〈本文理解〉

出典は飯田高『法と社会科学をつなぐ』。
 
①段落。イソップ寓話の「北風と太陽」では、どちらが強いか言い争っていた北風と太陽が、旅人の服を脱がせるという勝負を行う。北風は力いっぱい吹きつけて旅人の服を飛ばそうとするが、旅人は寒さを嫌ってしっかり服を押さえるばかりで、疲れ果てた北風は太陽に番を譲る。太陽ははじめゆっくりと照りつけ、旅人が着込んだ服を脱いでいくのを見ながら、徐々に熱を強めていった。ついに旅人は暑さに耐えかね、自ら服を全部脱いで川へ水浴びに行く。
 
②段落。この北風と太陽の寓話には、「説得は強制よりも勝る」「厳しい態度でなく優しい態度で接したほうがうまくいく」というような教訓が付記されていることが多い。調べてみると、「説得が強制よりも有効だという解釈」(傍線部(1))はヴィクトリア期に定着したものらしく、この寓話の解釈は時代とともに少しずつ変わってきている。…
 
③段落。私自身はずいぶん後になって知ったのだが、次のような話が付け加える場合もある。北風と太陽は、旅人の帽子をとる勝負を行っていた。まず太陽が旅人を燦々と照らして暑くしようとしたところ、旅人は日差しを防ぐためにかえって帽子を深くかぶってしまう。
 
④段落。とろうとするものが何であるかにかかわらず、北風と太陽の寓話ではインセンティブをうまく扱えなかったほうが負けている。
 
⑤段落。インセンティブとは、「ある個人に特定の行動を選ぶように仕向ける要因」を指す言葉である。…要するにその気を起こさせる外からの刺激がインセンティブなのである。太陽はインセンティブを意識的に使い、帽子をとる勝負では失敗し、服をとる勝負では成功を収めている。それとは対照的に、北風はどちらの勝負でもインセンティブを使おうとしていない。それどころか、自分の意図しない方向に作用するインセンティブを旅人に与えてしまってもいる。
 
⑥段落。このインセンティブという考え方は、社会科学の支柱としての役割を陰に陽に果たしてきた。…
 
⑦段落。…
 
⑧段落。外発的動機づけ(≒インセンティブ)と対になる概念は内発的動機づけであり、こちらは賞罰に依存しない動機づけを指す。…
 
⑨段落。内発的動機付けと対比すると、インセンティブは外からただ一方的に与えられるもののように見えるかもしれない。しかし、インセンティブの妙は、「当の個人は自ら選択を行っていると思っている」という性質を備えている点にある。先の寓話の中で太陽の方略が説得や優しさになぞらえられているのは、旅人が「自発性」をもつ余地をーー本当に自発的か否かはさておいてーー太陽が残しているからであろう。このカギ括弧つきの「自発性」ゆえに、外発的なインセンティブと内発的動機づけの境界が明らかでないことも多々ある。
 
⑩段落。境界をどこに設定するにしても、法は外発的なインセンティブにも内発的な動機づけにも関わっており、他のさまざまな制度とならんで人間行動をコントロールしている。
 
⑪段落。法が人々の「自発性」を完全に封じてしまうこともあるが、たいていの場合、法は人々の自律的な意思決定を通じて行動をコントロールすることを目指している。刑罰や行政罰、あるいは損害賠償義務などを使う方法、税金や賦課金といった金銭を徴収する方法、逆に税制上の優遇措置やその他の経済的利益によって誘導する方法、違反者の氏名や名称を公表する方法、こういった方法はすべてインセンティブを用いている。
 
⑫段落。多くの人にとって法は、「強制のための手段」であると同時に「意思決定に影響を及ぼす要素」として立ち現れる。法はインセンティブを提供するための道具なのである。
 
⑬段落。このように人間行動をインセンティブの観点から捉えるのには大きな意味がある。というのは、他者の行動を説明しようとする時、性格や気質といった内的要因を過度に重視する一方で、環境や状況などの外的要因を軽視する傾向が私たちにあるからである。
 
⑭段落。…
 
⑮段落。法と人間行動を考えるときに問題となるのは、法がいかなるインセンティブを与えられるのか、そして法の意図するインセンティブと現実のインセンティブがどのくらい合致してるのか、ということである。「しかし、これらは十分に解明されているとは言いがたい」(傍線部(2))。
 
⑯段落。その一因は、行動に対する法の効果を研究する人たちが外発・内発の二分法にこだわりすぎていたという事情にある。つまり、「法が発動する正または負のサンクションによる外からの動機づけ」と「法の正統性や道徳に関係する内からの動機づけ」のどちらが重要か、という問題設定が幅を利かせていたのである。
 
⑰段落。実際には、先ほど述べたように、外発と内発はあまりはっきりとは区別できない場合がある。それと同様に、法も意思決定に対しては微妙な形で働きかけをしている。(〜⑲段落)。
 
