〈本文理解〉

出典は佐藤弘夫『死者のゆくえ』。できるだけ本文の表現に即して要旨をまとめよう。

①~⑥段落(第一パート)。葬送儀礼を論じるにあたり、よく見受けられる誤解の一つに、儀礼の変遷の背後に「野蛮」から「文明」に至る「進化」の過程を見出そうとする視点がある。インドでは火葬した遺体を河に流すが、それは家の墓を設けて供養に訪れる日本よりも「野蛮」だという見方は的外れである。インド人にとってガンジス河はヒマラヤ山脈に下った水脈がそのまま下流にまで続いたもので、そこに撒かれた遺骸の霊魂はその水脈を遡及して天の世界へと帰っていく。チベットの鳥葬でも、鳥と一体化した死者の魂は空高く舞い上がり、天へと至ると信じられていた。墓を残さないこれらの葬送儀礼の背後にあるものは、「そうした風習を必然なものとする固有の死生観」(傍線部(1))であり、それは「野蛮」や「文明」といった範疇と完全に異質である。

⑦~⑪段落(第二パート)。それでは、日本列島における骨や死体に対する態度の変化の背後に、どのような死の観念の変容を読み取ることができるだろうか。墓地を営まない古代人の場合、魂は肉体に内在しており、それが離脱して帰ることが不可能になった状態が死を意味するものと考えられていた。ひとたび死が確認されたとき直面する最重要の課題は、荒々しい性格を帯びた霊魂の浄化と沈静化をいかに実現するかであった。残された肉体や骨はモノであり魂の脱け殻であった。古代において葬地に運ばれた遺体が放置されたまま顧みられることがなかった背景には「遺体をモノとみるこうした観念」(傍線部(2))があったと推測される。(⑦~⑨)
さまざまな儀式を通じて浄化された霊魂は、山中や洞窟などにある死者の国に向かったが、カミと同じく遊行する存在であり、中空を自由に飛翔した。死者は、一つの空間を生者と分かち合っていたのである。死者の中でも特に威力があるものはカミとして扱われ、その対極に不特定の人々に災いをなす怨霊が存在したが、それも、一定の作法を踏むことでカミへと転換することができると考えられていた。(⑩⑪)

⑫~⑰段落(第三パート)。古代的な社会構造から中世的なそれへの転換が完了する12世紀になると霊場や共同墓地が成立し、そこへの納骨信仰が開始される。思想や世界観の面でも仏教の本格的受容と浄土信仰の浸透に促されて、古代的な一元的世界観に対する、他界─此土(しど/※この世)の二重構造をもつ中世的世界観が形成される。(⑫⑬)
「こうした世界観の転換」(傍線部(3))に伴い、聖徳太子や弘法大師などの聖人は、彼岸の仏の垂迹として人を浄土へ導く存在と規定され、彼らのいる空間(霊場)は浄土への入り口とされた。こうして各地にミニ霊場が誕生し、その周辺に共同墓地が発達した。骨を後生大事に抱えて霊場や共同墓地まで運ぶという行動の背景には、死後も一定期間霊魂は肉体の一部に留まり続けるという新たな観念の定着を読み取れる。中世では骨と魂の結びつきは、より持続的で強固なものになったが、それでもひとたび霊魂が往生を遂げた暁には、骨はただの遺骸に過ぎなかった。(⑭~⑰)
⑱~21段落(第四パート)。中世後期から近世初期にかけて、この列島の思想世界は再度巨大な変動を体験する。他界浄土の観念が縮小して、現世こそ唯一の実態であるという見方が広まっていく。その結果、死者の安穏は遠い浄土への旅立ちではなく、この世界の内部にある墓地に眠り、子孫の定期的な来訪と読経の声を聞くことにあると信じられるようになった。死者は遺骨とともに、永遠に墓地に留まり続けるのである。「江戸時代に一般化する、生者と死者がこの世を共有するという感覚は、中世を飛び越して古代に回帰したかのような印象を与える。しかし、死者と生者の空間が明確に分節化されることなく、人間界と死者・カミの棲む他界がほとんど重なりあっていた古代に対し、近世では両者は明確に分離されるに至る」(傍線部(4))。

〈設問解説〉問一「そうした風習を必然なものとする固有の死生観」(傍線部(1))とは、どのようなものか、述べよ。

内容説明問題。次の問二が「どのような観念か」と聞いているのに対し、本問は「どのような死生観か」とせずに「どのようなものか」と問うていることに留意する。狭く取ると「そうした風習(A)」は「固有の死生観(B)」の帰結だが、ここでは死生観を広くとり帰結部も繰りこんで、「BゆえにAするべきだとする見方」とまとめるとよい。
Bについては、前段の具体例(インド、チベット)を抽象化し「死者の霊魂はこの世から離れ天界に向かう」とする。Aは傍線直前から「墓を作り霊魂をこの世に留めるべきではない」とする。因果関係を意識し「この世から離れる→この世に留めるべきではない」と表現したのがミソである。加えて「固有の(死生観)」を「特定の文化に内在する(見方)」と言い換えた。

<GV解答例>
死者の霊魂は生者の住むこの世から離れ天界に向かうゆえ、墓を作りこの世に留めるべきではないという、特定文化に内在する見方。(60)

<参考 S台解答例>
死者を記憶として留める墓を設けず、遺骸や骨を自然に帰す文化の基盤にある、死者の魂は肉体から離れ天へと至るとする独自の死生観。(62)

<参考 K塾解答例>
死者を記憶に留めるための墓を残さない葬送儀礼の背後にある、各文化それぞれの、死者の魂は天へと至るという死の観念。(56)

