〈本文理解〉

出典は藤野可織「明暗を支配すること」。随想からの出題である。随想では、潜在する構成とテーマを見抜くことが重要である。また、比喩的表現や象徴的表現が多用されるため、評論以上に表現力が問われる傾向にある。

①段落。芸術写真と聞くと懐かしさを感じるのは、それがさかんだった時代を懐かしんでいるのではなくて、「芸術写真として位置づけられている写真群の特徴」(傍線部(1))が、人に懐かしさを感じさせるものだからだ。写真はおおむね、全体的にソフトフォーカスがかかっている。モノクロで、グレーのトーンのものもあれば茶色っぽい階調のものもある。像は印画紙のざらざらした肌理に支えられているようにも見え、近づいてみると和紙の表面を撫でたときみたいにざっと心が波立つ。写真というのは撮ってしまった瞬間にすべて過去のものだから本質的に懐かしさをはらんでいるとはいえ、「芸術写真のそれは過剰だ」(傍線部(2))。芸術写真家たちも自分の焼き上げた作品を前にして懐かしさに胸を痛めたのだろうか。この懐かしい感じがすなわち美しさなのだろうか。そんなことを長距離バスで考えているうちに鳥取駅に着いた。バスを降りると横殴りの霰に打たれた。痛かった。バスを降りる寸前まではただの曇り空だったのに。

②③段落。山陰地方の天気がそんなにも変わりやすいものだとは、私は知らなかった。一時間もすると、私はタクシーに乗っていて、空は分厚い雲越しにまぶしく輝いていた。地面も土手もまぶしかった。雪は溶け水となり、そこらじゅう光を乱反射させていた。赤崎の塩谷定好写真記念館に着いたときは、おだやかに曇っていた。中に入ってすぐの土間は薄暗く、靴を脱いで上がる左右の部屋にあたたかな明かりが灯っている。光量の一定であることに、私は思いがけずほっとした。「ここでは人間が明暗を支配しているし、人間には明暗を支配することが必要なのだと強く感じた」(傍線部(3))。

④~⑦段落。孫の晋さんの案内で写真の展示を見る。写真の中の白がとろとろとして美しい。白は被写体の、明るい部分だ。涙のにじんだ目で世界を見ているようで、やさしげな光に満ちている。それらの作品の構図がいかに考え抜かれたものであるか、焼き付けの技術がいかに精緻であるか、晋さんの説明が聞こえてくる。それで、なにか人のつくったものを美しいと感じたとき、そこには必ずそう感じさせるための巧妙ですぐれた仕掛けがある、ということを思い出す。私はときどき、それをうっかり忘れてしまう。「このときもまさに私は忘れていて、はっと我に返った」(傍線部(4))。定好の写真は、泣いたあとまだ涙が残っているうちに見たような、あるいはひとり大切な記憶を取り出して噛み締めているような光景を写し出しているが、それは私のものではないのだ。そもそも見覚えのない光景なのだから私のものであるはずがないのに、私のものでないのをふわふわと不思議に思いながら、晋さんのあとをついていく。(中略)

⑧段落。翌日は、米子から島根の多古という土地まで車で移動し、定好の代表作《村の鳥瞰》の撮影ポイントを探した。やっとここという場所で車外に出ると、体感したことがないほどの強風に歩くのも怖いくらいだった。雑草の土手に上がり、ますます強く風を受けて必死で踏ん張る。編集者さんと山の形や島の位置を指さす。《村の鳥瞰》では藁葺きだった屋根も、現在では朱色の瓦屋根だ。定好もこの風を受けただろうか。「写真からは風の強さは読み取れないが、上着のばたばたとはためく音を聞きながら撮影したのだろうという気がする」(傍線部(5))。

⑨⑩段落。その日、前日に引き続き私は一日中、くるくると天気が変わるのを見ていた。車は日本海沿いのカーブの多い道路を走りはじめた。紙吹雪みたいな雪が降り、分厚い雲が開けて青空が見えていた。海が硬いガラスを重ねたみたいな光り方をしていて、水平線が金糸で縫ったようにぎらついていて、そのうえに船がシルエットになってちょんと載っているのを、「私は壮大な冗談を見ている気分で長いこと眺めた」(傍線部(6))。京都の狭い盆地の中の狭いマンションで暮らす私にとっては、空と海の広さを目にすることがなかったし、あまりにも広い空間に充ち満ちる現実の輝きと陰りは強烈すぎておそろしかった。

⑪段落。目の前でおこっている光の運動をiPhoneで撮って小さく小さくしながら、自分の手で注意深く明暗を支配し制御する芸術写真家のことを思った。現実のおそろしさをなだめる技術とそのたしかな成果のことも。

