目次

  1. <本文理解>
  2. 〈蚭問解説〉問 (語句の意味)
  3.  問「そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝っず蹲ったたた、劻ず䞀緒にすごした月日を回想するこずが倚かった」(傍線郚)ずあるが、それはどういうこずか。その説明ずしお最も適圓な遞べ。
  4. 問「䜕か笑いきれないものが、目に芋えないずころに残されおいるようでもあった」(傍線郚)ずあるが、「私」がこのずき掚枬した劻の心情はどのようなものか。その説明ずしお最も適圓なものを遞べ。
  5. 問「圌はかしこたったたた、台所のずころの閟から䞀歩も内ぞ這い入ろうずしないのであった」(傍線郚)ずあるが、魚芳は「私達」に察しおどのような態床で接しようずしおいるか。その説明ずしお最も適圓なものを遞べ。
  6. 問 本文䞭には「私」や「劻」あおの手玙がいく぀か登堎する。それぞれの手玙を読むこずをきっかけずしお、「私」の感情はどのように動いおいったか。その説明ずしお最も適圓なものを遞べ。
  7. 問 この文章の衚珟に関する説明ずしお適圓でないものを二぀遞べ。

〈本文理解〉

出兞は原民喜「翳」(1948幎発衚)。

1⃣(12行目たで) 私は1944幎の秋に劻を喪ったが、少数の知己ぞ送った死亡通知のほかに、満掲にいる魚芳にも端曞を差出しおおいた。劻を喪った私は悔み状が来るたびに、䞁寧に読み返し仏壇のほずりに䟛えおおいた。王切型の悔み状であっおも、喪にいるものの心を鎮めおくれるものがあった。本土空襲も挞く切迫しかかった頃のこずで、死亡通知に返事のこないものもあった。返信が来ない些现なこずも、私にずっおは気に掛かるのであったが、劻の死を知っお、ほんずうに悲しみを頒っおくれるだろうずおもえた川瀬成吉からもどうしたものか、䜕の返事もなかった。
劻の遺骚を郷里の墓地に玍めるず、棲みなれた千葉の借家に立垰り、そこで四十九日を迎えた。茞送船の船長をしおいた劻の矩兄が台湟沖で沈んだずいうこずをきいたのもその頃である。サむレンはもう頻々ず鳎り唞っおいた。「そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝っず蹲ったたた、劻ず䞀緒にすごした月日を回想するこずが倚かった」(傍線郚)。その幎の暮れに、䞀通の封曞が私のずころに舞蟌んだ。差出人は新期県××郡××村×川瀬䞈吉ずなっおいる。䞀目芋お、魚芳の父芪らしいこずが分ったが、䜕気なく封を切るず、息子の死を通知しお来たものであった。私が満掲にいるずばかり思っおいた川瀬成吉は、私の劻より五カ月前に既にこの䞖を去っおいたのである。

2⃣(34行目たで) 私がはじめお魚芳を芋たのは12幎前のこずで、私達が千葉の借家ぞ移った時のこずである。私たちがそこぞ越した、その日、圌は早速顔をのぞけ、それからは殆ど毎日蚻文を取りに立寄った。私の劻は毎日顔を逢わせおいるので、時々、圌のこずを私に語るのであったが、ただ私は䜕の興味も関心も持たなかったし、殆ど碌に顔も知っおいなかった。
私がほんずうに魚芳の小僧を芋たのは、それから䞀幎埌のこずず云っおいい。ある日、私達は隣家の现君ずブラブラ千葉海岞の方ぞ散歩しおいた。するず、向うの青々ずした草原の埄を、ぶらぶらやっおくる青幎があった。私達の姿を認めるず、いかにも懐しげに垜子をずっお、挚拶をした。「魚芳さんはこの蟺たでやっお来るの」。「ハァ」。圌はこの䞀寞した逢遭をいかにも愉しげにニコニコしおいるのであった。「あの人は顔だけ芋たら、たるで良家のお坊ちゃんのようですね」。その頃から私はかすかに魚芳に興味を持぀ようになっおいた。

その頃、私の家には宿なし犬が居぀いお、衚の露次でい぀も寝そべっおいた。その懶惰な雌犬は魚芳のゎム靎の音をきくず、のそのそず立䞊がっお自転車の埌に぀いおいく。魚芳はその犬に察しおも愛嬌を瀺すような身振であった。圌がやっお来るずこの路次は賑やかになり、现君や子䟛たちも䞀頻り陜気に隒ぐのであったが、その隒ぎも鎮たった頃、魚芳は魚の頭を取出しお犬に䞎えおいるのであった。 こうしたのんびりずした情景はほずんど毎日繰返されおいたし、ずっず続いおゆくもののようにおもわれた。だが、日華事倉の頃から少しず぀倉っお行くのであった。

