〈本文理解〉

出典は北原靖子「プロローグ」(『ヒトらしさとは何か/ヴァーチャルリアリティ時代の心理学』より)。

①②段落。私たちは、ふだんなら自分がどんなリアリティを得ているかめったに問題にしないし、意識することもない。ヴァーチャルリアリティなどという新しい技術に接してみて、初めてリアリティとは何かについて考えたりするものである。それでは「ヒトらしさ」については、どうだろうか。ある意味では、「まったく同じ」(傍線部A)ことがいえるかもしれない。私たちは日常さまざまな人間と関わって生活しており、私たち自身も人間である。人間なのだからヒトらしいのはあたりまえで、ヒトとして生きるのが手一杯で、ヒトらしさとは何かなど考えてみないのが本来かもしれない。

③~⑤段落。しかしながら、はっきり意識してはいないけれど、私たちはヒトらしさに対して非常に敏感だし、それを問題としているのである。例えば、「医者を選ぶ」という状況。その人の腕は確かであるが、こちらがどんな痛みを感じているのか、それでも休むことができないどんな事情があるのかなど聞く耳をもたない医者ならどうだろうか。もっと人間味のある対応をしてくれる先生のところへ行きたいと思わないだろうか。ガン治療のように命に関わるほどならば、ますます、将来のことまで含めて「自分を「ヒト」らしく扱ってくれる「ヒトらしい」先生」(傍線部B)であることが重要になる。そして、これまで出向いた医者のうちどの先生がそのな人なのか、私たちはかなり「ピンとくる」のではないだろうか。互いに「ヒトらしい」関係であるかどうかは、私たちにとってたいへん重要なのである。

⑥⑦段落。私たちはヒトらしらに敏感でありながら、それがいかに成り立っているかを知らない。さまざまな事態に一喜一憂するとき、私たちは「現にこのようである」人間の「こころ」の成り立ちについて、問いかけを発せずにはいられない。ヴァーチャルリアリティのようにことさらに人工物に接しなくても、「ヒトらしさとは何か」という問いは、実はおなじみの日常の中に潜んでいる。私たちが人間であり、人間と関わり合う存在である限り、「ヒトらしさとは何か」という問題の重要性が色あせることはないのである。

⑧⑨段落。しかし、「現代はこれまで以上に、誰もがその問題をはっきりと意識する時代なのかもしれない」(傍線部C)。自然科学の解明が人間の脳にまで及ぶまでに至った現在、私たちは、「こころをもったヒト」というこの確かなリアリティさえもが、「実体のない」ことであったのを思い知らされる。そして、私たちがその事実をどう受けとめるか考えるひまもなく、医学は急速な発展を遂げ、脳は死んでいるが体は生きているといったように、以前には考えられない患者も現れるようになった。そうした患者を医学的に利用可能な臓器をもつモノとして扱ってよいのか、ヒトの条件とは何なのか。そんな議論がまっこうから取り交わされ、しかもはっきりとした回答を出すことを迫られる時代となっているのである。

⑩段落。一方で純粋にモノについての技術革新もめざましく、便利なモノに囲まれた私たちのヒトづきあいも変化している。いまや、パソコン回線上で「誰か」と対話を楽しむようになった。会えない「かわりに」モノを介するのではなく、モノを介する方が「先に立つ」使われ方が成り立ってしまうのである。現代は、人口調味料が登場したことでうま味のリアリティが微妙に変質してしまったといわれているが、「ヒトらしさについても同じような変容が待ち受けているのかもしれない」(傍線部D)。

⑪段落。そして、さらにヴァーチャルリアリティの登場である。ヴァーチャルリアリティの装置を体験すれば、私たちは実体がなくても自分がリアリティをもつことがあるのを否応なく実感する。「自分があたりまえだと思っていたリアリティとは、なんだろう」と考えさせられてしまう。ヴァーチャルリアリティ技術が具体的に形をとってきたことで、私たちはあらためて自分たちに備わった「リアリティ」や「ヒトらしさ」について意識することになったのである。その上、人工的に構成された「ヴァーチャル・誰か」があるれる時代がくるとしたら、いったいどうなるだろう。以前にもまして強力な「スーパー人口調味料」。誰もが気軽に「それ」を味わい、どこへ行っても「それ」があるような時代。そのような時代は、はたして便利ですばらしいだけの時代なのだろうか。思いもよらなかった問題に直面するような、そんな苦々しい反省を強いられる可能性はないのだろうか。

