〈本文理解〉

出典は伊藤整「生物祭」(1932)。

①段落。父はときどき水をもとめるほか殆んど何も食おうとしなかった。もう何日も持たないだろうと母が私に言った。そう言う時の母の表情が少しも乱れていないのを私は見た。父の病気が絶望的だと解ってからの二年は母の顔から表情らしいものを取りさってしまった。父の世話をしている母の顔を見ると、病状の変化ということは父の生きていることと何の関係もない自然現象で、父は何時までも生きている信じているようにも見えるほど動揺の跡がなかった。近所の人がなにか楽しい話を母のために持って来る。「そんな時、母は笑うのだが、それは母の二重の外側にある顔で笑がおさまると次の瞬間からすぐまた母は茫然とした無表情の状態に陥っているのだ」(傍線部(1))。危篤という電報で私が帰って来てから、父は持ち直して前と同じような状態が続いていた。父は何も特別考えているようには見えなかった。病床の二年が思考力を摺りへらしてしまったのか、と私は思った。家のことについて心配らしい言葉は全然父の唇を漏れることがなかった。「そこにはしかし何の抑制も無いようであった」(傍線部(2))。発作の激しい時には無理を言って怒ることはあっても、その他は絶対的に母に信頼して、薬や手当についても意見を述べることはなかった。

 

②段落。私が家に着いた日、「母は父の気持ちを推測して」(傍線部(3))、学校の移転で今年は夏休みが早くなったのだと言えと言ったが、父は私を見て、驚きのようなものも、喜びのようなものも示さなかった。私は見え透いた言訳はしない方が宜かったと思いながら、自分の部屋へ引込んだ。

 

③段落。夜中に発作の起きた様子があって眼を覚ますともう母は起きていて色々と手当をしているようだった。(中略)。父の死そのものを考えることは私を少しも動かさなかった。ただ父が、自分の死に直面して、どんなことを思っているのか、ということが執拗に私の中に湧いてきた。

 

④段落。朝、遅く目覚めると、「出勤前の弟が縁側で鶯の爪を切っていた。父は横からそれを見上げながら、何かと注意を与えていた」(傍線部(4))。「この鶯はもう三歳だから大分老年だ」と弟が言った。すると父が、「いや爪さえ切って摺餌を加減しておけばまだ大丈夫だ」と言った。鶯が突然、けきょ、けきょ、けきょ、けきょ、と鳴き出した。そして何かを思い出そうとするように首を傾けた。父は午前の日光の中で、いかにも楽しげな明るい顔でそれを見上げた。父がそんなものに寄せている安らかさが私を驚かせた。死の数日前でありながら鶯を楽しんでいる父のそんな静かな気持は私の推測されないものであった。母が重湯を支度して来た。そして父の手をとって見て、「今朝は浮腫がいくらか引いたようです」と言っている様子にも、それがこれから何年も続くのだと言うような調子しかなかった。「鶯の籠を」と父が言った。そして急に咳き込んで来て、ものを言えなくなった。水薬をやっと一口摂って暫くじっと耐えていたが、「籠を日蔭へ移せ」と言い終えて、また激しく咳き始めた。私が鳥籠を日蔭へ持ってゆくのを父はしっきりなしに咳きながら見送っていた。

 

⑤段落。道の両側は李の花が強く匂いながら咲いていた。その匂が私の頭を重くした。崖の下の人家の方で、犬が吠えていた。海岸まで続いているその長い道には人影がなかった。「私はステッキを振り上げて、頭上の李の花の一番濃く群がっている処を殴りつけた」(波線部)。枝が折れて花瓣が散った。私は足もとの李の枝を薮のなかへ蹴飛ばしてまた歩き出した。誰もそれに気づいていないことが私をまだ落付かせなかった。私はどこかに閑古鳥の鳴声を聞いたように思った。落葉松の芽の吹いた林の方で鳴いているらしかった。それは北国の春であった。父の病気をとり巻いて私を育てた北国の自然は春の真盛りなのだ。私と弟とが霞網を持って渡り鳥を捕まえるために、夕暮の岡で時間を忘れた期節であった。草木の上に満ちている軟らかな陽の光は、しかしあまりに空虚であった。殆んど私が嗅いでいるに耐えられないような李の花が、その春の真中に、誰にも知られずその傍を通る人もなく咲いている。私は幼年の情感のなかに群がり、私の夢のなかに重い葉を揺るがしながら、いつか記憶の奥に埋もれていた北国の風物である落葉松や、虎竹や、蕗や、蓬が、そこの斜面を満たしているのを見ると、私はその中へ倒れ込みたい衝動を感じた。そして閑古鳥の声が、私のずっと奥の方の、抑制することもできない感情を掻き乱した。私を呼びもどしたのは父の病気であった。それなのに、私の這入って来たところは、人を狂気にするような春の生物等の華麗な混乱であった。(中略)。「知ってるぞ、知ってるぞ、とそれ等は言うようであった」(傍線部(5))。私は私を埋めていたそれ等の葉の繁みから逃れて林の中の空地に立ちどまった。蛇が石の下から褐色の長い肉体をのぞかせていた。こいつだ、と私は思った。私は少年時代の激しい感情の戦くのを感じながら、大きな石を持って、追いかけてゆき、叢に隠れてじっとしている蛇の頭の上からそれを落とした。蛇は尾の方をひどく痙攣させていたがやがて動かなくなった。

