〈本文理解〉

出典は中屋敷均「科学と非科学のはざまで」。

①段落。「カオスの縁」という言葉がある。とても大雑把に言えば、二つの大きく異なった状態(相)の中間には、その両側の相のいずれとも異なった、複雑性が非常に増大した特殊な状態が現れる、というようなことを指している。

②③段落。(水の例)。巨視的に見れば “水” は分子同士が強固に束縛された氷という状態から、無秩序でカオス的に振舞う水蒸気という状態への過渡期にある特殊な状態、すなわち「カオスの縁」にある姿と言えるのかもしれない。

④段落。この「カオスの縁」という現象が注目されたのは、それが生命現象とどこかつながりを感じさせるものだったからである。生き物の特徴の一つは、この世界に「形」を生み出すことだ。(有機物→細胞→人間→メガロポリス)。

⑤段落。しかし、こういった生物の営みは、「自然界ではある意味、例外的なものである」(傍線部ア)。何故なら、この世界は熱力学第二法則(エントロピー増大の法則)に支配されており、世界にある様々な分子たちは、より無秩序に、言葉を変えればカオスの方向へと、時間と共に向かっているはずだからである。そんなカオスへ向かいつつある世界の中で、「形あるもの」として長期間存在できるのは、一般的に言えば、それを構成する原子間の結合が極めて強いものであり、鉱物や氷といった化学的な反応性に乏しい単調な物質が主なものである。

⑥段落。ところが、生命はそんな無秩序へと変わりつつある世界から、自分に必要な分子を取り入れ、そこに秩序を与え「形あるもの」を生み出していく。その姿はまるで「カオスの縁」にたたずみ、形のないカオスから小石を拾い、積み上げているかのようである。また、その積み上げられる分子の特徴は、反応性に富んだ物質であり、偶発的な要素に反応し、次々に違う複雑なパターンとして、この世に生み出されてくる。そして、それらは生命が失われれば、また形のない世界へと還っていくのだ。それは分子の、この世界における在り方という視点で考えれば、”安定” と “無秩序” の間に存在する、極めて特殊で複雑性に富んだ現象である。

⑦段落。また、生命の進化を考えてみよう。進化は、自己複製、つまり「自分と同じものを作る」という、生命の持続を可能とする静的な行為と、変異、つまり「自分と違うものを作る」という、秩序を破壊する、ある種、危険を伴った動的な行為の、二つのベクトルで成り立っている。現在の地球上に溢れる様々な生命は、その静的・動的という正反対のベクトルが絶妙なバランスで作用する、その “はざま” から生まれ出てきたのだ。

⑧段落。様々な意味で生命は、秩序に縛られた静的な世界と、形を持たない無秩序な世界の間に存在する「何か複雑で動的な現象」(傍線部イ)である。「カオスの縁」つまりそのはざまの空間こそが、生命が生きていける場所なのである。

⑨⑩段落。「生きている」科学にも、これと似た面がある。科学は、混沌とした世界に、法則やそれを担う分子機構といった何かの実体、つまり「形」を与えていく人の営為と言える。(日食、月食の例)。何が起こったのか訳が分からなかった世界に、確固とした「形」が与えられるのだ。

⑪⑫段落。一方、たとえばガン治療などは、現在まだ正答のない問題として残されている。…しかし、この先、どんなガンにも効果があるような特効薬が開発されれば、ガン治療にはそれを使えば良い、ということになるだろう。それは、世界に新しい「形」がまた一つ生まれたことを意味する。このように人類が科学により世界の秩序・仕組みのようなものを次々と明らかにしていけば、世界の姿は固定され、新たな「形」がどんどん生まれていく。それは「人類にもたらされる大きな福音」(傍線部ウ)だ。

