〈本文理解〉

出典は岩田慶治「音・時・言葉」。筆者は人類学者。

①~③段落。音に対する感受性の深さ、東南アジア各地、ことに山間辺地に住む少数民族をたずねて気づくこと、驚くことの一つはこれである。ボルネオ内陸に住むイバン族の若者と川ぞいの道を歩いていたときのこと、かれはふと足をとめてこういった。「この川の名はスンガイ・トゥビ、川上の流れの音がコトコトと聞こえてくるでしょう、あの音が、この川の名になったのです」と。私はそのとき、自然と文化が一つになって息づき、そこにものの名が誕生する現場に立ちあっているような、不思議な感動にとらえられたことを覚えている。

④⑤段落。イバン族の村では、朝ごとにその日一日分の米を立杵、立臼を使って精米する。臼の底の部分にはしかけがあって、臼をつく杵の力が床下の腕木に伝えられ、その腕木が同じく床下に吊りさげられた長板をたたく。臼をトンとたたくと、床下の長板が打たれてトン トン トンと鳴る。腕木はいくぶん弾力性をもっているので、杵の音が反復、増幅されて響くのである。「臼という生活道具が、ここでは同時に楽器でもあった」(傍線部(ア))のである。朝ごとにつく臼の音が、そのあたり一面にこだまする。その音を聞いて働く女性たちがたのしくなり、村びとがたのしくなる。それだけではない。この心地よい音は、もともとは、屋根裏部屋の大籠のなかにいる稲魂、つまり稲の神を喜ばせるためだったのである。眼に見えない神をよろこばせるには、音楽が必要だったのである。

⑥⑦段落。マレー半島の中部、ベラ湖のほとりにスムライ族という民族が住んでいる。私はかつてこの民族をたずねて、ブバリンという名の奇妙な道具を見た。…村びとの話によると、村のなかでもっとも高い木の梢にブバリンをとりつけると、風とともにブーン ブーンと音を立てる。この音によって、遠方の森のなかにいる狩人が自分の村の所在を知る、ということであった。「音の灯台」(傍線部(イ))ということであろうか。

⑧⑨段落。村びとの説明はそのなのであるが、私としては若干の疑いを残している。いくら森のなかとはいえ、先祖代々同じ土地に住んでいる人間が、道に迷うなどということがあるだろうか。私には考えられないのである。そうなってくると、ブバリンの音は何を意味するのだろうか。ひょっとすると、それは他界への信号であり、また、他界からの呼びかけなのではなかろうか。いずれにしろ、この奇妙な道具、道具であると同時に楽器でもあるものの発する音、そのうなりの声のなかに、もっともっと近づき、耳をすませてみたいのである。

⑩⑪段落。われわれは民族の文化を機能的に分析し、合理的に解釈することに慣れているけれども、実は、かれらの文化のなかにはわれわれの想像を超える異次元の世界が映っていたかもしれないのである。(バリ島のラヤン(凧)の例)。

⑫⑬段落。かつてイバン族の村に滞在していたとき、村長のカロンさんがさまざまな鳥、けものの声を、驚くほど上手に真似てみせてくれたことがある。カロンさんの声を聞いているうちに、「声によって、人間の世界と野生の世界との交流が、二つの世界の共存が、表面的にではなく、人間の文化を超えた深層において成就されている」(傍線部(ウ))に感動したのである。

⑭⑮段落。われわれは日ごろ、言葉という眼に見えない網目、言葉というクモの巣のとりこになって、局限された、不自由な生活を強いられているのであるが、実は、言葉の向こうに声があり、声の向こうに音があり、さらにその向こう側に、音以前の世界があったのではないか。その音以前の世界から、音が生まれ、声が誕生し、言葉がよみがえってくるのではなかったろうか。われわれ人類学の徒の野外調査、つまりフィールドワークも、結局は「奥の細道」をたどる歩みと同じであって、常に、「なんとかして「岩にしみいる声」を聞きたいと思っている」(傍線部(エ))のである。その声、音のなかに、荘厳な世界を建立したいと思っているのである。

〈設問解説〉問一 (漢字)

(1)増幅 (2)排除 (3)滞在 (4)網目 (5)建立

問二 「臼という生活道具が、ここでは同時に楽器でもあった」(傍線部(ア))とあるが、筆者はイバン族の「臼」に「楽器」としてのどのようなはたらきを見出したのか。本文の内容に即して四十五字以内で説明せよ。

内容説明問題。傍線(④)を承ける次の⑤段落の内容、「働く女性たち/村びとがたのしくなり」「稲の神/眼に見えない神を喜ばせる」を盛り込むのは当然である。その上で、傍線の前の同じイバン族のエピソード(X)、「あの音が、この川の名になった」という若者の言葉を聞いて、筆者が不思議な感動にとらわれた場面の、「自然と文化が一つになって息づき」(③)という要素が、傍線のある箇所のエピソード(Y)にも応用できないかを検討する。まず、XもYも「音」を起点としている。この「音」は、本文の後半で人間の「言葉」と対比されるが(⑭)、Yの場面でもその「音」が人間の生活の場に響き、さらに「音」ゆえにそれを超えて「稲の神」「眼に見えない神」をも喜ばせる、というのである。これから、「音」は人間の生活する空間、さらにそれをとり囲む「自然」空間にも鳴り渡り、それを明るく一つにつなぐもの、と把握できよう。

<GV解答例>
村人だけでなく、土地の神にも心地よい音を捧げ、人々の生活と自然を一つに調和させるはたらき。(45)

<参考 S台解答例>
心地よい音によって村びとをたのしませるとともに、眼には見えない神をもよろこばせるはたらき。(45)

