目次

  1. 〈本文理解〉
  2. 問一「男はもの悲しそうな目でじっと医者を見つめ、ひとこともいわずに席を立ち、出口のほうへ歩き出した」(傍線部(1))とある。なぜ、男はこのような態度をとったのか。簡潔に説明せよ。
  3. 問二「英語で語り継がれてきたこの話は、プロットの必要もあってピエロが主人公となっている」(傍線部(2))とある。ここでの「プロットの必要」とはどのようなことか。説明せよ。
  4. 問三「上質な笑い」(傍線部(3))とある。本文中から「上質な笑い」とそうでない笑いの例を挙げて、それぞれの違いがわかるように説明せよ。
  5. 問四「「くじ」が外れても、噺の落ちは当たる」(傍線部(4))とある。ここで見られる表現の工夫について、説明せよ。
  6. 問五「鈴本演芸場が二百周年を迎えるころには、ぼくが九十歳になり、できることなら、お邪魔に上がりたいと思う」(傍線部(5))とある。「お邪魔に上がりたい」という表現には、筆者のどのような態度がうかがえるか。簡潔に説明せよ。
  7. 問六「あんなに隆盛したハリウッドがなぜ廃れて全滅したのかについて、そのとき考えたりしていなければ、いいんだが……」(傍線部(6))とある。ここには筆者の「ハリウッド」に対するどのような見方が存在するのか。説明せよ。

〈本文理解〉

出典はアーサー・ビナードの随想「笑いの効能」。
 
1️⃣ その男は、ひどく落ち込んで、進むべき道を見失い、なにをやっても気が晴れず、やがて自殺を考えるようになった。ある日、自分自身から逃れがたい一心で、精神科医の診療所に駆け込んだ。男の話に医者は耳をかたむけ、そしてこうアドバイスした。「精神安定剤を処方してもかまわないが、あなたの場合は、笑いが必要だ。腹の底からの大笑いが、いちばんの薬になる。運のいいことに、いまサーカスが街にきていて、グロックという世界一おもしろいピエロがショーをやっているんだ。今晩、サーカスに行ってみなさい…」。男は物悲しそうな目でじっと医者を見つめ、ひとこともいわずに席を立ち、出口のほうへ歩き出した(傍線部(1))。医者が「そういえば、まだ名前も住所もなにも聞いていなかったな。お名前は?」とたずねると、男は振り返って「ピエロのグロックです」。
 
2️⃣「英語で語り継がれてきたこの話は、プロットの必要もあってピエロが主人公になっている」(傍線部(2))。だぶだぶの衣装を身にまとい、たっぷりとメークをして、黙って演技をするので、ピエロは面が割れることはまずない。…でも、笑いの効能と笑わせる側の苦心だけを考えれば、医者が「今晩、ボードビル・シアターに行ってみなさい」とアドバイスしてもおかしくない。19世紀後半から20世紀の初めにかけて、アメリカ市民に笑いをもっとも多く提供したのは、ボードビルのコメディアンたちだったからだ。和英辞典で「寄席」を引くと、トップに vaudville theater が出る。多様な笑いと曲芸、歌や踊りもあり、入場料がリーズナブルで、途中から入ってもOKーー基本的なところは日本の寄席と共通している。ただ、ひとつ決定的な違いは、日本の「寄席」がいま現在、生きているのに対して、ボードビルは完璧に過去のもの。…
 
3️⃣ ぼくは先だって、東京は上野の鈴本演芸場の寄席に腰を据え「上質な笑い」(傍線部(3))のセラピーを受けながら、母国のボードビルの全滅について考えを巡らせていた。ふと「チェリー・シスターズ」のことが浮かぶ。アイオワ州の農家に育った三人姉妹が、なにを血迷ったかボードビルのスターになれると思い、陳腐な寸劇と、どこかで聞いたようなパクリのバラードを用意して、1893年にデビューした。その Cherry Sisters のショーがひどくぎこちなくて、ベタで耳障りで、そのあまりの下手さゆえにバカ受けしたのだった。本人たちは無自覚のまま、恥ずかしげもなくやらかすので、観客のほうも遠慮なくブーイングできる。…新聞は競ってチェリー・シスターズを酷評し、それがまた反響を呼び、彼女たちがやってくると満員御礼!そんな方程式ができあがると、興行師はたかるようにブッキングしたそうな。かなり下種ではあるけど、思いっきりブーイングすることも、セラピーの部類といえよう。…しかしそのショーは、芸術の域ではもちもんなく、培われて成長していくエンターテイメントとは一線を画している。アメリカのボードビルがそのなものに飛びついて利用し、なりふり構わず儲けようとしたから、短命で終わってしまったのではないか。質管理を怠る芸は久しからず…。
 
