出典

出典は加能作次郎「羽織と時計」(1918年発表)。前書きに、「「私」と同じ出版社で働くW君は、妻子と従妹と暮らしていたが、生活は苦しかった。そのW君が病で休職している期間、「私」は何度か彼を訪れ、同僚から集めた見舞金を届けたことがある」とある。

 

 

<本文理解>

1️⃣(16行目まで)春になって、陽気がだんだん暖かになると、W君の病気も次第に快くなって、五月の末には、再び出勤することが出来るようになった。『君の家の紋は何かね?』彼が久しぶりに出勤した最初の日に、W君は突然私に尋ねた。…『僕も長い間休んで居て、君に少なからぬ世話になったから、ほんのお礼の印に羽二重を一反お上げしようと思っているんだが、同じことなら羽織にでもなるように紋を抜いた(※紋の図柄を染め抜いた)方がよいと思ってね。…』…『染めは京都でなくちゃ駄目だからね』とW君は独りで首肯いて『じゃ早速言ってやろう』。私は辞退する術もなかった。一ヶ月余り経って、染め上がって来た。…貧乏な私は其時まで礼服というものを一枚も持たなかった。羽二重の紋付の羽織というものを、その時始めて着たのであるが、今でもそれが私の持物の中で最も貴重なものの一つとなって居る。

 

2️⃣(28行目まで)『ほんとにいい羽織ですこと、あなたの様な貧乏人が、こんな羽織をもって居なさるのが不思議な位ですわね』妻は、私がその羽織を着る機会のある毎にそう言った。私はW君から貰ったのだということを、妙な羽目からつい言いはぐれて了って、今だに妻に打ち明けてないのであった。妻が私が結婚の折に特に拵えたものと信じて居るのだ。下に着る着物でも袴でも、その羽織とは全く不調和な粗末なものばかりしか私は持って居ないので、『よくそれでも羽織だけ飛び離れていいものをお拵えになりましたわね』と妻は言うのであった。『そりゃ礼服だからな。これ一枚あれば下にどんなものを着て居ても、兎に角礼服として何処へでも出られるからな』。私は「擽ぐられるような思」(傍線部A)をしながら、そんなことを言って誤魔化して居た。…私はこの羽織を着る毎にW君のことを思い出さずに居なかった。

 

3️⃣(44行目まで)その後、社に改革があって、私が雑誌を一人でやることになり、W君は書籍の出版の方に廻ることになった。そして翌年の春、私は他にいい口があったので、その方へ転ずることになった。W君は私の将来を祝し、送別会をする代りだといって、自ら奔走して社の同人達から二十円ばかり醵金をして、私に記念品を贈ることにして呉れた。私は時計を持って居なかったので、自分から望んで懐中時計を買って貰った。…この処置について、社の同人の中には、内々不平を抱いたものもあったそうだ。まだ二年足らずしか居ないものに、記念品を贈るなどということは曾て例のないことで、これはW君が、自分の病気の際に私が奔走して見舞金を贈ったので、その時の私の厚意に酬いようとする個人的な感情から企てたことだといってW君を批判するものもあったそうだ。…
私は後でそんなことを耳にして非常に不快を感じた。そしてW君に対して気の毒でならなかった。そういう非難を受けてまでも私の為に奔走して呉れたW君の厚い情誼を思いやると、私は涙ぐましいほど感謝の念に打たれるのであった。それと同時に、その一種の恩恵に対して、常に或る重い圧迫を感ぜざるを得なかった。羽織と時計ーー。私の身についたものの中で最も高価なものが、二つともW君から贈られたものだ。この意識が、今でも私の心に、感謝の念とともに、「何だからやましいような気恥しいような、訳のわららぬ一種の重苦しい感情」(傍線部B)を起させるのである。

 

