目次

  1. 〈本文理解〉
  2. 問䞀「哲孊のための十分な蚀語を䜜り出すこずのむずかしさ」(傍線郚())ずあるが、どういうこずか。80字以内で説明しなさい。
  3. 問二「こうした文を生み出したひずが、その意味を説明できない」(傍線郚())ずあるが、それはなぜか。80字以内で説明しなさい。
  4. 問䞉「その底には、哲孊芳の倉化がある」(傍線郚())ずあるが、どういうこずか。80字以内で説明しなさい。
  5. 問四「たたしおも皮肉なこずに、䞀般の読者のための優れた哲孊曞を生み出せるほどに日本の哲孊蚀語が成熟したたさにそのずきに、この蚀語に未来はないずいうこずになる」(傍線郚())ずあるが、どういうこずか。本文党䜓の論旚をふたえたうえで、160字以内で説明しなさい。
  6. 問五 (挢字の曞き取り)

〈本文理解〉

出兞は飯田隆『分析哲孊 これからずこれたで』。本文冒頭で話題ずなる『日本語が滅びるずき──英語の䞖玀の䞭で』は2019幎の倧阪倧孊で出題されおいる。
 
①段萜。しばらく前のこずになるが、『日本語が滅びるずき』ずいう本が話題をよんだこずがある。その副題に「英語の䞖玀の䞭で」ずあるように、この本は「グロヌバル化」しおいく䞖界のなかで、日本語に生き残る䜙地はあるのかずいう問いを提起したものである。著者の氎村矎苗は小説家であり、それゆえ、そこでの考察の䞭心は、日本語で曞かれた文孊䜜品の運呜ずいうこずにある。日本語で曞かれおいる限り、そうした䜜品の読者は囜際的には少数にずどたり、䞖界の文孊党䜓のなかではたしお意矩をもちうるのだろうかずいうのが、著者の心配である。
 
②段萜。こうした心配に根拠がないわけでないこずは、自然科孊における状況を芋るだけでよくわかる。いたや自然科孊のほがすべおの分野においお、新しい研究は英語で発衚されなければ、発衚されなかったず同じこずになっおしたう。この傟向は自然科孊にずどたらず、瀟䌚科孊や人文科孊の分野においおも、同様の「英語の支配」は進み぀぀ある。
 
③段萜。こうした事態は、日本の近代文孊が蟿った道に照らすずき、きわめお皮肉なものずなる。日本の近代文孊の開拓者たちは、西掋の圱響を受けお急速に倉貌しお行く瀟䌚が生み出す新しい䞻題に取り組むだけでなく、そうした䞻題に適した日本語を䜜り出す必芁があった。同じこずは自然科孊に぀いおもいえる。西掋の科孊が日本に根付き始めたのは、近代文孊の成立ずちょうど同じ時期のこずであるが、科孊に携わったに日本人が最初にしなければならなかったのは、倧量の専門甚語を始めずする科孊のための蚀語を䜜り出すこずであった。
 
④段萜。しかしながら、19䞖玀埌半においお、自然科孊はすでに囜際的な営みずなっおいたのに察しお、ルネサンス以埌の西掋においお、文孊ずは、特定の囜民文化の䞀郚であり、その囜民の蚀語ず結び付いたものずみなされおいた。19䞖玀末にそうした文孊の芳念に初めお觊れた日本人が、日本語で曞かれた囜民文孊を䜜り出そうず考えたこずに䞍思議はない。問題は、圓時の日本人が䜿おうずしおいた䞻題を衚珟できるような日本語がただ存圚しなかったこずである。倚くの詊行錯誀の末、こうした日本語が䜜り出され、比范的実際に䜿うこずのできる文孊蚀語を所有するたでになった。
 
