〈本文理解〉

【2020京大国語/第一問(随想)/解答解説】

出典は小川国夫の随想「体験と告白」。小川国夫は「内向の世代」の作家。京大は「内向の世代」からの出題が頻出で、近年でも16年の黒井千次「聖産業週間」、18年の古井由吉「影」(ともに小説) から出題されている。

関連 2016京大第二問「聖産業週間」↓↓
https://note.com/pinkmoon721/n/n06adc42785f5

関連 2018京大第二問「影」↓↓
https://note.com/pinkmoon721/n/nec15cf587277

〈本文理解〉
①段落。例えば戦争に関してだけど、体験をそれがあったままに語り得る人はまれだ。…

②段落。このことは戦争に限らず、すべての体験談にあてはまる。つまり言葉で事実を美化する。だから、言葉とは便利なものといわれるわけだ。しかし、よく考えれば逆で、言葉とは不便なもの、といわなければならない。なぜなら、言葉は体験の真実を隠してしまうからだ。なぜ言葉はこのように否定的に働くのだろう。それは、語る人が他人の納得を得ようとして、話の客観化に心を砕くからだ。つまり、彼の心を占めているのはリアリズムの感覚だ。ところで、彼がリアリズムの衣の下で本当にいわんとしていることは、自分は勇敢だったということだとすれば、多くの場合、それは真実に反する。

③段落。非真実をいかに本当らしく語るか、ということが彼の本能的な性向だ。したがって、真実を知ろうとする人は、言葉の分厚い層の奥を見きわめようとする(高度のリアリズム精神)。

④段落。(井原西鶴の作品のキー・ワードについて)私には、〈真実よりつらきことはなし〉という一句であるように思える。冒頭の例でいうなら、自分は勇敢だと証明しようとする人に、君は実は勇敢ではない、と気付かせることだ。勇敢だと思う、思わせようと努める心の奥に、臆病なのではないかと危惧を抱いている。臆病であることを隠さなければならない。「それと今一つ、それにこだわっている自分も見抜かれたくない」(傍線部(1))。

⑤段落。しかし、たとえ見抜かれてしまったとしても、彼にも反論の根拠はある。自分を見透かした人間にとっても、その人自身の〈真実〉はこの上なくつらい。その人間も自分の弱点のつらさを知っているからこそ、相手の弱点を識別できる、と反論し得る。この間の事情をユーモアをもって語ったのは、ツルゲーネフだ。彼はいう。「他人を有効に罵りたければ、自分の欠点を相手のこととして並べ立てればいい」(傍線部(2))。つまり、人間にはこうした共有の過敏な粘膜がある。

⑥段落。…ここで小説について触れると、こうした人間の弱点が、いわゆるリアリズム小説の第一の着眼点なのだ。

⑦段落。つまり〈あばく〉ということなのだが、それでは、人間はなぜ自分たちの弱点について書き、また、それを読むのだろうか。…せいぜい、小説を書いたり読んだりするのが面白いからだ、としかいえない。さまざまな性質の違いはあるにせよ、小説とは興味本位のものなのだ。

⑧段落。更に、「人間が人間に対して抱くこの種の興味が、いかに矛盾しているか」(傍線部ウ)を衝いた人がいる。それはアウグスチヌスで、彼がいうには、劇を見る人は他者をあわれむことを欲しているが、自分をあわれであることは欲しない。アウグスチヌスがいいたいのは、人間は本来あわれであるのに、その事実を自認しようとはしないで、劇を見たりして、他人の運命をあわれむことなどを望んでいるということだ。…劇が多くの人の心をとらえることはだれも知っているが、それは酔うためであって、あわれな自己を直視するのを避けるためだという。或いは、劇が存在するのは、顧客の自己認識の甘さによりかかっているというわけだ。…

⑨段落。トルストイの思想が、これにはなはだ似ていることは、知る人も多いだろう。彼はあの大部の傑作を成した後に、また新しい世界に踏み込んで行った。そして、考えて行くにつれ、自分の小説を含め、往時読まれていた大部分の小説を否定せざるを得なくなった。彼が築き上げた近代小説とは、互いに矛盾したまま並存し、現代に残ってしまったわけで、例えていうなら、小説という山脈の中心は空洞で、暗闇に寒々と風が吹き抜けている観がある。その後の小説家たちは、この事態を放置したままで、小説を書き続けているのだ。…