⑫段落。このように、私たちにとって、現代はさまざまな形で「ヒトらしさ」が意識され、問い直される時代であるといえる。知識と技術が増すことによって、ヒトのリアリティをめぐって「これまでになかった新たな問題があらわになると共に、以前からあったはずの問題が見えてくる」(傍線部E)、それが現代という「ヴァーチャルリアリティの時代」である。

〈設問解説〉問一 「まったく同じこと」(傍線部A)とあるが、どのような点とどのような点が「まったく同じ」なのか、説明せよ。(四行/一行25字程)

内容説明問題。傍線部の前に「ある意味では」とあり、「まったく同じこと」なのは前①段「自分がどんなリアリティを得ているか」(X)についてと、②段以降に述べられる「ヒトらしさ(とは何か)」(Y)についてとが、である。後は類比の問題として処理するのだが、設問で「どのような点とどのような点が」としていることが引っかかる。類比の答え方は、一括型「XもYもZ(z1/z2…)である」と分離型「Xは(x1/x2…)であり、Yは(y1/y2…)である」があるが、「まったく同じ」なら一括型が自然なのに、分離型で答えさせるのである。これは、XとYの両者の現れは異なるが本質的に同じだ、ということだろう。だから、「ある意味では」なのである。

それで共通点なのだが、Xから考えて①段落の記述より以下の2つが候補となる。1️⃣リアリティについて普段は意識しない。2️⃣バーチャルリアリティに接して初めて意識する。これと対応する内容がYにあるか。1️⃣については②段落より対応することは自明。つまり「ヒトらしさは何かなど考えてみないのが本来」(段落末文)なのである。その上で、Yに2️⃣と対応する内容があるかだが、②段落以降Yの話題がずっと続くので、どこまでを範囲にしていいかが判断しにくいが、⑪段半ば「ヴァーチャルリアリティ技術が…具体的に形をとってきたことで…あらためて…「リアリティ」や「自分らしさ」について意識することになった」に着目すれば、2️⃣についてもXとYが対応することが分かる。

ただここで、先述したようにXとYの類比を分離型で述べる必要がある。Xについては、ヴァーチャルリアリティを生かし「ヴァーチャルリアリティにより/あたりまえと思っていた(⑪)リアリティが相対化されて/初めて明確に意識される」とする。Yについては問三で再び考察するが、⑨⑩段落より「科学技術により/ヒトの存在基盤が露呈されて/初めて明確に意識される」とする。
以上、問一から全文を見渡す必要がある問題だったが、九大は翌2018年の第一問でも問一で同様のスケールの問題を出している。

<GV解答例>
自分がどんなリアリティを得ているかについて、ヴァーチャルリアリティにより相対化されて初めて明確に意識される点と、ヒトらしさは何かについて、科学により人間存在の基盤が露呈されて初めて明確に意識される点。(100)

<参考 S台解答例>
普段は問題にせず、意識もしないリアリティについて、ヴァーチャルリアリティという新しい技術に接することで初めて考えるようになる点と、日常は問題にせず、意識もしない「ヒトらしさ」について、さまざまな事態や人間と関わり合うなかであらためて問題にする点。(123)

<参考 K塾解答例>
現実世界で生活することで得ているリアリティに関して、それを意識していない点と、日常生活の中で人間と関わり、自分自身人間でもある本人が「ヒトらしさ」に関して、それを意識していない点。(90)

問二 「自分を「ヒトらしく」扱ってくれる「ヒトらしい」先生」(傍線部B)とあるが、具体的にどのような「先生」なのか、50字以内で説明せよ。

内容説明問題。これは一見容易で、前④段の具体例と傍線直前から要素を抽出し、「患者の体の痛みや仕事の事情、将来のことまで配慮し/人間味のある対応をしてくれる「先生」」(仮)とまとめられるが、いくらなんでもこんな簡単なわけがない。設問の要求に、わざわざ「具体的に」とあることに留意しよう。ここでは、ほとんどの人がまずは着目するであろう「人間味のある対応」という要素についても、「具体的」な説明を求めているのではないか。

ヒントは、傍線にあるように自分(患者)も先生(医者)も「ヒトらしく」あること。そして、⑤段末文の「互いに「ヒトらしい」関係であるかどうかは、私たちにとってたいへん重要」だという記述。つまり、患者と医者が互いにヒトとして通じているという共感ベースがあるからこそ、医者は患者の痛みや事情、将来に十分配慮した対応ができるのである。加えて、(仮)の前半部はケースを列挙しただけで冗長な上、網羅性にも欠けるので、「患者の身体的・社会的事情」とした。

