〈本文要約〉

出典は西郷信綱『日本古代文学史』の序章。

①段落。石器が鉄器に、馬車が自動車にかわっていくようには文学がかわっていかない事実は、誰しもよく知っている。…

②段落。何が新しく何が古いかは、文学上、かなり厄介な問題ということになる。…

③段落。ある時代の文学は、それ以前の文学のもっていたもろもろの機能や要素をすべて包みこみ綜合しながら出てくるのではなく、むしろ、あるものを失うことによってあるものが得られるという歴史的矛盾がそこにはあると見える。だから古代から近代へと失われていく何ものかがあり、同時に、失うことによって獲得される何ものかがあるというわけで、古い作品がわれわれに魅力を与えるのも、われわれの手持ちでない、だが持ちたいと欲する新しい何かが、時としてそこに潜在していると感ずるからにちがいない。

④段落。よく古典の永続性ということがいわれる。が、それのしかける陥穽におちこんではなるまい。かりにある作がずっと読まれつづけてきたにせよ、享受の中味は時代で変わってきているし、またそれはこれからさき必ず変わっていく。しかも、どう変わっていくか目測できない。…何をどのように古典として設定するか、つまりその選択と解釈は、かくして時代によって変容をうける。われわれはもう本居宣長と同じように『古事記』や『源氏物語』をよまぬだろうし、賀茂真淵や子規と同じように『万葉集』をよむこともしないだろう。研究がすすみ新事実を知ったためだけではない。それはむろんある。が、いっそう根本的には時代の文学経験や文学概念が、宣長や子規などの時代と異なる性質のものとなっているためである。

⑤段落。誰がどのように作品をよむかということを離れて作品そのものの永続性を論ずると、どうしても形而上学を作りあげる仕儀になる。…では、古典と呼ばれるものはどこにあるかといえば、それは過去と現代のあいだ、つまり過去にぞくするとともに現代にもぞくするというほかない。日附がいかに古かろうと、文学として訴えてこなければそれは古記録である。「その作られた時代とともに滅びず、現代人に対話をよびかけてくる潜勢力をもったもののみが古典である」(傍線部(ア))。そしてこの過去と現代に同時にぞくするものを、複雑に入りくんだ歴史的人間活動としてとらえようとするのが、文学史の役目ということになる。

⑥段落。(斎藤茂吉『柿本人麿』、賀茂真淵『歌意考』の例)。

⑦段落。どの時代の文学にも、他の時代の文学でおきかえのきかぬ本領のようなものがあるのだが、なかでも古代の文学は特殊性をもっているといえる。それは古代が、原始共同体の母胎から出てきた最初の社会であり、文字をもつに至った最初の文明社会であり、はじめて文学が文学になった時代であることから来る。『万葉集』が日本詩歌史の上でしめしてきた独特な位置も、それが共同体的な歌謡を基礎につくられた多少とも個性的な歌であるという事実を外しては説明できまい。しかもこれは、民族の歴史で二度と経験できぬ一回きりの段階であった。詩的生産にかんするかぎり、時のめぐみがまるでちがっていた。万葉を規範として意識し、それにもどることが自己更新であるようなつきあいかたが、こうして生まれてくる。…

⑧段落。しかしこれをいわゆる日本的現象にすぎぬと片づけるのは浅はかで、この背進のなかにひそむ否定エネルギーを見ないならば、話はかんたんになりすぎる。文芸復興をはじめ、古代発見が否定エネルギーとして働いた外国の諸例におもいおよぶのも無駄ではあるまい。問題は、なぜ近代のある時期におけるある種の文学運動が古代を想起せざるをえなかったか、あるいは古代を一つの規範としそこにもどろうとする形をとらざるをえなかったかにある。この逆説は、古代と近代の双方の特殊性にまたがる理論上の難問で、わたしはうまく答える自信がない。…