〈設問解説〉問一「芸術写真として位置づけられている写真群の特徴」(傍線部(1))とある。その「特徴」を30字以内で書け。

内容説明問題。傍線部に続く部分を手際よくまとめる。まず、それは「懐かしさを感じさせる(A)」ものである。その要因として「ソフトフォーカス(B)」と「印画紙のざらざらした肌理(C)」が挙げられる。そして、そうした懐かしさは芸術写真ならではの「美しさ(D)」にもつながる。Bについては、その直後の具体的な説明「モノクロで、グレーのトーンのものもあれば茶色っぽい色調のものもある」を踏まえ「淡い色調」という言葉を選んだ。(B+C)→A→Dという構成にする。

<GV解答例>
印画紙の肌理と淡い色調に支えられた懐かしさをもよおす美しさ。(30)

<参考 S台解答例>
映像全体のやわらかな調子や肌理の粗い像が人の心を動かすこと。(30)

<参考 K塾解答例>
ぼんやりした像や優しげな色調によって心を揺さぶるという特徴。(30)

問二「芸術写真のそれは過剰だ」(傍線部(2))とある。筆者が「それ」を「過剰」だと感じていることがわかる表現を、本文中から10字で抜き出せ(句読点を含まない)。

<解答>
懐かしさに胸を痛めた (10) 

問三「ここでは人間が明暗を支配しているし、人間には明暗を支配することが必要なのだと強く感じた」(傍線部(3))とある。このとき筆者が「強く感じた」のはなぜか。説明せよ。

理由説明問題。「このとき」筆者が「人間には明暗を支配することが必要なのだと強く感じた(A)」のはなぜか。まず「このとき」を把握する。その上でAという判断を下す心情に迫る。小説や随想において、状況を明確にした上で、その帰結としての心情を浮かび上がらせるのは定石といえる。
ここで筆者は鳥取駅から赤崎の記念館へ向かう過程(B)にあった。「山陰地方の天気がそんなにも変わりやすいものだとは、私は知らなかった」。具体的には、バスから降りると横殴りの霰が身をたたき、やがて分厚い雲越しに空がまぶしく輝き、雪の溶けた水に光が乱反射する。そして到着の時にはおだやかに曇っていた。記念館の中は一転、光が調整され一定である。そこでほっとした私はAと続くのだが、ここで「光を支配する必要がある」というのは少し唐突な感がある。
この時、本文のクライマックスから最終段落の感慨に至る場面との対応に気づかないだろうか。ここでも「くるくると天気が変わるのを見ていた」筆者は、「広い空間に充ち満ちる現実の輝きと陰り」におそろしさを感じた。そしてiPhoneで撮った写真を小さくしながら、明暗を支配した写真家の作業のことを思うのだ。ここからBの場面でも、明確に意識されなくとも、大自然の織りなす輝きと陰りの変転に、なにか身震いするものを筆者は感じていたはずである。だから記念館の中に入ったとき、「ほっと」するものを感じたのだろう。
もちろん、随想であろうと、筆者は意図してこうした配置を選んでいる。本問では潜伏するテーマ(人間による光の支配)を先取りして問うている。以下の設問に適切に答える上でも、このような理解は欠かすことができない。

<GV解答例>
鳥取駅から赤崎の目的地へ向かう道中、山陰地方の変わりやすい天気を体感し、広大な自然の織りなす輝きと陰りの変転の内に、人の無力さからくる恐ろしさを感じていたから。(80)

<参考 S台解答例>
今まで知らなかった山陰地方の変わりやすい自然の光に触れて圧倒され、それとは対照的に写真記念館の光量が一定であることに思いがけず安心して、人間が自らの技術によって光を制御しているのだと実感したから。(98)

<参考 K塾解答例>
先刻まで自然の過剰な光を目の当たりにしていた筆者が、光量が一定に保たれた記念館に身を置きほっとして、人間は光を制御して生きるものだと改めて実感したから。(76)

問四「このときもまさに私は忘れていて、はっと我に返った」(傍線部(4))とある。「我に返った」私は、どのようなことを自覚しているのか。説明せよ。

内容説明問題。このとき私が自覚したことは二つ。一つは、私がよく忘れる一般的な命題で「人のつくったものを美しいと感じたとき、そこには必ずそう感じさせるための巧妙ですぐれた仕掛けがある」ということ。そしてもう一つは、その命題がまさに今、個別に現象していること。つまり、定好の写真に引き込まれていた私は、そこに定好の仕掛けがあることに気づいた。定好の「涙がまだ残っているうちに見たような/ひとり大切な記憶を取り出して噛み締めているような」ノスタルジックな写真世界を、「わたしのものでないのを不思議に思」うほど自分の記憶に重ねて見ていたことを自覚したのである。