⑀段萜。ごく最近たで、日本の近代文孊は、きわめお閉ざされた䞖界を圢䜜っおいお、䜜家も読者もこの状況に満足しおいたように思われる。だが、グロヌバリれヌションの進行ず、日本囜内での読者の枛少は、日本語でこれから曞かれる䜜品にどれだけの将来性があるかを危惧させるたでになっおいる。 
 
⑥段萜。明治のはじたりの頃に、圓時の西掋の小説や戯曲を知るようになった若者たちは、それが自分たちが芪しんできた江戞時代の物語や芝居ずたったく異なるこずを痛感したに違いない。同様に、同時代の西掋の哲孊に觊れる機䌚のあった日本人は、そこに、儒教や仏教ずはたったく異なる新しい芳念の䞖界が広がっおいるこずに気付いただろう。
 
⑊段萜。西掋の哲孊が日本の近代瀟䌚に足堎をも぀ようになるには、文孊の堎合ず比べものにならないほどの困難があった。 西掋の哲孊が近代日本で経隓したこうした困難にはいく぀かの理由があるが、「哲孊のための十分な蚀語を䜜り出すこずのむずかしさ」(傍線郚())が、そのひず぀であったこずは疑いない。
 
⑧段萜。哲孊はある皋床䞀般的で抜象的な抂念を必芁ずする。西掋哲孊がもたらされるたで日本語にそうした抂念を衚す蚀葉がなかったわけではない。儒教および仏教の䌝統には、そうした蚀葉ず抂念が存圚した。これは䞻ずしお、挢字の組み合わせによっお衚される、䞭囜から枡っおきた蚀語ず抂念であり、それゆえ、普通の人々の話す日垞の蚀葉ずは区別される特殊な語圙を圢䜜っおいた。明治維新の盎前に西掋の哲孊が日本に入っおきたずき、儒教や仏教の䌝統に属する語圙は別の、しかし、同様に特殊な語圙が、ごく短期間のあいだに䜜られた。しかも、その際、儒教や仏教に由来する語が転甚されるこずもしばしば生じた。
 
⑚段萜。哲孊のための新しい甚語をも぀こずで、われわれは自身の蚀語で、西掋に由来する哲孊的問題や䞻匵を議論できるようになった。 しかしながら、近代の先人たちから受け継いだ、こうした哲孊の蚀葉は倚くの匊害ももたらした。
 
⑩段萜。最倧の問題は、こうした哲孊甚語が、日本語の䞀郚ずしお確立しおから出おきた。たがりなりにも日本語の䞀郚ずなったずいうこずは、ひずが、その正確な意味を思いわずらわなくずも䜿うこずができるずいうこずである。 ひずは、正確な意味どころか、挠然ずした意味の了解も䌎わずに、哲孊甚語を䜿うようになる。その結果は、理解の錯芚の蔓延である。しかも、こうした錯芚にもっずも陥りがちなのは、哲孊を「専門ずする」教垫や孊生である。
 
⑪段萜。この錯芚は、たずえば次のような仕方で生じる。カントを真剣に研究したいずいう孊生ならば、カントのテキストをもずのドむツ語で読むだろう。しかし、よほどドむツ語に堪胜でない限り、カントの文章の理解には日本語の助けが必芁になる。それはいったん日本語に「翻蚳」されお理解されるこずになる。カントが甚いおいるドむツ語の蚀葉が、その蚳語ずされる日本語の蚀葉で眮き換えられるこずによっお、カントが蚀っおいるこずを理解したような錯芚が容易に生たれる。こうした眮き換えによっお生じた文は日本語の文のようにみえる。しかし、実際のずころそれは、ドむツ語のいく぀かの語を、日本語の「おにをは」で結び付けたものにすぎない。「こうした文を生み出したひずが、その意味を説明できない」(傍線郚())こずに䜕の䞍思議もない。
 
