〈本文理解〉

出典は小川洋子『ことり』。
(前書き) 唯一の肉親であった兄を亡くした「小父さん」の日々を描いている。兄は鳥のさえずりのような言葉を操る存在であり、その言葉を正しく理解できたのは「小父さん」だけだった。兄の死後、「小父さん」は、兄とともに小鳥を見に通っていた幼稚園の鳥小屋の掃除を定期的に行っていた。

1️⃣ 鳥小屋の掃除に幼稚園へ通う以外の時間、小父さんはしばしば図書館で過ごした。公民館の二階にある、こぢんまりした分館だった。借りるのは例外なく鳥にまつわる本で、図鑑や写真集や科学書はもちろん、わずかでも鳥に関わりのあるものを探しては順番に読んでいった。…いつしか小父さんは書棚の前に立ち、背表紙に目を走らせるだけで、求める本をパッと見つけることができるようになっていた。鳥とはどんなにかけ離れたタイトルであろうと、小父さんの目は誤魔化せなかった。本の奥深くに潜むさえずりがページの隙間から染み出してくるのを、小父さんの耳は漏らさず捕らえた。その一冊を抜き取り、ページをめくると、案の定そこには鳥の姿があった。分館に収蔵されて以来まだ誰の目にも触れていないページに、長く身を隠していた鳥たちは、「「やれやれ」といった様子」(傍線部(ア))で、小父さんの手の中でようやく翼を広げるのだった。

2️⃣ 「いつも、小鳥の本ばかり、お借りになるんですね」。ある日、新しく借りる本をカウンターに置いた時、突然司書から声を掛けられ、「小父さんは狼狽した」(傍線部(イ))。貸し出しカードを手にしたまま、しばらく声の主に視線を向けられなかった。「『空に描く暗号』。渡り鳥についての本でしょう?」。その時初めて小父さんは司書の顔を見た。幾度となく分館に来ていながら、司書を意識したことなどなく、目の前の彼女とこれまで何度くらい顔を合わせているのか、見当もつかなかった。しかし、少なくとも彼女が、小父さんの読書の傾向を正しく把握しているのは間違いなかった。「はい‥‥」。仕方なく小父さんはうなずいた。自分が選ぶ本に気を配っている人間がいようとは思いもせず、不意打ちをかけられたようで気後れがした。「ごめんなさい。別に利用者の方の貸し出し状況をいちいちチェックしているわけじゃないんです。ただ、ここまで一貫している方はそういらっしゃらないので、とても圧倒されているんです」。思いがけず若い娘だった。若すぎると言ってもいいほどだった。

3️⃣ 「ここに座っているとどうしても、だれがどんな本を借りるのかつい気を掛けてしまうんです。…新着図書が到着すると、この本は誰の好みか、勝手に思い浮かべます。たまにその予想がぴったり命中すると、自分が善い行いをしたみたいな気分になるんです。そしてある時気がつきました。この人は鳥に関わりのある本しか借りない、って」。まるでそれが素晴らしい発見であるかのような口調で、彼女は言った。「一体どこまで「鳥の法則」(傍線部(ウ))は続くのだろうかと、ずっとどきどきしていました」。そう話ながら司書は、小父さんの手から貸し出しカードを受け取り、ノートに書名と分類記号と利用者番号を記入した。「一見、鳥と無関係な本だと、ちょっと心配になるんです。だから返却された時、そっとページをめくって、鳥を探します。見つけられた時は、なぜかほっとするんです」。外見の幼さとは裏腹に、彼女の声にはあたりの静けさを乱さない落ち着きがあった。彼女がなかなか『空に描く暗号』を手渡してくれないせいで、小父さんはカウンターの前に立っているよりほか、どうしようもなかった。「でも今日は心配ありませんね。渡り鳥の本だって、はっきりしていますから」。ようやく彼女は本の上にカードを載せ、小父さんに差し出した。「ね、小鳥の小父さん」。思わず小父さんは「えっ」と短い声を上げた。「幼稚園の子供たちは皆、そう呼んでいますものね」。小さくうなずいたあと、小父さんはズボンのポケットにカードを突っ込み、本を脇に挟んだ。「返却は二週間後です」。そう言う司書の声を背中に聞きつつ、小父さんは分館を後にした。

