〈本文理解〉

出典は東浩紀『観光客の哲学』。前書きに「現代世界ではグローバリズムの生み出す秩序が帝国のように国民国家に力を及ぼし、その結果として生権力と規律訓練とが並存していることについて論じています」とある。
 
①段落。規律訓練と生権力は、フランス系現代思想で使われる権力の二類型である。おおざっぱに説明すれば、規律訓練のほうは、権力者がああしろこうしろと命令し、懲罰を与えることで対象者を動かす権力を指す言葉である。懲罰があるので規律訓練と呼ばれる。他方で生権力のほうは、あくまでも対象者の自由意思を尊重しながらも、規則を変えたり価格を変えたり環境を変えたりすることで、結果的に権力者の目的どおりに対象者を動かす権力を指す言葉である。対象者の社会的な生活に介入するという意味で生権力と呼ばれる。
 
②段落。この両概念の歴史は複雑で、一般にはともにフーコーが発明したと考えられているが、実際には彼は両者をこのように対立させてはいない。…のちに、フーコーの友人でもあった哲学者ジル・ドゥルーズが、1990年代に発表した短い評論で両者を対立させ、規律訓練が支配する「規律社会」は19世紀までの社会モデルであり、現代社会は生権力が支配する「管理社会」に移行しつつあるという簡単な図式を提示してみせた。規律から管理へというこの図式は、フーコーのもともとの主張に比べてたいへんわかりやすかったので、すぐに広く知られるようになった。
 
③段落。しかし、その議論はどれほど適切だろうか。ぼくには、そこで立論の前提となった権力形態の移行という想定そのものが疑わしいように思われる。
 
④段落。なぜか。それは、規律と管理というふたつの権力形態は、ほんとうはたがいに排他的ではないはずだからである。規律と管理は同時に作動しうる。…
 
⑤段落。ドゥルーズが管理社会の例として提示したのは、「決められた障壁を解除するエレクトロニクスのカードによって、各人が自分のマンションを離れ、自分の住んでいる通りや街区を離れることができるような」「しかし決まった日や決まった時間帯には、同じカードが拒絶されることもある」町である。しかし、そのようなカードを与えられたからといって、規律訓練的な命令や監視がなくなるわけではない。僕はたまたまいまこの原稿をホテルで書いているが、最近の少なからぬホテルは、まさにドゥルースが想像したようなカードで入退室や階の移動を管理している。チェックアウトのあとは、同じカード使っても同じ部屋には入れないし、エレベーターのボタンすら押せない。しかし、だからといってフロントからスタッフがいなくなるわけではないし、各種警告の掲示がなくなるわけでもない。カードの存在は、むしろ、そのような命令と監視が行き届かない場合の保険として機能している。「だとすれば、ぼくたちは、現代社会では規律社会と管理社会を重なっているのだと、したがって国民国家と帝国も重なっているのだと言うべきではなかろうか?」(傍線部(a))
 
⑥段落。あるいはこのように表現してもよいかもしれない。ぼくは、ナショナリズムを人間に、グローバリズムを動物に割り当てた。国民国家は人間を人間として扱う体制である。むしろ、国民国家こそが人間を(規律訓練の徹底によって)人間にするのである。それがヘーゲルが述べたことである。
 
⑦段落。では帝国はどうだろうか。人間と動物の対比にしたがうならば、帝国はまさに人間を動物のように扱う体制だと言うことができる。帝国は個人になにも呼びかけない。ただ消費者であることしか求めない。そこでは個人は、地球規模の世界市場で集められた、ビッグデータのひとつの「エントリでしかない」(傍線部(1))。
 
⑧段落。ただし、これはけっして、人道主義的で左翼的な非難、すなわち「「帝国は人間を人間扱いしていない!」といった類の告発につながらない」(傍線部(b))。…生権力はそもそも『知への意志』で導入された概念である。この著作でフーコーが明らかにしたのは、19世紀のドイツやフランスにおいて、公衆衛生の重要性が発見され、統計学が整い、労働者の住環境が改善され福利厚生が図られるその歩みが、そのまま国家権力(生権力)の拡大に結びつく光景だった。…むろん、公衆衛生の理念は労働者の生活の質をまちがいなく上げたにちがいない。しかしそれは、起源としては、農場の生産性を上げるため、牛馬の衛生管理を徹底するのと同じ発想による配慮だったのである。だから公衆衛生の対象となる労働者には顔がない。名前もない。それは何十万、何百万というデータのひとつの「サンプルでしかなく」(傍線部(2))、また実際にそのような規模で分析しなければ公衆衛生は実現できない。だからそれは統計学の進歩と密接に結びついている。生権力はこの点で、本質的に人間を動物のように管理する権力である。…
 
