️⃣)(d)、ということが見えてくる。以上より「隣りの腰掛で身を寄せ面白そうに話しあっている一連れの客の声が(a)/私に悲しみを伴うなつかしさを感じさせながらも(d)/その様子や話の内容が分からず(b)/孤独で(c)/もどかしい(b)状況」(→羨ましい)とまとめることができる。
 
 
〈GV解答例〉
隣りの腰掛で身を寄せ面白そうに話しあっている一連れの客の声が、私に悲しみを伴うなつかしさを感じさせながらも、その様子や話の内容が分からず、孤独でもどかしい状況。(80)
 
 
〈参考 S台解答例〉
一人でめし屋にいる自分の隣席の、自分と関わりのあるらしい人と連れとの穏やかな親密さに羨望と疎外感を覚え、もの悲しい思いを抱えて自席で身を固くしている状況。(77)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
土手の下の一ぜんめし屋で、隣の連れの中にいる年寄りの声を聞き、たまらなく悲しくなるが、そのわけもわからないまま、ただ一人でじっと身をひそめている状況。(75)

問二「私は、日のあたっている舟の形をした庭石を、まざまざと見るような気がした」(傍線部分(2))とあるが、どうしてか、述べよ。

理由説明問題(心情)。4️⃣までのとりとめのない私のイメージが5️⃣以降は具体化され、徐々に焦点を結ぶようになる。やがて私はその一連の客の一人が失われた父(の幻影)であることを確信するのだが、その確信を導く場面が5️⃣6️⃣であり、その結部に傍線部は位置している。5️⃣6️⃣は客の一人が蜂を見たのを機に過去のエピソードを話す場面である(なぜか、この話だけ私にははっきり聞き取れ、なつかしさに堪えられなくなるのである)。その客(のちに私が父と確信する人物)の話によると、大きな蜂を入れたビードロの筒(それは蜂の唸りでオルガンの様に鳴る)を自分の子供が執拗にせがむので、腹を立てて縁側へ出た、そこで庭石が日に照っていた、ということである。その話を聞いて私は「日のあたっている舟の形をした庭石をまざまざと見る気がした」のである。続く客の話によると、(ビードロは)石で微塵に毀れて蜂は逃げていった、ということだが、つまり、ビードロは腹を立てたその客によって庭石に打ちつけられ砕かれた、ということだろう。
 
その断片的な話を聞いて私は、その庭石を、しかも話に出てこないその形も含めて、まざまざと見る気がしたのである。もちろん、そこで私はその客が父であること、そしてその子供が幼少時の自らであることを確信しているのだ。以上より問に対する答えの核は「隣りの客の話に出た庭石が、自らの記憶の中にある庭石と重なったから」である。あとはその記憶の中にある庭石を具体化して「蜂の入ったビードロの筒を父が打ちつけて砕いた/当時の住まいの庭にあった舟の形をした庭石」とし、上と合成して完成となる。
 
 
〈GV解答例〉
隣りの客の話に出た庭石は、私の記憶の中にある、蜂の入ったビードロの筒を父が打ちつけて砕いた、当時の住まいの庭にあった舟の形をした庭石と重なるように思われたから。(80)
 
 
〈参考 S台解答例〉
不可解ななつかしさのなかで隣りの人の話を聞いていたが、話の内容からその人が自分との過去の思い出を語る父であるように思われ、当時の情景が鮮明に思い起こされたから。(80)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
気になる人の声がはっきりしてくるにつれ、なつかしさがあふれ、その人物が語る蜂と「子供」の話が、「私」自身の幼児の記憶として鮮明に蘇ってきたから。(72)

