〈本文理解〉

出典は本居宣長「排蘆小船」(あしわけおぶね)。著者は江戸時代の国学者にして、その大成者。

①段落。問ふ。古今世を捨てたる墨染の人(出家者)として、恋の歌詠めること、挙げて数ふべからず(全て数えることができないほど多い)。また憚ることもせざるは何事ぞ。色欲は殊に深き仏の戒め、あるまじきことの第一なり。しかるを(それなのに)僧の恋歌詠めるも甚だ賞す。(六歌仙の一人、僧正遍昭の例)。

②段落。答へて曰く、…先にも委しく(くわしく/委曲を尽くす)いへるごとく、歌は思ふことを程よくいひ出づる物なり。心に思ふことは、善悪に関はらず、詠み出づるものなり。されば心に思ふ色欲を詠み出でたる、何の事かあらん(何の問題があろうか)。…優れたる歌ならば、僧俗選ぶべきにあらず。「その行跡の善し悪し、心の邪正美悪は、その道その道にて褒貶議論すべきことなり」(傍線一)。歌の道にて、とかく論ずるべきにあらず。この道にては、ただその歌の善悪をこそいふべきことなれ。「僧なれば恋の歌詠むまじき理なりなど、なんぞ由なき議論をなすべき」(傍線二)。その上すべて出家とさへいへば、みな心まで菩薩のごときものと心得たるか。…まことに世尊(お釈迦様)の上なき戒め、輪廻転生の絆、これに過ぎたることなければ(これ以上大切な教えはないので)、僧としては、もとも(最も)厭ひ避けるべきことなれども、僧とてももと(元来)俗人と変はりたる性質にあらず。もと凡夫(煩悩にとらわれた存在)なれば、「人情」(傍線三)に変はりたることはなきはずなり。万人の同じごとくこのむ声色(音楽と色欲)なれば、独り出家の好むまじき道理はなきことなり(出家者だけが好んではならないという道理はないのである)。

③段落。心に思ひ願ふことは変はらねども、出家したる上は、己を克ちて随分慎み避くべきはもとよりのことなり。しかるを(それなのに)、僧なれば心に色を思ふもを憎み疎むは、「人情」(傍線三)を知らぬ心なり。世尊の深く戒めたまふも、人ごとに(毎に/それぞれ)離れがたき物なるゆゑなり。その戒めの厳しきを以ても、この事(色欲)の避け捨てがたき程を知るべし。されば(それゆえ)僧などは、いかにも(何としても)慎み遠ざけて、恋すまじきなりものなれば、いよいよ心には思ひむすぼれて(気がめいって)、情の積鬱すべき理なれば(感情が鬱屈するのが道理であるから)、せめて思ひを和歌に晴らさんこと、いと哀れなることにあらずや(何とも心打たれることではないか)。されば(それゆえ)優れたる恋歌も、俗人よりは出でくべきなり。しかるを(それなのに)今の世の歌よむ僧も、恋の歌憚りて詠まず。また歌詠むに限らず、すべて僧の、色欲ごとは、少しも心に思ひ懸けぬようにみせ慎む。これ今の世の僧俗ともに偽り多く、心得悪しきなり。僧とてなんぞ心には色を思はざらんや。これにつけても、昔の人は、正直質朴にして、偽り飾ることの少なかりしこと知るべし。

〈設問解説〉 問一 「その行跡の善し悪し、心の邪正美悪は、その道その道にて褒貶議論すべきことなり」(傍線一)とはどういうことか。文脈に則して述べなさい。(50字以内)

内容説明問題。一般に古文で、傍線部の「訳」ではなく「説明」を求める場合、「傍線」に直訳しにくい箇所があり、文脈を踏まえた意訳をしてよいという配慮であることが多い。本問の場合、語義のレベルで置き換えにくい箇所はないが、やはり「文脈に則して」という要求を踏まえ、傍線の具体的説明に必要となる要素を前後から補充しなければならない。逆に傍線の要素を一言一句、逐語的に置き換える必要はない。

まず前半部は「その(A)/行為や心持の良し悪し(B)は」と集約した上で、行為や心持の主体となるAの指示内容を特定する。ここでは、漠然と「人」などとはせずに、前文にも「僧俗選ぶべきにあらず」とあるように、「僧」を話題にしながら、それ以外の「俗」(江戸時代は寺壇制度の下にあるから出家者以外は原則、在家信者となる)と対比して述べているから、「出家在家を問わず」としてAの位置においた。