4️⃣ それに引き替え、150年続いている鈴本演芸場の、ある平日の夜の部の豊かさだ。柳家三三さんの「三方一両損」は、宵越しの銭を持とうとしない江戸っ子を通して、ぼくら現代人の金銭感覚をスクランブル化してくれる。林家正楽さんの紙切りはまるで神業で、鏡味仙三郎さんも数世紀分の曲芸師の技術を体内に宿している。…そしてその夜の最後、古今亭志ん輔さんは「宿屋の富」で取りをとった。なるほどジャンボ宝くじを買う平成の民草と、富札を買っていた安政の町民とは、そっくり同じ心理だ。そして「「しぐ」が外れても、噺の落ちは当たる」(傍線部(4))。「鈴本演芸場が二百周年を迎える頃には、僕が九十歳になり、できることなら、お邪魔に上がりたいと思う」(傍線部(5))。研ぎ澄まされた芸の歴史も堪能しながら、「あんなに興隆したハリウッドがなぜ廃れて全滅したかについて、そのとき考えたりしていなければ、いいんだが…」(傍線部(6))。
 

問一「男はもの悲しそうな目でじっと医者を見つめ、ひとこともいわずに席を立ち、出口のほうへ歩き出した」(傍線部(1))とある。なぜ、男はこのような態度をとったのか。簡潔に説明せよ。

 

理由説明問題。自殺をも考え精神科医の診療所に駆け込んだ男。それに対する医師のアドバイスは、男には笑いが必要で、ちょうど街に来ているグロックというピエロのショーを見ることだった。男は物悲しそうな目で医師を見て席を立つ(傍線部)。医師が名前を問うと男は「ピエロのグロックです」と答えた。男がもの悲しそうな態度をとった理由を簡潔に説明すると「精神の病に医者が処方とした笑い/その提供者が男自身であったから」となる。この話のアイロニーが伝わるように表現することがポイントである。
 
〈GV解答例〉
精神の病に医者が処方とした笑いの提供者が男自身であったから。(30)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
自分の悩みを、自分を笑うことで解消するように助言されたから。(30)

問二「英語で語り継がれてきたこの話は、プロットの必要もあってピエロが主人公となっている」(傍線部(2))とある。ここでの「プロットの必要」とはどのようなことか。説明せよ。

 

内容説明問題。実質は「主人公がピエロでなければならない理由」を問うている。1️⃣のネタの面白みは問一で答えたように「医者が処方とした笑いの提供者が男(グレッグ)自身であること」であった。このネタが成り立つ条件は、医者がグレッグを知りながら、その対面している患者がグレッグだと気づかないことである。その点で「面が割れることはまずない」ピエロは格好なのである。以上よりプロット(筋立て)の必要(とすること)をまとめると「精神を病んで診療所に駆け込む笑いの提供者が(a)/医者や周りの人から(b)/正体を気づかれず悩みを打ち明け(c)/笑いの効能を説かれること(d)」。医師以外の立ち会い人の存在も配慮した上で、解答の中心は「b→c」だが、主人公がピエロであることを踏まえると「笑いの提供者が/笑いの効能を説かれる」(a→d)という筋も加えておく必要があるだろう。
 
 
〈GV解答例〉
精神を病んで診療所に駆け込む笑いの提供者が、医者や周りの人から正体に気づかれず悩みを打ち明け、笑いの効能を説かれること。(60)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
医者に助言を求めにやってきた男の素性を話の聞き手に気づかれないようにすること。(39)

問三「上質な笑い」(傍線部(3))とある。本文中から「上質な笑い」とそうでない笑いの例を挙げて、それぞれの違いがわかるように説明せよ。

 

内容説明問題(対比)。対比はできるだけ要素をそろえて答えるのが望ましい。まずは「上質な笑い」を提供するのは鈴本演芸場の寄席である。それと対比されているのは「チェリー・シスターズ」。例の挙げ方としては「鈴本演芸場の寄席」に対して「ボードビルのショー」、あるいは「チェリー・シスターズ」に対して「古今亭志ん輔」が釣り合うが、本文の記述量を考慮して、「鈴本演芸場の演者(上質な笑い)」と「チェリー・シスターズ(そうでない笑い)」と対を定める。前者は4️⃣、後者は3️⃣を参照し、両睨みしながらまとめると「鈴本演芸場の演者の/技術に裏打ちされた/芸術的な笑い」「チェリーシスターズの/技術の伴わない/単発的な笑い」となる。「芸術的/単発的」という対比は、「(チェリー・シスターズのショーは)芸術の域ではもちろんなく/培われて成長していくエンターテイメントとは一線を画している」(3️⃣)などから導いた。
 
