〈本文理解〉

出典は土門拳『死ぬことと生きること』。著名な写真家による随想からの出題である。できるだけ本文の表現を損なわず、内容をたどる。

①~③段落(第一パート)。写真としては記録性が大事だとよく言われる。 しかし、写真の記録性なんていうことは当然の話なのである。それよりも「写真の写真性ということが一番問題である」(傍線部A)。記録性といっても、大きな象を実物大に写しはしない。あくまでも人間の主観を通して認識される。また再現された人間の世界のものである。しかし決して「メカニックな物理的な作用」(傍線部B)に反するものではない。つまり人間の主体性のもとに、統率のもとに再現再生された世界だと言える。(①②段落)

写真の科学性をもって、精密に記録描写をする機能だけを利用するものが、写真だという考えは、根本的に変えなければならない。ぼくの室生寺の写真も、ぼくの主観によって室生寺という主体をはっきり認識し、それをどう表現するかということは、ぼくの意思によって決定したわけであって、その室生寺をそのまま記録したわけではない。室生寺というモチーフを使ってぼくがそれを写真にした。単なる記録ではなしに自分がとらえたものが写真である。(③段落)

④~⑦段落(第二パート)。「写真の機械性というものは、実物を抽象して決定して支配している」(傍線部C)。文学でも、主観を通して文字をいかにつづり合わすかが問題だが、写真の場合も同じことが言える。従って、写真の記録性ということだけを一生懸命使っていくか、あるいは「写真のもつ記録性を極力限定し、なるべく踏みつぶしていくかという態度」(傍線部D)が出てくるわけだが、ぼくは絶対後者でなければならないと思う。(④段落)

昔のカメラでも記録することは記録していた。ところが現在ではフィルムもレンズもカメラのボディの機構も進歩し、前には暗くて写らなかった夜も写るようになった。そういう機械性の発展というものはわれわれは認める。写真の可能性は非常に拡大され、いかなるときでも写し得るということになってきた。従ってそういう「機械性の問題はあるけれども、記録性の問題はない」(傍線部E)わけである。(⑤段落)

高感度のフィルム、明るいレンズ、早いシャッター。人間の写真的表現の可能の拡大という欲求が、メカニズムの発展をもたらして来ている。また逆に「メカニズムの発展が、人間の写真的な欲求に拍車をかけた」(傍線部F)ということもいえる。(⑥段落)

今日では顕微鏡写真もレントゲン写真も可能となり、内蔵されたものすらもはっきり見たいという欲求が出てきて、それすら可能なまでに発展している。メカニズムの発展は、その前提として人間の非常に強い欲望があり、写真の表現の可能性に対しても、メカニズムというよりも、実は非常に人間的な欲求が主体的なものであるともいえよう。(⑦段落)

⑧~⑩段落(第三パート)。機械が人間を使う以上、どういう表現をもたなければならないかという問題が出てくる。現在のメカニズムが発展しているから、メカニズムに依存していいとはかぎらない。「そこには人間の目とカメラの目のちがいがある」(傍線部G)。もしカメラの目だけを重視するならば、一九三五年のノイエ・ザハリッヒ・カイト((注)新即物主義)の立場に戻ってしまう。(具体例)。(⑧⑨段落)

絞ればシャープになるということだけでは、今日の写真はだめだと思う。その部分を拡大して、肉眼では見えないようなものを出すということも、メカニズムを手段として、肉眼での追及の目標にしたということがいえる。今日の時代においては、ものを記録するということは、メカニズムの必然の結果であって、それだけでは写真とはいえない。どうしても、人間の目で見た、人間を主体とした表現がそこに作られていなければならない。(⑩段落)

〈設問解説〉問一 「写真の写真性ということが一番問題である」(傍線部A)とあるが、「写真の写真性」とはどういうことか、簡潔に説明せよ。(三行:一行25字程度)

内容説明問題。「写真の写真性」つまり「写真の写真たる所以」。冒頭から主題を問う問題だが、「簡潔に」という要求なので、「記録性」との対比で「写真性」について触れた①~③段落(第一パート)で解答を構成する。ポイントは3つ。A「人間の主観によって認識し/人間の意思によって表現したもの」(写真性)、B「写真の科学性/精密に記録する機能だけに捕捉できない」(記録性との対比)、C「メカニックな、物理的な作用を含む」(機械性との関連)。ABCからくる「写真ならではの固有性」のことである。

<GV解答例>
写真の科学性による精密な記録描写という機能を超え出た、撮る者の主観において認識された対象を、意思に基づき機械を介して切り取った写真の固有性。(70)

