〈本文理解〉

出典は大澤真幸『自由という牢獄』。著者は社会学者。
 
①段落。資本主義の本質は、形式と化した欲望、空虚な形式への欲望にある。このことが、「手段」でしかない低級な(と見える)欲望が、高級な(と見える)規範的な欲望に一般的に勝つ傾向として現れる。要するに、低級な市場的規範が高級な規範を締め出す傾向がある。この「低級が高級に勝つ」(傍線部(ア))ということがどういうことなのか、あらためて確認しておこう。
 
②段落。貨幣は普遍的な手段である。この点に鍵がある。それは(市場で得られるものの範囲内において)任意の目的Xに奉仕することができる。それに対して、高級な規範は、常に、特定の内容をもった目的aを目指している。代数学でも、変数Xは、特定値aをその一部に含む。それと類比的な論理で、高級の規範は低級な規範の中に包摂されてしまうのだ。
 
③段落。ところで、高級な規範は、それ自体で目的であるように対象や他者を扱うところに本質があった。低級な規範の一部になるということは、高級な規範が、何か別の目的Xの手段と解釈される、ということを含意する。だが、高級な規範の条件は、行為の対象をそれよりも上位の別の目的のための手段として相対化しないということにあった。つまり、高級な規範の対象は、終極的な目的でなくてはならない。だから、高級な規範の(特定の内容をもつ)目的aが低級な規範の不特定の(形式的な)目的Xの手段へと転換したとたんに、高級な規範そのものが、跡形もなくなるほどに変質してしまうのだ。
 
④段落。したがって、高級な非市場規範が市場的規範に締め出される、というイメージは、厳密にミスリーディングである。前者は後者に包摂されるのだが、その途端に性質を変えてしまうのだ。…
 
⑤段落。われわれの社会は、市場的な規範が目指すXが、いわばその変域をどんどん拡大し、非市場的な自律的目的aをのみ込んでいく社会である。それが、資本主義ということであろう。貨幣は、任意の目的Xに貢献しうる普遍的な手段である。資本主義は、特定の目的よりも、普遍的な手段の方に魅力があるように見せるシステムだ。貨幣(=形式)は、普遍的な手段である、まさにそのことによって、任意の特定の目的を下僕として自らに従わせることになるのだ。ここで主従の逆転が生じている。手段でしかなかったもの(貨幣)に目的たちが仕える、という逆転が、である。経済学の言い分は、貨幣(市場)は何にでも使える手段に過ぎないのだから目的の性質(目的の善さ)を変えるものではない、というものだが、実は、商品化したとたんに、主従(目的ー手段関係)は反転しており、かつての主人(個々の特定の目的)からは、「それ自体価値あるもの」としての輝きは失われてしまう。
 
⑥段落。ここで、もう一例、貨幣的インセンティヴの効果についての、興味深い行動経済学の実験を参照しよう。…この実験では、被験者にゲームをやらせ、貨幣的インセンティヴがゲームの成績にどのような影響を与えるかを調べている。
 
⑦段落。被験者が取り組むように指示されるゲームは、多様である。…被験者は、二つ(または三つ)のグループに分けられる。一つのグループには、金銭的な報酬はない。もう一つのグループは、成績に応じて、金銭的な報酬が出る。後者の報酬組に関しては、さらに、報酬が小さいグループと大きいグループに分けられることもある。またしても、「試験結果は、経済学の常識を覆すものだった」(傍線部(イ))。
 
⑧段落。課題が機械的で単純な場合には、報酬は、普通に機能する。つまり、報酬が高いグループほど成績がよい。ところが、驚いたことに、ほんのわずかでも認知的ひらめきや創意工夫が必要な課題になると、逆に、報酬が高いグループの方が、成績が悪くなるのだ。
 
⑨段落。たとえば、「ロウソクの問題」という、すでに1940年代には知られていた実験がある。実験参加者は、一本のロウソク、紙箱に入った多数の画鋲、そしてマッチが与えられ、「ロウがテーブルに垂れ落ちないように、ロウソクを壁に付けるにはどうしたらよいか」という課題が与えられる。…この課題を解くには、少しばかり視点を変える必要がある。画鋲が入っていた紙箱を空っぽにして、画鋲で壁に固定し、その上にロウソクを立てるというのが正解だ。参加者は、当初、箱を、画鋲に入れるためにあるだけだと見なすので、「仕える道具」の中に含めていない。箱も道具として与えられていたことに気づかなければ、正しい答えには到達できないのだ。このような課題では、(成績に応じた)報酬のあるグループの方が、報酬のないグループよりも、解決に、平均して三分半ほど長い時間を要した。
 