⑩段落。だれも子供の頃には、見聞きするものすべてが量り知れない意味を孕んでいるように思っている。その一つとして、人間の世界に好奇心をはせ、大人たちの話に耳を澄ます。その秘密をときほぐし、実態を知らせてくれるものは、彼らの体験談だと思うわけだ。しかし、体験談は真実をあきらかに示すというよりも、しばしば真実を覆ってしまうものだということを、彼は知る。その結果、体験談の語り直しが行われた。つまり、体験談から現れてこない人間の真実に気付いて、これをあらわにする方法を考えた。それがリアリズムの小説であり、「かつては、真実は小説でなければ語り得ないという信念さえあった」(傍線部(4))。

11段落。成果はあったといえよう。リアリズム小説は、人生の分厚い雑多な層を透視するレントゲン光線のような役割を果たした。しかし、その結果もたらされたのは、〈人生はひとつの崩壊の過程に過ぎない〉(※)という結論めいたことだった。トルストイが反省し、苦しんだことは、リアリズムがもたらしたこのような決定論であった。この開拓者にはリアリズムの行き着いた場所があきたらなかった。更にその先に、果て知れない地域が拡がっていたわけだ。

12段落。人の世はそれ自体が喩え話のようなもので、意味を隠し持っている。これは大勢の人間の思い込みであって、それをあきらかにしたいという意思は捨てきれない。この場合、人生の外貌を形づくっている大きな要素は、人の口から出る言葉・言葉だ。体験談もまた、永遠に雑草のようにはびこって、地球を覆っている。

13段落。リアリズムの小説は、それへの優れた考察であり、解釈であったが、この生の言葉の原野に較べれば、庭園のようなものであったことはいうまでもない。「これからも、或る種の人々は言葉・言葉にいどみ続けるであろう」(傍線部(5))が、その場合、鍵になるのは、体験談と告白という二つの観念の識別、把握のし方であるように、私には思える。

(※) フィッツジェラルドのことば。いくら努力しても人生は不幸へと向かう無意味な過程に過ぎないという見方を表す。

問一‪「それと今一つ、それにこだわっている自分も見抜かれたくない」はどういうことか、説明せよ。(三行)

内容説明問題。整理すると「それ(A)と/それ(B)にこだわっている自分も/見抜かれたくない」となり、直前の具体例からA「自分が臆病であること」、B「自分が臆病であることを隠すこと」となる。このABを一般化するために、例の前提に遡ると、ここは同④段落西鶴の言葉〈真実よりつらきことはなし〉を検討している箇所であった。さらに②段落「語る人が他人の納得を得ようとして、話の客観化に心を砕く(=リアリズムの感覚)」という議論において、西鶴の言葉が引用されたのであった。

以上を踏まえ、「他人の納得を得るために体験談を客観的に伝えようとする過程で(前提)/話と裏腹な負の真実(A)に加え/真実の隠蔽(B)に拘る自己の真実をも/隠そうとする」とパラフレーズできる。

〈GV解答例〉
他人の納得を得るために体験談を客観的に伝えようとする過程で、話と裏腹な負の真実に加え、真実の隠蔽に拘る自己の真実をも隠そうとする傾向があるということ。(75)

〈参考 S台解答例〉
自分が勇敢であったと証明しようとする人は、自分が本当は臆病であることを隠したいだけではなく、臆病さを隠すことに固執している自分をも隠したいということ。(75)

〈参考 K塾解答例〉
人は体験を語る際に、真実の姿に直面することに耐え切れず自己を美化しようとするが、そうした自己の欺瞞的なありようをもなんとか隠し通そうとするということ。(75)

〈参考 Yゼミ解答例〉
自分の勇敢さを語る人の心の奥には、実は臆病であるという真実だけでなく、勇敢か臆病かといったことがらに拘泥する自己の卑小さも隠したい心理があるということ。(76)

問二「他人を有効に罵りたければ、自分の欠点を相手のこととして並べ立てればいい」はどういうことか、説明せよ。(三行)

内容説明問題。「しかし」(話が切れる)で始まる⑤段落で、基本的に解答を構成すればよい。そこで注意すべきは、「弱点を見抜かれた側(X)の相手(Y)への反論」の想定において、傍線部のツルゲーネフの言葉(有効な反論の仕方)が引用されているということである。これを踏まえると「その人間も自分の弱点のつらさを知っているからこそ、相手の弱点を識別できる」という記述の解釈は、「相手(X)の弱点を識別できる人(Y)は、自身の中に同様な弱点がある(よって、そのつらさも知っている)」(A)となるはずだ。そうでないと、傍線の通り有効な反論になりえないからだ。

以上より、「相手(Y)が自己(X)の欠点を見抜くのは、それに相応する弱みが相手自身にあるからなので(A)/逆にその欠点を相手のものとして論えば(←並び立てる)/相手を確実に傷つけられる(←有効に罵る)」とパラフレーズできる。