4️⃣(73行目まで)XX社を出てから以後、私は一度もW君と会わなかった。W君は、その後一年あまりして、病気が再発して、遂に社を辞し、小さなパン屋を始めたこと、自分は寝たきりで、店は主に従妹が支配して居て、それでやっと生活して居るということなどを、私はXX社の人に遇った時に聞いた。私はXX社を辞した後、交友の範囲もおのずから違って行き、仕事も忙しかったので、一度見舞旁々訪わねばならぬと思いながら、自然と遠ざかって了った。その中私も結婚をしたり、子が出来たりして、境遇も前と異って来て、一層足が遠くなった。偶々思い出しても、久しくご無沙汰をして居ただけそれだけ、そしてそれに対して一種の自責を感ずれば感ずるほど、妙に改まった気持になって、つい億劫になるのであった。
羽織と時計ーー併し本当を言えば、この二つが、W君と私とを遠ざけたようなものであった。…何故というに、私はこの二個の物品を持って居るので、常にW君から恩恵的責務を負うて居るように感じられたからである。この債務に対する自意識は、不思議にW君の家の敷居を高く思わせた。而も不思議なことに、「私はW君よりも、妻の妻君の眼を恐れた」(傍線部C)。私が時計を帯にはさんで行くことにする、『あの時計は、良人が世話して進げたのだ』斯う妻君の眼が言う。私が羽織を着て行く、『あああの羽織は、良人が進げたのだ』斯う妻君の眼が言う。もし二つとも身につけて行かないならば、『あの人は羽織や時計をどうしただろう』斯う妻君の眼が言うように空想されるのであった。…いつでもW君を訪れようと思いつく毎に、妙にその厭な考が私を引き止めるのであった。そればかりではない、こうして無沙汰を続ければ続けるほど、私はW君からの妻君に対して更に恐れを抱くのであった。『◯◯さんて方は随分薄情な方ね。…こうして貴郎が病気で寝て居らっしゃるのを知らないんでしょうか、見舞に一度も来て下さらない』斯う彼女が彼女の良人に向って私を責めて居そうである。その言葉には、あんなに、羽織や時計などを進げたりして、こちらでは尽してあるのに、という意味を、彼女は含めて居るのである。
そんなことを思うと迚も行く気にはなれなかった。こちらから出て行って、妻君のそういう考をなくする様に努めるよりも、私は逃げよう逃げようとした。私は何か偶然の機会で妻君なり従妹なりと、途中ででも遇わんことを願った。『W君はお変わりありませんか…』。すると、疾うに社をやめ、病気で寝て居ると、相手の人は答えるに違いない。『おやおや!一寸も知りませんでした。…近いうちにお見舞に上がります』こう言って分かれよう。…そうするとそれから後は、心易く往来出来るだろうーー。

 

5️⃣(最後まで)そんなことを思いながら、三年四年と月日が流れるように経って行った。今年の新緑の頃、子供を連れて郊外へ散歩に行った時に、「私は少し遠廻りして、W君の家の前を通り、原っぱで子供に食べさせるのだからと妻に命じて、態と其の店に飴パンを買わせた」(傍線部D)が、実はその折陰ながら家の様子を窺い、うまく行けば、全く偶然の様に、妻君なり従妹なりに遇おうという微かな期待を持って居た為であった。私は電車の線路を挟んで向側の人道に立って店の様子をそれとなく注視して居たが、出て来た人は、全く見知らぬ、下女のような女の子だった。…それ以来、私はまだ一度も其店の前を通ったこともなかった。

問1(語句の意味)

(ア) 術もなかった→②手立てもなかった
(イ) 言いはぐれて→②言う機会を逃して
(ウ) 足が速くなった→①訪れることがなくなった

問2 傍線部A「擽ぐられるような思」とあるが、それはどのような気持ちか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

心情説明問題。2013年センター本試験の第2問(出典は牧野信一「地球儀」)でも、「自分で自分を擽るような思い」という表現と対応する心情を問う問題があった。心情問題は、心情とそれに至る場面・状況の説明の適切さを問う。初めから心情にあたる表現に傍線が引かれていることも多いので、その場合は心情表現自体の吟味から始める。

 

「ような」は比喩表現(直喩)なので、実際に「擽られた」帰結として生まれる心情を想定する。それならば、①の「笑い出したいような気持ち」というのは候補にはなる(ただし「〜ような気持ち」という問いを「〜ような気持ち」(こちらは婉曲)として答えるのもぼやけた感じがする)。ただ、ここの場面・状況は妻との会話のやり取りを受けての「擽られるような思」なので、直接的な「笑い出す」より内面的なニュアンスが強いだろう。また、「心をくすぐられる」という慣用的な表現もある。これは自尊心や興味を刺激された時の感情表現だ。しかし、深読みは禁物。感情表現にはグラデーションがあり、そこに杭を打つのは文脈(場面・状況)である。

 

今、妻との会話で話題となっているのはW君からもらった羽織である。それは「私」の持物の中でもっとも貴重なものの一つであり、それに見合う下の物がない。そして「私」は、それをW君から貰ったものだということを妻に打ち明けていないのである。その状況で妻は『よくそれでも羽織だけ飛び離れていいものをお拵えになりましたね』と言い、「私」は『そりゃ礼服だからな。…』と、「擽られるような思」をしながら誤魔化した、のである。

 

以上の整理から正解は③。「妻に羽織をほめられたうれしさ/本当のことを告げていない後ろめたさ/落ち着かない気持ち」はすべて、上の心情表現自体の吟味と場面・状況の整理に適っている。①は、「笑い出したい」はよいとしても、それが妻の思い込みに対するとしているところがズレている。②「不安」、④「物足りない」、⑤「不満」は、傍線部の心情表現と対応しない。〈正解③〉