⑨段落。そして、人間が人間として扱われることと人間が動物として扱われること、この両者もまたけっして排他的ではない。同じ個人が、個別のコミュニケーションの場では人間として(意志を持った顔のある存在として)扱われるとともに、同時に統計の対象としては動物のように(匿名のひとつのサンプルとして)扱われるということは十分にありうる。というより、現代社会はむしろそのような例に満ちている。
 
⑩段落。たとえば少子化問題を考えてみよう。ぼくたちの社会は、女性ひとりひとりを顔のある固有の存在として扱うかぎり、つまり人間として扱うかぎり、けっして「子供を産め」とは命じることができない。それは倫理に反している。しかし他方で、女性の全体を顔のない群れとして、すなわち動物として分析するかぎりにおいて、ある数の女性は子供を産むべきであり、そのためには経済的あるいは技術的なこれこれの環境が必要だと言うことができる。こちらは倫理に反していない。そしてこのふたつの道徳判断は、現代社会では矛盾しないものと考えられている。「その合意そのものが、僕たちの社会が、規律訓練の審級と生権力の審級をばらばらに動かしていることを証拠だてている」(傍線部(c))。国民国家は出産を奨励できないが、帝国は奨励できる。それが現代の出産の倫理である。
 
⑪段落。ぼくたちは、人間であるとともに動物としても生きている。…人間はそもそも誰もがそのような両義的存在なのであり、ここまで見てきた世界の二層構造は、いわばその両義性から必然的に導かれている。

問一「エントリでしかない」(傍線部(1))や「サンプルでしかなく」(傍線部(2))とはどういうことか、説明しなさい。(2行)

 
内容説明問題。(1)については「そこ(=帝国)では個人は、地球規模の世界市場で集められた、ビッグデータのひとつのエントリ(=入力データ(注))でしかない」、(2)については「それ(=公衆衛生の対象となる労働者)は何十万、何百万と言うデータのひとつのサンプル(=代表的な例)でしかなく」という文脈にある。これらから、筆者の言う「帝国」すなわちグローバル化の状況下で、個人はその個別性を捨象された、ビッグデータの一要素(=「動物」)としてのみ扱われる、という内容が見えてくればよい。ポイントは「エントリ/サンプル」の文脈上のニュアンス、本来的な「人間」性の剥奪、背景にあるグローバルリズム(前書きでも言及されている)の3点に言及することである。
 
 
〈GV解答例〉
グローバル競争の中で、人間はその固有性を捨象されたビッグデータの一要素としてのみ扱われるということ。(50)
 
 
〈参考 阪大解答例〉
顔のある個人ではなく、消費や行動などを数値化された存在でしかないということ。(38)
 
 
〈参考 S台解答例〉
個人を、全体を管理する目的で集められた大量の情報の一部であり、意志も個性も持たない匿名の存在としてのみ扱うということ。(59)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
個人が、消費者や労働者といった集団の一員として、統計的に取り扱われる存在に過ぎなくなっているということ。(52)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
個人が集合的な消費者や労働者の一要素と見なされ、人間としての個性を持たない統計データとして扱われるということ。(55)

問二「だとすれば、ぼくたちは、現代世界では規律社会と管理社会は重なっているのだと、したがって国民国家と帝国も重なっているのだと言うべきではなかろうか?」(傍線部(a))について、ホテルの事例から規律社会と管理社会が重なっていると推論できるのはなぜか、説明しなさい。(4行)

 

理由説明問題。まず着地点から逆算すると(逆手)、ホテルの事例を現代世界の規律社会と管理社会の重なる状況に敷衍できるのは、前者が規律と管理(→権力の二類型①)の重なりを典型的に示唆していると筆者が見なすから(R)、である。ならば後は、傍線部の承ける⑤段落の内容から、ホテルの事例における規律の側面(A)と管理の側面(B)をそれぞれ具体的に説明し、その両者が重なることを示し、上述のR(直接理由)につなぐとよい。Bについては⑤の前半「カードで入退室や階の移動を管理している」という記述、Aについては⑤の後半「だからといってフロントからスタッフがいなくなるわけではないし、各種警告の掲示がなくなるわけでもない」以下の記述を参照し、Aを前提としたBという形で重なりを示すとよい。以上より「フロントスタッフや各種掲示物による直接的な規律が作動しうることを前提として(A)/カードにより客の移動を管理するホテルの機構は(B)/規律と管理が補完しあう現代社会の権力のあり方を典型的に示唆する事例と言えるから(R)」と解答できる。
 