⑩段落。ところが、課題の設定をほんのわずか変えるだけで、実験の結果は変わってくる。最初から、画鋲を箱の外に出しておいて、参加者に、ロウソクと画鋲とマッチと(空の)紙箱を与えておくと、今度は、「賞金」が与えられるグループの方が、速く問題を解くことができるのだ。最初の実験の設定と公社実験の設定では何が違うのか。後の実験では、箱はもともと空なので、正解は最初からほとんど示されているに等しく、「ひらめき」の要素がない。このような課題のみ、金銭的報酬と成績とか正の相関になる。
 
⑪段落。この実験には、さらなる追試がある。…単純な課題では、報酬が高いほど成績がよくなるが、少しでも独創性を必要とする課題では、報酬は逆効果である──報酬が最も高いグループの成績が最悪だったのだ。
 
⑫段落。どうしてこのような結果になるのか。「この結果をどう解釈したらよいのか」(傍線部(ウ))。…
 
⑬段落。…次のように解釈するほかない。まず、単純で退屈な課題は、シーシュポスの作業のようなものであって、これを解くことは快楽を伴わない。したがって、被験者には、この課題を解くこと自体を、有意味な目的と見なすことは難しい。このとき、金銭的報酬を、「自由」として与えてやると、課題を解くことへの被験者の意欲は高まる。
 
⑭段落。だが、認知的なひらめきや創造性がほんの少しでも伴う課題の場合には、事情がまったく異なる。このような課題を解くことは、ある程度は常に楽しい。つまり、被験者にとっては、この課題を解くことが、報酬=快楽を伴っており、すでにそれ自体で目的となっているのだ。ここで、金銭的報酬が得られる仕組みを加えると、被験者には、金銭を得ることがより上位の目的となり、課題を解くことが手段に転ずる。すると、課題解決自体の魅力、それに伴う快楽が小さくなるのだ。かくして、被験者の課題解決への意欲も低下する。そのことが、創意工夫や発想切り替えの能力を制限することになり、彼らの成績を下げることになる。
 
⑮段落。このように、貨幣的なインセンティヴが加わると、つまり──われわれの用語に置き換えれば──形式への欲望の中に回収されると、一般に、創造的な作業に伴う魅力は低下し、そうした作業への意欲が小さくなる。
 
⑯段落。だが、「ふしぎなことはその先にある」(傍線部(エ))。このようなことがあるにもかかわらず、資本主義の下では、貨幣的なインセンティヴが、つまり形式への欲望が、概して優位になるのだ。たとえば、技術者としての仕事がふたつあり、一方は、金銭的には無報酬で、他方は、高額の賃金が支払われるとしよう。ここまで紹介してきた実験が示していることは、前者の(技術者としての)仕事の方が、楽しく、意欲もわくということである。にもかかわらず、ほとんどの人は、後者を、つまり金銭的な報酬がある方を望む。なぜか、おもしろくなく、魅力が乏しい方に、多くの人が集まるのだ。
 
⑰段落。このことは、現代社会における、「自由の蒸発」とでも呼ぶべき現象を説明する。自由は、有意味なことを選択したいという自覚とともにある。もし、「それ」が意欲をかき立てない、つまらないことと感じられていれば、「それ」をなすことは、自由の有効な行使としては自覚されない。選択肢は確かにあり、外的な制限が加えられていないのに、主体は、それを選んだことを、自由の有効な行使とは見なさない。これが、自由の蒸発である。なぜ、自由が蒸発するのか。その原因をさらに遡って考える必要がある。
 

〈設問解説〉問一 (漢字の書き取り)

(1)鍵 (2)跡形 (3)遇 (4)参照

 