<GV解答例>
同じ人間としての共感を基礎に、患者の身体的・社会的事情を十分に配慮した上で適切な対応を心がける医者。(50)

<参考 S台解答例>
患者を一人の人間として扱い、その痛みや事情、将来まで配慮する、人間味のある対応をしてくれる先生。(48)

<参考 K塾解答例>
患者の抱く苦痛・不安や個人的な事情に関して、親身になって相談に乗ってくれる、人間味のある先生。(47)

問三 「現代はこれまで以上に、誰もがこの問題をはっきりと意識する時代なのかもしれない」(傍線部C)とあるが、それはなぜか、理由を述べよ。(四行/一行25字程)

理由説明問題。「これまで」に配慮した上で、「現代」「誰もが」「この問題(=ヒトらしさとは何か(A))」を意識する理由を答える。まず「これまで」については、前⑦段落「さまざまな事態に一喜一憂するとき/人間と関わり合う存在である限り/「ヒトらしさとは何か」という問題の重要性は色あせることはない」という要素より、「各自が/日常の人間関係の中で/切実な事態に直面した時」、Aが意識される、と捉える。

その上で、「現代」については、傍線直後の⑨段落、そしてそれと並列の⑩(+⑪)段落に着目する。⑨段落については、自然科学(医学も含む)により人間の解明が進み、ヒトの条件が議論され、明確な解答が迫られるようになった。よって、Aが意識されるようになった。また、⑩段落については、技術革新により便利なモノがヒトを取り囲み、人と人の間にモノが割り込むようになった。これも、Aを意識させる条件である(←「ことさら人工物に接しなくても、「ヒトらしさとは何か」という問いは…日常の中に潜んでいる」(⑦)も傍証となる)。いずれにしろ、科学の進歩により、これまで問題にならなかった人間存在の依拠する基盤が、同時代を生きる者に、露呈されつつある。よって、「現代はこれまで以上に、誰もがこの問題をはっきりと意識」せざるをえないのである(G)。

<GV解答例>
ヒトらしさについての問いは、各自が人間関係の中で切実な事態に直面した時立ち上がるが、現代は科学によりヒトの解明が進み人工的な環境がヒトを取り巻く中、ヒトの依拠する基盤が誰の目にも露になりつつあるから。(100)

<参考 S台解答例>
ヒトのリアリティはこれまでも常に問われてきたが、現代では、脳についての自然科学の解明から「こころ」の実体性が否定され、医学の進歩による脳死から、「ヒト」の条件についての明確な解答が要求されるようになり、ヒトのリアリティが新たな形で問われるようになったから。(127)

<参考 K塾解答例>
現代は、自然科学の解明が人間の脳にまで及び、「こころをもったヒト」という確かなリアリティが失われる一方、情報技術の革新により、実体のない他者との関わりに「ヒトらしさ」を感じるようになった時代だから。(99)

問四 「ヒトらしさについても同じような変容が待ち受けているのかもしれない」(傍線部D)とあるが、それはどのような「変容」か、分かりやすく説明せよ。(四行/一行25字程)

内容説明問題。設問から導かれるポイントは2つ。1つは、「変容」を問うので、XからYへという形になること。もう1つは、傍線に「同じような」とあるので、直前の「人口調味料」の比喩を解して、Yについて答えなければならないこと、である。Xについては、変わり目になる⑧段落より前、特に⑥⑦段落より、「日常の人間関係の中で立ち上がり/ピンとくるもの(→自然と了解されるもの)」とする。

Yについては、傍線が話題が前段から転換した⑩段落の締めに位置するので、⑩段落を根拠にする。「技術革新の成果により/便利なモノがヒトを取り囲んだ/そうした環境が/人口調味料がうま味のリアリティを変質させたように(M)/「ヒトらしさ」についても変容させるかも」という文脈である。後は、Mについての理解である。その言い換えを探しても無駄である。そもそも比喩表現自体が、筆者が「分かりやすく」伝えるために配慮したものだからである。よって、比喩によって伝えようとしている自明な内容を自力で言語化しなければならない。

人口調味料がうま味のリアリティをつくるのは、本来おかしな話である(自明)。「うまい」は本来、身体と自然に即してあるはずだからである(自明)。その「うまい」を、人間が作ったはずの「人口調味料」が人の口に親しんだ結果、逆に再構成するのである(自明)。この理解で「ヒトらしさの変容」を説明する。すなわち、「技術革新→便利なモノに囲まれた/人工的な環境→ヒトらしさの組み換え・変容」となる。