⑬⑭段落。しかし、また一方、こんなことも思うのだ。もし、そうやって世界の形がどんどん決まっていき、すべてのことが予測でき、何に対しても正しい判断ができるようになったとして、その世界は果たして、人間にとってどんな世界だろう。(遺伝子診断→教育・食事・エクササイズの最適化→結婚相手もデータベースから選択)。科学がその役目を終えた世界。病も事故も未知もない、そんな神様が作ったユートピアのような揺らぎのない世界に、むしろ「息苦しさ」を感じてしまうのは、私だけであろうか。

⑮⑯段落。少なくとも現時点では、この世界は結局のところ、「分からないこと」に覆われた世界である。目をつぶって何かに、それは科学であれ、宗教であれ、すがりつく以外、心の拠りどころさえない。しかし、物理的な存在としての生命が、「カオスの縁」に立ち、混沌から分子を取り入れ「形」を作り生きているように、知的な存在としての人間はこの「分からない」世界から、少しずつ「分かること」を増やし「形」を作っていくことで、また別の意味で「生きて」いる。その営みが、何か世界に “新しい空間” を生み出し、その営みそのものに “喜び” が隠されている。だから、世界に新しい「形」が与えられることが福音なら、実は「分からないこと」が世界に存在することも、また福音ではないだろうか。

⑰段落。「分からない」世界こそが、人が知的に生きていける場所であり、世界が確定的でないからこそ、人間の知性や「決断」に意味が生まれ、そして「アホな選択」も、また許される。「いろんな「形」、多様性が花開く世界」(傍線部エ)となるのだ。それは神の摂理のような “真実の世界” と、混沌が支配する “無明の世界” のはざまにある場所であり、また「科学」と、まだ科学が把握できていない「非科学」のはざま、と言い換えることができる空間でもある。

〈設問解説〉問一 「自然界ではある意味、例外的なものである」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。主語を補うと、「こういった生物の営みは(A)/自然界では/ある意味で/例外的なものである」となる。Aが、自然界のレギュラー(B)に対し、どういう意味で例外か、を示せばよい。AとBを対比的に捉えると、Aは「この世界に「形」を生み出す」(④)、Bは「(エントロビー増大の法則に従って)より無秩序に…カオスの方向へと、時間と共に向かっている」(⑤)という要素が拾える。つまり、Bが基本的に「秩序から無秩序へ」向かう中、Aは「無秩序から秩序ある形を生み出す方へ」と向かうのだ。ただし、Bには、もう一つ例外があり、鉱物や氷のような「原子間の結合が極めて強い」物質(C)については、自然界の中でも「「形あるもの」として長期間存在でき」るのである(⑤)。以上より、「C以外、~Bの中で、Aだけ~」という構文で仕上げる。傍線の「例外的なもの」は、「だけ」という表現で置き換えた。

<GV解答例>
原子間の結合が強固な物質以外、秩序から無秩序へ向かう自然界の中で、生物の営みだけが無秩序から秩序ある形を生み出していくということ。(65)

<参考 S台解答例>
形を作り続けることで存在する生命のあり方は、より無秩序なものへ変化し、静的にしか形を保ち難い自然界では特殊だということ。(60)

<参考 K塾解答例>
無秩序へと向かう自然界で、一般に存続できるのは強固な秩序を備えた無機物であるのに、生物だけが秩序を新たに生み出しつつ存続していること。(67)

<参考 T進解答例>
無秩序へと変化する自然界では反応性に乏しいもののみ形として存在できるが、反応性に富む物質を、複雑性を有しつつ秩序ある形として生み出す点で特殊だということ。(77)