 

⑥段落。家へ帰ってから帽子を脱ぐと李の花瓣が鍔の上に落ちていた。父は眠っていた。鶯だけが首をかしげては、ほほう、けきょ、けきょ、けきょ、けきょ、と繰り返していた。私は父の顔を見ながら、かつて自分は暖かい心で父に接したことがあったろうかと思った。だが父は死のうとしている。起こりうるものがあればそれは今私のなかに起こるかもしれない。

〈設問解説〉問一 「そんな時、母は笑うのだが、それは母の二重の外側にある顔で笑がおさまると次の瞬間からすぐまた母は茫然とした無表情の状態に陥っているのだ」(傍線部(1))とある。
1.「二重の外側にある顔」とはどのような顔のことか。簡潔に答えよ。
2.このような行動を見せる母の気持ちを推測して説明せよ。

1.内容説明問題。「二重の/外側にある/顔」とあるから、「Aである表情の外側で、Bする表情」という形で、「二重性」を説明する。まずAは、傍線前の記述より、父(夫)の不治の病に対して「少しも乱れない/表情らしいものがない」表情(まさに鉄仮面)を指すことが分かる。その上でBは、「近所の人がなにか楽しい話を持ってくる/そんな時」に限る「取り合わせ(取り繕い)」の表情であり、そんな時が過ぎると、すぐまた母は元の「無表情」に戻るのである。

2.内容説明問題。「このような行動(C)」を見せる母の気持ちを「推測して(D)」説明する。Cとあるから傍線部に限らない一般化した表現で示す必要があり、傍線の中でも、1の焦点が前半にあったのに対し、後半の「笑がおさまると/茫然とした無表情の状態に陥る」の主題部分に焦点をおく。その上で、Dの条件より、Cの場合の母の心情を、論理的な推論を加えて導く。
まず傍線前の記述より、母から表情が奪われたのは「父の病気が絶望的だと解ってから」であるということ。その後母は「自然現象」のように淡々と、しかしできるだけの看病を尽くしている(←③④段落)。そこから推論されるのは、母はあえて表情を抑えて機械的に振る舞うことで、感情が深まるのを事前に防いでいるのではなかろうか(悲しい顔をすると、実際に悲しくなる)。実際、父の病状は明日をも知れぬ中で一進一退を繰り返しており、そこに母が一喜一憂したところで、その運命はどうにもならないのである。

 

<GV解答例>
1.内面を感じさせない表情のさらに外側で、表面的に取り繕う表情。(30)
2.夫の病気が絶望的だと解ったことで、自分の思いでその死を避けられない以上、病を自然現象のように扱い絶望から目を背けている。(60)

<参考 S台解答例>
1.父の絶望的な病状に対する無感動を押し隠し、笑いを装っている顔。(31)
2.自分を慰めるために楽しい話をしてくれた近所の人の気づかいに愛想笑いをするものの、父の絶望的な病状を思うと無感動になってしまう。(63)

<参考 K塾解答例>
1.夫の看病の徒労感による無感動を覆い隠すように、無理に作っている笑顔。(34)
2.夫の看病をしている自分を慰めようとして楽しい話をしてくれる近所の人たちの気遣いに、何とか応えようとしている。(54)

 

問二「そこにはしかし何の抑制も無いようであった」(傍線部(2))とある。「そこ」の内容を簡潔に説明せよ。

内容説明問題。指示内容を指摘してまとめる。ただ漠然と直前部を抜き出すのではなく、指示語の後ろへのつながりを意識し、的確にまとめることが肝要である。まず「そこ」には「何の抑制も無いよう」とあるから、逆に通常は何らかの「抑制」、つまり「気遣い」が加わるようなセンシティブな内容であることが予想される。さらに直後の文より、「そこ」が指す父の様子は、「抑制」ではなく「絶対的な母への信頼」から現れることが分かる。

