〈本文理解〉

出典は堀江敏幸「青空の中和のあとで」。

①段落。その日、変哲もない住宅地を歩いている途中で、私は青の異変を感じた。空気が冷たくなり、あたりが暗く沈んでゆく。大通りに出た途端、鉄砲水のような雨が降り出し、稲光をともなった爆裂音が落ちてきた。来た、という感覚が身体の奥の極に流れ込んで、私は十数分の非日常を、まぎれもない日常として生きた。雨が上がり、空は白く膨らんで縮み、青はその縮れてできた端の余白から滲み出たのちに、やがて一面、鮮やかな回復に向かった。

②③段落。青空の青に不穏なにおいが混じるこの夏の季節を、私は以前よりも楽しみに待つようになった。平らかな空がいかにかりそめの状態であるのか、不意打ちのように示してくれる午後の天候の崩れに、ある種の救いを求めていると言っていいのかもしれない。強烈な夏の陽射しと対になって頭上に迫ってくる空が、とつぜん雲に覆われ世の中が一変するさまに触れると、そのあとなにかが起きるのではないかという期待感がつのり、嵐の前でなく後でなら穏やかになると信じていた心に、それがちょっとした破れ目をつくる。

④段落。このささやかな破れ目につながる日々の感覚は、あらかじめ得られるものではない。自分のアンテナを通じて入ってきた瞬間にそれが現実の出来事として生起する、つまり予感とほとんど時差のないひとつの体験である。予報は、ときに、こちらの行動を縛り、息苦しくする。晴れわたった青空の街を歩いていて、これから降るらしいよといった会話を耳に挟んだりすると、「何かひどく損をした気さえする」(傍線部ア)。

⑤⑥段落。空の青が湿り気を帯び、黒い雲をひろげる。ひんやりとした風が頬をなでる。来る、と感じた瞬間に最初の雨粒が落ち、稲光とともに雷鳴が響いたとき、日常の感覚の水位があがる。それを一種の、ありがたい仕合わせと見なし、空の青みの再生に至る契機を、一種の恩寵として受けとめる。しばらくのあいだ青を失っていた空の回復を、私は待つ。崩れから回復までの流れを、予知や予報を介在させず、日々の延長のなかでとらえてみようとする。

⑦段落。「青は不思議な色である」(傍線部イ)。海の青は、手ですくったとたん青でなくなる。あの色は幻だといってもいい。しかし海は極端に色を変えたとき、幻を重い現実に変える力を持つ。海の青を怖れるのは、それを愛すると同程度に厳しいことなのだ。

⑧⑨段落。空の青も、じつは幻である。天上の青は、空気中の分子につかまったあとに放出された青い光の錯乱であり、他の色といっしょになれなかった孤独な色でもある。その青に、私たちは背伸びをしても手を届かせることができない。いつも遠い。当たり前のように遠い。飛行機で飛んだら、近すぎて空の属性を失っている。遠く眺めて、はじめて乱反射の幻が生きる。空の青こそが、いちばん平凡で穏やかな表情を見せながら、弾かれつづける青の粒の運動を静止したひろがりとして示すという意味において、日常に似ているのではないか。

⑩段落。単調な日々を単調なまま過ごすには、ときに暴発的なエネルギーが必要になる。しかしその暴発は、自分の心のなかで処分するものだから、表にあらわれでることはない。心の動きは外から見るかぎりどこまでも平坦である。内壁が劣化し、全体の均衡を崩す危険性があれば、気づいた瞬間に危ない壁を平然と剥ぎとる。「そういう裏面のある日常」(傍線部ウ)とこの季節の乱脈な天候との相性は、案外いいのだ。

⑪段落。青空の急激な変化を待ち望むのは、見えるはずのない内側の崩れの兆しを、天地を結ぶ磁界のなかで、一気に中和するためでもある。そのようにして中和された青は、これまでの青ではない。青を見上げている自分も、さっきまでの自分ではない。この小さな変貌の断続的な繰り返しが体験の質を高め、破れ目を縫い直したあとでまた破るような、べつの出来事を呼び寄せるのだ。

⑫⑬段落。天候の崩れと内側の暴発を経たのちにあらわれた新しい空。雨に降られたあと、たちまち乾いた亜熱帯の大通りを渡るために私は目の前の歩道橋の階段をのぼりはじめた。事件は、そこで起きた。いちばん上から、人の頭ほどの赤い生き物が、ふわりふわりと降りてきたのである。
風船だった。一段一段弾むようにそれは近づき、すれちがったあともおなじリズムで降りて行く。私は足を止め、赤の軌跡を目で追った。貴重な青は、天を目指さない風船の赤に吸収され、空はこちらの視線といっしょに地上へと引き戻される。「青の明滅に日常の破れ目を待つという自負と願望があっさり消し去られた」(傍線部エ)ことに奇妙な喜びを感じつつ、私は茫然としていた。再び失われた青の行方を告げるように、遠く、雷鳴が響いていた。

