〈本文理解〉

〈本文理解〉
出典は犬飼裕一『歴史にこだわる社会学』。前書きに「次の文章は、「歴史社会学」という新しい学問分野を掲げる立場から述べられたものである」とある。

①段落。人はおそらく他の人々について自分自身に当てはめてしか理解することができない。…

②段落。イデオロギー問題も、人々が自分に当てはめて考えた場合に理解しやすい考え方に惹き付けられているともいえる。…

③段落。言語の世界でしばしば登場する「自由」や「平等」といった万人受けする言葉も、それぞれの人々の経験や人間関係、社会に対する考え方によって「まったく別物に解される」(傍線部①)。人間の適性が均質だと考える人々と、千差万別だと考える人々とでは、同じ「平等」でも意味が違う。人々の適性が多様だと考える人々は、多様な適性や能力に応じた機会の平等をすぐに思い浮かべるが、人間は均質と信じる人々は誰もが同じような「成果」や「幸せ」を得られる結果の平等を思い浮かべることが多い。このため、政治思想や社会思想、そしてイデオロギーをめぐる議論は、お互いに別の「人間」や「社会」を思い浮かべつつ平行線をたどっていくことが多いのである。

④段落。そして、権力をめぐる語られ方も各々別物になっていく。人間は均質だと考える人々は、均質なレンガのような人々を合理的に積み重ねて大きな建築物を建設するといった形の権力を思い浮かべやすい。そして社会とは大きいほど偉大で優れていると考え、膨大な人員からなる組織や、巨大な国家こそが優れていると考える。これに対して、人間は多様だと考える人々は、その場その場、その瞬間その瞬間に生じる関係こそが社会であり、各々の関係を個別に調停するのが権力だと考えることが多い。…

⑤段落。人間は均質だと考える人々と多様だと考える人々の間の違いは、人々が作り出している権力関係そのものについても対照的な考えを生む。簡単に言えば、複雑で多様な関係を考えに入れて全体について見渡す場合と、単純で均一な関係に基づいて全体を構成する場合の違いである。

⑥段落…

⑦段落。そして、多くの人々が、巨大組織が必要とする均質な人間像を、「人間は平等である」という近代の思想と同一視、あるいは混同するようになってしまう。「平等」は、「均質」ということに変換され、多くの人々が均質な部品であると見なされるようになる。そして、均質な部品であるならば、どれも同じなのですぐにでも取り替え可能な部品であるという考えが強くなる。「人間は平等である」という考えは、実は人間を取り替え可能な部品であると見なす思想と表裏一体なのである。

⑧段落。…「人間は平等である」と考えることは、自ら換えはいくらでもあることを志向することなのである。そして、自ら部品を志向する人々は最も非情な取り扱いを受けることになる。換えはいくらでもある部品は単なる消耗品であって、個別に取り替えても、捨てても、大きな全体(メカニズム)にとっては大した問題ではないからである。

⑨段落。そして消耗品として捨てられた人々は、自ら求めた巨大組織の構成部品としてその役割を終える。最大の問題は、そのような目に遭う人々が実は自らそれを望んでいるように見えてしまうことである。そこで最大の役割を果たすのも、「人間は平等である」という考えで、人々はまわりの多くの人々と同じように「平等」な「人間」になろうとする。そして、誰もが同じで、誰もが同じ扱いを受ける。誰もが同じなのだから、何らかの理由で消耗したならば取り替えられて、捨てられる。

⑩段落。歴史を視野に入れながらこれまでの社会科学を考えると、たとえば「人間は平等である」のような命題が、以前の思想家が考えたのとは別の意味になり、しかも以前にはなかった問題を引き起こしている様子が観察できる。本来個性的で、あらゆる意味で「平等」ではない人間は、平等ではないからこそ、それぞれの適性を発揮することができる。それを無理やり平板化し、平均化しようとする視点は、人々を「平等」に隷属化する発想と直接結び付いてしまう。

11段落。(教育の例)。

12段落。もちろん「平等」を声高に強調してきた社会科学全体を否定する必要はないが、「社会科学が持っている両義性、二面性」(傍線部②)を理解することは必要だろう。一方で、問題の所在を指摘してその対策を暗示しながら、同時に新たな問題を自ら作り出している。しかも、状況を悪化させてすらいる。そして、そのような両義性や二面性は、歴史的に考えると立体的に見えてくる。18世紀のヨーロッパにあっては「解放」の論理であった言説が、21世紀の「グローバル化」にあっては人間の規格化、均質化、そして隷属化の論理ともなりうる。

13段落。問題はおそらく特定の視点、特定の価値観からのみ「社会」のあらゆる問題を明らかにしようとする思考にあるのだろう。社会科学は、常にほかにもありうる可能性の中から常に選び取っていく知の営みでなければならない。…

14段落。歴史社会学は過去の価値観の中で精一杯生きていた人々の社会を考えることで、現在の価値観の中で生きる人々の特性を明らかにしようとする。現代人は、自分たちが特別な存在であると考えがちであるが、歴史は過去の「現代人」もそうであったと教える。人々は自分だけが特別であると考えながら、実際には他の人々と変わらない生き方をしようと願っている。そんな矛盾した命題を掲げらながら毎日を送っている。