⑨段落。それにしても、この逆説がわが国ではかなり高価なものについたのは疑えない。(日本国家主義による『古事記』や『万葉集』の歪曲と悪用)。

⑩段落。考えてみるに、自国の古代の古典とわれわれほど因縁あさからぬ国民も少ないのではなかろうか。…とにかく異民族の武力的な侵入によって文化が中断されるような目にあわず、民族としての同質性をほぼ保ちながら、農耕を中心にこの列島上で近代まで独特な展開をしてきた一つの典型的な民族の歴史がそこにはある。その良し悪しではなく、歴史上の事実の問題としてそれが稀有の例にぞくしており、またそのことによって文化や心性や美意識がいかに特徴づけられているかは、もっと考えてみる必要があろう。(西洋人の古典はギリシャ・ローマで、われわれのいう古代文学の領域を欠く)。古典的古代文明を有する大国の周辺に棲む諸民族のうち、古代文学史とよべるものがまともに成りたつところはあまりないということにもなる。「その点、日本の古代文学史をどのように記述するかは、一つの実験的な意味をもつであろう」(傍線部(イ))。

11段落。だが、いくら連続性がつよいからといって、古代人の世界がたんなる心情や肉眼で見えるはずがない。…古代人とは何かという問題に、文学史もそれなりにこたえるところがなくてはなるまい。さればといって、安楽椅子の上で望遠鏡をのぞけばいいというものでもない。肝腎なのは、古代人の世界のなかに想像的に住みこんでそこに身を置き、その世界に何が属し何が属さないかを見分けることだと思う。

12段落。ここで本書の構成ともかかわる文学ジャンルのことを少し考えておく。さきには技術と文学における新しさの観念のちがいにふれたが、これは社会の発展というものが一筋縄ではいかぬものを内蔵していることを暗に示すものである。…自然を魔術的に克服しようとして生まれた神話という幻想の形式は、自然と人間のあいだの、まだ文明化しない或る特定の関係を土台としているのであり、この土台がくずれるとともにこの形式は消えて行く。ところが一方、古代人は、われわれに一等縁のふかい文学である小説というものをまだ知らなかった。小説を可能にする歴史の前提が古代人の生活には欠けていた。つまり近代人は神話を失うことによって小説を知り、古代人は小説を知らぬことにおいて神話を知っていたわけである。文学史において叙事詩とか神話とか抒情詩とか劇とか小説とかといういくつかの形態が、…あるものは早く、あるものはおそく現われ、また時期によりあるものは向上し、あるものは下降するという進みかたになるのは、社会変化の蔵するこの矛盾と包みあっている。

13段落。これはしかしまた、それぞれのジャンルが固有な機能をもっていることをも意味する。だから抒情詩をよむように小説を、あるいは小説をよむように神話をよむと、「将棋盤の上で碁をうつような仕儀」(傍線部(ウ))になりかねない。…ジャンルは、歴史の内部ではたらき、歴史とともにうごくところの文学上の形式である。固有の機能も固定してはいず、変化の幅が見こまれる。だから諸ジャンルのあいだが線でしきられているわけではなく、混淆する例も少なくなく、またある時代にどれかが主導的であるからといって他のものがみな滅んだり用済みとなるとはかぎらず、むしろその間に緊張と対抗の関係があらたに課されていくのが普通で、つまり現象は複雑で多様である。

14段落。だがそういう多様性も、諸形態がめいめい異なる機能を内在させていることを前提としてのみ意味をもつ。…本書で古代文学史を、第一章神話と叙事詩の時代、第二章抒情詩の時代、第三章物語文学の時代という風にわけたのも、この独自な軌跡をたどりたかったからである。この方が大和時代・奈良時代・平安時代という分けかたや、上代・上古・中古といった分けかたよりは、動的展開をとらえるのに役だつ点で、少しはましではないかと思う。…大事なのは、また困難なのは、諸ジャンルがそれぞれ異なる時期に発生するその過程と意味、また相互のつながりやその拮抗関係、これらを一貫的に見てとること、いいかえれば、「古代文学史を個々の作品のよせ集めとしてではなく全体として理解する」(傍線部(エ))ことにかかっている。文学史という学問が成り立つかどうか、成り立つとすればどのように成り立つか、という難問ともこれはかさなるであろう。