4️⃣ 帰り道、日曜日で閉まっている青空薬局の中を何気なく覗き、ポーポー(※)が姿を消しているのに気づいた。小父さんは自転車を止め、もう一度よく確かめた。やはり、ポーポーの入っていた広口ガラス瓶はどこにもなかった。…先代の店主は死に、天井のモビールと小鳥ブローチはもはや跡形もなく、結局ブローチにしてもらえなかったポーポーたちも、飛び立てないまま待ちくたびれて打ち捨てられてしまった。これで、お兄さんがポーポーのために特別に選ばれた人間であったことが証明されたのだ、と小父さんは自分に言い聞かせた。お兄さんが死んだからこそ、広口ガラス瓶は撤去された。あの中から一本選ぶ権利がある、唯一の人間がお兄さんだった。ささやかな薬局で羽を休めていた小鳥たちを、お兄さんは救い出したのだ。お兄さんにしかできないやり方で。

5️⃣ 小父さんは再び自転車にまたがり、家路を急いだ。自転車の籠の中で、借りてきたばかりの本がガタガタ鳴っていた。「返却は二週間後です」。司書の言葉を、小父さんは声に出して言った。「返却は二週間後です」。ペダルを踏む足に力を込め、もう一度繰り返した。本の立てる音と風の音に自分の声が紛れ、代わりに司書の声が耳元でよみがえってくるのを小父さんは感じた。「彼女の声をもっとよく聞きたくて、更に力一杯ペダルを踏んだ」(傍線部(エ))。

※ 青空薬局で売っていた、包装紙に小鳥の絵が印刷された棒つきキャンディー。「小父さん」の兄は毎週このキャンディーを買い、包装紙がたまると貼り合わせて小鳥の形のブローチを作った。

〈設問解説〉問一 (意味問題/文脈に即して簡潔に)

<GV解答例>
(1)(こぢんまり) 小さくまとまっている様。
(2)(気後れ) 圧倒されて気持ちがひるむこと。
(3)(よそよそしかった) 関係がなく親しみがもてなかった。

問二 「「やれやれ」といった様子」(傍線部(ア))には、「鳥たち」のどのような「様子」が表れているか。本文の内容に即して四十字以内で説明せよ。

内容説明問題。この問題の面白いところは、通常、行為などの外面的表れから内面の心情を類推するところを逆転して、「やれやれ」という内面が外面に表れるさまの説明を求める点。また、比喩されるところの内容ではなく、比喩そのもののイメージの説明を求める点だ。 「やれやれ」は、物事が一段落ついた場合の安堵感、あるいはそれが上手くいかなかった場合の落胆の心情をあらわす。ここは前者。傍線の前部を参照して、誰の目にも触れることなく、本の中に長く身を隠していた(→閉じ込められていた)「鳥」が、「小父さん」により発見され、解き放たれてほっとし、羽を伸ばす様子、とまとめる。

<GV解答例>
長く気づかれず閉じ込められていた状態から解き放たれて、ほっとして羽を伸ばす様子。(40)

<参考 S台解答例>
長い間誰にも見つけてもらえず、ようやく救い出してくれる存在が現れ、安堵する様子。(40)

<参考 K塾解答例>
誰にも気づかれぬまま本の奥深くに潜んでいたのを見出され、解き放たれて安らぐ様子。(40)

問三 「小父さんは狼狽した」(傍線部(イ))とあるが、「小父さん」はなぜ「狼狽」したのか。その理由を本文の内容に即して四十五字以内で説明せよ。

理由説明問題(心情)。「狼狽」とは、「思いがけない出来事に(A)/あわてふためくこと」である。ここでの「思いがけない出来事」とは、「突然司書から声を掛けられたこと」である。その内容は「いつも、小鳥の本ばかり、お借りになるんですね」だった。まず「突然…声を掛けられた」を、後の表現を借用し、「不意をつかれた」(B)とし、これを直接理由とする。次に、その「司書」とは「小父さん」にとって「意識したことなどな」い存在だった(C)。さらに、その司書が「小鳥の本ばかり」と、「自分の選ぶ本に気を配ってい」たのである(D)。そんな人間がいようとは思いもしなかったのだ。ABCDより、「意識したことこともない司書が(C)/自分の選ぶ本に気を配っているとは(D)/思いもかけず(A)/不意をつかれた(B)」から、とまとめる。

Dの代わりに「自分の読書傾向を正しく把握している」などと入れることも考えうるが、これらは不意の狼狽の後の、反省を経た認識ではなかろうか。

<GV解答例>
意識したこともない司書が自分の選ぶ本に気を配っているとは思いもかけず、不意をつかれたから。(45)