15段落。このように考えるならば、歴史社会学が社会学全般に対して大きな貢献を果たすことが期待できる。それは、近代社会、現代社会の似姿としての分業化、細分化、類型化、均質化した人間像ーー巨大な機械の部品としての人間ーーに対し、それが生まれる前の社会、あるいは別の形で分業化していた社会の人間像を対置することである。言い換えると、現代に至るまで巨大な組織が主人公としてふるまい、「組織を構成する人間は均質な部品としてふるまおうとしてきた」(傍線部③)。あるいはそうふるまうことを求められてきた。しかも、そんな現代社会を解釈する社会科学が、結果として巨大な部品としての人間を積極的に推奨してきた。現に、社会科学はそれを学べば学ぶほど自分自身を部品ーー「誇らしい呼称としての「個人」」(傍線部④)ーーとして適応しようとする人々を生み出す。そんな社会科学に対して、歴史を学ぶことによって修正を求めるのが、まさに歴史社会学なのである。歴史社会学は歴史学とは異なって社会科学のあり方について多く学んでいる。またこのことこそが、歴史学と社会学の中間にある歴史社会学の利点なのである。

16段落。過去の社会についての理解は、刻々と変化していく状況を通して、実は不変の人間社会を理解することでもある。歴史家が毎度強調するように、過去の人間を理解するには、現代を生きる自分自身の立場に引き寄せて理解するほかない。技術が発達し、栄養状態や衛生状態ほか、生活の水準が変化しても、人間の考え方や感じ方はそれほど変化しているわけではないからである。

 

〈設問解説〉 問一 (漢字/読みはカタカナ指定)

a.独裁 b.ザセツ c.d.ショウモウ e.レイゾク f.コワダカ g.規格 h.i.精一杯 j.栄養

 

問二「まったく別物に解される」とはどういうことか。以下の設問(1)(2)に即し、A・B二つの立場にわけて整理せよ(A・Bは順不同)。

(1)「まったくの別物」の捉え方はどのような人々の間で生じると筆者は考えているか。解答欄に合わせて、対となる適切な表現を、A・Bそれぞれ九字で本文から抜き出せ。

〈解〉A.人間の適性が均質だ(と考える人々)
   B.人間の適性が多様だ(と考える人々)

(2) 二つの異なる立場A・Bにおいて、「社会」と「権力」はどのように捉えられると筆者は考えているか。本文に即して、A・Bそれぞれ60字以内で説明せよ。

内容説明問題。④段落「これに対して」の前後、前がA、後がBの根拠となる。⑤段落の2文目も参考になる。両者を対比的に、「社会」→(その社会に処する)「権力」の順でまとめる。A「社会は大きいほど優れている/単純で均質的な関係に基づいて/大きな組織を合理的に組織する権力」、B「多様な人々が時と場合に応じて生み出す関係(の総和)が社会/各々の関係を重視し/個別に調停するのが権力」となる。

 

〈GV解答例〉
A.社会は大きいほど優れていると考え、単純で均質的な関係に基づいて、大きな社会を合理的に組織するのが権力であると捉えられる。(60)

B.多様な人々が時と場に応じて生みだす関係の総和が社会であり、各々の関係を重視し、個別に調停するのが権力であると捉えられる。(60)

 

〈参考 S台解答例〉
A.権力は、均質な人間の単純で均一な関係を合理的に組織する形で働き、より大きな組織や国家が偉大で優れた社会であると考える。(59)

B.権力は、多様な人間の複雑な関係を個別に調停するように働き、個々の現場で日々作り出されている関係が社会であると考える。(58)

 

〈参考 K塾解答例〉
A.社会は均質な人々による単純な関係に基づいた組織で、権力はそうした組織へと人々を合理的に統合するものだと捉えられる。(57)

B.社会は多様な役割を果たす人々による複雑な関係からなるもので、権力はそうした関係を個別に調停するものだと捉えられる。(57)

 

〈参考 Yゼミ解答例〉
A.社会は巨大な国家のように大きいほど偉大で優れており、権力とは膨大な数の均質な人間を合理的に支配する巨大な組織である。(58)

B.社会とは個々の現場で日々作り出されている多様で複雑な人間関係であり、その多様で複雑な関係を個別に調停するのが権力である。(60)

問三「社会科学が持っている両義性、二面性」について、以下の問に答えよ。

(1)「社会科学が持っている両義性、二面性」は、社会科学のどのような有り様を指しているか。「平等」という考え方の場合について、本文に即して120字以内で具体的に説明せよ。

内容説明問題。まず傍線部直後の「一方で、問題の所在を指摘してその対策を暗示しながら(A)/同時に新たな問題を作り出している(B)」を押さえ、このA/Bを両面性として具体化する。同じ12段落末文から「「解放」の論理(A1)/人間の規格化、均質化、そして隷属化の論理(B1)」を拾っておく。

