〈本文理解〉

〈本文理解〉
出典は日高智彦「「歴史的に考える」ことの学び方・教え方」。
 
①段落。人とは、自分が直接に経験していない過去からも学ぶことができる。この能力によって、生物としての「弱さ」を補いながら、社会を発展させてきた。ここで言う「自分が直接に経験していない過去」(「経験の外側の過去」)を、「歴史」と呼ぶことにしよう。では、人は生まれてから、いつ頃に「「歴史」を認識する」(傍線一)ようになるのだろうか。
 
②段落。発育や環境など個人差はあるが、自分の中に自分の経験が過去として積み重なっていく(「経験の中の過去」)につれて、時間意識・認識も成長していく。この過程で、たとえば、おとぎ話に出会うようになり、その「物語」の展開を生活経験や想像力をもとに理解できるようになる。そしてやがて、現実に起こった「経験の外側の過去」を、「経験の中の過去」と共時的・通時的につながりある「物語」、すなわち「歴史」として認識し始めるだろう。…
 
③④段落…
 
⑤段落。「歴史」に出会うといっても、その時期がいつであれ、場がどこであれ、「経験の外側の過去」そのものに出会えるわけではない。「経験の外側の過去」についての何らかの痕跡(=史料)を通じてしか、人は「歴史」に出会うことはできないのである。より一般的には、歴史家が史料を通じて明らかにした「歴史」記述や、「歴史」記述をも参考にしながら作成された諸メディアを通じて、人は「歴史」に出会う。…
 
⑥段落。ということは、私たちが接する「歴史」は、純然たる過去そのものではなく、史料を残した者の意図や、史料を読み解いた歴史家の解釈など、何らかのバイアスがかかっているということだ。また、私たちも歴史的な存在であり、生きている時代や地域の価値観から自由ではないのだから、ものごとをありのままに見られるわけではない。ただでさえバイアスのかかっている「歴史」の中の過去に、さらに自分のバイアスをかけ、デフォルメしながら見ている、というのが実態なのだ。なればこそ、「歴史」にも、「歴史」を見る私たちの目にも、バイアスがかかっていることに自覚的に「歴史」を見ることが大事になる。…「歴史」のバイアスに自覚的になることを、「歴史」が過去そのものでないことに何らかの形で気づく状態も含めて、ここでは「歴史的に考える」と呼ぼう。
 
⑦〜⑨段落…
 
⑩段落。人が「歴史」から学ぶ上で「歴史的に考える」ことはとても大事である。多様性が尊重される社会の実現には、各人が自らの先入観や偏見を自覚し相対化する力を持つことが不可欠である。「歴史的に考える」ことはこの力にかかわっている。ならば、初等・中等教育における歴史教育でこそ、「歴史的に考える」ことは教えられてよいはずだ。しかし、当の初等・中等教育を受け、あまつさえ自らも歴史教育に携わろうとしている大学生が、「歴史的に考える」ことを大学生になって初めて知った、あるいは「大学生になって特定の授業を受けるチャンスに恵まれた者以外は、現在日本では学べない状態になっている」と回顧することを、どう考えればいいのだろうか。
 
⑪段落。学生たちの言うとおり、小・中・高校において「歴史的に考える」ことは教えられていないのだろうか。たしかに、私自身の記憶を辿っても、「歴史的に考える」ことに結びつく記憶は学校の授業ではない。…
 
⑫段落。記憶もまた「歴史」であるから、今日の私のバイアスがかかっている。しかし、残念ながらこの記憶については、日本の一般的な初等・中等歴史教育の現場にも当てはまっていると言えるだろう。日本の児童・生徒は、少子化とはいえ相変わらず受験競争にさらされている。教科書に書いてあることの中からであれば入試に出題してもよい、という受験の実態に合わせて、教科書をまんべんなく教え、学力として定着させる授業が広く行われている。学年段階が上がり大学受験に近づくほど、この傾向は強くなる。このような授業観・学力観においては、教科書をバイアスのかかった「歴史」として学ぶことは「重視されない」(傍線二)。
 
 

問一(漢字の書き取り)

A.痕跡 B.純然 C.感銘 D.傲慢 E.偏見

 