<参考 S台解答例>
写真には、実物の精密な記録描写という意味での記録性を前提としたうえで、それ以上に、実物が人間の主観を通して認識され、また再現された人間の世界のものであるという、写真本来の性質があるということ。(96)

<参考 K塾解答例>
人間の主観を通して認識された対象を、どのように表現するかを主体的に決定し、カメラのメカニックな物理的な作用を使ってそれを再現すること。(67)

問二 「メカニックな、物理的な作用」(傍線部B)の事例に該当するものはどれか、すべて選び記号で答えよ。

<解答> ウ、エ、オ

問三 「写真の機械性というものは、実物を抽象化して決定し支配している」(傍線部C)とあるが、それはどういうことか、説明せよ。(四行:一行25字程度)。

内容説明問題。A「写真の機械性」、B「Aが実物を抽象化すること」、C「Aが実物を決定し支配すること」(B→C)。Aについては「写真の機械性」について述べた第二パート、特に⑤段落を参考に、Bと合わせて考える。「抽象化」が難しいが、「具体的な世界から離れる」という意味で解して、B「フィルムとレンズとカメラのボディの機構により/写真の世界は人が肉眼で捉える世界から遊離して可能性を広げる」とする。これから繋げて、C「Bを条件として(決定)/撮る者は対象を切り取るよう強いられる(支配)」とする。

<GV解答例>
フィルムとレンズとカメラのボディの機構により、写真の世界は人が肉眼で捉えることができる世界から遊離して可能性を広げ、それを条件として撮る者は、改めて主観を通して対象を切り取るよう強いられるということ。(100)

<参考 S台解答例>
写真は、フィルムとレンズとカメラのボディの機構という物質的条件である機械性に基づいて制作されるが、その際、実物をそのまま記録しているのではなく、人間の主観においてモチーフである実物を認識し、どう表現するかを人間の意思によって決定しているということ。(124)

<参考 S台解答例>
写真表現が撮影対象を精密に記録描写しただけのように見えても、そこには撮影者が対象をどのようにとらえ、どのように表現するのかを決定するという撮影者の主体性による支配が及んでいるということ。(93)

問四 「写真のもつ記録性を極力限定し、なるべく踏みつぶしていくかという態度」(傍線部D)とあるが、具体的にはどういう態度か、説明せよ。(四行:一行25字程度)

内容説明問題。まず「記録性を極力限定」とあるので、逆に言うと写真において記録性は宿命的なのである。それを踏まえて、A「写真の(宿命的)記録性」、B「Aを限定する態度」、C「Aを踏みつぶす態度」。Aについては、③段落冒頭文を踏まえ「写真の科学性(→機械の正確さ)/対象を正確に(客観的に)記録する性格を免れない」とする。Bについても、③段落に戻って「(Aだが、)撮る者の主観と意図を介在させる」とする。これから繋げてCの比喩表現は、「(Bすることで)写真の記録性を否認しようとする態度」とする。

<GV解答例>
写真は機械の正確さによって写し取られる像である以上、対象を客観的に記録する性格は免れないが、そこに撮る者の主観と意図を介在させようと努めることで、その記録としての性格を可能な限り否認しようとする態度。(100)

<参考 S台解答例>
写真の撮影者が、実物を精密に記録描写することのみを意図するのではなく、そうした記録描写の機能の利用を可能な限り抑制し、表現の可能性においてはできるだけ人間の主体的な統率のもとに実物を再現再生しようとするという態度。(107)

 <参考 K塾解答例>
フィルムとレンズとカメラのボディの機構という三つの条件にだけ依存して写真を撮るのではなく、撮影者の主観に基づいてカメラを使用し、撮影者のとらえた世界を再現していくという態度。(87)

問五 「機械性の問題はあるけれども、記録性の問題はない」(傍線部E)とあるが、そのように言う理由を説明せよ。(六行:一行25字程度)

理由説明問題。冒頭から繰り返されるように写真の「記録性」は自明であるのに対し、段落末文の傍線部Eを導く⑤段落より、「現在において/技術の進歩により(A)/写真の可能性が非常に拡大された点で(B)/機械の発展は意義深い」。だから「記録性より機械性が問題だ」というのが基本線。その上でABを具体化すると、Aは「現在の写真を規定するフィルムとレンズとカメラのボディの機構の著しい進歩により」となる。Bについては、後の⑥⑦段落の具体例も踏まえて、「かつてのカメラのように肉眼で見える像を記録するだけでなく/肉眼で見えない像をも写し出すようになった」という要素を加える。以上をまとめる。