問三「私は、その声を、もうさっきに聞いていたのである」(傍線部分(3))とあるが、この一文は、どのような表現効果を持っているか、述べよ。

表現意図説明問題。「その声を、もうさっきに聞いていた」という表現から、直観的に感じ取らねばならないのは私の気が動転していることと、この場面自体が現実離れした幻想的なものであるということだ。当たり前のことだが、作者は自らの表現意図はこうであるなどということを小説の中で記述したりはしない。賢明な読者はその表現意図を感じ取らねばならないし、その上で解答者はその感じ取った内容を筆者と同じメタ視点に立ち、整理して示さなければならない。それについて体のいいマニュアルなど成り立つわけがないのである。
場面(状況)を整理しよう。5️⃣6️⃣の客の話を承け、私はその話の主が失われた父であることを確信する。それで「お父様」と声をかけるのだが、その声は通じず一連れは外へ出て、すでにそのあたりには居なくなっていた。それを探す私に、連れが立つ時「そろそろまた行こうか(→土手の上=冥土に戻る?)」と云った父らしい声が浮かんできた。それに続くのが傍線部である(7️⃣)。以上より「場面→表現(傍線部の抽象化)→意図(効果)」の順に整理すると「亡き父の声と確信させる人物に出会い/なつかしくもその姿がはっきり見えず/私の前から去っていく場面で/物事の時間的な前後が混乱する様子を描くことで/私の気の動転と現実離れした場の雰囲気を醸し出す効果」とまとめられる。
 
 
〈GV解答例〉
亡き父の声と確信させる人物に出会い、なつかしくもその姿がはっきりと見えず、私の前から去っていく場面で、物事の時間的な前後が混乱する様子を描くことで、私の気の動転と現実離れした場の雰囲気を醸し出す効果。(100)
 
 
〈参考 S台解答例〉
父の声が時間的な遅れをもって「私」の耳に浮かび上がってくるさまを描くことで、父と「私」がそれぞれに身を置く世界が異質なものとして隔てられていることを示しながら、全体が夢の中の話のように描かれた物語の幻想性を強めている。(109)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
すぐ隣にいるのに、「私」の声は向こうに通じず、父の声は時間差で聞こえてくるという、「私」と父たちとの間の不思議な隔たりを表すとともに、この小説がリアルな世界ではなく、「私」の心象によって構築されていることを示す効果。(108)

問四「私はその影を眺めながら、長い間泣いていた」(傍線部分(4))とあるが、どうしてか、説明せよ。

理由説明問題(心情)。土手の上に流れている薄白い明かりの方へ父を見送った後(8️⃣)、私は涙のこぼれ落ちる目を伏せた。土手の端にカンテラの光りで映る自分の影を認める。それに続くのが傍線部。長い間泣いてから、私は土手を後にし、暗い畑の道へ戻っていく(9️⃣)。注意すべきなのは、8️⃣までの場面で亡き父に出会い、声が届かず、父を見失なうことで涙を流しているうちに、9️⃣の冒頭で私は幻想(夢)から覚め、我に立ち戻っているということだ。つまり傍線部の「長い間泣いていた」というのは、正気に戻り、改めて、泣いたということである。それは一つに夢の余韻で父を失った悲しさが続いていること(a)、そしてもう一つ、そうした自分を省み、失った父を今も心のどこかに求める自己の孤独を思い(→その姿がカンテラの光りで土手に映るのである)、改めて涙したのである(b)。
 
以上の2段階を2文に分けて説明する。「私は幻想の中で亡き父と確信させる人物に出会いながら/父は私に気づくことなく/また私にはっきりと姿を見せることなく立ち去っていった(a)。そこに取り残され涙するうちに我に返り/失った父を今も求めている自分の孤独な姿を思い/改めて悲しさが増したから(b)」、私は長い間泣いていたのである。
 
 
〈GV解答例〉
私は幻想の中で亡き父と確信させる人物に出会いながら、父は私に気づくことなく、また私にはっきりと姿を見せることなく立ち去っていった。そこに取り残され涙するうちに我に返り、失った父を今も求めている自分の孤独な姿を思い、改めて悲しさが増したから。(120)
 
 
〈参考 S台解答例〉
人なつかしい思いで孤独に過ごしていためし屋で、隣りの一団の中に父を見いだしたと思ったが、呼びかける自分の声は届かず、去っていく一団を追うこともできぬまま、父の存在が遠く失われていくのを感じ、一人残された自分の影を見ながら、父との再会は願ってもかなわなくなっていることを思わされ、こみあげる孤独感と寂寥感をこらえることができなかったから。
(168)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
人なつかしさが身に沁むような孤独な思いでいたところ、はしなくも父に再会したと思ったが、連れと語り合う父の声は聞こえるものの、「私」が泣きながら呼びかけた声は父に通じず、そのまま別れ別れになり、一人取り残されたことで、さびしさがいっそう胸に迫ってきたから。(127)