 
〈GV解答例〉
(上質な笑い) 鈴本演芸場の演者の技術に裏打ちされた芸術的な笑い。(25)
(そうでない笑い) チェリー・シスターズの技術の伴わない単発的な笑い。(25)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
(上質な笑い) 芸術の域に達した鈴本演芸場の寄席の笑い。(20)
(そうでない笑い) 観客の鬱憤を晴らすだけのボードビルでのショーの笑い。(26)

問四「「くじ」が外れても、噺の落ちは当たる」(傍線部(4))とある。ここで見られる表現の工夫について、説明せよ。

 

表現意図説明問題。「「くじ」が外れる」は慣用的に正しいが「噺の落ちが当たる」とは引っ掛かりのある表現である。では、なぜそうした表現を「あえて」しているのか。もちろん「「くじ」が外れる」という慣用表現と「あえて」並べるためだが、ではなぜ両者が並ぶのか。実はこの並びにも引っ掛かりがあるのだ。つまり「「くじ」が外れる」のは演目「宿屋の富」の内容、一方「噺の落ちが当たる」のは「宿屋の富」の効果(メタ内容)である。表現の意図(工夫)が問われたら、筆者の「あえて」に気づくことである。ここはこういう意図があるんですよ、などとメタ視点で本文に説明されることは普通ない。「あえて」に違和感を持ち、それを言語化することに尽きる。気づかなければどうするか?終いである。
 
 
〈GV解答例〉
噺の内容自体と内容に伴う効果を、くじが「外れ」るという慣用的表現に合わせて「当たる」という表現を用い、対比的に配している。(60)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
「外れ」「当たる」という「くじ」に掛けた対句的な語を交え印象深く表現している。(39)

問五「鈴本演芸場が二百周年を迎えるころには、ぼくが九十歳になり、できることなら、お邪魔に上がりたいと思う」(傍線部(5))とある。「お邪魔に上がりたい」という表現には、筆者のどのような態度がうかがえるか。簡潔に説明せよ。

 

心情説明問題(表現意図)。ここで「二百周年」と「九十歳」という歳が比較されていることに着目しよう。人間で九十歳にもなれば立派に生きたと周りに敬われもしようが、それも二百周年(歳)の相手を前にするとただの若輩にすぎない。ならば「お邪魔に上がりたい」という表現は直接的には「謙遜」を表す以外にない。それを飛ばして「敬意」とかするのは、傍線部の特徴的な(あえての)表現から離れて文脈で誤魔化している態度と言うほかない。なんと表現への敬意を欠いた態度なことか!
 
 
〈GV解答例〉
演芸場の二百年に比べて自分の九十という歳は若輩だとする謙遜。(30)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
洗練された芸が受け継がれていく鈴本演芸場に対して敬意を払う態度。(32)

問六「あんなに隆盛したハリウッドがなぜ廃れて全滅したのかについて、そのとき考えたりしていなければ、いいんだが……」(傍線部(6))とある。ここには筆者の「ハリウッド」に対するどのような見方が存在するのか。説明せよ。

 

心情説明問題。鈴本演芸場への敬意を示した上で、最後に唐突にハリウッドの全滅が危惧される。ここに含まれる見方とは。全文を振り返った場合、これは当然かつて興隆を誇ったボードビルの全滅と重ねられているのである。ボードビルはなぜ全滅したのか。3️⃣でチェリー・シスターズの例を挙げ、その締めで「ボードビルがそんなものに飛びついて利用し、なりふり構わず儲けようとしたから、短命に終わってしまったのではないか。質管理を怠る芸は久しからず…」とする。つまりハリウッドもなりふり構わず儲けようとし芸の質管理を怠るとボードビルと同じ末路をたどる、いや筆者がこの一文をあえて末文に配しているのは、ハリウッドはすでに商業主義に毒されており、技芸の質管理が不十分だという認識があるからではないか。その認識がない中で全滅を危惧するのは、むしろ整合性を欠くといえよう。以上より「ハリウッドの現状は商業主義に毒され/その技芸の質管理も不十分なので/五十年後には全滅していることもありうると危惧する見方」とする。なお、ハリウッドの「商業主義」は社会通念としても妥当であるし、筆者がそれに則っている場合はとりたてて記述されないものである。
 
 
〈GV解答例〉
ハリウッドの現状は商業主義に毒されその技芸の質管理が不十分なので、五十年後には全滅していることもありうると危惧する見方。(60)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
ハリウッドが、歴史に培われた芸本来のあり方を欠き単なるショービジネスと化して消えていったボードビルと同じ末路を辿るのではないかという見方。(69)