〈設問解説〉 問一「何かひどく損をした気さえする」(傍線部ア)とあるが、なぜそういう気がするのか、説明せよ。(60字程度)

理由説明問題。直前部を接続させて傍線部を捉え直すと、「これから降るらしいよといった会話を耳に挟んだりすると(S)/何かひどく損をした気さえする(G)」となる。SとGをつなぐ理由(R)を指摘する。「損をした(G)」というのは、何か「本来あるはずのもの(A)」が損なわれたから(R)であろう。このAについては傍線二文前の「自分のアンテナを通じて入ってきた瞬間に…現実の出来事として生起する…ひとつの体験(A)」であるが、これを①~⑥段落を踏まえて具体化する。

Aは二段階ある。まずは「自分のアンテナ(感覚)を通じて/非日常(①)が開く瞬間を/感じる」(一段階)。そのことで「日常の感覚の水位があが(⑤)」り、続けて「空の青みの再生に至る契機を(⑤)/崩れから回復までの流れを(⑥)/一種の仕合わせ・恩寵(⑤)として/日々の延長のなかでとらえてみようとする(⑥)」(二段階)。このAの二段階にわたる体感を伴った幸福感が損なわれるから、「損をした気さえする(G)」のである。

<GV解答例>
日常から非日常へ開かれる瞬間を自らの感覚で捉え、それに続く天候の崩れから回復へと至る過程を体感することの幸福感を台無しにするから。(65)

<参考 S台解答例>
日常の中で青空の突然の崩れが与えてくれる非日常の恩寵を、予報は自分を束縛する規定の出来事へと解消してしまうから。(56)

<参考 K塾解答例>
天候の崩れを、日常の感覚の中で突然感じる瞬間があってこそ、非日常的な恩寵が感じられるのであって、自己を束縛する予報はそうした契機を奪うものだから。(73w)

問二「青は不思議な色である」(傍線部イ)とあるが、青のどういうところが不思議なのか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。確認すべきことは、ここでの「青」は「海の青」(⑦段)と「空の青」(⑧⑨段)であって、他の青ではないこと。その上で、両者の「青」に共通する「不思議」なところを抽出する。まず両者に共通することは「幻」であるということ。どの点が「幻」かと言えば、「すくったとたんに青でなくなる(⑦)」と「飛行機で飛んだら…近すぎて…空の属性を失っている/遠く眺めて、はじめて…幻が生きる(⑨)」から「手にしようとすると色をなくす」という点である。

その上で、記述の少ない「海の青」(⑦)から見ていくと、その「青」は「しかし…極端に色を変えたとき、幻を重い現実に変える」とある。「極端に色を変えた」が捉えにくいが、「幻」へのベクトルが「青」を薄め淡く透明にする方向ならば、「重い現実」へのベクトルは「青」を濃く深く暗くする方向だろう。同じ⑦段落末文、青の「愛する」側面が「幻」に対応するならば、「重い現実」と対応するのが「怖れ/厳しさ」となるだろう。つまり、とりあえず「海の青」について言えば、「人が愛し/手にしようとすると色を失う/幻でありながら//深く濃い/重い現実として/厳然とある」のが、その「不思議」なところだ。

これと「空の青」は、どう対応するか。「空の青」は「背伸びしても手を届かせることができない(⑧)」遠い「幻」であり、「いちばん平凡で…穏やかな表情を見せながら(⑨)」、「弾かれつづける青(=孤独な色(⑧))の粒の運動を静止したひろがりとして示すという意味において、日常に似ている(⑨)」。ここで「海の青」の「重い現実」と「空の青」の「日常」(それは存在の孤独を孕みながらひろがる)を対応させれば、両者の「青」は「人間が憧れる「幻」でありながら/重くひろがる(→のしかかる)「現実」としてもある」という点で共通であり、その逆説的な性格が「不思議」なところ、とまとめられる。

<GV解答例>
海の青も空の青も人間が憧れ手にしようとすると色をなくす幻でありながら、遠く離れて深い色として人間にのしかかる現実としてあるところ。(65)

<参考 S台解答例>
遠く手の届かない隔たりが生み出す幻である一方、激しい力を内にはらみ持ちつつ平穏な表情を孤独なひろがりとして示すところ。(59)

<参考 K塾解答例>
海の青は重い現実を抱えつつ、すくえば消える幻の色であり、空の青も不穏な変化の可能性を秘めつつ、他の色から孤立した、人の手の届かない幻の色だというところ。(76w)