問3 傍線部B「何だかやましいような気恥しいような、訳のわからぬ一種の重苦しい感情」とあるが、それはどういうことか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

心情説明問題。本問も問2と同じく、初めから帰結の心情にあたる表現が傍線に置かれている。すなわち「やましさ」や「気恥ずかしさ」に関わる「重苦しい感情」である。選択肢の結びをチェックすると、④「自分へ向けられた哀れみを感じ取っている」や⑤「見返りを期待する底意をも察知している」は、根拠のない記述だが、表現との対応という面でも除外しておいてよいだろう。

 

次に、場合・状況を確認すると、場面2️⃣では、「私」の退職祝いにW君が社の同人から醵金し懐中時計を贈ってくれたこと、そのことが原因でW君が非難を受けていると聞いたこと、それに対して「私」は不快に感じ、W君を気の毒に思い、感謝の念に打たれると同時に、重い圧迫を感じていることが述べられている。そして「羽織と時計ーー。私の身についたものの中で最も高価なものが、二つともW君から贈られたものだ。この意識が、今でも私の心に、感謝の念と共に、(傍線部B)を起こさせるのである」と続くのである。つまり、傍線部の「重苦しい感情」はW君から贈られた「羽織と時計」その過剰さに起因しているのである。

 

以上より、①「W君が…贈ってくれた品物は、いずれも自分には到底釣り合わないほど立派なものに思え…W君の熱意を過剰なものに感じてとまどっている」が場面・状況の把握、心情の説明双方において妥当。②「(W君が)評判を落としたこと」は事実ではあるが、ここでの「重苦しい感情」を引き起こす要因として不適切。③「W君ヘ向けられた批判をそのまま自分にも向けられたものと受け取っている」には根拠がないし、仮にそうだとしても、やはりここでの「重苦しい感情」とは関係ない。〈正解①〉

問4 傍線部C「私はW君よりも、彼の妻君の眼を恐れた」とあるが、「私」が「妻君の眼」を気にするのはなぜか。その説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

理由説明問題。W君の妻君の眼を恐れる「私」の主観的な理由(心情)を問うている。傍線部を含む一文が「而も」という添加の接続語に導かれるので、その性質上、傍線部以後に直接的な理由(恐れを引き起こした心情)を読み取ることになる。と同時に、その前提となる状況を「而も」の前部からおさえておきたい。
場面4️⃣では、「私」は退職以後W君と会っていないこと、その後W君は病気が再発し退社して療養中だと聞いたこと、それに対して「私」はW君を見舞わねばと思いながら実現していないこと、そしてその理由は「羽織と時計」という恩恵的債務をW君に負っているところにある、ということが述べられている。それではなぜ、そうした状況についてW君より妻君の眼を恐れるのか。

 

傍線部(L56)後の記述は「私」の「空想」(L59)である。その間の空想の内容は、W君を見舞うにあたり、時計や羽織を身につけていたにしても、身につけていないにしても、W君から貰ったその二つの持ち物のことで妻君の眼が気になるというものである。また、64〜65行目「彼女が彼女の良人に向って私を責めて居そうである。その言葉には、あんなに、羽織や時計などを進げたりして、こちらでは尽すだけのことは尽くしてあるのに、という意味を彼女は含めて居るのである」という記述も参考になる。これらは無論、空想であり客観的事実とは言えないが、「私」の主観においては、むしろ想像であり際限がないからこそ、事実に勝る圧迫を加えるのである。この空想こそが、妻君の眼を恐れる理由。

 

この空想を「〜のではないか」という形で表現している選択肢は①③。そのうち「…見舞いに駆けつけなくてはならないと思う一方で…W君と久しく疎遠になってしまい…妻君に自分の冷たさを責められるのではないかと悩んでいるから」としている①がポイントを的確に押さえていて正解。③は「妻君に偽善的な態度を指摘されるのではないか」が明らかに誤り。他の選択肢は「空想」の表現が欠けているのに加え、②「W君を経済的に助けられないことを考えると…申し訳ない」、④「妻君の前では卑屈にへりくだらねばならないことを疎ましく」、⑤「訪れなかったことを反省すればするほど…妻君には顔を合わせられない」が明らかに誤り。〈正解①〉

問5 傍線部D「私は少し遠廻りして、W君の家の前を通り、原っぱで子供を食べさせるのだからと妻に命じて、態と其の店に飴パンを買わせた」とあるが、この「私」の行動の説明として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