問二「低級が高級に勝つ」(傍線部ア)とは、どのようなことか。これに続く本文の記述に即して30字以内で説明せよ。

内容説明問題。「これに続く本文の記述に即して」とあるので、②段落から空白行によって隔てられる⑤段落までの第一パートを根拠に解答を構成する。いったん、傍線部に上接する指示語「この」の指す内容「低級な市場的規範が高級な規範を締め出す傾向がある」を踏まえるが、④段落冒頭に「〜締め出される」は「ミスリーディング」だとあるように、「締め出す」は傍線述部の「勝つ」の換言として的確ではない。ここから「勝つ」の換言として「締め出す」と対照的な「包摂されてしまう」(④2文目、②)を選ぶのが的確。その上で「低級なモノ」と「高級なモノ」を第一パートから換言説明する。
 
まず「低級ー高級」の対については「手段ー目的」(②)を当てるとよい。その手段と対応するモノは「貨幣」、目的と対応するモノは「特定の内容をもつ/規範」(②)。また⑤段落より、「普遍ー個別(←特定の内容)」の対も「手段/貨幣ー目的/規範」の対に加えるとよい。さらに③段落「高級な規範は、それ自体目的であるように」「高級な規範の対象は、終極的な目的でなければならない」という内容を踏まえて「高級」の方に「自己目的的な〜」という修飾を与える。以上より、解答は「普遍的手段である貨幣が/自己目的的な個別の規範を/包摂すること」となる。
 
〈GV解答例〉
普遍的手段である貨幣が自己目的的な個別の規範を包摂すること。(30)
 
〈参考 S台解答例〉
手段である貨幣が個々の特定の目的を市場的規範に従わせること。(30)
 
〈参考 K塾解答例〉
普遍的手段である貨幣が個々の特定の目的を自らに従わせること。(30)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
市場的規範が自律的な目的を自身の手段として相対化すること。(29)
 
〈参考 T進解答例〉
貨幣という普遍的手段に、特定の目的が包摂されてしまうこと。(29)
 

問三「実験結果は、経済学の常識を覆すものだった」(傍線部イ)とあるが、ここで筆者が言う「経済学の常識」とはどのような見方か。本文の内容に即して40字以内で説明せよ。

内容説明問題。主題である「実験結果」(→問四)と対照的な「経済学の常識」を端的に説明する。解答根拠はまず、傍線次段(⑧)の「報酬が高いグループほど成績がよい。ところが…ほんのわずかでも認知的なひらめきや創意工夫が必要な課題になると、逆に、報酬が高いグループの方が、成績が悪くなるのだ」。これより「経済学の常識」は「報酬が高いほど成績がよい」(a)、「実験結果」は「報酬が高いほど成績がよいとは限らない」となる。このaの言い換えとして⑩段落「金銭的報酬と成績とが正の相関にある」(b)を使うと解答がしまる。加えて、⑤段落「経済学の言い分は、貨幣(市場)は何にでも使える手段に過ぎない」(c)というのも、「経済学の常識」の前提として解答に入れる。以上より、解答は「金銭的報酬は仕事の成果を高める手段であり(ac)/両者の間には正の相関があるという見方(b)」となる。
 
〈GV解答例〉
金銭的報酬は仕事の成果を高める手段であり、両者の間には正の相関があるという見方。(40)
 
〈参考 S台解答例〉
金銭的な報酬は、経済活動に対する意欲と成果を高める手段として作用するという見方。(40)
 
〈参考 K塾解答例〉
金銭的報酬は成績向上という目的に使える手段としてインセンティヴとなるという見方。(40)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
金銭的な報酬は、常に人々の課題解決意欲や成績を高めるはずだという見方。(35)
 
〈参考 T進解答例〉
課題に取り組む際に、報酬が高くなればなるほど、参加者の成績も良くなるという見方。(40)
 

問四「この結果をどう解釈したらよいのか」(傍線部ウ)とあるが、筆者自身はどのような解釈を示しているか。本文の内容に即して90字以内で説明せよ。

内容説明問題。解答の根拠は「次のように解釈するほかない」以下の⑬⑭段落。このうち⑭段落は「だが」で始まり⑬段落と対比となるが、筆者はこの両段落で2つのケースに即して対照的な結論を導いている。すなわち、2つのケースとは「課題解決に有意味な目的がない場合」(⑬)と「課題解決自体が目的となる場合」(⑭)である。前者においては、「金銭的報酬を(a)/「目的」として与えてやると(b1)/課題を解くことへの…意欲は高まる(c1)」。後者においては、「金銭的報酬が得られる仕組みを加えると(a)/…金銭を得ることがより上位の目的となり、課題を解くことが手段に転ずる(b2)/…かくして…課題解決への意欲も低下する(c2)」。以上より、解答は「金銭的報酬は(a)/課題解決に有意味な目的がない場合/新たな目的となり(b1)/解決の意欲を高めるが(c1)//解決自体が目的となる場合は/その目的を金銭を得るための手段に転じさせ(b2)/解決の意欲を低下させる(c2)」となる。
 