問二 「何か複雑で動的な現象」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。一文で考えると、「様々な意味で/生命は/…静的な世界と…無秩序な世界の間に存在する/何か複雑で動的な現象/である」(A)となる。「様々な意味で」とあるから、複数の「複雑で動的な(生命の)現象」(B)を指摘する必要がある。解答範囲を考える。まず、⑥段落の末文「それは…“安定” と “無秩序” の間に存在する…複雑性に富んだ現象」がAとほぼ対応することに着目できる。次に、その⑥段落の内容と⑦段落が、段落頭の「また」で並列になっていることに着目できる。この二つの段落を承け、⑧段落の一文目に傍線(B)を含むAがくるのである。ならば、⑥と⑦の内容がそれぞれ、Bにあたる現象を説明することになるだろう。
⑥からは「(生命が取り入れる分子は)…偶発的な要素に反応し、次々に違う複雑なパターンとして、この世に生み出されてくる」(C)が拾える。⑦からは、生命の進化は「自己複製」と「変異」という正反対のベクトルにより成り立つという内容(D)が拾える。このCとDで傍線の「複雑」さを説明するが、加えて「動的な現象」という要素を「生命は~生まれ進化していく過程(である)」と置き換え説明した。

<GV解答例>
生命は、偶発的な要素に反応して複雑化しながら、自己を複製しては時に変異を起こすことにより、生まれ進化していく過程であるということ。(65)

<参考 S台解答例>
生命は、その時々の世界に反応し、形をなしては崩れゆく多様な揺らぎとしてしか存在しえない現象であるということ。(54)

<参考 K塾解答例>
生命は、偶発的な要素に反応する分子の秩序として誕生し、自己複製しつつ、秩序を変異させて自分とは異なる生命を生み出していくということ。(66)

<参考 T進解答例>
秩序だった静的世界と無秩序な動的世界の、両者への指向性が絶妙なバランスで作用する狭間で生じてそこでのみ存在可能な、偶発的要素に反応し更新を繰り返すもの。(76)

 

 

 

問三 「人類にもたらされる大きな福音」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)。

内容説明問題。「福音」が難しい。語義によると「喜ばしい知らせ」、さらにキリスト教と結合して「(キリストによる)将来的な救済」に発展する。とりあえず、「将来的に訪れる/良い出来事」くらいに捉えておく。傍線部は、「それは」を承ける述部にあり、「それ」が承けるのは、前文「人類が科学により世界の秩序…を次々と明らかにしていけば、新たな「形」がどんどん生まれていく」である。⑯段落冒頭「…世界に新しい「形」が与えられることが福音なら…」も参考にすると、「科学により/新しい「形」が与えられること(A)」が「福音」ということになる。

Aについての言い換え説明が必要だが、それが科学によりもたらされる肯定的な側面だということを踏まえるならば、⑨~⑫段落の意味のまとまりが根拠となるはずだ。特に⑨段落2文目「科学は/混沌とした世界に/法則やそれを担う分子機構といった何かの実体/つまり「形」を与えていく人の営為」を踏まえ、Aを「混沌とした世界を秩序あるものとして法則的に理解すること」(B)と言い換える。ただこれではまだ、「福音」=「将来的に訪れる良い出来事」のニュアンスがでない。そこで、傍線のある⑫段落から話題を転じる⑬段落のうち、傍線の内容を承けた2文目「もし、そうやって世界の形がどんどん決まっていき、すべてのことが予測でき、何に対しても正しい判断ができるようになったとして」を踏まえ、「科学によりBは、あらゆる予測を可能にし」とつなげ、よって「人類に多大な恩恵をもたらす」(福音の直接的な換言)とまとめる。

<GV解答例>
科学により混沌とした世界が秩序あるものとして法則的に理解されることは、あらゆる予測を可能にし、人類に多大な恩恵を与えるということ。(65)

<参考 S台解答例>
科学は、混沌たる世界の中に不変の秩序を見いだしていくことで、世界がもたらす不安や混乱から人間を解放するということ。(57)

<参考 K塾解答例>
科学が混沌とした領域をつぎつぎと解明していけば、万象に関する予測と正しい判断が可能となり、人類にとっての害が残らず消滅するだろうということ。(70)

<参考 T進解答例>
科学により、人類が世界の秩序をより理解して正しい予測や判断が可能になることで、直接的な利益が得られるだけでなく、未知への恐怖から解放されるということ。(75)