以上を確認した上で、「そこ」が承ける傍線直前「家のことについて心配らしい言葉は全然父の唇を漏れることがなかった」を検討すると、「家のこと」とは「自分の死後の家の始末や家族の将来のこと」であるはずだ。なぜなら父とその家族にとって死は、「危篤/持ち直して/前と同じ」(①)とあり、実際断続的に発作が伴う(③④)ように、差し迫った問題(センシティブ)としてあるからだ。しかし、父は自らの死後の心配を、抑制して(気を使って)ではなく、母への絶対的な信頼ゆえに語る必要に迫られないのである。

 

<GV解答例>
自分の死後の家や家族の将来について、何も指示しない父の様子。(30)

<参考 S台解答例>
自分の考えを何も述べず、家の将来について心配する様子のない父の言動。(34)

<参考 K塾解答例>
自分の死後の家のことについて心配している様子がない父の言動。(30)

問三 「母は父の気持を推測して」(傍線部(3))とある。母はどのような「父の気持」を推測したのか。説明せよ。

内容説明問題(論理的な推論)。傍線部は直後に、「学校の移転で今年は夏休みが早くなったのだと言え」を伴う。つまり、私は父の「危篤という電報」(①)を承け急遽帰省したのに、母は「父の気持を推測して」、私に嘘の理由を述べるように求めたのである。それでは、そこで推測される「父の気持」とはどのようなものか。嘘の理由ではない、本当の理由(父の危篤に際し、父の死に目に間に合わせるために帰省した)を、状況(夏休み前なのに息子が急に帰省したこと/自らの体調が極めて悪いこと)から察知して、不安に襲われる気持(ち)であろう。それを避けるために、母は嘘の理由を拵えて私に言わせることで、父がショックを受けないようにしたのである、と考えれば筋が通る。

<GV解答例>
息子が夏休みを前に早めに帰省したのは、自分の死が迫っており、その死に目に間に合うためではないかという不安に襲われる気持。(60)

<参考 S台解答例>
息子が突然早く帰ってきた理由を、病状が持ち直していたのに、自分の死期が近づいており、最期の別れをするためではないのかと考えて落胆してしまう気持ち。(73)

<参考 K塾解答例>
突然息子が理由もなく帰省するのを知れば、いよいよ自分の死期が迫っているのではないかと察し、絶望的になる気持ち。(55)

 

問四 「出勤前の弟が縁側で鶯の爪を切っていた。父は横からそれを見上げながら、何かと注意を与えていた」(傍線部(4))とある。 1.父の鴬への関心が最もよくあらわれた一文のはじめの五字を抜き出せ(句読点を含まない)。 2.なぜ父は鶯に関心を持ち続けているのか。説明せよ。

1. <答> 私が鳥籠を (※④段落末文)
2.理由説明問題。④段落から二つある。一つ目は、父が鶯の鳴き声と様子を見聞きし「楽しげな明るい顔/安らか」になっていることから、特に「病床の二年(①)」にあって、鶯(三歳)の存在は闘病生活の中に癒しや安らぎを与えてくれるのである。これが、表面上の理由。もう一つ、深層心理における理由となるのは、すでに「老年」の鶯に「死に向き合う」自らを重ねているからである。ここで重なりとなるのは、「老年/死」という要素だけではない。傍線の中で、またそれ以外でも(発作の最中にあってさえ)、鶯の世話について父が家族に細かく指示していることに注意したい(1の問いが、それに気づかせる誘導にもなっている)。これは、自らが妻の(感情には出さないが)献身的とも言える看病を受けている(そして、それに絶対的な信頼をおいている)ことと重なる。つまり、「爪さえ切って摺餌を加減しておけばまだまだ大丈夫だ」と、丁寧な世話を施すことにより老年の鶯の命が延びると信じることで、妻の看病を受ける自己の希望を見ているのである。これが「鶯に関心を持ち続ける」本質的な理由である。

<GV解答例>
2.二年もの闘病生活の中その鳴き声は安らぎを与えてくれる上、老年の鶯でも丁寧に世話をすると命が延びると信じることで、不治の病にあり妻の看病を受ける自己と重ね希望を持つことができたから。(90)

