〈本文理解〉

出典はリービ英雄「ぼくの日本語遍歴」。2000年以降、文理共通の第一問において、後にも先にも唯一のエッセイからの出題である。自由な形式に伏流するテーマを把握したい。ともあれ、本文の表現に着目して重要箇所を抽出する。

前書きで「筆者は、アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれの小説家で、文中の「星条旗の聞こえない部屋」および「天安門」はこの人の作品である」という情報が与えられる。

①~④段落。なぜ、わざわざ、日本語で書いたのか。「星条旗の聞こえない部屋」を発表してからよく聞かれた。日本語は美しいから日本語で書きたくなった。母国語が感性を支配しきった「社会人」以前の状態で、はじめて耳に入った日本語の声と目に触れた文字群は、特に美しかった。しかし、西洋から日本へ、文化の「内部」への潜戸(くぐりど)としてのことばに入り込む「越境」の内容を、英語で書いたならば日本語の小説の英訳にすぎない。「だから最初から原作を書いた方がいい」(傍線部ア)という理由が大きかった。壁にも潜戸にもなる、日本語そのものについて、小説を書きたかったのである。(①②段落)

「ぼく」にとっての日本語の美しさは、青年時代に「おおよその日本人が口にしていた「美しい日本語」」(傍線部イ)とは似ても似つかなかった。日本人として生まれたから自らの民族の特性として日本語を共有している、という思いこみは、「ぼく」の場合許されなかった。純然たる「内部」に自分が当然のことのようにいるという「アイデンティティー」は、最初から与えられていなかった。そして、はじめて日本に渡った昭和四十年代には、生まれた時からこのことばを共有しない者は、いくら努力しても「一生「外」から眺めて、永久の「読み手」でありつづける」(傍線部ウ)ことが運命づけられていた。外国語として日本語を読んで、なるべく遠くから、しかしできれば正確に「公平」に観賞する。(③段落)

あの図式が変わったのは、日本の「内部」に在しながら「日本人」という民族の特性を共有せずに日本語のもう一つ、過酷な「美しさ」を勝 ち取った人たちがいたからだ。(④段落)
(以上、日本語の「読み手」(③)から日本語作家「星条旗」(①②④)へ)。

⑤~⑨段落。日本語の作家としてデビューしてまもない頃に、在日韓国人作家の李良枝(イヤンジ)から電話があった。話が弾み、彼女の小説のテーマでもある、日本語の感性を運命のようにもったために、「母国」の言葉でありながら「母国語」にならなかった韓国語について、尋ねてみた。(⑤段落)「日本人」として生まれなかった日本語の作家が、「母国」の都市に渡ったところ、そこで耳に入ることばは、どうしても異質なものとして聞こえてしまう。(⑥→⑦段落)

あの会話から一ヶ月後、李良枝は急死した。 「ぼく」の記憶に残る「「日本人」として生まれなかった、日本語の感性そのものの声」(傍線部エ)を思い出す度に、ことばの「美しさ」とは何か、そのわずかな一部をかち取るために自分自身は何を裏切ったのか、今でもよく考えさせられる。そして、日本と西洋だけでは、日本語で世界を感知して日本語で世界を書いたことにはならない、という事実にも、おくればせながら気づきはじめた。(⑧⑨段落)

⑩~⑬段落。日本から中国大陸に渡り、はじめて天安門広場を歩いたとき、あまりにも巨大な「公」の場所の中で、逆に私小説的な語りへと想像力が走ってしまった。アメリカとは異なった形で自らの言語の「普遍性」を信じてやまない多民族大陸の都市の中を歩くほどに、その実感を、一民族の特性だと執拗なほど主張されてきた島国の言語でつづりたくなった。(⑩段落)

私小説はおろか小説そのものからもっとも遠く離れた、すぐれて「公」の場所、そこに一人の歩行者のストーリーを、どのように維持して、書けるのか。日本から北京に渡り、その中心を占める巨大な空間を歩きながらそう考えたとき、母国語の英語はもはや、そのストーリーの中の「記憶」の一部と化していた。(⑪段落)

北京から東京にもどった。アメリカ大陸を離れて六年が経っていた。二つの大陸のことばで聞いた声を次々と思い出した。「天安門」を書きはじめた。二つの大陸の声を甦らせようとしているうちに、外から眺めていた「Japanese literature」すら記憶に変り(※かつて筆者はアメリカで日本学の研究と教育に携わっていた)「世界がすべて今の、日本語に混じる世界になった」(傍線部オ)。(⑫⑬段落)

(以上、李良枝との邂逅(⑤~⑨)を経て中国へ、帰国後「天安門」(⑩~⑬))

<設問解説>設問(一)「だから最初から原作を書いた方がいい」(傍線部ア)とあるが、筆者が日本語で小説を書こうとした理由はどこにあると考えられるか、わかりやすく説明せよ。(60字程度)