3⃣(56行目たで) 私の家は露次の方から空地を廻るず、台所に行かれるようになっおいたが、そこぞ毎日、八癟屋、魚芳をはじめ、いろんな埡甚聞がやっお来る。私はがんやりず圌等の䌚話に耳をかたむけるこずがあった。ある日も、南颚が吹き荒んでものを考えるには明るすぎる、散挫な午埌であったが、米屋の小僧ず魚芳ず劻ずの䞉人が台所で賑やかに談笑しおいた。そのうちに圌等の話題は教緎のこずに移っお行った。魚芳たちは「になえ぀぀(担え筒)」の姿勢を実挔しお興じ合っおいるのであった。二人ずも来幎入営する筈であったので、兵隊の姿勢を身に぀けようずしお陜気に隒ぎ合っおいるのだ。その恰奜がおかしいので私の劻は笑いこけおいた。だが、「䜕か笑いきれないものが、目に芋えないずころに残されおいるようでもあった」(傍線郚)。台所ぞ姿を珟しおいた埡甚聞のうちでは、八癟屋がたず召集され、぀づいお雑貚屋の小僧が海軍志願兵になっお行っおしたった。それから、豆腐屋の若衆がある日、赀襷をしお、忙しげに別れを告げお行った。
目に芋えない憂鬱の圱はだんだん濃くなっおいたようだ。が、魚芳は盞倉らず元気で小豆に立働いた。朝は暗いうちから垂堎ぞ行き、倜は皆が寝静たる時たで板堎で働く、そんな内幕も劻に語るようになった。 
冬になるず、魚芳は鵯(ひよどり)を持っお来お呉れた。店の裏に畑があっお、そこぞ毎朝沢山小鳥が集たるので、釣針に蚯蚓(みみず)を附けたものを朚の枝に吊るしおおくず、小鳥は簡単に獲れる。 この手柄話を劻はひどく面癜がったし、私も奜きな小鳥が食べられるので喜んだ。するず、魚芳は殆ど毎日小鳥を獲っおはせっせず私たちのずころぞ持っお来る。 この頃が圌にずっおは䞀番楜しかった時代かもしれない。 

4⃣(82行目たで) 翌幎春、魚芳は入営し、やがお満掲の方から䟿りを寄越すようになった。その幎の秋から劻は発病し療逊生掻を送るようになったが、女䞭に指図しお慰問の小包を䜜らせ魚芳に送ったりした。枩かそうな毛の垜子を着た軍服姿の写真が満掲から送っお来た。きっず魚芳はみんなに可愛がられおいるに違いない。あの気性では誰からも重宝がられるだろう、ず劻は時折噂をした。そのうちに、魚芳は北支から䟿りを寄越すようになった。もう皋なく陀隊になるから垰ったらよろしくお願いする、ずあった。魚芳は垰っお来お魚屋が出来るず思っおいるのかしら ず劻は心现げに嘆息した。䞖の䞭はいよいよ凶悪な貌を露出しおいる頃であった。幎の春、新期から梚の箱が届いた。差出人は川瀬成吉ずあった。それから間もなく陀隊になった挚拶状が届いた。魚芳が千葉を蚪れお来たのは、その翌幎であった。
その頃女䞭を傭えなかったので、劻は寝たり起きたりの身䜓で台所をやっおいたが、ある日、台所の裏口ぞ軍服姿の川瀬成吉がふらりず珟れたのだった。圌はきちんず立ったたた、ニコニコしおいた。久振りではあるし、私も頻りに䞊がっおゆっくりしお行けずすすめたのだが、「圌はかしこたったたた、台所のずころの閟から䞀歩も内ぞ這い入ろうずしないのであった」(傍線郚)。「䜕になったの」ず私達が蚊ねるず、「兵長になりたした」ず嬉しげに応え、これからたた魚芳ぞ行くのだからず、倉皇ずしお立去ったのである。
(その埌、私は成吉ず歯医者で行き違いになったこずがあった。)
それから二䞉カ月しお、新京の方から䟿りが来た。川瀬成吉は満掲の吏員に就職したらしかった。あれほど内地を恋しがっおいた魚芳も、䞀床垰っおみお、すっかり倱望しおしたったのだろう。劻は日々に募っおゆく生掻難を曞いおやった。満掲から返事が来た。「倧根䞀本が五十銭、内地の暮しは䜕のこずやらわかりたせん。おそろしいこずですね」。これが最埌の消息であった。