⑳段落。帽子をとり損ねた太陽と同じように、インセンティブは逆効果を生むことすらある。法との関連性で最も引用されるのは、次のフィールド実験であろう。実験の対象となったイスラエルの民間の託児所は、一歳から四歳までの幼児を30名ほど預かっていた。親が所定の時間に遅れて子を引き取りに来たときに罰金を徴収すると、親の遅刻は減るだろうか。それを調べるため、十施設のうち六施設では親が10分以上遅刻した場合に罰金を徴収することになった。すると、罰金制度を導入しなかった四施設と比べ、導入した六施設では遅刻する親の人数が有意に増加するという結果が観察された。しかも興味深いことに、罰金制度をやめた後も、六施設では遅刻率は高止まりしてしまったのである。
 
㉑段落。この実験結果には何とおりかの解釈がありうるが、その一つに「罰金の導入によって人々の状況把握の仕方が変化した」という解釈がある。すなわち、所定の時間を経過した後も子供を預かる託児所側の行動が、「好意で行っていること」ではなく「お金を取って行うサービス」として認知されるようになった、という解釈である。言い換えると、罰金導入により、非金銭的であった社会的交換関係が金銭ベースの取引関係に変質したのである。
 
㉒段落。これ以外に、「インセンティブは内発的動機づけを阻害すること」(傍線部(3))を示唆する研究は数多く存在する。インセンティブの働き方を私たちが正確に理解できるようになるまでには、まだまだ長い道のりがありそうである。
 
 

問一 (漢字の書き取り)

(a)奏でる (b)実態 (c)方略 (d)優遇

 

問二「説得が強制よりも有効だという解釈」(傍線部(1))について、「北風と太陽」の寓話にこのような解釈がなされている理由を、本文の内容に基づき「インセンティブ」という言葉を用いて、60字から80字で説明しなさい。

 
理由説明問題。問題文の要求に従って、「インセンティブ」の本文での定義を踏まえ、正しい文脈で使うことによって理由を構成する。このとき、インセンティブの定義を解答に書き込むのは字数の無駄であり、知恵が足りない仕草である。本文によると、インセンティブとは「ある個人に特定の行動を選ぶように仕向ける要因/その気を起こさせる外からの刺激」(③)である。
傍線部の「説得」が「太陽」、「強制」が「北風」にそれぞれ対応し、「インセンティブ」が前者に当てはまるのは自明だろう。北風と太陽は旅人の服を脱がせるという勝負を行なっている。以上より、解答構文を「北風ー強制に対して/太陽ー説得ーインセンティブが/旅人の服を脱がせる上で効果的だったから」と定める。
 
このうち「北風ー強制」については「強風で服を吹き飛ばそうとして叶わなかった北風」と具体化するのは容易(①)。「太陽ー説得ーインセンティブ」については、先述のインセンティブの定義を踏まえ、「太陽は/暖かく照らすというインセンティブを与えることで/旅人が服を脱ぎたい気持ちにさせる」と具体化する(①)。以上をまとめると、「強風で服を吹き飛ばそうとして叶わなかった北風に対して/太陽は暖かく照らすというインセンティブを与えることで旅人に服を脱ぎたい気持ちにさせ/それを実現したから」と解答できる。
 
〈GV解答例〉
強風で服を吹き飛ばそうとして叶わなかった北風に対して、太陽は、暖かく照らすというインセンティブを与えることで旅人に服を脱ぎたい気持ちにさせ、それを実現したから。(80)
 
〈参考 S台解答例〉
太陽は旅人の服を力で脱がそうとせず、特定の行動をする気にさせる外からの刺激であるインセンティブを意識的に用い、旅人が自ら服を脱ぐように仕向け、成功を収めたから。(80)
 
〈参考 K塾解答例〉
旅人の服を脱がせる勝負において、行為の自発性を促すインセンティブを用いて脱衣を誘う太陽の「説得」が、それを用いず脱衣を強いる北風の「強制」よりも功を奏したから。(80)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
強制的に服を脱がそうとした北風よりも、旅人の自発的行動を促すインセンティブという説得的姿勢を上手く用いた太陽の方が、旅人の服を脱がせることに成功したから。(77)
 
〈参考 T進解答例〉
人間の行動選択には、当の本人が意識しなくても外部からの刺激、すなわちインセンティブが原因・理由として関与しており、太陽はそれをうまく利用したと考えられるから。(79)
 
 

問三「しかし、これらは十分に解明されているとは言いがたい」(傍線部(2))について、著者はなぜそのように考えているのか。本文の内容に基づき、100字から120字で説明しなさい。

 
理由説明問題。直接の根拠となるのは、傍線部に続く⑯段落「その一因は、行動に対する法の効果を研究する人たちが外発・内発の二分法にこだわりすぎていたという事情にある」(A)。「その一因」というのが気になるが、それ以外の要因は本文に示されてないのだから、「本文の内容に基づ」く筆者の考える理由として、Aに限定してよいだろう。また、⑰段落「実際には、先ほど述べたように、外発と内発はあまりはっきりとは区別できない場合がある」→⑨段落「外発的なインセンティブと内発的動機づけの境界が明らかでないことも多々ある」(B)も、Aの「事情」に対する「実際」として解答に盛り込む必要がある。
 