〈GV解答例〉
相手が自己の欠点を見抜くのは、それに相応する弱みが相手自身にあるからなので、逆にその欠点を相手のものとして論えば、相手を確実に傷つけられるということ。(75)

〈参考 S台解答例〉
自分の弱点を自覚するつらさを知ってこそ相手の弱点も識別できるので、相手の弱点を鋭く突くには、自分の弱点を正確に知り、それを相手に列挙していけばよいということ。(79)

〈参考 K塾解答例〉
目を背けたい弱点を含め、自己の真実の姿を直視する人は、それによって得た、いかなる人にも通底する人間の苦悩を弁え、他者の弱点を痛烈に指摘できるということ。(76)

〈参考 Yゼミ解答例〉
人間は皆共通して、弱点を隠していることには触れられたくないものだから、その意識を相手のこととして指摘するだけで相手を的確に攻撃することになるということ。(76)

問三「人間が人間に対して抱くこの種の興味が、いかに矛盾しているか」はどういうことか、文中のアウグスチヌスの議論を参考に説明せよ。(四行)

内容説明問題。アウグスチヌスの議論を参考に、「矛盾」を明確に示すことがポイントである。「更に」(話が切れる)で始まる⑧段落で、基本的に解答を構成すればよい。ならば、解答の中心は「(アウグスチヌスがいいたいのは)/人間は本来あわれであるのに(A1)/その事実を自認しようとはしない(A2)/(で劇を見たりして、他人の運命をあわれむことなどを望んでいるということだ)」(A)となる。これに、矛盾の成り立つ理由を挟むのが解答としては自然だし、実際、Aの後の記述が「或いは」を挟んで、Aの二つの理由になっている。すなわち、「それは(→劇を見るのは)(他人の運命に)酔うためであって、あわれな自己を直視するのを避けるため」(R1)と「自己認識の甘さによりかかっている(ため)」(R2)である。「A1→R1→R2→A2」とつなげて解答とする。

〈GV解答例〉
人間は本来あわれな存在だが、他人の運命に酔い自己を直視するのを避けるため、または自己認識の甘さから、劇を見たりして他人をあわれむくせに、自己もまたあわれむべきだという事実を認めようとしないということ。(100)

〈参考 S台解答例〉
人間が人間の弱点に関心をもつのは、人間は本来弱点をもった存在であるにもかかわらず、その事実を自認しようとせず、他人の弱点に同情することによって、自己の弱点を直視・認識することを避けたいからであるということ。(103)

〈参考 K塾解答例〉
劇を見る人が、自分のあわれさに向き合うことなく他者の運命をあわれみ酔うのと同様に、自己の真実の姿に無自覚であるからこそ、弱点を含めた人間の真実を描いた小説を面白がって書いたり読んだりできるということ。(100)

〈参考 Yゼミ解答例〉
人間は本来あわれな存在であり、他者のあわれさを知ることは自分を認識することでもあるはずなのに、劇や小説が人間の弱点をあばきだすのを面白がるのは、自己の真実を直視しようとしないことに他ならないということ。(101)

問四「かつては、真実は小説でなければ語り得ないという信念さえあった」について、このような信念が失われたのはなぜか、説明せよ。(三行)

理由説明問題。傍線部は⑩段落の末文にあり、「リアリズム小説」の立場を表している。⑩段落からその立場を具体化した上で、信念が失われた理由として11段落の「しかし」以下、「リアリズム小説」の行き着いた〈人生はひとつの崩壊の過程に過ぎない〉(A)を解釈して示せばよい。
「リアリズム小説」については、「真実を覆ってしまう/体験談の語り直し/体験談から現れてこない人間の真実に気付いて、これをあらわにする方法」とあるので、「体験談の虚偽を暴き真実を露わにするリアリズム小説」(S)とする。Aについては、「いくら努力しても人生は不幸へと向かう無意味な過程に過ぎない」と注意書きにあるので、これを踏まえるが、まだSからAへとつなぐには何か不足する。

そこで想起しなければならないのは、本文は冒頭(体験談)から結部(リアリズム小説)に至るまで「言葉の虚偽性」というテーマで貫かれていることだ。⑩段落はまさに、体験談からリアリズム小説に話題が移るところである。これを見抜くと、「言葉で事実を美化する体験談→その虚偽を暴き真実を露わにするリアリズム小説→その小説も言葉でなされる→いくら努力しても虚偽の上塗りに終わる(A)」という解答の筋道が浮き出てくる。