問一「その作られた時代とともに滅びず、現代人に対話をよびかけてくる潜勢力をもったもののみが古典である」とあるが、どういうことか。80字以内で説明しなさい。

内容説明問題。先処理として「〜のみが古典である」という頭でっかち構文を「古典とは〜作品だ」という定義文の形に変換する。その上で「その作られた時代とともに滅びず(A)/現代人に対話をよびかけてくる(B)/潜勢力をもったもの(C)」と分けて言い換えればよい。傍線部は空白行で区切られた第1パート(①〜⑤)の締めの部分にあるので、第1パート全体を視野に入れて根拠を求める。

Aについては、④段落の内容「かりにある作がずっと読まれつづけてきたにせよ、享受の中味は時代で変わってきているし、またそれはこれからさき必ず変わっていく」「何をどのように古典として設定するか、つまりその選択と解釈は、かくして時代によって変容をうける」などが参考になる。ここから、A「(古典とは)その時々の読者の選択と解釈に晒されながら長い時代を読み継がれ」とした。

Bについては「対話」の双方向性に注意しなければならない。すなわちB1「古典→現代人」の折り返し、B2「現代人→古典」についても説明する必要がある。B1については傍線部直前「文学として訴えてこなければそれは古記録である」を逆利用する。B2については、③段落「古い作品がわれわれに魅力を与えるのも、われわれの手持ちでない、だが持ちたいと欲する新しい何かが、時としてそこに潜在していると感ずるからにちがいない」を参考にする。ここの「潜在」はCの「潜勢力」とも対応する。以上より、Aに続けて「現代人にも文学として訴えかけ(B1)/時代の欲求に適う新側面を発見されるような(B2・C)/作品」とまとめる。

〈GV解答例〉
古典とは、その時々の読者の選択と解釈に晒されながら長い時代を読み継がれ、現代人にも文学として訴えかけ、時代の欲求に適う新側面を発見されるような作品だということ。(80)

〈参考 S台解答例〉
文学における古典とは、時代を越えて読まれ続け、過去とは異なる文学経験と文学概念を持つ現代人が享受したいと思う新しい機能や要素が潜在する作品だけであるということ。(80)

〈参考 K塾解答例〉
古典は過去の時代固有の本領を持つだけでなく、各時代の文学において失われたがゆえに必要とされる何かを、文学を更新するための規範性として潜在させているということ。(79)

〈参考 Yゼミ解答例〉
古い作品であればよいというわけではなく、文学経験や概念が異なる過去の作品でありながらも、現代に訴えかける魅力をたたえた作品こそが古典と言いうるものだということ。(80)

問二「その点、日本の古代文学史をどのように記述するかは、一つの実験的な意味をもつであろう」とあるが、それはなぜか。著者の考えを80字以内で説明しなさい。

理由説明問題。傍線部は⑩段落の締めにあり、「その点」で始まるから、⑩段落冒頭「考えてみるに」(前段と話が切れる)以下の内容をまとめて理由を構成するのは見えやすい。⑩段落は、自国の古代の古典と「因縁あさからぬ国民」(冒頭)としての日本民族の稀有性について述べられたパートである。要点をまとめると「日本は、古典文明を有する大国の周辺に位置しながら古代からの自国固有の連続性を保った稀有の例である」(A)となるが、これではまだ「日本の古代文学史を記述することが実験的な意味をもつこと」の理由として不十分である。

そもそも「実験」には目的があるはずだが、それは何か。伏線は⑧段落にある。ここでは文学上の古代回帰は日本に限らない一般性を備えた傾向であることが確認される。この古代回帰がなぜ近代に起こるのかを筆者は「理論上の難問」とするが、日本の文化的連続性の稀有さ(A)は、「古代と近代の双方の特殊性」を架橋する手がかりになりうるのではないか。ちなみに⑨段落は、民族性の過剰な強調が日本国家主義の欺瞞をもたらしたことについての断りである。その上で、日本の有利性を述べたのが⑩段落なのである。以上より、Aからつないで「(日本の古代文学史をどのように記述するかは)古代の文学が近代に与える影響を探る試金石になりうるから(→実験的な意味をもつ)」とまとめられる。