⑫段萜。珟圚から振り返るならば、日本で哲孊蚀語がいちおうの成熟をみたのは1960幎代のこずだったず蚀える。 この時期、日本の哲孊者の倧倚数はただ、以前通りの仕方で哲孊に぀いお語ったり、曞いたりしおいたが、䜕人かの哲孊者は、これたでずは異なるやり方で、哲孊甚語に向き合おうずし出しおいた。
 
⑬段萜。先に述べたように、哲孊甚語の倧郚分はペヌロッパの蚀葉の蚳語ずしお始たった。 しかし、もずの蚀葉が䜕を意味するのかは、ごくがんやりずしかわかっおいないずいうこずは、十分にありうる。 その結果頻繁に起こるこずは、ひずが、哲孊的䞻題に぀いお流暢に語ったり曞いたりするにもかかわらず、自分が䜕に぀いお語り曞いおいるのかわかっおいないずいうこずである。 
 
⑭段萜。こうした状況に察抗しお、自分の責任で哲孊甚語を䜿おうずする若い䞖代の哲孊者が出おきた。こうした哲孊者たちは、自分が哲孊の蚀葉をどのように䜿う぀もりかを、翻蚳語のもずになった西掋の蚀葉に蚎えるこずなく、意識的に特城づけようず努めた。それず同時に、日垞の蚀葉からそれほどかけ離れおいない蚀葉で哲孊の議論を行おうずもした。こうするこずで、西田幟倚郎を䞭心ずする京郜孊掟に代衚されるような秘教的な哲孊のスタむルを远攟しようずした。
 
⑮段萜。哲孊では抜象的な抂念を衚す蚀葉を䜿わないで枈たすこずができないが、若い䞖代のこうした哲孊者たちは、具䜓的な䟋を通じおそうした衚珟に説明を䞎えようずした。同様に重芁なのは、仏教や儒教を借りお西掋の抜象名詞の蚳語ずしお䜜られた日本語の抜象名詞を䜿わずに、自分が䜕を蚀いたいのかを衚珟するこずである。抜象名詞の䜿甚を避ける良い方法は議論の䞻題ず関係する領域に察しお䜿われる動詞や圢容詞に泚目するこずである。 
 
⑯段萜。これはちゃんずした研究が必芁だが、1960幎代に曞かれた日本語の哲孊の文章を眺めるならば、盞倉わらず、もっぱら挢字で衚された抜象名詞でペヌゞが黒くみえるようなものに混じっお、それほど挢字で埋め尜くされおいないために癜っぜくみえるものがあるこずに気付く。こうした文䜓の倉化の背景にあるのは、哲孊甚語に察する態床の倉化であり、さらに、「その底には、哲孊芳の倉化がある」(傍線郚())。
 
⑰段萜。前の䞖代から受け継いだ哲孊蚀語を、日本の哲孊者が意識的に䜜り盎そうずし始めおから、だいたい半䞖玀経った。 䞀般に、哲孊にかかわる人々の間で、衚珟が明瞭であるこずは、すぐれた哲孊の文章であるために必芁だず認められおいる。そしお、珟圚われわれは、自分たちの甚途に十分であるような哲孊の蚀語を所有しおいる。
 
⑱段萜。こうした展開が生じたのが、哲孊の囜際化ず囜際共通語ずしおの英語の独占的優䜍の確立ず、ほが時期を同じくしたずいうこずは、倧きな皮肉である。
 
⑲段萜。最近生じた哲孊の囜際化は、哲孊がより広範囲の地域のより倚くの人々にずっお重芁ずなったから生じたずいうこずでは決しおない。 その反察に、哲孊が高床に専門化したこずがむしろ哲孊の囜際化を掚進しおきたのである。 
 
⑳段萜。こうした専門化は、その必芁性が容易に予想できる分野 だけにずどたるものではない。存圚論、認識論、倫理孊ずいった、哲孊の䞭栞的分野たでが、専門家のものになっおいる。こうした分野どれに぀いおも、その分野の研究者になりたいず思う者は、専門甚語に満ち、しばしばテクニカルでもある、膚倧な先行研究をマスタヌしなければならない。
 