理由説明問題。傍線部「…原作を書いた方がよい」を改めて「筆者が/日本語で小説を書こうとした理由A」と問い直していることに注意しよう。Aの問いは、本文冒頭の問い「なぜ、わざわざ、日本語で書いたのか」と対応している。その理由は「日本語は美しいからR1」と傍線部「…最初から原作で書いた方がいいR2」となり、後者R2の理由が中心となる(←「しかし…アという理由が大きかった」より)。ここでは「原作」という言葉を解答に反映させなくてもよいということだろう。
それでR2を更に遡及すると傍線部が「だから」で始まるから、その前文の内容がAの理由の中心R´2となる。つまり「日本語を通して文化の内部にとどまることで/「越境」の内容B/を表現できるから」となるだろう。あとはBを具体化したい。これは傍線部の次文「日本語そのものについて、小説を書きたかったのである」が根拠になるが、「日本語」はあくまで媒体であるはずだから、これだけをもって「内容」とするには無理がある。

そこで広く見渡し、⑨段落「日本語で世界を感知して日本語で世界を書いたことにはならない」に着目する。「日本語で世界を書く」という目標が筆者において真に達成されるのは「天安門」において「世界がすべて今の、日本語と混じる世界となった」(傍線部オ/本文末文)時まで待たないといけないが、目標自体は日本語で作品を書き始める段階において直観されていたはずである。よってBを「ありのままの日本語と(それを介しての)世界」と捉え直した。その「ありのまま」に筆者の考える「美しさ」もあるはずだから、R1も踏まえられる。

加えて「筆者」のポジションに前提として言及する。つまり「日本語と別の母国語に感性を支配されてきた」筆者だからこそ、「越境」の内容に迫る資格があるのだ。

<GV解答例>
別の母国語に感性を支配された筆者が、日本語を通してその文化の内部にとどまることで、ありのままの言葉と世界に触れられると感じたから。(65字)

<参考 S台解答例>
西洋から日本文化の内部へと越境する日本語の体験の事態は、障害でも手段でもある日本語で書くことでのみ表現可能だから。(57字)

設問(二)「おおよその日本人が口にしていた「美しい日本語」」(傍線部イ)とあるが、ここにいう「美しい日本語」とはどのようなものか、わかりやすく説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。「美しい日本語」にカッコがついていることに注意しよう。ここでは「筆者にとっての日本語の美しさ」と対比された上で、カッコをつけることで「違和感」や「皮肉」を込めていると考えられる。筆者の考える「美しさ」が、②段落「はじめて耳に入った日本語の声と、目に触れた…文字群は、特に美しかった」とあるように、日本語自体の属性に由来するのに対し、傍線部の「美しい」の根拠は属性の外にあるようだ。

それは、傍線部の次の二文で「民族の特性として日本語を共有している、という思いこみ」「純然たる「内部」に、自分が当然のことのようにいるという「アイデンティティー」」と表現される。これらを利用して、以下のようにまとめた。

<GV解答例>
言葉自体の属性に由来するというよりも、民族的同一性を基礎づけるという想定のもと肯定的に価値づけられる、日本人にとって自明の母国語。(65字)

<参考 S台解答例>
日本人として生まれた者だけがおのずから共有し、日本の文化や民族の特性と不可分に結びついた、純粋とされる日本語。(55字)

設問(三)「一生「外」から眺めて、永久の「読み手」でありつづける」(傍線部ウ)とあるが、どういうことか、わかりやすく説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。最初に確認したいのが、傍線部のある③段落の内容は、時系列として前の①②段落、直後の④段落、つまり筆者が初めての日本語の小説「星条旗…」を書き上げた頃より前の話である、ということだ。この当時、筆者は日本学の研究者として日米を往還していた。

それを確認した上で、傍線部「一生「外」から眺めてA/永久の「読み手」でありつづけるB」と分けて言い換える。ABとも直後の文の「外国語として日本語を読んでB1/なるべく遠くからA/正確に「公平」に観賞するB2」と対応する。この内容と、後の筆者のあり方(日本語の作家/書き手/主体的使い手)との対比を踏まえて、具体化する。

さらに「外」に対する「内」、③段落前半「日本人」(←設問二)との対比、つまり筆者は「日本を母国としない/民族的属性を共有しない」という内容を、傍線部ウの立場を強いた前提として加える必要があるだろう。

<GV解答例>
日本を母国とせず民族的属性を共有しない以上、日本語は日本の文化を対象化する手段にすぎず、その主体的使い手にはなりえないということ。(65字)

<参考 S台解答例>
日本語を話す共同体の外に生まれた者は、日本語の主体的な表現者になることができず、外国語として享受するしかないということ。(60字)