〈GV解答例〉 
日本は、古典文明を有する大国の周辺に位置しながら古代からの自国固有の文学的連続性を保った稀有の例であり、古代の文学が近代に与える影響を探る試金石となりうるから。(80) 

〈参考 S台解答例〉 
文化の中断もなく民族としての同質性が保たれた日本の文学は、他民族にない独特の連続性をもつので、日本の古代文学史の記述は、今までにない文学史の試みになりうるから。(80)

〈参考 K塾解答例〉

異民族の侵略もなく同質性を保ってきた日本が、自国の古代文学と強い因縁を結んでいることは、古典的古代文明を有する大国の周辺国にあっては、稀有だと考えられるから。(79) 

〈参考 Yゼミ解答例〉
日本の古代文学史を、文学史と民族史の連続性という日本独自の視点で描き、自文化への影響を考察することは、古代文明との連続性をもてない諸民族にはできないことだから。(80)

 

問三「将棋盤の上で碁をうつような仕儀」とあるが、どういうことか。80字以内で説明しなさい。

内容説明問題。「Aのような/仕儀(=思わしくない事態=B)」と見て、Aの比喩表現を一般的表現に直し、その否定的帰結(B)を示せばよい。この傍線部がある13段落は、前段から引き続き「文学ジャンル」の話題である。その文学ジャンルは、それぞれ固有な機能をもつの「だから」、抒情詩を読むように小説を、小説を読むように神話をよむと、「Aのような仕儀」になりかねない、という文脈である。これより、Aを一般的表現に直すと「ある文学ジャンルを別の文学ジャンルの方法で理解すること」となり、それは当然、不可能だ(B)、という帰結を示唆する。ただ、より確実に「文学ジャンル」の説明を加えて、それを理由にAの不可能性を述べる必要があるだろう。

まず、傍線部後より「ジャンルとは/歴史の内部ではたらき/歴史とともにうごく(→変化の幅が見こまれる)ところの文学上の形式」(C)という定義を押さえる。それは、それぞれ「固有な機能(D)」(13段冒頭)をもっており、その間には「緊張と対抗の関係(E)」(13段末)が見られる。このCDEをAの不可能性の理由としてAに上接し、以下のようにまとめる。「文学ジャンルは/変遷する歴史の上で変化の幅を孕みながらも(C)/各自が背反する(D)/固有の機能をもつ(E)/形式であるので(C)/ある形式を別形式の手法で理解することは(A)/できないということ(B)」。 

〈GV解答例〉 
文学ジャンルは、変遷する歴史の上で変化の幅を孕みながらも各自が背反する固有の機能をもつ形式であるので、ある形式を別形式の手法で理解することはできないということ。(80) 

〈参考 S台解答例〉
特定の作品をその形態を無視して読むことは、歴史の内部で働き歴史と共に動く文学の各ジャンルが、固有の機能を持つことを看過し、差異を混同する方法であるということ。(79)

〈参考 K塾解答例〉
文学のジャンルは各時代の社会変化と連動するだけでなく、それ自体が固有の機能や価値を有しているのに、そのことを等閑視し個々のジャンルを無分別に混淆してしまうこと。(80)

〈参考 Yゼミ解答例〉
時代の中で存在し、独自の機能をもつ文学ジャンルを混淆することは、将棋と碁という全く違うゲームを見た目の類似性だけで混同するのと同じく、馬鹿げたことだということ。(80)

問四「古代文学史を個々の作品のよせ集めとしてではなく全体として理解する」とあるが、どういうことか。古典と文学史に関する著者の考え方を踏まえた上で、160字以内で説明しなさい。