さらに、傍線部は法とインセンティブを話題としている箇所だから、Bを法と関連づけて述べる⑩段落「境界をどこに設定するにしても、法は外発的なインセンティブにも内発的な動機づけにも関わっており」(C)と、⑪段落「法は人々の自律的な意思決定を通じて行動をコントロールすることを目指している」(D)とその具体例「刑罰や行政罰/税制上の優遇措置…」(E)を踏まえ、解答に反映させる。以上より、「限界領域における賞罰を定めることで(E)/人々の自律的な意思決定を通じた行動規制を目指すという法の性質上(D)/法は外発的なインセンティブと内発的動機づけの両者に関わり(C)/その両者は連続するという実態に反し(B)/両者の二分法にこだわる説明が試みられてきたから(A)」と解答できる。直接理由のAからB→C→D+Eと遡及する形で思考を進め、それを逆にたどる形で解答した。
 
 
〈GV解答例〉
限界領域における賞罰を定めることで人々の自律的な意思決定を通じた行動規制を目指すという法の性質上、法は外発的なインセンティブと内発的動機づけの両者に関わり、その両者は連続するという実態に反し、両者の二分法にこだわる説明が試みられてきたから。(120)
 
〈参考 S台解答例〉
法と人間行動を考えるときに問題となる、法におけるインセンティブの働き方について、外発的インセンティブと内発的動機づけの区別なく法が意思決定に対して微妙な形で働きかけているのに、両者の二分法で問題設定がなされ、正確な理解には至っていないから。(120)
 
〈参考 K塾解答例〉
外部から触発される外発的インセンティブと行動自体を目的とする内発的動機づけは、ともに「自発性」を見出しうる点で明確に区別できないのに、法と人間の行動を問題化する際に、研究者たちが両者を二分し、いずれがより重要かという課題に囚われているから。(120)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
法は意思決定に働きかける場合があり、法の効果という外発的インセンティブが個人の内発的動機に与える影響も小さくないため、外発と内発の区別はつきにくいものであるのに、研究者たちは外発と内発のどちらか重要かという誤った二分法に拘泥していたから。(119)
 
〈参考 T進解答例〉
人間行動の動機づけについて、法の研究者は、法による外部からの強制と法に従おうとする自律的、内発的な意思の二分法にこだわっているが、実際には外発と内発の明瞭な区別は困難であり、意思決定に対する法の効果に関しては明確な結論に至りえていないから。(120)
 
 

問四「インセンティブが内発的動機づけを阻害すること」(傍線部(3))について、本文で示された実験結果に基づき、100字から120字で具体的に説明しなさい。

 
内容説明問題。実験の概要(A)と結果(B)を的確に示し、その結果から導かれる判断として傍線部「インセンティブ→内発的動機づけの阻害」を具体化(C)すればよい。Aについては21段落より「親の子ども引き取り時間の遅刻に対して/罰金を課す託児所と課さない託児所に分け実験を施した」とまとめる。Bについても、同じく21段落より「Aの結果/前者の遅刻が上回り/罰金停止後も遅刻率が高止まりした」とまとめる。
 
Cについては、21段落の最後の二文、とくに「罰金導入により/非金銭的であった社会的交換関係が/金銭ベースの取引関係に変質した」を参照して、「経済的なインセンティブ→社会的交換関係(義務感)の弱化→内発的な動機づけの阻害」と具体化する。以上より、「Aの結果/Bしたことから/経済的なインセンティブは社会的義務感を弱め/内発的動機に負の効果を及ぼしたこと」と解答できる。
 
 
〈GV解答例〉
親の子ども引き取り時間の遅刻に対して、罰金を課す託児所と課さない託児所に分け実験を施した結果、前者の遅刻が上回り、罰金停止後も遅刻率が高止まりしたことから、経済的なインセンティブは社会的義務感を弱め、内発的動機に対し負の効果を及ぼしたこと。(120)
 
〈参考 S台解答例〉
託児所で遅刻した親から罰金を徴収すると、非金銭的な社会的交換関係が金銭的な取引関係に変質したためか、遅刻が増加したように、外発的刺激によって意思決定に働きかけることで逆に、賞罰に依存しない、行動そのものを目的とした動機がそがれるということ。(120)
 
〈参考 K塾解答例〉
託児所で子を引き取る時刻に遅れた親に罰金を課して時間厳守を促すインセンティブの導入により、時間超過後も子を預かる託児所の行動が好意に基づくものから金銭的取引へと変質したため、親の遅刻に対する罪悪感が失われ、かえって遅刻の事例が増加したこと。(120)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
託児所で、罰金というインセンティブを用いて親の遅刻を減らそうとしたが、金銭を支払うという行為により、託児所の時間外の対応が好意ではなくサービスとして認識されてしまい、逆に、遅刻をしないときう内発的動機づけを促せなくなってしまったということ。(120)
 
〈参考 T進解答例〉
託児所が、罰金というインセンティブを設けて子の引き取り時間に遅刻する親を減らそうとしたところ、親はそれまでの託児所の好意による行動が金銭ベースの取引関係に変質したと考えるようになり、自己規制から解放されてかえって遅刻が増加したということ。(119)