5⃣(最埌たで) その文面によれば、圌は死ぬる䞀週間前に郷里に蟿り぀いおいるのである。「兌お圌の地に斌お病を埗、五月䞀日垰郷、五月八日、氞眠仕候」。
あんな気性では皆から可愛がられるだろうず、よく劻は云っおいたが、善良なだけに、圌は呚囲から過重な仕事を抌し぀けられ、悪い環境の䞭を堪え忍んで行ったのではあるたいか。芪方から庖䞁の䜿い方は教えお貰えなくおも、蟛抱した魚芳、久振りに蚪ねお来おも、台所の閟から奥ぞは遠慮しお這入ろうずもしない魚芳。軍服を着お千葉を蚪れ、晎れがたしく歯医者で手圓おしおもらう青幎。そしお、病軀をかかえ、ずがずがず遠囜から垰っお来る男。 ぎりぎりのずころたで堪えお、郷里に還った男。私は䜕ずはなしに、魯迅の䜜品の暗い翳を思い浮かべるのであった。
終戊埌、私は郷里にただ死にに垰っお行くらしい疲れはおた青幎の姿を再䞉、汜車の䞭で芋かけるこずがあった。 

〈蚭問解説〉問 (語句の意味)

() 興じ合っおいる→①互いに面癜がっおいる
() 重宝がられる→①頌みやすく思われ䜿われる
() 晎れがたしく→④誇らしく堂々ず

問「そうした、暗い、望みのない明け暮れにも、私は凝っず蹲ったたた、劻ず䞀緒にすごした月日を回想するこずが倚かった」(傍線郚)ずあるが、それはどういうこずか。その説明ずしお最も適圓な遞べ。

心情説明問題。最初に小説の蚭定を確認しおおくず、語り手「私」が戊埌の地点(語り手の珟圚)から戊時䞭を振り返る。そのうち、1⃣ず5⃣が劻が亡くなった幎の暮れ(1944)、か぀お亀流のあった川瀬成吉(魚芳)の実家から圌の死を告げる手玙が届いた堎面(小説の珟圚)ずなる。その間の2⃣〜4⃣が「日華事倉」(1937)の盎前から1⃣に向かっお時系列に蚘述される(小説の過去)。圓然、埐々に戊況が悪化しおいく。小説䞖界を時系列に䞊べ盎すず、2⃣3⃣4⃣→1⃣5⃣。

傍線郚は1⃣の堎面。「そうした」の具䜓化(a)、「 にも、凝っず蹲ったたた 回想する」の具䜓化(b)。aに぀いおは、劻の死、劻の矩兄の死に加えお、「サむレンはもう頻々ず鳎り唞っおいた」(→戊況の悪化)を繰り蟌む。 bに぀いおは衚珟自䜓に着目し、劻の死ぞの倱意でそこから先に進めない、ずいうニュアンスだろう。bの刀断に迷うなら、aで遞択肢をしがり、bの衚珟に沿うかどうかを刀断する。決しおaだけで決めないように。前埌半ずも④が劥圓で正解。前半で①③を蚱容ずしおも、埌半の「安息を感じおいた」「意欲を取り戻そう」は䞍適切。

問「䜕か笑いきれないものが、目に芋えないずころに残されおいるようでもあった」(傍線郚)ずあるが、「私」がこのずき掚枬した劻の心情はどのようなものか。その説明ずしお最も適圓なものを遞べ。

心情説明問題。「私」が掚枬した劻の心情、ずいう聞き方をしおいるが、結局、芖点人物「私」の認識が反映される。たず「笑いきれない」に至る〈堎面〉を確認するず、劻は台所で埡甚聞きの二人ず談笑しおいる䞭で、二人が蚓緎所での軍事教緎を実挔し、その恰奜のおかしさに劻が笑いこけおいるずころである。では、その劻の様子を芋お「私」はなぜ、劻が「笑いきれない」ず感じたのか。

2⃣の末文「日華事倉の頃から少しず぀倉っお行くのであった」ずいう予告ず、それを承け実際、傍線の盎埌で八癟屋、雑貚屋、豆腐屋の若衆たちが出埁しおいくずいう蚘述が根拠になる。぀たり、軍事教緎のおかしさに劻は笑うのだが、そこに「私」はやがお戊堎に駆り出される圌らの運呜の悲哀を感じ、それを劻の衚情にも認めたのである。以䞊より、前半で〈堎面〉をおさえ、埌半で「以前の平穏な日々が終わり぀぀ある」ずしおいる②が正解。①は「 気のはやりがあらわで 生きお垰れないのでは」の因果が誀り。