<GV解答例>
ヒトらしさについて、自己と他者との人間関係の中で問いかけられ自然と了解されるものから、技術革新の成果により便利なモノがヒトを取り囲む中で、そうした環境に適合した人工的なものへと組み換えられ、変容する。(100)

<参考 S台解答例>
人口調味料によりうま味のリアリティが変質したように、技術革新による便利なヒトづきあいのモノを介した間接的な接触をすることで、実際の実体に関係なく、ヒトらしさのリアリティを感じるようになるという変容。(99)

<参考 K塾解答例>
「ヒトらしさ」が、直接対面して実体を見知った相手とのあいだでなんとなく感じられるものから、情報技術の発展により、モノを介して間接的に付き合う、実体が不確かな他者との関わりに感じられるものに変化したこと。(101)

問五 「これまでになかった新たな問題」「以前からあったはずの問題」(傍線部E)をそれぞれ説明せよ。(各四行/一行25字程) (※解答は「これまでになかった新たな問題とは、」「以前からあったはずの問題とは、」から始める)。

内容説明問題(主旨)。現代のヴァーチャルリアリティ的な状況が浮上させる「新たな問題(X)」と「以前からあったはずの問題(Y)」を指摘する。傍線は最終⑫段にあり、その冒頭が「このように…現代は「ヒトらしさ」が…問い直される時代」となっているわけだから、Yについては「ヒトとは何か」という問題である。さらに、「このように」が直接承ける⑪段落に着目すると、間の「その上」で論点が2つに別れている。その直前で「ヴァーチャルリアリティ技術が…具体的な形をとってきたことで、私たちはあらためて…「リアリティ」や「ヒトらしさ」について意識するようになった」とあり、本文冒頭で挙げられた「どんなリアリティを得ているか」もYの問題に含まれることが分かる。なるほど、「人間とは何か」とともにそれを取り巻く「リアリティ/世界とは何か」というのは、原初から根源的な問いとして潜伏していたはずだ。

一方Xだが、これは「その上」の後と対応するのではないか。すなわち、「そのような時代は…すばらしいだけの時代なのだろうか/思いもよらなかった問題に直面する…可能性はないだろうか」と対応するはずだ。ここからXは、「(自然科学や技術革新がもたらす)新たな環境にいかに適応し(人間の性格が曖昧になる中)人間らしい生を維持するか」という問題と導ける。

これで問題の核は決まったわけだが、解答欄の大きさから問題が発生する経緯についても述べる。根拠は双方とも⑨段落(自然科学による人間の解明)と⑩⑪段落(技術革新によるモノの介在)だが、それぞれの問題の核に着地するように内容を分ける。解答例を参考にしてほしい。

<GV解答例>
(これまでになかった新たな問題とは、)自然科学により人間存在が解明され、また技術革新の成果により人間関係が間接化し仮想現実が生活世界に浸透する中、その環境にどう適応し人間的生を維持するかというものである。(100)
(以前からあったはずの問題とは、)自然科学により人間のこころの虚構性が暴かれ、また技術革新により従来の自明なリアリティが相対化される中、ヒトとは何であり、どういうリアリティを生きているかというものである。(100)

<参考 S台解答例>
(これまでになかった新たな問題とは、)ヴァーチャルリアリティに関する技術や知識の進歩によって、ヒトのヴァーチャルリアリティが気軽で身近な存在となり、実体がなくても自己のリアリティを実感することで、これまで自明であったリアリティについて改めて問われること。(126)
(以前からあったはずの問題とは、)さまざまな事態に接するなかで、人間が人間であり、人間と関わり合う存在であるという前提のもとに、日常生活における「こころ」の成り立ちや普遍的に存在する「ヒトらしさとは何か」について問うこと。(109)

<参考 K塾解答例>
(これまでになかった新たな問題とは、)自然科学の解明が人間の脳にまで及び、「こころをもったヒト」という確かなリアリティが失われ、情報技術の進展により、実体のない他者との関わりに「ヒトらしさ」を感じるようになったことである。(109)
(以前からあったはずの問題とは、)「ヒトらしさ」が人間関係から失われると支障を来すほど重要なものでありながら、私たちが人間と関わり合う人間である限り感じられるはずが、その内容を自覚的に理解できていないことである。(104)

問六 (漢字)

①典型 ②琴線 ③潜 ④抽出 ⑤純粋

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