問二「「歴史」を認識する」(傍線一)とはどういうことか、簡潔に答えなさい(30字以内)。

 
内容説明問題。②段落「現実に起こった「経験の外側の過去」を(a)/「経験の中の過去」と共時的・通時的につながりある(b)/「物語」、すなわち「歴史」として認識し始める(c)」を根拠に、簡潔に説明するとよい。すなわち「直接経験しない過去を(a)/今の自分につながる(b)/物語として捉えること(c)」。a要素の換言や「物語」をキーワードとして繰り込むことについてはそれほど問題なかろうが、b要素を「今の自分(=共時性)/につながる(=通時性)」と簡潔に示すのは容易ではない。このように一橋大学では、厳しい字数制限の中で「自分の言葉で」(実際にこのくだりが設問につくことも多い)表現する力が求められるのである。
 
 
〈GV解答例〉
直接経験しない過去を今の自分につながる物語として捉えること。(30)
 
〈参考 S台解答例〉
直接経験のない過去を自身の経験とつなげ物語として捉えること。(30)
 
〈参考 K塾解答例〉
直接経験していない過去を自らの経験と関連づけて理解すること。(30)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
直接経験していない過去を自己とのつながりにおいて捉えること。(30)
 
〈参考 T進解答例〉
直接経験がない過去を自らの経験と結びつく物語として見ること。(30)
 
 

問三「重視されない」(傍線二)とあるが、なぜなのか、答えなさい(30字以内)。

 
理由説明問題。Xが「重視されない」理由は、Xと対立的なYが「重視されるから」である(ないある変換)。ここでXとは「教科書をバイアスのかかった「歴史」として学ぶこと」である。本文の趣旨に従えば、教科書の内容もバイアスのかかった「一つの歴史の説明」に過ぎないものである。こうした「歴史的に考える」ものの見方(→問四)は、日本の一般的な歴史教育の現場では「重視されない」というのである(⑫)。では何が重視されるのか。根拠となるのは「受験の実態に合わせて(a)/教科書をまんべんなく教え(b)/学力として定着させる授業が広く行われている」(⑫)。ここから、Xとの対立も意識して「教育現場では/受験に合わせた(a)/網羅的知識の習得(b)/が望まれるから」とまとめる。
 
 
〈GV解答例〉
教育現場では、受験に合わせた網羅的知識の習得が望まれるから。(30)
 
〈参考 S台解答例〉
教科書の正しさを自明視し、記述に忠実な知識習得を目指すから。(30)
 
〈参考 K塾解答例〉
教科書に忠実な授業が入試に必要な学力を養うとされているから。(30)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
受験では教科書の記述をそのまま記憶し定着する方が有利だから。(30)
 
〈参考 T進解答例〉
教科書の「歴史」記述だけが授業や学力の絶対的な基準だから。(29)
 
 

問四「歴史的に考える」とはどういうことか、文章全体をふまえて説明しなさい(50字以内)。

 
内容説明問題(主旨)。根拠となるのは、「「歴史」のバイアスに自覚的になることを、「歴史」が過去そのものでないことに何らかの形で気づく状態も含めて、ここでは「歴史的に考える」と呼ぼう(A)」(⑥)と、「多様性が尊重される社会の実現には、各人が自らの先入観や偏見を自覚し相対化する力を持つことが不可欠である。「歴史的に考える」ことはこの力にかかわっている(B)」(⑩)。さらに「「歴史」のバイアス」についての説明は⑥段落に詳しいので、それに拠る(C)。以上より、「自らの依拠する過去や社会のもたらす(C)/バイアスを自覚した上で(A)/物事を相対化し(B)/その前提から理解し直すこと(D)」とまとめられる。Dについては、「歴史的に考える」の内実として、「相対化して〜」に当たる部分を自力で付け加えた。本問の脇でしかないCの部分を分厚くして字数をかせぎ、「考える」ことの内実に触れない予備校風の思考停止型解答に習わないように。
 
 
〈GV解答例〉
自らの依拠する過去や社会のもたらすバイアスを自覚した上で、物事を相対化しその前提から理解し直すこと。(50)
 
〈参考 S台解答例〉
歴史はそれを媒介する存在や自分の視点によるバイアスがかかったものだと自覚し、相対化して思考すること。(50)
 
〈参考 K塾解答例〉
歴史に向き合う際に、史料が含む意図や歴史家の解釈、また自らの価値観を自覚し、それらを相対化すること。(50)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
直接経験していない過去の歴史を、それが紡がれた時の先入観や自己自身の偏見を自覚しつつ相対化すること。(50)
 
〈参考 T進解答例〉
史料を伝えた者や今日それを見る者のバイアスが「歴史」に含まれることを自覚し、相対化して理解すること。(50)