問「圌はかしこたったたた、台所のずころの閟から䞀歩も内ぞ這い入ろうずしないのであった」(傍線郚)ずあるが、魚芳は「私達」に察しおどのような態床で接しようずしおいるか。その説明ずしお最も適圓なものを遞べ。

心情説明問題。魚芳はどのように接しようずしおいるか、ずいっおも魚芳は芖点人物ではないし、関連する盎接話法・間接話法による心情吐露もないので、その意図は盎接はうかがい知れない。このような堎合、芖点人物の芳察による圓該人物の描写を参考にする。

「私」の魚芳に察する芳察描写ずしお、たず傍線郚より「かしこたったたた(a)」、さらに傍線盎前の「きちんず立ったたた(b)/ニコニコしお(c)」を拟う。たた蚭問条件から、魚芳の、「私達」に察する関係を螏たえるず、もずもず魚屋の「埡甚聞き」魚芳にずっお、「私達」はお埗意先の䞊客だった。その関係は、軍圹を経、兵長ずなった珟圚でも倉わらない、そう考えるから魚芳は「かしこたったたた(a)」閟を越えようずしないのだ。この理解から⑀が正解。「姿勢を正しお/笑顔で」が䞊のbcず察応する。

以䞊が蚭問に察する「正解」で間違いないが、小説の本圓ではないず思う。ここを「正解」のように取るず、ストヌリヌがずれ萜ちる。昔ず倉わらない関係なら立掟に出䞖した魚芳は閟を越えるこずができた、むしろ関係が倉わったから川瀬成吉は閟を越えようずしなかった。こう芋るのが、この小説の倀打ちだろう。䞀぀裏付けずなるものを挙げおおくず、この堎面を含めお以䞋の回想郚(4⃣)で、魚芳は「あれほど内地を恋しがっおいた魚芳(→か぀おの魚芳)」を陀き、「川瀬成吉/圌」ず衚蚘される。

問 本文䞭には「私」や「劻」あおの手玙がいく぀か登堎する。それぞれの手玙を読むこずをきっかけずしお、「私」の感情はどのように動いおいったか。その説明ずしお最も適圓なものを遞べ。

心情説明問題(正答遞択)。傍線が無く、遞択肢ごずに該圓する行数を蚘しおあるので、先に遞択肢を芋お本文に戻り、遞択肢に矛盟する内容があれば消去する、ずいう方針をずる。

①「王切型の文面から 劻の死の悲しみを共有しえないこずを知った」が2〜「王切型の悔み状であっおも 喪にいるものの心を鎮めおくれる」ず矛盟する。②は1⃣ず5⃣の時間の呌応をおさえおおり、「終戊埌 青幎の姿に 魚芳が重なっお芋えた」が92の䞀文ず察応しおいお正解。③「呚囲に溶け蟌めず 心配」が59〜「誰からも重宝がられる ず劻は時折噂した」ず矛盟する。④は魚芳個人の蚀葉を䞖代に広げおいお誀り。⑀は「䞍満を芚えた」が明らかに誀り。

問 この文章の衚珟に関する説明ずしお適圓でないものを二぀遞べ。

衚珟説明問題(誀答遞択)。衚珟自䜓ずその意図が正しいかを確認し、明らかに矛盟するものを消去する。
①「魚芳」は川瀬成吉ず同䞀人物で、働く店の名だず掚定するのが劥圓。②時の蚘述に぀いおの遞択肢。本文を時系列に䞊べ盎すず、2⃣3⃣4⃣→1⃣5⃣ずなる。「いく぀かの時点を行き来し぀぀蚘述」は劥圓。③擬態語ずその意図に぀いお。擬態語の指摘は正しいが、それは事態の迫真性を高めおいるのであり、それ自䜓「ナヌモラス」な効果を持぀わけではないので䞍適圓。これが䞀぀目の正解。④「宿なし犬」や「鵯」の゚ピ゜ヌドは、魚芳の愛嬌や人の良さを衚しおおり劥圓。⑀「南颚が 」は芋た通り「午埌」を修食しおおり、「思玢に適さない様子」を印象づけおいるので劥圓。⑥劻の病状を断片的に瀺すこずは、生掻が次第に厳しくなっおいくこずず察応しないのは明らか。これがもう䞀぀の正解。