問二「遺体をモノとみるこうした観念」とは、どのような観念か、述べよ。

内容説明問題。ここにも「こうした観念」→「遺体をモノとみる(A)」という因果が隠れている。「こうした」については、前段落と当該段落をまとめ「肉体は魂の器であり/死はその不可逆な分離を意味する」とする。Aについては、当該段落に「(残された肉体は)モノであり脱け殻にすぎなかった」とあるので「脱け殻」を使うが、「モノ」はそれと並列になっているので別の言葉で置き換えたいところ。傍線直前に「遺体が放置されたまま顧みられることがなかった」とあるから、「無価値だとする」と加える。なおこれは「古代日本に固有の観念」であるから、これも忘れずに。

<GV解答例>
肉体は霊魂の器であり死はその不可逆な分離を意味する以上、遺体は魂の脱け殻にすぎず無価値であるとする古代日本に固有の観念。(60)

<参考 S台解答例>
人間は魂と肉体から構成され、肉体から魂が離脱して帰ることが不可能になった状態が死であって、残された遺体は魂の脱け殻でしかないとする観念。(68)

<参考 K塾解答例>
人間は肉体と魂から成り立ち、肉体から離脱した魂が再び肉体に帰ることが不可能な状態が死である以上、遺体は魂の脱け殻でしかないという観念。(67)

問三「こうした世界観の転換」(傍線部(3))とあるが、どのような世界観から、どのような世界観への転換か、述べよ。

内容説明問題。設問形式に沿って「A世界観からB世界観への転換」という形で解答する。すると、「こうした」という指示語に従って前段(⑬段落)からA「古代的な一元的世界観」、B「他界─此土の二重構造をもつ中世的な世界観」が容易に見つかる。Bについては、Aと対応させて「~中世的な二元的世界観」と直せばよい。また同じ⑬段落から「~」の部分を「浄土信仰の浸透に伴い/この世と隔絶した彼岸があるとする」と具体化する。
Aについては、古代の死生観について述べた第二パート(特に⑩段落)より「肉体から分離した死者の魂は/カミに準ずる存在として/生者と空間を供にするという~世界観」と具体化する。中世の世界観に決定的な影響を与えた「仏教(浄土信仰)」との関連をBに繰りこんだのに対して、古代の「カミへの信仰」との関連をAには繰りこみたい。

<GV解答例>
肉体から分離した後もカミに準ずる存在として死者の魂は生者と空間を共にするという古代的な一元的世界観から、浄土信仰の浸透に伴いこの世と隔絶した死後往生すべき彼岸があるとする中世的な二元的世界観への転換。(100)

<参考 S台解答例>
肉体を離れた死者の魂は生者と同じ空間の中を自由に遊行しているという古代的な一元的世界観から、生者の世界であるこの世と、死者が往生すべき他界浄土という、隔絶した二つの世界を想定する中世的世界観への転換。(100)

<参考 K塾解答例>
死者の魂は中空を自由に飛翔し、生者と同じ空間を分かち合っているという、一元的構造の古代的世界観から、生者の住む此土に対し、死者が往生する彼岸世界は遠く隔絶しているという、二重構造をもつ中世的世界観への転換。(103)

問四「江戸時代に一般化する、生者と死者がこの世を共有するという感覚は…分離されるに至る」(傍線部(4))とあるが、筆者は、近世の死生観が古代の死生観、中世の死生観と、それぞれどのような共通点と相違点を持っていると考えているか、述べよ。

要約型内容説明問題。設問要求に沿って、「近世の死生観(A)」を第四パートを根拠にまとめ、Aを起点に「古代(B)」(第二パート)、「中世(C)」(第三パート)と比較し、その共通点と相違点を叙述する。そこでAは⑲⑳段から「死者はその遺骨とともに/墓地に留まり/供養を続ける生者を/見守る」とまとめられる。それとBとの共通点、相違点はそれぞれ、長い傍線自体と⑩段落を参考に、「生者と死者がこの世を共有する」「死者との領域を区切る/区切らない」と指摘できる。
AとCとの共通点、相違点はそれぞれ、⑯⑰段落を参考に「骨と魂を結びつけ/墓に納めて/供養する」「中世においては供養は魂が往生するまでに限られる/その後魂はこの世から隔絶した彼岸にある」と指摘できる。

<GV解答例>
近世の死生観は、死者は墓地に留まり供養を続ける生者を見守るという点で、生者と死者がこの世を共有する古代の死生観に通じるが、魂がこの世をさまよう古代と違い死者の領域を明確に区切る。また、死後の魂と骨を結びつけ墓に納めて供養する点で中世の死生観と共通するが、中世においてその供養は魂が往生するまでの期間に限られ、その後魂はこの世と隔絶した彼岸に向かう点で、異なる。(180)

<参考 S台解答例>
近世の死生観では、死者と生者が同じ世界に共存するとみる点で古代の死生観と共通するが、死者と生者の空間が分離され、死者の霊魂の遊行を禁忌とした点で古代と相違し、また骨に霊魂が留まることを認め、墓に骨を納めて供養や法要を行う点で中世の死生観と共通するが、死者はやがて遠い浄土へ往生するのではなく、現世の墓に留まって継続的な来訪と供養を受け、子孫の生活を見続ける、とする点で中世と相違する。(192)

 <参考 K塾解答例>
近世と古代の死生観は、死者と生者が同じ世界に共存すると考える点では共通するが、近世では死者と生者の空間を明確に分離し、死者は遺骨とともに墓地に留まると考えられる点で相違する。また、近世と中世の死生観は、骨と魂との結びつきを認め、墓所に骨を納めて死者を供養する点で共通するが、近世では他界浄土の観念が縮小し、現世が唯一の実態となった結果、死者は墓地に留めるべき存在だと考える点で相違する。(193)

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