 
〈GV解答例〉
フロントスタッフや各種掲示物による直接的な規律が作動しうることを前提としてカードにより客の移動を管理するホテルの機構は、規律と管理が補完しあう現代社会の権力のあり方を典型的に示唆する事例と言えるから。(100)
 
 
〈参考 阪大解答例〉
ホテルは、使用可能な部屋と期日を任意に設定できるカードキーによって宿泊客の行動を管理していると同時に、スタッフや掲示によっても、宿泊客の行動の規律を監視しており、両者は対立せずに保管しあっているため。(100)
 
 
〈参考 S台解答例〉
命令や監視を行いつつカードを用いて客の管理も行うホテルの事例から、権力者が命令や懲罰で対象者を動かす規律と、自由意志を尊重しつつ社会生活に介入し権力者の目的通り生権力による管理とが、互いに排他的ではなく、同時に作動しうるといえるから。(117)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
ホテルから与えられたカードがなければ自分の部屋への入退室も階の移動も自由にならず、カードがあっても入れない部屋や立ち入れない場所があるという点で、利用者は管理されると同時に規律化されているといえるから。(101)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
ホテルの宿泊客はカードによって入退室や移動を管理され、同時に、スタッフによって監視され警告の掲示によって命令されている。これは、間接的に人間を管理する社会と規律で直接的に人間を動かす社会が二重に機能する現代社会の構造に通じるから。(115)

問三「「帝国は人間を人間扱いしていない!」といった類の告発につながらない」(傍線部(b))について、「帝国は人間を人間扱いしていない」という「告発につながらない」のはなぜか、説明しなさい。(4行)

 

理由説明問題。まず理由の始点(S)を明確にする必要がある。傍線部の主語は「これ」であるが、その指示内容は前⑦段からまとめることになる。⑦段は問一の(1)と重なるのでそこでの考察も踏まえ、傍線部(b)につながるように「これ」を具体化すると「帝国が/人間を/動物として扱うこと」すなわち「グローバル競争の中で/国家権力が/国民をその固有性を捨象した/統計データの一要素として/管理すること」(S)となる。ここでは「国民国家-規律訓練-人間」(⑥)に対する「帝国(グローバル)-管理(生権力)-動物」(⑧後半も参照)という本文を貫く軸も反映させている。
その上で、Sが「帝国は人間を人間扱いしていない」という「告発につながらない」のはなぜか。こうした告発は「人道主義的で左翼的(※筆者の「左翼」=リベラル嫌いはあまりに有名)」な非難であるとしている。また傍線部の後、⑧段後半を読み進めると「それ(=公衆衛生の対象者となる労働者)は何十万、何百万というデータのひとつのサンプルでしかなく、また実際にそのような規模で分析しなければ公衆衛生は実現できない」とある。つまり、公衆衛生の向上は労働者の生活の質向上に寄与するものだから、当然、人道主義的立場からの要求に適うものだが、そのためには労働者を統計データのサンプルとして扱う必要がある、というのである。以上より「Sは/公衆衛生を整え国民の生活水準を高める上での条件でもあり/人道主義的立場が求めるものに合致するものだから」、告発は失効するという意味で「告発につながらない」のである。
 
 
〈GV解答例〉
グローバル競争の中で国家権力が国民をその固有性を捨象した統計データの一要素として管理することは、公衆衛生を整え国民の生活水準を高める上での条件でもあり、人道主義的立場が求めるものに合致するものだから。(100)
 
 
〈参考 阪大解答例〉
確かに帝国は、人間を顔のある個人としてみなさず、匿名の群れのサンプルとして家畜のように扱いはするが、そのように全体の統計をとって管理することは、公衆衛生など生活水準の向上にも貢献しているため。(96)
 