〈GV解答例〉
言葉で事実を美化する体験談の虚偽を暴き、真実を露わにしようとする小説家の試みは、それも言葉でなされる以上、いくら努力しても虚偽の上塗りに帰着するから。(75)

〈参考 S台解答例〉
真実を知ろうとするリアリズムの小説は、その考察や解釈の対象であった、人々の発する膨大な言葉そのものに比べれば、卑小な試みにすぎないことが明らかになったから。(78)

〈参考 K塾解答例〉
体験の美化や隠蔽を指摘し顕わにする小説が、人の真実の姿をさらせばさらすほど、人生とは不幸なものでしかないという決定論に陥ることに、虚しさを感じたから。(75)

〈参考 Yゼミ解答例〉
近代小説は、体験談が隠す真実をあばこうとした結果、人生は不幸に向かう崩壊の過程だという見方に行き着いたが、そのような決定論では人間の真実は語れないから。(76)

問五「これからも、或る種の人々は言葉・言葉にいどみ続けるであろう」のように筆者が言うのはなぜか、説明せよ。(五行)

理由説明問題。傍線から考慮する点は二つ。「或る種の人々」とはどんな人たちか。「言葉・言葉」とはどういうことか。「言葉・言葉」については、傍線に至るまでの12・13段落が参考になる。流れをたどると、「人の世は意味を持つ→それは思い込みでも意味を明らかにしようとする意思は消えない→人生の外貌を形づくるのは「言葉・言葉」だ→体験談もしかり→リアリズム小説も言葉の原野のほんの一部→傍線部」となる。これと本文を貫く「言葉の虚偽性」というテーマを考え合わせると、「世界は言葉で記述される→それは虚偽に働く(体験談)→その虚偽を暴き真実を明らかにする(リアリズム)→それも言葉である以上、虚偽を虚偽で覆う結果になる(言葉・言葉)」(A)という挑戦の条件が見えてくるだろう。

それでは、どんな人たちが、なぜ、Aという条件にいどむのか。まず、12段落にあるように、多くの人間は、人の世を覆う意味を明らかにしたいという意思を捨てきれない(R1)。これに加えて、トルストイのような小説家が「或る種の人々」を代表することになる。トルストイについての言及は⑨段落と11段落にあるが、特に「この開拓者にはリアリズムの行き着いた場所(→A)があきたらなかった。更にその先に、果て知れない地域が拡がっていたわけだ」(11)がその姿勢を集約してくれる。しかし、その先は「言葉の虚偽性」を考えると絶望的なようだが、何か希望はあるのか。そこで、本文最終文で傍線に続く「その場合、鍵になるのは、体験談と告白という二つの観念の識別、把握のし方であるように、私には思える」が手がかりになる。ここで「体験談」と対比される「告白」とは何か。直接言及はないが、「体験談」が「言葉による虚偽」に働くならば、「告白」とは「言葉による真実の吐露」となるのではないか。トルストイのような挑戦者はAの条件を重々承知した上で、言葉により真実が開かれる稀少な機会に自らの筆をかけてきたのである。これが挑戦の本質的理由(R2)となるだろう。以上より「A→R1→R2」という流れで解答を構成する。

〈GV解答例〉
言葉は真実を隠す方へと働く以上、人間の見聞するすべてを言葉で記述し、それを幾重にも言葉で語り直すことは逆に世界の真相を遠ざけるが、人間は事物に意味を求めるものであり、特に表現者は言葉の限界を知った上でなお、言葉により世界の深奥が開くのを希求するから。(125)

〈参考 S台解答例〉
人生に内包された意味を知りたいという思いは絶えないうえ、人生の外貌を形成する、人の口から出る言葉・言葉も永遠無限に増え続け、その言葉が真実を隠してしまう場合が多い。そのため小説家は、人々の言葉に向き合い真実を知ろうとする試みを絶やすことはないと考えられるから。(130)

〈参考 K塾解答例〉
人の世がもつ豊かな意味を解き明かしたいという思いに駆られた人々にとって、人の口から語られる体験談や告白は、真実を捉えようとする小説とは別に、人生の機微から生まれた生の言葉の積み重ねであり、人の世の秘密をときほぐすひとつの手がかりとなりうるものだから。(125)

〈参考 Yゼミ解答例〉
体験談からは現れてこない人間の真実の語り直しとしてのリアリズム小説は、言葉を秩序立てて整理するが、それは人々が発する言葉のほんの一部にすぎない。それでも、より人生を生々しく語る言葉の総体から真実を見出そうとするのが小説家の使命だと考えているから。(123)

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