<参考 S台解答例>
2.二年に及ぶ闘病生活の中で、鶯の明るい鳴き声は自分を癒し楽しい気持ちにさせてくれるものであると同時に、老年になっている鶯が死期の近い自分と重なるので、大切に世話をして少しでも生きながらえさせたいと思っているから。(105)

 <参考 K塾解答例>
2.長い闘病生活の自分にとって鶯の楽しげな鳴き声は安らぎを覚えるものであり、老年の鶯は年老いて死期の近い自分の姿と重なって見え慈悲の感情も抱いてしまうから。(86)

 

問五 「知ってるぞ、知ってるぞ、とそれ等は言うようであった」(傍線部(5))とある。「それ等」は何を知っているのか。傍線部より前の本文中から25字以内で抜き出せ(句読点を含む)。

<答え>
 私のずっと奥の方の、抑制することもできない感情 (23)

問六 「私はステッキを振りあげて、頭上の李の花の一番濃く群がっている処を殴りつけた」(波線部)とある。私がこのように乱暴な振る舞いを行う理由を本文全体をふまえて説明せよ。

理由説明問題。「このように乱暴な振る舞いを行う理由」とあるので、波線部の具体的な振る舞いに限らず、他の「乱暴な振る舞い」も含めてそれらに通底する理由を答える。そう見た時に、傍線部は長い⑤段落の初めの方にあるが、同じ⑤段落の最後、蛇の頭に大石を落とし殺生する場面が浮かぶはずだ。その行為に及ぶに際して、「私は少年時代の激しい感情の戦くのを感じながら」とあるので、ここに「乱暴な振る舞い」の根源的理由があるように思われる。ただし、これはあくまで「蛇」の場面であり、これが波線にも当てはまるかは検証する必要がある。

⑤段落初めから辿ると、初めに波線部「李の花の一番濃く群がっている処ををステッキで殴りつける」という行為に至るのは、「李の花」の強い匂いが「私の頭を重くした」からであった。次に閑古鳥の鳴き声に導かれて私は林へと進んでいくのだが、そこで感じたのは「北国の春」であった。「私を育てた北国の自然は春の真盛り」で、そこには「私が嗅いでいるに耐えられない李の花が咲」き、「いつか記憶の奥に埋もれていた北国の風物…が/斜面を満たしているのを見ると/その中へ倒れ込みたい衝動を感じ」る。閑古鳥の声は「私の…抑制することもできない感情を掻き乱」し、そこには「人を狂気にするような春の生物等の華麗な混乱」がある。つまり、李の匂いや閑古鳥の声に象徴される「北国の春の自然」(アンビバレンツな感情を伴う)に触れ、その「華麗な混乱」に促されるように「狂気/抑制することのできない感情/少年時代の激しい感情」が立ち上がってきたのである。それが「乱暴な振る舞い」に帰結したのだ。波線部も、「北国の春(R1)→幼年期の衝動への回帰(R2)→乱暴な振る舞い(G)」の兆しとして捉えれる。

さらに、「本文全体をふまえて」という要求については、「死に直面した父」との関連を考える。⑤段落半ば「私を呼び戻したのは父の病気であった。それなのに、私の這入って来たところは、人を狂気にするような春の生物等の華麗な混乱であった」が参考になる。「私」の狂気じみた行為を促したのは北国の春の自然の「逞しい生命力」であった。それに対して父の「弱い生命」は、「父の死そのものを考えることは私を少しも動かさなかった(③)」「かつて自分は暖かい心で父に接したことがあったろうか(⑥)」とあるように、私の感情に響くものではない。その対比をふまえておけばよいだろう。

 

<GV解答例>
死に面した父を見舞うために帰省した学生の私は、父の弱い命と対照的に北国の冬を越して逞しく芽吹く自然の生命に圧倒され、幼年期に植え付けられた強い生命への愛憎まみれた衝動が甦ったから。(90)

<参考 S台解答例>
父は死んでいくのに、生き物がよみがえる北国の春を見せつけれ、少年時代の暴力的な衝動がよみがえるとともに、暖かい心で父に接したことがなく、父の死を考えても心を動かされない自分を思い起こした。そうした自分の気持ちをどうにもできなくなり春の象徴である李の花に八つ当たりしたから。(136)

<参考 K塾解答例>
死に瀕した父のありようとは対照的な、生命感に満ちた春の盛りを象徴する李の花の匂いによって、父の死をうまく受容できていない「私」の胸中がかき乱され、苛立ちを覚えたから。(83)