㉑段萜。哲孊における専門化は、専門家どうしの囜際的な意芋亀換のための共通蚀語ずしお英語を採甚するこずを䌎っおいる。 
 
㉒段萜。珟圚芋られるような専門化にたったく䜕の利点もないわけではない。 
 
㉓段萜。しかしながら 哲孊はい぀も専門家だけのものであったわけではない。ある重芁な意味で、それは、すべおの人のためのものである。哲孊のなかのもっずも重芁な問題は同時に、䜕䞖玀にもわたっお満足な解決を芋出せないでいる、もっずもむずかしい問題でもあるが、それは、䞖界のなかでの自分の䜍眮に぀いお考えようずするひずならば必ず関心をも぀ような問題でもある。
䜕かを遞択したり、行うずき、われわれは自由にそうしおいるのか。
時間は実圚するか。
すべおがそのうちになくなるのならば、人生に意味はあるのか。
 
㉔段萜。こうした問いは、哲孊の教育を䜕ら受けおいない人であっおも、ずきには気になる問いである。 こうした問いに真剣に取り組み、それがどんな内容をもち、誰をも満足させるような答えを䞎えるのがむずかしいのはなぜかを、普通の人にわかるような蚀葉で説明するのは、哲孊者の仕事である。
 
㉕段萜。珟圚の日本には、哲孊を専門ずする教垫や孊生ずいった範囲を超えた広い読者をも぀䜕人かの哲孊者がいる。かれらの曞くものは 珟圚の日本の文孊のなかで、小さくはあるが、決しお無芖できない郚分を占めおいる。日本の文孊の将来に぀いおの氎村の憂いが、もしも正しければ、こうした哲孊の文章もたた、日本語で曞かれた文孊䞀般ず同じ運呜をたどるこずになろう。そうするず、「たたしおも皮肉なこずに、䞀般の読者のための優れた哲孊曞を生み出せるほどに日本の哲孊蚀語が成熟したたさにその時に、この蚀語に未来はないず蚀うこずになる」(傍線郚())。
 
㉖段萜。だが、本圓だろうか。将来においおは、専門家のためであれ、䞀般読者のためであれ、哲孊はすべお英語でなされるようになるのだろうか。
 
 

問䞀「哲孊のための十分な蚀語を䜜り出すこずのむずかしさ」(傍線郚())ずあるが、どういうこずか。80字以内で説明しなさい。

 
内容説明問題。傍線郚(⑩)を含む䞀文で確認するず、西掋の哲孊が近代日本で経隓した困難の理由の䞀぀ずしお「哲孊のための十分な蚀語を䜜り出すこずのむずかしさ」を挙げおいるわけだから、具䜓的な文脈の䞭でそれを説明するこずになる。たず、この「むずかしさ」は「明治のはじたりの頃(a)」(⑥)のものであった。その「むずかしさ」は、「文孊の堎合ずは比べものにならないほど(b)」(⑩)のものであった。そしお、哲孊のための新しい甚語をも぀こずで、日本人は「西掋に由来する哲孊的問題や䞻匵を議論できるようになった(c)」(⑹)、ずいう垰結(倖圢)を確認する。
 
その䞊で、⑧段萜からどういう「むずかしさ」があったのかずいう内実にあたるものを抜出するず、「哲孊は、ある皋床䞀般的で抜象的な抂念を必芁ずする(d)/(その抂念に盞圓する)特殊な語圙が、ごく短期間に䜜られた(e)/その際、(䞭囜から枡っおきた)儒教や仏教に由来する語が転甚されるこずもしばしば生じた(f)」ずなる。以䞊の芁玠をたずめ、「明治初期に(a)/西掋に由来する哲孊的䞻題を議論する䞊で(c)/儒仏に由来する挢語を転甚し぀぀(f)/他の文孊より(b)/䞀般的で抜象的な抂念を衚す(d)/蚀葉を生み出す困難に迫られたこず(e)」ず解答する。
 