<参考 K塾解答例>
人間をたのしませるだけでなく、眼に見えない神をも喜ばせ、他界との交流をも作り出すはたらき。(45)

問三 「音の灯台」(傍線部(イ))とは、スムライ族の「ブバリン」に対するどのような比喩的解釈か。その内容を四十五字以内で説明せよ。

内容説明問題(比喩)。「音の灯台」(X)は「ブバリン」(Y)の例えである。Yについての説明を村びとから聞いて、筆者はYをXに重ねてイメージしたのである。YとXの類比の問題として処理できるが、例える方であるXのうち「灯台」についての説明はない。当然である。筆者は読者との共通理解を当てにして例えを使う。ここでの「灯台」のイメージを読者は共有しなければならない。ただ、それを出題者が問う場合、解答者はそのイメージを的確に言語化しなければならない。

類比や対比は、各々をバラで考えるのではなく、二つを比べながらセットで具体化すればよい。Yについての記述は十分にあるので、こちらから「灯台」と重なる要素を抽出すると、Y「高い木/音/村びと/遠方からの村の所在を知る」となり、一方、Xは「高所/光の代わりに音/船/正しい航路を知る」となる。45字という短い字数制約から「Xは~であるように/Yは~」と表現するスペースはないので、問題の要求に沿って「(Xは)~の比喩」という構文でまとめ、「~」にYの要素を中心に盛り込み解答とした。

<GV解答例>
高所から光の代わりに独特の音を響かせることで、遠方の者に帰るべき場を示すということの比喩。(45)

<参考 S台解答例>
音により村の所在を狩人に知らせ、同時に人間世界が他界とつながっていることの目印となるもの。(45)

<参考 K塾解答例>
灯台が光で陸の位置や航路を示すように、音で狩人に村の所在や進路を知らせるものである。(42)

問四 「声によって、人間の世界と野生の世界との交流が、二つの世界の共存が、人間の文化を超えた深層において成就されている」(傍線部(ウ))とあるが、「声」によって成就される「交流」や「共存」とはどのような状態か。本文の内容に即して四十五字以内で説明せよ。

内容説明問題。長い傍線を整理して、問いを再構成してみる。「声」により、「人間の文化(A)/を超えた深層(B)」において成就される「交流/共存」とはどのような状態か。ここでAと対応するのは、傍線の次⑭段落の「言葉」であり、われわれは「言葉というクモの巣のとりこ」になるが、それは世界の「局限」された姿でしかない。一方、Bとは、同じく⑭段落より、「言葉→声→音→音以前の世界」である。「音以前の世界」での「交流/共存」とは何だろうか。

傍線は「カロンさんの声を聞いているうちに」に導かれる部分であった。カロンさんは、さまざまな鳥、けものの声を驚くほど上手に真似てみせる、のだった(⑫)。言葉の世界は「観念」の世界であり、人間と動物、人間と自然、というような「分節」を経て成り立つ世界である。それと対比される声、そして音によって開かれる「世界」とはそうした分節を経ない、むき出しの自然=「野生」であり、人間は自らの「野生」にあたる「身体」により「野生と一体化する」というのが、ここでの「交流/共存」であるはずだ。

<GV解答例>
言葉の意味による限定を取り払い、声として響く音を通して、人が野生と身体的に一体化する状態。(45)

<参考 S台解答例>
言葉以前の声により、合理的な解釈を超えて人間と自然とが根源的な次元で交感し合っている状態。(45)

<参考 K塾解答例>
言語化以前の根源的な次元において、野生と人間の世界とが、一体化しつつ、交感している状態。(44)

問五 「なんとかして「岩にしみいる声」を聞きたいと思っている」(傍線部(エ))とあるが、ここで筆者はどのような態度によってフィールドワークをおこなおうとしているのか。本文全体の趣旨をふまえて七◯字以内で説明せよ。

内容説明問題(主旨)。傍線一文の文末が「思っているのである」とあり、その次文(本文末文)の文末も「思っているのである」とあることから、末文の「その声、その音のなかに、荘厳な世界を建立したい」を傍線と対応する内容として拾っておきたい。前⑭段落に「(声、さらに音の向こう側の)音以前の世界」(問四)とあったが、そこにある「荘厳さ」を聞き取ること(A)に、筆者のフィールドワークの目的があるといえる。

あとは「本文全体の趣旨をふまえて」という要求に沿うが、漠然と全文を見るのではなく、「筆者の態度」(X)と「従来的な態度」(Y)を対比しながらXの内容を具体化していく。Yについては、「民族の文化を機能的に分析し、合理的に解釈する」(⑩)、「言葉という眼に見えない網目、言葉というクモの巣のとりこになって」(⑭)を参照する。これと比べて再び傍線「なんとか「岩にしみいる声」を聞きたい」を検討すると、Yが「言葉/人間-主体的/機能分析的」なのに対し、Xは「声→音/自然-受動的/直接的」と整理できる。これにAを加え、「人間主体が/言葉を介在させて/対象を機能的に分析するのではなく//自然に響く声や音を繊細に聞き取り/それが示す荘厳さを/直接感受する態度」とまとめた。

<GV解答例>
人間主体が言葉を介在させて対象を機能的に分析するのではなく、自然に響く声や音を繊細に聞き取り、それが示す世界の荘厳さを直接感受していく態度。(70)

<参考 S台解答例>
民族文化に対し言葉による合理的な分析態度ではなく、音への深い感受性をもち他界と交感する人々のあり方に寄り添い世界を感受していこうとする態度。(70)

<参考 K塾解答例>
民族の文化に映る、我々の想像を超える異次元の世界を捉えるための、機能的な分析や合理的な解釈を超えて彼らの音に対する深い感受性に寄り添う態度。(70)

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