設問(四)「「日本人」として生まれなかった、日本語の感性そのものの声」(傍線部エ)とあるが、ここでいう「日本語の感性」とはどのようなものか、わかりやすく説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。この問いで傍線を長く引き、直接的には「日本語の感性A」についてしか問うていない意図は、それに続く「声」については説明に加えなくてよいということと、「「日本人」として生まれなかったB」という表現に注意を喚起したいためだと推測される。

Aについての言い換えは、中心的な課題ではないと見なして簡潔に「日本語そのものの美感」ぐらいでよい。問題となるのは、傍線部が在日韓国人作家李良枝への言及であり、Bの要素がAへと至る「条件」である、ということだ。直後の「その(=ことばの「美しさ」)わずかな一部をかち取るために自分自身は何を裏切ったのか」という記述、つまり何かの「犠牲」が「美しさ」の条件になるという含意が、上の読みの正しさを裏付けてくれる。

そこで在日韓国人作家のもつAへ至る条件は二重の疎外、ともに⑦段落から「「日本人」として生まれなかったために、その「内部」で排除の歴史を背負うことになった」ことと、「「母国」のことばが異質に聞こえる」ことである。この二つを「条件」としてAにつなぐ。

<GV解答例>
在日韓国人として、生まれ育った国の民族性からも、民族的同一性をもつ母国の言葉からも疎外されたゆえに迫りうる、日本語そのものの美感。(65字)

<参考 S台解答例>
民族的特性を共有せず、しかも表現する言葉として日本語を身につけた人間の、言語自体としての日本語に支えられた感覚。(56字)

設問(五)「世界がすべて今の、日本語に混じる世界となった」(傍線部オ)とあるが、どういうことか、文中に述べられている筆者の体験に即し、100字以上120字以内で述べよ。

内容説明型要約問題。基本的な手順は

1️⃣ 傍線部自体を簡単に言い換える。(解答の足場)
2️⃣「足場」につながる論旨を取捨し、構文を決定する。(アウトライン)
3️⃣ 必要な要素を全文からピックし、アウトラインを具体化する。(ディテール)

1️⃣ まず直前が参考になる。「外から眺めていた「Japanese literature」すら記憶に変り」、ここからオにつないで考えると、もともと日本語の外部にいた筆者が、ここに至り「日本語」とその表現対象である「世界」との間に挟まる夾雑物が濾過され、「日本語」で直に「世界」触れることが可能になったということを表しているのではないか。第二パート(⑨段落)のラストで「日本と西洋だけでは、日本語で世界を感知して日本語で世界を書いたことにはならない」としていた課題を克服し、真の日本語作家としての境地に立ったことを意味するのではないか。以上より、解答の締めは「日本語で世界を描くことが可能になったA」と決まる。

2️⃣ もちろんAに至る直接の契機は、中国大陸での日本語作家としての筆者の体験であった。第三パートからポイントをピックすると「巨大な「公」の場所/「普遍性」を信じてやまない多民族的大陸//私小説的な語り/島国の言葉で実感をつづりたい//母国語の英語は記憶の一部に化す/「Japanese literature」すら記憶に変り」。これを「筆者は/中国に渡り/その普遍文化に対峙し作品を構想する中で/母国語でさえ相対化され」(B)とまとめ、Aにつなぐ。
さらに、中国に渡る契機となったのが「在日韓国人作家李良枝」との邂逅(交流)だから、「韓国人作家李良枝との邂逅を契機として」という要素をBの「筆者は」の後に挿入する。これで基本的な構文ができた。

3️⃣ 残る付加要素は第二パートと第一パートから。第二パートからは、李良枝のどういう性質が筆者の思考と行為を促したか。「日本語の美感と一体化した」(⑧段落)あり方である。それが筆者に方向性を示し(⑨段落)、最後の結び(オ)につながるのだ。
第一パートは「星条旗…」を書くまでの経緯。つまり「アメリカから日本に渡り/外部の観察者(③段落)から/日本語作家に転じる(①②段落)」という内容をBの冒頭に加える。

<GV解答例>
母国アメリカから日本に渡り、外部の観察者から日本語の表現者に転じた筆者は、日本語の美感と一体化した在日韓国人作家との交流を経て中国に渡り、その普遍文化に対峙し作品を構想する中で、母国語でさえ相対化され、日本語で世界を描くことが可能になった。(120字)

<参考 S台解答例>
西洋人の筆者が日本語へと越境し、在日韓国人作家の日本語に触れ、さらに中国大陸での体験を小説に書くうちに、英語も中国語も記憶と化し、開かれた言語となった日本語が世界の現実を捉えて、筆者は日本語を書くことの中に自分の居場所を見つけたということ。(120字)

設問(六)

a. 激励 b. 排除 c. 普遍 d. 媒体 e. 崩壊