〈本文理解〉

出典は帚木蓬生『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』

問一(漢字の書き取り)

(a)至便 (b)痛感 (c)体得 (d)権化 (e)不断

問二「精神医学の限界」(傍線部(1))とは、具体的にどういうことか、本文の内容をふまえて60字から80字で説明しなさい。

〈GV解答例〉
精神科医の個々の仕事が患者を治せない場合があるのみならず、それらを理論的に支える精神医学が原理的にすべての患者の完治に寄与するような学問体系ではないということ。(80)
 
 
〈参考 S台解答例〉
治ったと思ったのに、その後より悪化して再入院する患者や、長期の入院生活を送る患者がいるように、精神医学においては患者を根本的に治療することは難しいということ。(79)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
患者が治療後に重症化して再入院したり想定外の長期入院をしたりする現実に直面し、精神科医としての自分の能力ばかりか精神医学の意義について疑念や不安を抱いたこと。(79)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
精神医学は医学の一分野として確立しているとはいえ、再入院したり退院できない患者を見るにつけ、治療という医学の目的において十分な役割を担いきれていないということ。(80)

問三 詩人と精神科医がともに「ネガティブ・ケイパビリティ」を身につけるべきとされる理由は共通している。本文の内容をふまえてその理由を20字以内で記述しなさい。

〈GV解答例〉
不確かさの受容が本質へと至る条件だから。(20)
 
 
〈参考 S台解答例〉
対象の本質に深く迫る方法であるから。(18)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
対象の本質に迫り共感する必要があるから。(20)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
疑い続けることで対象の本質に迫れるから。(20)

問四 著者が「ネガティブ・ケイパビリティを知ってからは、著者のことなどどうでもよくなった」(傍線部(2))のような心境に至ったのはなぜか、本文の内容をふまえて60字から80字で説明しなさい。

〈GV解答例〉
精神科医の仕事と精神医学の限界を感じていた著者にとって、ネガティブ・ケイパビリティの概念は論文の文脈から離れ、今後の生き方に一般的な指針を与えるものだったから。(80)
 
 
〈参考 S台解答例〉
精神科医として不安であった時期に、共感に至る手立てであるネガティブ・ケイパビリティの内容を知って衝撃を受け、著者名よりもその言葉自体に支えられる思いがしたから。(80)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
ネガティブ・ケイパビリティの考えが、不安に苛まれていた著者に啓示的な衝撃を与え、論文の筆者が誰かを問わず、医業を超えて人生の難局に際して大きな支えとなったから。(80)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
論文の著者の経歴や業績から理論の意義や信憑性を判断するのではなく、論文が提唱している、不確実な状況を受け入れる実践を試みることの方が重要だと思いいたったから。(79)

問五 私たち人間にとって「ネガティブ・ケイパビリティ」を身につけ、発揮することは、なぜ困難であると同時に必要でもあるのか、その「裏返しの能力」と対比させながら、160字から180字で説明しなさい。

〈GV解答例〉
何かを成し遂げる力という意味での能力は、問題に対する的確かつ迅速な対応を可能にし、また当面する事象に意味づけし理解しようとする人間の脳の本性にも適う一方、拙速な理解はより高次の理解を妨げ、誤謬による悲劇をもたらす。その点で判断を保留するネガティブ・ケイパビリティは、脳の本性に反し困難をもたらすが、物事の本質を理解して他者への共感に至る上で不可欠なものだから。(180)
 
 
〈参考 S台解答例〉
才能や才覚、物事の処理能力では、問題が生じれば的確かつ迅速に対処できるが、理解が低次元にとどまる場合や、理解を誤り深刻な悲劇を招く場合がある。他方、性急に証明や理由を求めず、不確かな状態に耐え抜く能力の習得や実践は、当面の事象を意味づけ「分かろう」とするヒトの脳の性質に背くので困難であるが、理解を高次元まで発展させ、対象の本質に深く迫ることを可能にするから。(180)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
社会や教育の現状が人間の脳に本来備わっている物事を効率よく処理しようとする能力の発揮を要請するため、不確かさに耐えて対象の本質に迫るというネガティブ・ケイパビリティの能力を養い実践することには困難さがつきまとうが、そうした性急で皮相な理解の未熟さや誤りを回避して、人生の難局に対処して多様な可能性へと自らを開いていくためには、その能力が必要となるから。(176)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
ヒトの脳には、対象に意味づけをして理解したつもりになることで不安を避けようとする傾向があり、実社会では迅速な問題処理能力が重んじられる風潮もあるため、不確かな状態を保持し続けることは難しい。しかし、物事を簡単に理解できるものとして処理することは、理解を低い次元でとどめてしまうことになる。対象の本質に深く迫るためには、懐疑の中にい続ける能力が必要なのである。(179)