〈GV解答例〉
金銭的報酬は、課題解決に有意味な目的がない場合、新たな目的となり解決の意欲を高めるが、解決自体が目的となる場合は、その目的を金銭を得るための手段に転じさせ、解決の意欲を低下させる。(90)
 
〈参考 S台解答例〉
単純な課題では報酬が達成への意欲を高める目的として働くが、解決それ自体が目的となる創造的な課題では報酬が目的化して本来の目的を手段に転ずるため、達成への意欲を低下させるという解釈。(90)
 
〈参考 K塾解答例〉
単純で退屈な課題では、金銭的報酬が目的となってその解決への魅力を高めるが、認知的なひらめきや創造性が伴う課題では、報酬が上位の目的となって、課題解決自体の魅力を低減させてしまう。(89)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
単純作業は快楽を伴わないため報酬という目的を与えると意欲が高まるが、創造性を伴う課題はそれ自体が目的となるため、報酬を上位の目的としてしまうと課題解決が手段に転じて意欲が低下する。(90)
 
〈参考 T進解答例〉
独創的な課題の解決は本来その行為自体に快楽を伴う自律的な目的となるのだが、そこに金銭的報酬という上位目標が設定されると創造的な作業の魅力が相対的に低下し単なる作業になると解釈した。(90)
 

問五「ふしぎなことがその先にある」(傍線部エ)とあるが、ここで筆者が言う「ふしぎなこと」とはどのようなことか。本文の内容に即して75字以内で説明せよ。

内容説明問題。その先にある「ふしぎなこと」=アイロニーを説明するとよい。まず「その先」の元、すなわち「その」が指す内容は、直前の⑮段落「このように」以下でもいいが、「このように」は問四でまとめた「実験結果」の後半を承けるから、それを再利用して「金銭的報酬が仕事の目的を手段化し意欲を低めるという実験結果」とする。そして「実験結果と裏腹に」とし、「その先」の説明につなげるとよい。
 
「その先」は、上記の「実験結果」と矛盾する内容になるように、傍線後の⑯段落以下から構成する。傍線直後「(このようなことがあるにもかかわらず)資本主義の下では(a)/貨幣的なインセンティヴが(b)/つまり形式への欲望が優位になる(c)」が根拠の中心。そして、その「貨幣的なインセンティヴ=形式への欲望」は「意欲をかき立てない、つまらない」ものであり(d)、「自由の行使として自覚されない」ものである(e)(⑰)。それなのに、資本主義下では「貨幣的なインセンティヴ=形式への欲望」が選ばれてしまう、というのがここでのアイロニー=「ふしぎなこと」というわけである。解答は「金銭的報酬が仕事の目的を手段化し意欲を低めるという実験結果と裏腹に//資本主義下では(a)/金銭的報酬により(b)/意欲と自由が抑圧された(de)/形式への欲望が優位になること(c)」となる。
 
〈GV解答例〉
金銭的報酬が仕事の目的を手段化し意欲を低めるという実験結果と裏腹に、資本主義下では金銭的報酬により意欲と自由が抑圧された形式への欲望が優位になること。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
資本主義下では手段としての貨幣への欲望が優先され報酬のある仕事が選ばれるが、その価値は手段に従属し自由な選択が主体の自由の行使として実感されないこと。(75)
 
〈参考 K塾解答例〉
貨幣という形式への欲望が優位となる資本主義の下では市場的規範が他の規範を包摂し、有意味な選択ができるにもかかわらず、その自由が放棄されてしまうこと。(74)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
報酬を伴うと仕事本来の魅力が低下するにもかかわらず、資本主義下では概して無報酬の魅力的な仕事より報酬を伴う仕事が望まれ、選択の自由を実感できないこと。(75)
 
〈参考 T進解答例〉
資本主義下の人々は創造性を発揮できる仕事よりも退屈だが報酬の高い仕事を好む傾向にあり、現代社会から有意味な選択への自覚と自由の行使が失われていること。(75)