<参考 S台解答例>
全く意識していなかった司書に、自分の選ぶ本の傾向を把握されていたことが意外だったから。(43)

<参考 K塾解答例>
意識したこともない司書から、自分が密かに鳥に執着していることを、不意に指摘されたから。(43)

問四 「鳥の法則」(傍線部(ウ))は何を指しているか。本文の内容をふまえて三十字以内で説明せよ。

内容を説明問題。司書の会話にある「鳥の法則」とは、その前の司書の会話にある「この人は/鳥に関する本しか借りない」を承ける。「この人」とは、作中の「小父さん」のことであるが、ここで「鳥の法則」が司書にとっての「法則」であるこのに注意しよう。傍線より後の会話で司書は、本を手渡す際、「ね、小鳥の小父さん」と呼び掛ける。幼稚園の子供たちがそう呼んでいたからだ。ならば、司書の「法則」の主体は、「小鳥の小父さんと呼ばれる人」であり、その人が(まさに名前のままに)「鳥に関わる本しか借りない」、これが司書の言う「鳥の法則」なのである。

<GV解答例>
小鳥の小父さんと呼ばれる人が、鳥に関わる本しか借りないこと。(30)

<参考 S台解答例>
小父さんが借りる本が、例外なく鳥に関わるものであること。(28)

<参考 K塾解答例>
小父さんが一貫して鳥の関わりのある本だけを借りるということ。(30)

問五 「彼女の声をもっとよく聞きたくて、更に力一杯ペダルを踏んだ」(傍線部(エ))には、「小父さん」のどのような気持ちが表れているか。「小父さん」の心情の変化に着目して七十五字以内で説明せよ。

心情説明問題。傍線部自体からは「彼女」=司書に対する関心と、それに起因する気持ちの高揚が読み取れるが、いったん設問要求に沿って、「小父さん」の心情の変化をたどり、傍線の含意を正確に具体化しよう。

本文を大きく場面分けすると、3つの場面に別れる。小父さんを主体として、🅰️図書館での司書とのやりとり(1️⃣2️⃣3️⃣)、4️⃣ 青空薬局での思念、5️⃣ 家路を急ぐ場面、となる。この場面を通しての心情の変化は、🅰️で若い司書に突然、「鳥の本ばかり」読むことを指摘され、それに対して気後れした小父さんは、図書館を出る時まで十分に対応できなかった。それが5️⃣の最後の場面では「彼女の声を…聞きたくて…力一杯ペダルを踏」むのである。🅰️の「司書への戸惑い」から5️⃣の「司書に関連した高揚」に至る心情の変化をもたらしたのは何か。当然、間の4️⃣にポイントがありそうである。

4️⃣では、帰り道ふと青空薬局を覗いたところ、生前の兄が毎週買い、その包装紙で小鳥ブローチを作っていたポーポー(←※脚注)が撤去されていた。それに小父さんは失望を感じる一方、「お兄さんがポーポーのために特別に選ばれた人間であったことが証明されたのだ」と自分に言い聞かせる。「ささやかな薬局で羽を休めていた小鳥たちを、お兄さんは救い出したのだ。お兄さんにしかできないやり方で」と。言葉に「障害」のあった兄を、その兄だからこそ、ポーポーが、小鳥が必要としていた。そう認識した時に、先程の図書館で自分が鳥に関わる本だけを選ぶように借り続けてきたこと、そのことを見てくれている人がいる、自分の存在が「それとして」認められている、という思いを小父さんは強く持ったのではないか。その思いが🅰️での戸惑いを通り抜けて、小父さんにラストの高揚感をもたらしたのだ。以上より「戸惑い→兄はポーポーに認められた存在→自分も司書に存在を認められている→高揚感」とまとめる。

<GV解答例>
借りる本の傾向を知られていることに戸惑いながら、兄がポーポーの為に選ばれた人間であるように、自分も司書に存在を認められていると感じ気分が高揚している。(75)

<参考 S台解答例>
死んだ兄を思いつつ孤独に小鳥と関わっていたが、司書や幼稚園児が気にかけてくれていたことを知り、自分の存在が認められたように感じて高揚感を覚えている。(74)

<参考 K塾解答例>
司書の不遠慮な言葉に始めは身構えたが、死んだ兄のように自分も鳥を救う人間として理解され励まされていると感じはじめ、その責任を果たそうと意気込む気持ち。(75)

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