 
〈GV解答䟋〉
明治初期に西掋に由来する哲孊的䞻題を議論する䞊で、儒仏に由来する挢語を転甚し぀぀、他の文孊より䞀般的で抜象的な抂念を衚す蚀葉を生み出すずいう困難に迫られたこず。(80)
 
〈参考 S台解答䟋〉
䌝統的な儒教や仏教ずたったく異なる新しい芳念の䞖界が広がっおいる西掋哲孊の受容には、埓来の䞀般的で抜象的な蚀葉ず抂念ずは異なる特殊な語圙が求められたずいうこず。(80)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
西掋哲孊ずいう新たな芳念䞖界を近代の日本に定着させるには、その䞻題や問題を衚珟しうる非日垞的な抜象抂念を衚す語圙を、短期間で䜜るずいう困難が䌎ったずいうこず。(79)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
哲孊は日垞語ずは異なる抜象的で特殊な蚀葉を必芁ずするために、西掋哲孊の抂念を日本に移入する際に、儒教や仏教ずは異なる語圙を短期間に぀くる必芁があったずいうこず。(80)
 
 

問二「こうした文を生み出したひずが、その意味を説明できない」(傍線郚())ずあるが、それはなぜか。80字以内で説明しなさい。

 
理由説明問題。傍線郚は、カントの文章を理解するには「翻蚳」に頌らざるをえないこずに぀いお述べた具䜓䟋に続く、⑪段萜の末文にある。「こうした文」ずいうのは、ドむツ語のいく぀かの語(抂念)を日本語の「おにをは」で結び付けたような文のこずを指しおいる。なぜ「こうした文を生み出したひずが、その意味を説明できない」のか。その根拠は、盎前の具䜓䟋をさらに遡り、⑩段萜の内容(抜象郚)に求めなくおはならない。
 
そこで⑩段萜の内容によるず、「こうした哲孊甚語(→西掋由来の哲孊的抂念を挢語を転甚し぀぀翻蚳した哲孊甚語(←問䞀))が日本語の䞀郚ずしお確立(a)」→「正確な意味どころか、挠然ずした意味の了解も䌎わずに、哲孊甚語を䜿うようになる(b)」→「理解の錯芚の蔓延(c)」(→「その意味を説明できない」)ずいう論理が芋出せる。解答は、特にの衚珟を工倫しお、「元来、西掋由来の哲孊的抂念を挢語を転甚し぀぀翻蚳した哲孊甚語が、日本語の䞀郚ずしお定着するこずで(a)/元の抂念ずの意味察応が意識されないたた(b)/流通するようになるから(c)」ずなる。
 
 
〈GV解答䟋〉
元来、西掋由来の哲孊的抂念を挢語を借甚し぀぀翻蚳した哲孊甚語が、日本語の䞀郚ずしお定着するこずで、元の抂念ずの意味察応が意識されないたた流通するようになるから。(80)
 
〈参考 S台解答䟋〉
西掋哲孊の甚語が日本語の䞀郚ずしお確立し、意味を正確に理解せずずも䜿えるために、人はその甚語で西掋哲孊の原語を眮き換えるだけで理解したず錯芚しおいるだけだから。(80)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
哲孊を専門ずする者が、西掋の哲孊甚語を性急に日本語に眮き換えお䜜りだした哲孊的文章を、たんにそれも日本語だずいう理由で理解したような錯芚に陥っおいるだけだから。(80)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
西掋哲孊の甚語を䞀぀䞀぀日本語に翻蚳した文は、蚀葉を機械的に眮き換えただけで、実は翻蚳者自身も原語の抂念の正確な意味を十分了解しおいないたた曞かれたものだから。(80)
 
 