<GV解答例>
現在の写真を規定するフィルムとレンズとカメラのボディの機構は著しくその技術を向上させており、かつてのカメラのように肉眼で見える像を再現し記録するのではなく、そうした機械性の充実が、肉眼で見えない像をも写し出し、写真の世界の可能性を大幅に拡大させている点で、単なる記録性よりも写真の機械性が焦点だから。(150)

<参考 S台解答例>
フィルムとレンズとカメラのボディの機構という写真の機械性における進歩・発展によって、従来は表現不可能であったものまで表現できるようになっているので、写真の可能性が非常に拡大していくということは認められるべきであるが、それゆえに、写真が実物を記録するという記録性に関しては、従来も可能であったことがよりいっそう当然のこととなっているから。(168)

 <参考 K塾解答例>
今まで撮影できなかったものが撮れるようになるかどうかは、フィルムとレンズとカメラのボディの機構という三つの条件がどのように進歩・発展するかにかかわる問題ではあるが、フィルムとレンズとカメラのボディの機構を用いて被写体を記録するという点ではカメラは常に変わらぬ性質を持つといえるから。(141)

問六 「メカニズムの発展が、人間の写真的な欲求に拍車をかけた」(傍線部F)とあるが、具体的にはどういうことか、説明せよ。(五行:一行25字程度)

内容説明問題。「拍車をかけた」(=力を加えて一層早める)とあるので、傍線前文の内容「表現欲求の高まり→メカニズムの発展」に言及するのは必須。それを具体化した上で、折り返し「メカニズムの発展→表現欲求のさらなる高まり」(A)を具体的に説明する。Aについては、次の⑦段落の具体例「顕微鏡写真もレントゲン写真も可能となった→内蔵されたものをはっきりみたいという欲求が出てきた」を一般化し、「写真メカニズムが肉眼で捉えられなかった視野をもたらす→新しい可能性を知った人間の表現欲求はさらに喚起される」として前半につなげる。

<GV解答例>
人間の写真における表現可能性を広げたいという欲求が近年の写真メカニズムの著しい発展を促してきたが、逆にこれまで肉眼で捉えられなかった新しい視野を写真メカニズムがもたらすことにより人間の表現欲は新たな可能性を知り、さらに喚起されるということ。(120)

<参考 S台解答例>
写真の機械性の問題においては、写真的表現に対する人間の欲望があり、それがフィルムとレンズとカメラのボディの機構のそれぞれを進歩発展させ、今までは写真として表現できなかったものが表現可能となったが、その結果として、逆に写真的表現に対する人間の欲求がさらに刺激されていったということ。(140)

 <参考 K塾解答例>
フィルムとレンズとカメラのボディの機構という三つの条件が高度になり、止められなかったものも止めて写せるようになるなど進歩し、今まで撮影できなかったものが撮れるようになったことで、今まで不可能であった写真的表現を求める欲望がいっそう強まったということ。(125)

問七 「そこには人間の目とカメラの目のちがいがある」とあるが、「そこには」の指示内容を明らかにするかたちで「人間の目とカメラの目のちがい」について説明せよ。(五行:一行25字程度)

内容説明問題。「そこ」の指す内容は、前々文より「機械を人間が使う以上、どういう表現をもたなければならないかという問題」であり、その中で「人間の目(X)」と「カメラの目(Y)」の違いを意識することが重要になる、ということである。もちろん筆者はXに価値を置いている。XとYを対比的に捉え要素を配すると、
Y「メカニズムに依存/見える世界/即物的に切り取る」
X「メカニズムを手段/見えない世界/主体的に創造する」
となる。これで解答は完成。筆者によれば、人間がカメラという機械を使う以上、「カメラの目」に満足せず「人間の目」で表現を試みる必要がある。その時に、「写真の写真性」なるものが現れるのだろう。

<GV解答例>
機械を人間が使う以上、どういう表現をもたなければならないかという問題が出てくる中で、メカニズムに依存して人間の見える世界を即物的に切り取るという「カメラの目」とメカニズムを手段とし意図して新しい世界を創造するという「人間の目」は区別される。(120)

<参考 S台解答例>
機械を人間が使う写真的表現において、どういう表現をもたなければならないかという問題では、メカニズムを手段として肉眼での追求を目標とする、人間を主体としての欲求から表現を作るのが写真であり、進歩発展したカメラのメカニズムによって記録するだけでは、メカニズムの必然の結果にすぎず、写真とはいえないということ。(152)

 <参考 K塾解答例>
カメラという機械を人間が使って対象を撮影する以上、その人間がどのような表現を目指さねばならないのかという問題が生じるため、対象をどれだけ正確に把握できたのかが問題となるカメラの目とは異なり、人間の目は対象をいかに主体的にとらえたのかが問題となる。(123)