次に、設問のキーとなっている「平等」を手がかりに視野を広げて、A/Bを具体化する要素を探す。そこから、⑦段落「多くの人々が、巨大組織が必要とする均質な人間像を、「人間は平等である」という近代の思想と同一視、あるいは混同するようになってしまう」(B2)、⑩段落「本来個性的で、あらゆる意味で「平等」ではない人間/それを無理やり平板化し、平均化しようとする」(B3)を拾う。

以上より、「社会科学の/不平等な社会の矛盾を指摘し(A)/それから解放するあり方を示しながら(A1)/一方で「平等」を「均質」と同一視・混同することで(B2)/本来個性的であるはずの人間を平板化・平均化し(B3)/それらが構成する巨大な組織に個人を隷属させようとする有り様(B1)」とまとめた。

〈GV解答例〉
社会科学の、不平等な社会の矛盾を指摘し、それからの解放のあり方を示しながら、一方で「平等」を「均質」と同一視・混同することで、本来個性的であるはずの人間を無理やり平板化・平均化し、それらが構成する均質な社会に個人を隷属させようとする有り様。(120)

〈参考 S台解答例〉
人間を階級から解放し平等を強調する論理のもと、近現代社会の問題を指摘し対策を示唆する一方、人間の平等という近代思想を均質な人間像と同一視した結果、本来多様で個性的な人間が平板化・平均化し自ら組織に隷属するという新たな問題をも生み出す有り様。(120)

〈参考 K塾解答例〉
社会科学における平等の考え方は、かつては人々を身分制から解放し、それぞれの個性を平等に尊重するものであったはずなのに、今日ではそのような人間の個性を無理やり平均化し、取り換え可能な存在と見なして隷属化するものへと変わったということ。(116)

〈参考 Yゼミ解答例〉
社会科学は近代以前の不平等な制度を問題視して「平等」という解放への道を示す効能があったが、その反面、「平等」の思想が近現代の巨大組織の中で働く人々の多様な個性を平板化し、取り替え可能な均質的部品にしてしまうという新しい問題を作り出したこと。(120)

 

(2) 筆者は、社会科学が抱える問題の要点がどこにあると考えているか。それを示す最も適切な40字の箇所を本文から見出し、その最初と最後の5文字を答えよ。

〈解〉特定の視点〜とする思考

 

問四「組織を構成する人間は均質な部品としてふるまおうとしてきた」について、筆者は、なぜ人々がそのようにふるまおうとすると考えているか。本文に即して70字以内で説明せよ。

内容説明問題。傍線部の主語「組織を構成する人間」とは近代以降の人間ともとれるが、それを「人々」として問い直していることに注意したい。時代を区切らず人間一般として、「均質な部品としてふるまおうとする」理由を探してみると、14段落「人々は自分だけが特別であると考えながら/実際には他の人々と変わらない生き方をしようと願っている」という記述が浮かび上がる。この記述は「歴史社会学」の知見として挙げられている。「社会」での対他関係の中で、他者に抜きんでようとしながら、他者に制約を受けるのが「社会的動物」(アリストテレス)としての人間の性だと言えよう。その意味で、「現在に至るまで」(傍線部直前)「人間は本質的に/社会において特別な存在であると考えながら/実際には他の人と変わらない生き方を願う」(A)、このことが「組織を構成する人間」を含む人々が「均質な部品としてふるまおうとする」理由となる。

ここで、傍線部の2文後「しかも/そんな現代社会を解釈する社会科学が/結果として巨大な機械の部品との人間を積極的に推奨してきた」(B)は解答根拠にならないだろうか。これは確かに社会科学成立以降(近代以降)の人間が「均質な部品としてふるまおうとする」傾向を助長するものであるので、Aにつなげて解答に加えてもよさそうだ。しかし、このBの文は「しかも」(添加)で始まることに留意しよう。よって、傍線部を含む文とBの文は対等の関係であり、Bは傍線部の理由(従属関係)には構造的になりえない(傍線部を一文から切り離した情報としてのみ見るならありうるが)。また、読者に対する叙述の仕方としても、傍線部の地点ではAのみが理由として想定されており、「しかも」の後で付加的理由が明かされた、と考えるのが妥当である。Bを傍線部の理由とするのは「後出しジャンケンの誤謬」である。以上より、Bは解答に加えない。

〈GV解答例〉
人間は、過去から現代に至るまで本質的に、社会において特別な存在であると考えながら、実際には他の人と変わらない生き方をしようと願う存在だから。(70)

〈参考 S台解答例〉
現代人は、過去の人々と同様に自分だけが特別だと考えながら、社会科学に影響されて実際には他の人々と変わらない生き方をしようと願っているから。(69)

〈参考 K塾解答例〉
人々は、人間を部品とする思想と一体である社会科学の平等の考え方に影響され、巨大組織の求める均質な人間像を人間の平等という思想と混同したから。(70)

〈参考 Yゼミ解答例〉
人々は巨大組織の中で「平等」であるためには誰もが同じ均質な部品として組織に貢献するべきだと考え、そこに個としての存在意義を見出したから。(68)