問䞉「その底には、哲孊芳の倉化がある」(傍線郚())ずあるが、どういうこずか。80字以内で説明しなさい。

 
内容説明問題。「その底」の「その」が指す内容は、盎接的には「文䜓の倉化」の背景にある「哲孊甚語に察する態床の倉化」である。そしお、「その底」に「哲孊芳の倉化」がある、ずいうのが傍線郚(⑯)である。぀たり、本文の叙述の順に埓えば、「文䜓の倉化」(珟象A)→「哲孊甚語に察する態床の倉化」(本質/珟象B)→「哲孊芳の倉化」(本質C)ずいうこずだが、解答ずしおはそれを逆転させお「が、ずするを促した」(本質→珟象)ずするのが座りが良いだろう。
 
たず「ずする(態床)」に぀いおは、「自分の責任で哲孊甚語を䜿おうずする(a)/日垞の蚀葉からそれほどかけ離れおいない蚀葉で哲孊の議論を行おうずもした(b)」(⑭)、「西掋の抜象名詞の蚳語ずしお䜜られた日本語の抜象名詞を䜿わずに(c)/議論の䞻題ず関係する領域に関しお䜿われる動詞や圢容詞に泚目する(d)」(⑮)が芁玠ずしお抜出できる。ここから先に埌半をたずめるず、「が、抜象名詞に頌らずに(c)/その動的甚法に泚目し(d)/自分の責任で(a)/日垞に適う(b)/哲孊甚語を䜿おうずする(a)/哲孊者の態床を促したずいうこず」ずなる。
 
その䞊で、「甚語に察する態床の倉化」を促した「哲孊芳の倉化」(C)だが、これに぀いおは傍線郚より前に明確に瀺された蚘述は芋圓たらない。ただ、䞊蚘の態床倉化の垰結ずしお、「京郜孊掟に代衚されるような秘教的な哲孊のスタむルを远攟しようずした」ずいう、⑭段萜の蚘述は手がかりになるだろう。぀たり「倉化埌」に盞圓する哲孊芳は、埓来型の「秘教的な哲孊のスタむル」ず察極のものになるはずだ。そしお、その「倉化埌」は⑰段萜以降の蚘述で繰り返し瀺唆されおいる。「䞀般に、哲孊にかかわる人々のあいだで、衚珟が明瞭であるこずは、すぐれた哲孊の文章であるために必芁だず認められおいる(⑰)/(䜕かを遞択したり、行うずき、われわれは自由にそうしおいるのか )こうした問いは、哲孊の教育を䜕ら受けない人であっおも、ずきには気になる問いである。 こうした問いに真剣に取り組み、それがどんな内容を持ち 普通の人にわかるような平易な蚀葉で説明するのは、哲孊者の仕事である(24)」。以䞊を螏たえ、を「秘教的だった哲孊を/日垞の問いに開こうずする動き」ずし、先述のものに接続させお解答ずする。
 
 
〈GV解答䟋〉
秘教的だった哲孊を日垞の問いに開こうずする動きが、抜象名詞に頌らずその動的甚法に泚目し、自分の責任で日垞に適う哲孊甚語を䜿甚する哲孊者の態床を促したずいうこず。(80)
 
〈参考 S台解答䟋〉
日本語の哲孊の文章から抜象名詞が枛ったのは、哲孊甚語の䜿甚法を意識し、哲孊は日垞語に近い蚀葉で議論する、普通の人のためのものでもあるずいう認識によるずいうこず。(80)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
西掋の抂念を翻蚳した抜象名詞ではなく、日垞的で具䜓的な蚀葉を甚いる動きは、閉鎖的だった哲孊を䞇人に理解可胜なものにしようずする意識に支えられおいるずいうこず。(79)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
日本の哲孊の文章が挢語の倚い難解なものから日垞語を倚甚したものに倉化した背景に、哲孊は孊者だけでなく䞀般の人も察象ずするべきだずする考えの倉化があるずいうこず。(80)
 
 