心情説明問題。「少し遠廻りして、W君の家の前を通り…態と其の店に飴パンを買わせた」という不自然で作為的な行動に隠された意図を問うている。そこを見抜けば、強い根拠となるのは傍線部直後「実はその折陰ながら家の様子を窺い、うまく行けば、全く偶然の様に、妻君なり従妹なりに遇おうという微かな期待を持って居た為であった」(L76〜77)。もちろんこれは67行目の「私は何か偶然の機会で妻君なり従妹なりと、途中ででも遇わんことを願った」と対応する。つまり「私」は「羽織と時計」という過剰な贈り物に起因して自意識が高じ、W君を訪れる足が遠のく中で(4️⃣)、その呪縛を偶然を装い断ち切ろうとした。それを今更妻には言えない(2️⃣)。そのことが傍線部のような不自然で作為的な行動に帰結したのである。

 

以上より、「偶然を装わなければW君とは会えないとまで思っていた→これまで事情を誤魔化してきた→今更妻に本当のことを打ち明けることができず→回りくどいやり方で→様子を窺う機会を作ろうとしている」として、経緯と行動意図を的確に押さえている⑤が正解。①「質素な生活を演出」、②「悩みを悟られまいとして…虚勢を張る」、③「かつての厚意に少しでも応えることができれば」は明らかに誤り。④「W君の家族との間柄がこじれてしまった」は想像と客観的事実の混同。〈正解⑤〉

問6 次に示す【資料】は、この文章(加能作次郎「羽織と時計」)が発表された当時、新聞紙上に掲載された批評(評者は宮島新三郎、原文の仮名遣いを改めてある)の一部である。これを踏まえた上で、後の(ⅰ)(ⅱ)の問いに答えよ。

(ⅰ) 【資料】の二重傍線部に「羽織と時計とに執し過ぎたことは、この作品をユーモラスなものにする助けとはなったが、作品の効果を増す力にはなって居ない」とあるが、それはどのようなことか。評者の意見の説明として最も適当なものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

批評文の読み取り。今回の共通テストは大問レベルでの大幅な変更は抑えられた印象だが、第2問(文学的文章)において設問レベルで特出できるのは、この問6のセットである。一般に、批評文は原作品に依存しながらも、それが優れたテクストならば独立した味わいを醸し、逆に原テクストの新たな意味世界を開くものだろう。その点で、並列したテクスト間の比較対照とはまた異なる、テクストの重層的な読みが必要となる。受験レベルに落とし込んだ時、まずは、批評文で前提となっている原テクストの主題や構成を把握しなければならない。とはいうものの、本問はまだ作問として十分に成熟したものではなく(あえてそのレベルに抑えられたのかもしれないが)、批評文の表面的分析により答えを導くことができる。

 

【資料】の批評文で評者は、『羽織と時計』以前の作者の作品(X)を肯定的に評価した上で、『羽織と時計』(Y)については「羽織と時計とに執し過ぎたことは、この作品をユーモラスなものにする助けとはなったが、作品の効果を増す力にはなって居ない」(二重傍線部)としている。この「羽織と時計とに執し過ぎたこと」(P)とはどのようなことか。いったん【資料】に則り、評者のX評、Y評を対比的に把握すると、X「生活の種々相を様々な方面から多角的に描破/見た儘、有りの儘を刻明に描写/忠実なる生活の再現者」、Y「ライフの一点だけを覘って作をする/小話臭/P」となる。この整理に基づき、XではないYを踏まえて二重傍線部を説明した選択肢は、「挿話の巧みなまとまりにこだわった/描き方が断片的」としている④。①「多くの挿話から…」、②「出来事を忠実に再現」はXに相当。③「一面だけを取り上げ美化」の「美化」が余計。〈正解④〉

 

(ⅱ) 【資料】の評者が着目する「羽織と時計」は、表題に用いられるほかに、「羽織と時計ーー」という表現として本文中にも用いられている(43行目、53行目)。この繰り返しに注目し、評者とは異なる見解を提示した内容として最も適当なものを、次の①〜⑤のうちから一つ選べ。

表現意図説明問題。「羽織と時計ーー」という表現の繰り返しに注目した評者と異なる見解を選べ、ということだが、実質はその表現の繰り返しによる表現意図や効果を問うていると捉えればよい。参照すべきは原テクストである。原テクストで「時計と羽織」という象徴表現に、どのような含意があるのか。
43行目の「羽織と時計ーー」に続く「私の身についたものの中で最も高価なものが、二つともW君から贈られたものだ」、53行目の「羽織と時計ーー」に続く「この二つが、W君と私とを遠ざけたようなものであった」が根拠になる。この2つを「W君の厚意が皮肉にも自分をかえって遠ざけることになった」と踏まえている④が正解。①は「かつてのようにW君を信頼できなくなっていく「私」」が明らかに誤り。②「W君のつたなさ」、③「W君の思いの純粋さ」は、「羽織と時計」が象徴するものをW君と結びつけているので即消しにする。〈正解④〉