問三「そういう裏面のある日常」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。日常の「そういう裏面」と、それに対応する「表面」を指摘する。「裏」については、指示語の指す「内壁が劣化し全体の均衡を崩す危険性があれば…危ない壁を平然と剥ぎとる(A)」が対応するが、比喩的な表現なので一般的な表現に言い換える必要がある。「表」については同⑩段落から「単調な日々を単調なままに過ごすには(暴発的なエネルギーが必要)/心のなかで静かに処分/心の動きは外から見るかぎりどこまでも平坦」から「日常は外から見ると平坦だが」と捉えられ、一方で「心の内では(Aに相当する)激動がある」(裏)ということだろう。

そこでAを一般化する手がかりとなるのは、傍線部の後にくる「(裏面のある日常と)この季節の乱脈な天候との相性は、案外いい」というところ。その具体的説明は次⑪段落にある。「青空の急激な変化を待ち望むのは/内側の崩れの兆しを/一挙に中和するため/中和された青はこれまでの青ではない/青を見上げている自分もさっきまでの自分ではない/この小さな変動の断続的な繰り返しが体験の質を高め/べつの出来事を呼び寄せる」。「中和」という比喩表情が難しいが、人は(単調に見える)日常と対応して心(感性)を更新させ「再生(⑤)」させる。そうしないと惰性に陥り(←「内壁が劣化」)新しい出来事に出会えないからだ。まとめると「単調に見える日常も/心の内では/感性が惰性の中で劣化しないよう/更新して再生される/変動が繰り返される」。これを核に解答する。

<GV解答例>
単調に過ぎていく日常に見えても、実はそれに日々直面する人の心の内では、惰性の中で劣化していく感性を更新して再生する激動があること。(65)

<参考 S台解答例>
日常には、平坦に持続する表層とは別に、それを支えるために費やされる暴発的な力のひそむ危うい内側があるということ。(56)

<参考 K塾解答例>
表面的に平穏に見える日常は、そうした状態を維持するために暴発的な力で内面を更新する、外から見えない心の動きによって保たれているということ。(69)

問四「青の明滅に日常の破れ目を待つという自負と願望があっさり消し去られた」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。「青の明滅」は本文冒頭からあるように「急激な夏の天候の変化で青空が急激に崩れ再び回復していく過程」である。そんなことは分かりきっているので、ここではポイントではない。「青の明滅」で伝わるし、そのままでもよいだろう。「日常の破れ目を待つ」というのは比喩的・象徴的表現なので言い換える必要があるが、問三ですでに考察したところなので「(青の明滅に)自らの心を重ね(更新と)再生を図る」くらいに簡潔にまとめる。これは筆者に喜びをもたらすものだから当然「願望」の対象であるが、「自負」という言葉が気にかかる。これが一つ目のポイント。ここでは、「青の明滅」で自己の内的な更新と再生を図る作用を確信し、その訪れを筆者が主体的に待つ構えができたということではないか。

そこで「事件」が起きたのである。筆者の視線はふわりふわりと降りてきた風船の赤に釘づけとなり、空は青をなくし「視線といっしょに地上へと引き戻される」。筆者の「自負」は「あっさりと消し去られ」、それに奇妙な喜びを感じつつも筆者は「茫然と」する。傍線部の述部「あっさり消し去られた」が最大のポイントだが、これを「(自負と願望が)快く否定された」とか述べところで、ただ後ろの内容を盛り込んだ以外はトートロジーにすぎぬ。「消し去られ、どうなったのか」という点が問われているのだ。

「私」は、その日の青の異変を身体の奥の極で捉え、十数分の非日常を日常として生きたことで、「平らかな空がいかにかりそめの状態であるのか(②)」を知り、天候の崩れに自己の「救い(②)」、内的な再生を必然とし自覚的に待つようになった。それを風船の赤の闖入がもろくも崩したのだ。「私」は「地上へと引き戻され」、「茫然と」する。そこには「かりそめの」、他でもありうる、未規定の世界があり、「私」は再び偶発性に身を委ね、世界が訪れるのを待つ。

<GV解答例>
青の明滅に自らの心を重ね再生を図る喜びを自覚した筆者は、風船の赤が空の青を奪う事件により再び世界の偶発性に引き戻されたということ。(65)

<参考 S台解答例>
遠い青空の非日常に自己の救いを求める思いが、地上の赤い風船という別の非日常との遭遇によって快く否定されたということ。(58)

<参考 K塾解答例>
青い空の崩れと回復に呼応する、絶えざる自己刷新への確信や期待が、降下していく風船の赤に目を奪われることで、もろくも失われてしまったということ。(71w)