<GV解答例>
創作の美は作者の巧妙ですぐれた仕掛けに支えられてあり、今も定好の生み出した淡い記憶の世界を自らのものと錯覚していたこと。(60)

<参考 S台解答例>
塩谷の写真は筆者が見たままの光景ではなく、人に美を感じさせる人工的なものには必ず巧妙ですぐれた仕掛けがあることを忘れていたということ。(67)

 <参考 K塾解答例>
自分が見た光景であるかのように陶然として写真を眺めていた時の感覚は、塩谷の精緻な技術による仕掛けによってもたらされた感覚だったということ。(69)

問五「写真からは風の強さは読み取れないが、上着のばたばたとはためく音を聞きながら撮影したのだろうという気がする」(傍線部(5))とある。この一文から読み取れる塩谷定好の写真技術に対する筆者の気持ちを書け。

内容説明問題。「この一文から読み取れる」とあるが、その前提としてこのとき筆者は、定好の代表作の撮影ポイントに立ち「体感したことのないほどの/風を受けて/必死で踏ん張」っている。「定好もこの風を受けただろうか」ときて傍線部だから、基本的には表現者塩谷定好に対する共感がベースにある。ただ、この場面では設問要求にある「写真技術」には触れられていないので、視野を広げる必要が出てくる。
そこで、ここでも問三ですでに参考にした本文最終部に着目できる。「自分の手で注意深く明暗を支配し、制御する芸術写真家の作業のことを思った。現実のおそろしさをなだめる技術とそのたしかな成果を」。この芸術写真家とは当然、塩谷定好を指す。筆者によれば、定好は「おそろしい」ほどの自然に対峙し「やさしげな光」(④段落)とともにそれを切り取り制御することにおいて、たしかな成果をあげている。実際に定好の向かった荒々しくも美しい自然に対峙し、追体験することで、筆者は定好の写真技術に強い共鳴を感じているのだ。

<GV解答例>
荒々しく広大な自然に一人対峙し、そこに現出する美しさを光と共に強い意志で切り取り制御する定好の写真技術に共鳴する気持ち。(60)

<参考 S台解答例>
構図を考え抜き、精緻な技術を駆使して、おそろしい現実の自然をなだめ、自らの能力で注意深く自然を制御して作品へと仕上げた技術に対する畏敬の念。(70)

 <参考 K塾解答例>
風の強さを感じつつも、眼前の風景を一枚の作品として結晶させるため、自然という現実の恐ろしさを制御しえた確かな技術に感銘している。(64)

問六「私は壮大な冗談を見ている気分で長いこと眺めた」(傍線部(6))とある。筆者が「壮大な冗談を見ている気分」になったのはなぜか。本文中の言葉を使って説明せよ。

理由説明問題。「本文中の言葉を使って」とあるので、遠慮なく使わせてもらおう。まず着地点である「冗談を見ている気分」という表現から考えると、本文のクライマックスの場面で筆者が対面している光景が、「現実のものと思えない」ということだろう。では、どんな光景が?本文中の言葉より「あまりにも広い空間に充ち満ちる現実の輝きと陰り」の光景である。ここでの「空間」とは「空と海」のことなので入れ換える。そうした光景がなぜ現実感を伴わないのかというと、これも本文中の言葉を使って「京都の狭い盆地の中の狭いマンションで暮らす筆者」にとっては目にすることがなく、おそろしいほど強烈すぎたからである。
これに加えて、この場面のリード「その日、前日に引き続き私は一日中、くるくると天気が変わるのを見ていた」という記述を前提として加える。構文は「~天気の中/~光景は/~筆者にとって/~強烈すぎて現実のものと信じられなかったから」となる。

<GV解答例>
山陰地方の変転して止まない天候の中、あまりに広い空と海に充ち満ちる現実の輝きと陰りの光景は、京都の狭い盆地の狭いマンションで暮らす筆者にとって、畏れを伴うほど強烈すぎて現実のものと信じがたかったから。(100)

<参考 S台解答例>
京都の狭い盆地の中の狭いマンションで暮らす筆者にとっては、常識としてはじゅうぶん承知していても、まず目にすることがない広い空間に充ち満ちる現実の輝きと陰りは強烈すぎておそろしく、その光景を現実のものとして受け止めることができなかったから。(119)

 <参考 K塾解答例>
京都の狭い盆地の中の狭いマンションで暮らす筆者は、広い空と海を見たことはなく、その空と海が作り出す輝きと陰りの強烈な光景に圧倒され、その光景を現実感あるものとは思えなかったから。(89)

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