問四 「いろんな「形」、多様性が花開く世界」(傍線部エ)とはどういうことか、本文全体の趣旨を踏まえて100字以上120字以内で説明せよ。

内容説明型要約問題。基本的な手順は以下の通り。

1️⃣ 傍線部自体を簡単に言い換える。(解答の足場)
2️⃣ 「足場」につながる論旨を取捨し、構文を決定する。(アウトライン)
3️⃣ 必要な要素を全文からピックし、アウトラインを具体化する。(ディテール)


1️⃣
傍線部自体は「いろんな「形」」は配慮する必要があるが、それを「多様性」と言い換えており、「多様性が花開く世界」(A)という内容は、換言を必要とするほどのものではない。では、何を説明するのか。傍線部を文末まで延ばすと、「…Aとなるのだ」と続く。この「となる」という表現は、Aが何らかの原因や背景の帰結であることを示すから、この問題は、実質、Aの原因・背景(B)をまとめる問題と把握できる。

2️⃣ Bを考えるにあたり、まず傍線直前の文「「分からない」世界こそが、人が知的に生きていける場所であり、世界が確定的でないからこそ、人間の知性や「決断」に意味が生まれ…「アホな選択」も…許される」(C)をキープする。次に視野を広げると、⑮段落冒頭「この世界は…「分からないこと」に覆われた世界である」、さらに同⑮段落「しかし…知的な存在としての人間はこの「分からない」世界から、少しずつ「分かる」を増やし…/その営みが…”新しい空間” を生み出し、その営みそのものに人の “喜び” が隠されている」(D)が、Cと傍線(「新しい空間」∽A)の内容に対応していることが分かる。以上、CとDをAの原因・背景として解答の骨組みを以下のように定める。

「知的な存在としての人間は/未知の世界から既知の世界を生み出し/また(「アホ」も含めて)決断を重ねることに意味と喜びを見出すもので/その結果として/世界に豊かな多様性が育つということ(=A)」。

3️⃣ 付加要素として、傍線の後の部分「それ(=A)は神の摂理のような “真実の世界” と、混沌が支配する “無明の世界”とのはざまであり…「科学」と…「非科学」のはざま、と言い換えることができる空間である」を踏まえる。これは本文を通してのキーワードである「カオスの縁」のことである。どこに配するか難しいが、「…人間は/混沌と秩序の間にあり/既知の領域を生み出し…」と繰り込んだ。
また、人間と科学の関係についての言及(⑨~⑫段落)を加える。つまり「…人間は/科学の力により/混沌とした世界に秩序を与え/安定を得てきた」とし、そこから⑬段落以降の内容に転じ、「それでもなお混沌と秩序(→未知と既知)の間にとどまり/既知の領域を増やし…」とつなげてまとめればよい。

<GV解答例>
知的な存在としての人間は、科学の力により混沌とした世界に秩序を与え安定を得ながらも、なお未知と既知の間にとどまり、既知の領域を増やし、また決断を重ねることに意味と喜びを見出すもので、その結果として、世界に豊かな多様性が育っていくということ。(120)

<参考 S台解答例>
知的な存在としての人間は、すべてが明らかなものとして確定された世界でも、すべてが混沌とした不可知の世界でもなく、分からない事態に出会うそれらのはざまで自分なりの応答を作り出し続けることで、多様な生の形が生まれる豊かな世界を生きるということ。(120)

<参考 K塾解答例>
生命が混沌とした世界から様々な秩序を生み出すなかで、さらに人間は未知なる事象を次々と科学的に秩序づけて解明していくが、なおも把握しきれない領域においてこそ、人々の知性的判断や実践的決断の限りなく豊かな可能性が切り開かれていく、ということ。(119)

<参考 T進解答例>
生命が安定と無秩序のはざまで、自然から物質を取り入れ秩序化するように、人間は科学の一義的な世界と非科学の混沌たる世界のはざまで、知的存在として自身の決断や選択を通じて未知の世界を自由に分節することで、新しい秩序を持つ空間が生じるということ。(120)

問五 (漢字)

a貢献 b代替 c細菌