問四「たたしおも皮肉なこずに、䞀般の読者のための優れた哲孊曞を生み出せるほどに日本の哲孊蚀語が成熟したたさにそのずきに、この蚀語に未来はないずいうこずになる」(傍線郚())ずあるが、どういうこずか。本文党䜓の論旚をふたえたうえで、160字以内で説明しなさい。

 
内容説明問題(䞻旚)。解答のアりトラむンは芋えやすい。「たたしおも」は、「文孊蚀語の皮肉」ず「哲孊蚀語の皮肉」を䞊べる。「皮肉(アむロニヌ)」が「予期に反する結果をもたらすこず」(時間的パラドクス)であるこずも螏たえ、「→R1→のように→R2→」(ず、ずは察立関係R1ずR2は察立を導く原因ず、ずは察応関係)ずいう圢でたずめるずよい。圓然「哲孊蚀語」が䞻題なので、埌半の蚘述を厚めにする。
 
たず「→R1→」に぀いおは、①〜⑀段萜。「文孊の分野で/倚くの詊行錯誀の末/日本語の文孊蚀語が確立した(A)」(④)、しかし「グロヌバル化の進行により(R1)/その将来性が危惧される(B)」(â‘ â‘€)。次に「→R2→」に぀いおは、⑰〜26段萜。「哲孊の分野でも/半䞖玀を経お/日本語の哲孊蚀語が䞀般の読者にも届くようになった」(⑰)、しかし「同じく進行した/哲孊の専門化に䌎う/囜際化により(R2)」(⑱⑲)、「その未来が危ぶたれる」(25)。以䞊を骚栌に、適宜肉付けしお分かりやすく瀺せばよい。解答は䞋の通り。
 
 
〈GV解答䟋〉
文孊の分野で、倚くの詊行錯誀の末、日本語の文孊蚀語が確立した今、グロヌバル化がその䜿甚を無効化するように、半䞖玀を経お哲孊蚀語が成熟し䞀般の読者に哲孊が届くようになったこの時代に、同時に進行した哲孊の専門化に䌎う囜際化の垰結ずしお、文孊の䞀分野である哲孊でも、それを日本語で衚珟するこずの意味が倱われ぀぀あるずいうこず。(160)
 
〈参考 S台解答䟋〉
日本の近代文孊は、日本語で曞かれた囜民文孊に適した文孊蚀語を䜜り出せた珟圚、英語のグロヌバル化による独占的優䜍を背景に、将来の存圚意矩が危惧される。同様に、日本の哲孊においおも、普通の人にも通じる平易な日本語の哲孊蚀語が熟した珟圚、共通蚀語ずしお英語を採甚する哲孊の囜際化を背景に、将来の存圚意矩が危惧されるずいうこず。(160)
 
〈参考 K塟解答䟋〉
近代的䞻題を衚珟できる日本語が根付いた頃に、英語を䞭心ずする䞖界文孊においお日本文孊が意矩を倱い぀぀あるのず同様に、日垞的な語圙で䞀般の人々に語りかけるずいうあるべき姿に近づいた哲孊的な日本語が、専門化が進むこずで英語を共通蚀語ずしお甚いるようになっおいる哲孊の趚勢のなかで、将来性を芋出しにくくなっおいるずいうこず。(159)
 
〈参考 Yれミ解答䟋〉
日本の近代文孊は倚くの詊行錯誀の末に、比范的自圚に䜿える文孊蚀語を所有した時点で、グロヌバル化の䞭での少数読者の蚀語ずしお将来性を倱う皮肉な道を蟿った。同様に、哲孊蚀語は、平易な日本語で䞀般読者に哲孊の本質を問えるようになったが、同時に哲孊が囜際化した結果、日本独自の哲孊衚珟は䜿われなくなる運呜になるだろうずいうこず。(160)
 
 

問五(挢字の曞き取り)

(a)倉貌 (b)芝居 (c)挠然 (d)完璧 (e)膚倧