内容説明問題(主旨)。はじめに、設問条件である「古典と文学史に関する著者の考え方を踏まえた上で」に乗っかり、解答の手がかりとする。そこで第1パートの締めである⑤段落「古典と呼ばれるものは…過去と現代のあいだ、つまり過去にぞくするとともに現代にぞくする」「この過去と現代に同時にぞくするものを、複雑に入りくんだ歴史的人間活動としてとらえようとするのが、文学史の役目」を参照して、「過去と現代に同時に属する古典を/複雑に入りくんだ歴史的人間活動として捉えるのが文学史の役目」(A)と集約する。その上で「Aだから/(古代文学史においては)/Bではなく/Cする必要がある」と解答構文を決める。

Bについては直接的な換言要素が本文中には見当たらない(自明とされている)ので、Cとの対比を踏まえて「古代の作品を場当たり的に理解し集積する(のではなく)」としておく。それに対してCは「全体として理解する」のであるが、そこには当然、最終第3パートのキーである「文学ジャンル」の区分が介在するのである。つまり、筆者はBではなく「文学史全体を中間集合のジャンルに区分し/ジャンルの中に個々の作品を位置づけ/体系(システム)として理解する」(C+)必要があると考えているのである。

本文の言葉を拾おう。まず、傍線部は「いいかえれば」という接続表現に導かれており、その前には「(大事なのは…)諸ジャンルがそれぞれ異なる時期に発生するその過程と意味、また相互の意味やつながりや拮抗関係(C1)/これらを一貫して見てとること(C2)」(14段)とある。これが1つ目。次に、ジャンルの説明として問三でも利用した「ジャンルは、歴史の内部ではたらき、歴史とともにうごくところの文学上の形式/変化の幅が見込まれる」(C3)を踏まえる。以上より、「Aだから/(古代文学史においては)/Bではなく/歴史を俯瞰する一定の視点をもち(C2)/時代に伴う変化を見込んだ上で(C3)/作品をジャンルに分け(C+)/各々が発生する過程と意味、相互のつながりや拮抗関係を(C1)/体系として理解する(C2)/必要がある」とまとめられる。

〈GV解答例〉
過去と現代に同時に属する古典を複雑に入りくんだ歴史的人間活動として捉えるのが文学史の役目だから、古代の作品を場当たり的に理解し集積するのではなく、歴史を俯瞰する一定の視点をもち、時代に伴う変化幅を見込んだ上で作品をジャンルに分け、各々が発生する過程と意味、相互のつながりや拮抗関係を体系的に理解する必要があるということ。(160) 

〈参考 S台解答例〉
文学史は、過去と現在に同時に属する古典を、複雑に入り組んだ歴史的人間活動ととらえる役目を担う。それゆえ、古代文学史も、静的に形態分類された多様な作品群ではなく、諸ジャンルが異なる時期に発生する過程と意味、また諸ジャンル相互のつながりや拮抗関係を、歴史と不可分な動的展開の軌跡として一貫的に理解するべきだということ。(157)

〈参考 K塾解答例〉
過去に属するものとしてあるだけでなく、それが喚起する規範性によって後の時代の現実にも関わってくる古典を、歴史における不断の変遷や複雑に入り組んだ人間活動との関わりにおいてとらえようとする文学史は、古代文学の作品を、異なる機能を持つジャンル間の移り変わりやそれらの関係性に着目して、集合的に理解しようとするということ。(158)

〈参考 Yゼミ解答例〉
異なる時代でも魅力を再発見できる古典を、複雑に入り組んだ歴史的活動としてとらえるのが文学史である。したがって、古代文学史においては、作品を時系列で羅列するだけでなく、社会背景と関連する文学ジャンルでとらえ、諸ジャンルが異なる時期に発生する過程や、拮抗関係などを一貫して見てとることが、困難ではあるが重要であるということ。(160)

問五 (漢字)

(a)次第 (b)時勢 (c)憧憬 (d)便乗 (e)消息