 
〈参考 S台解答例〉
帝国が個人を情報の一部である無個性な匿名の存在と見なすことが、国家権力である生権力の拡大に結びつき、個人の自由意志を尊重しながら人間を管理することになり、生産力を上げ生活の質を向上させるために必要なことである以上、反人道的として非難できないから。(123)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
グローバリズムによる管理は、国民国家のように規律によって人間を生み出すものとは異なり、生産性の向上を目ざして人間を含めた動物を管理するための配慮を起源とするため、その非人間性を指弾するのは無意味だから。(101)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
帝国は生産性を向上させるために人間の動物としての面に着目して統計技術によって管理をおこなっており、また国民国家に起源をもつ公衆衛生も実現しているのであって、人間を動物のように扱っているといった人道主義的見地からの批判は的外れだから。(116)

問四「その合意そのものが、ぼくたちの社会が規律訓練の審級と生権力の審級をばらばらに動かしていることを証拠だてている」(傍線部(c))は、どのようなことをいっているのか、説明しなさい。(6行)

 

内容説明問題(主旨)。構造的には類比関係を問うている。つまり「その合意」の二項(x/y)は「規律訓練の審級(X)/生権力の審級(Y)」とそれぞれ類比関係にあり、加えて「X-x」「Y-y」はそれぞれ「抽象-具体」の関係、「X(x)/Y(y)」はそれぞれ対比関係となる。これらを踏まえて「X/Y/x/y」を具体化していく。
 
まず「その合意」の指示内容からxとyを具体化するならば(→⑩)、x「女性各々の/固有性を尊重する観点から/子どもを産めという命令を否定する」、y「女性一般に対して/少子化を防ぐために/子どもを産むことが期待される」となる。この両者はともに「道徳(=倫理)判断」であり「現代社会では矛盾しない」ものとされている。以上より「現代ではxしながら/yするが/この矛盾する倫理の両立こそが/XとYの二層構造(⑪)を示している」として、残りの「X/Y」を定める。
 
そこで「X(規律訓練の審級)/Y(生権力の審級)」については、問三で触れた本文を貫く2つの軸「国民国家-規律訓練-人間」(⑥)/「帝国(グローバル)-管理(生権力)-動物」(⑦⑧)と結びつけて理解したい。「審級」というのは注釈にあるように「判断基準」のことで、「X/Y」がそれぞれ「x/y」という判断に帰結することも踏まえ、X「国民国家の要請する/人間を個人として扱う立場(→x)」、Y「グローバル化の要請する/人間を数として扱う立場(→y)」と導くことができる。以上を先の解答構文に代入して仕上げとする。
 
 
〈GV解答例〉
現代では女性各々の固有性を尊重する観点から子どもを産めという命令を否定しながら、女性一般に対しては少子化を防ぐために子どもを産むことが奨励されるが、この矛盾する倫理の両立こそが、国民国家の要請する人間を個人として扱う立場とグローバル化の要請する人間を数として扱う立場の二層構造を示しているということ。(150)
 
 
〈参考 阪大解答例〉
私たちの社会では、顔のある個人に出産を強制することは規律訓練の審級の点で許されない一方、女性を匿名の集団として管理する生権力の立場から、出産とその環境整備の必要性を主張することは同時に可能であり、矛盾しないと合意されているため。(114)
 
 
〈参考 S台解答例〉
少子化問題において、特定個人の女性の出産奨励を反倫理的としながら、女性全体への出産の奨励は倫理的に許容する、二つの道徳判断の両立に対する現代社会の合意は、人間が個人であると同時に匿名の集団の一部であるという両義的存在であることに基づいて、帝国における規律訓練の判断基準と、国民国家における生権力の判断基準が、世界の二層構造として並存することを裏づけているということ。(183)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
一人一人の女性を固有性をもつ人間として命令による規律を受けない存在と判断する一方で、子どもの数を増やすために環境の整備を通じて集団的に管理される存在として女性を位置づけてもいる以上、現代社会が同じ対象に対して規律と管理という異なる二つの判断基準を事柄に応じて別々に使い分けていることは明白だということ。(151)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
女性に「子どもを産め」と命じることは倫理的に反しているが、女性が子どもを産みやすいように経済的・技術的に環境を整えることは倫理に反していない。こうした二つの道徳判断を私たちが認めているということは、現代社会が、人間を人間として扱う規律と、人間を統計学の対象とする管理という二つの判断基準を使い分けていることを示しているということ。(165)