次に後半部。「褒貶議論すべきことなり」(←「毀誉褒貶(誉めたり貶したりすること)」については、「(Bは)判断すべきである」とする。「その道その道にて」については、次文「歌の道」との対比になっていることに着目する。さらに次文「この道(歌の道)にては、ただその歌の善悪をこそいふべきことなれ」を踏まえて説明すると、「Bは/仏道については仏道で/Xの道についてはXの道で/それぞれ判断すべきで/それと歌の評価は関係ない」となる。これを簡略化して「Bは/その帰属に応じて/判断すべきで/歌の評価とは対応しない」とまとめた。

<GV解答例>
出家在家を問わず、行為や心持の良し悪しは、その帰属に応じて判断すべきで、歌の評価とは対応しないこと。(50)

<参考 RED本解答例>
人の行いや心のあり方は、歌によってではなく、それぞれの分野の価値観により評価すべきだということ。(48)

問二 「僧なれば恋の歌詠むまじき理なりなど、なんぞ由なき議論をなすべき」(傍線二)を現代語に訳しなさい。

現代語訳問題。こちらは、問一と異なり逐語訳を第一とする。「僧/なれ/ば」→「僧/である(断定)/から(已然形+ば)」、「恋の歌/詠むまじき/理なり/など」→「恋の歌を/詠んではならない(禁止)/ことは(準体法)/当然である/などと言って(引用の助詞)」、「なんぞ/由なき/議論をなすべき」→「どうして/つまらない(「由緒」なし)/議論をしようか(いやしまい)(反語)」。

<GV解答例>
僧であるから恋の歌を詠んではならないことは当然であるなどと言って、どうしてつまらない議論をしようか。(50)

<参考 RED本解答例>
僧であるので恋歌を詠んではならないのが当然のことであるなどと、どうして無意味な議論をする必要があるだろうか。いやその必要はない。(64)

問三 「人情」(傍線三)はここではどのような意味か述べなさい。

内容説明問題(主旨)。傍線は2ヶ所に引いてあるから、両方の傍線付近より要素を拾う。まず、②段落後半の傍線付近からは、直前部「僧とてももと俗人と変はりたる性質あらず/もと凡夫たれば/人情に変はりたることはなきはずなり」を拾う。これより「僧であっても/元来凡夫である以上/等しく備わるもの」(A)とまとめられる。③段落前半の傍線付近からは、傍線後の2文より「世尊の深く戒めたまふも/人ごとに離れがたき//その戒めの厳しきを以ても/この事(色欲)の捨てがたき」を拾う。これを踏まえて、先のAを「いくら高潔な僧であっても/等しく凡夫である以上/逃れることのできないもの」(B)と修正する。

ただ、これではまだ「人情」の内実に触れていない。その「人情」は、本文でテーマとなる「色欲」を含むものであり、「色欲」でそれを説明したことにはならない。手がかりは本文末尾に至る箇所にある。そこで本居は、「今の世」の僧が恋歌を憚って詠まず、色欲にも思い懸けぬよう振る舞うことを「偽り」と断じた上で、末文でこう述べる。「これにつけも昔の人は/正直質朴にして/偽り飾ることの少なかりし」。ここに本居が、「今の世」の人が見失っていると嘆く「人情」の内実がある。すなわち「人情」とは、「素直で/偽りのない/ありのままの心」のことである。これをBの締めにおいて解答自体は完成する。

こうした解答を導くにあたり、本居の国学思想については、倫理や日本史で習う程度のことは知っておいた方がよい。簡潔に述べると、本居は、外来の儒仏(「漢意(からごころ)」)を排して日本人古来の心のありかた(「真心」)を追究する国学運動を主導した。「漢意」が外来の思想である故の、どこかしっくりこない理屈っぽさ、作為性をぬぐえないのに対し、本居は身体や感情に根差したあるがままの心のあり様を、古典作品の言葉からすくい取り肯定しようとしたのである。また、先行する古学派に触発された国学の合理的な文献研究の態度と成果も、後世において意義深いものとなったと言えるだろう。

<GV解答例>
いくら高潔な僧であろうとも等しく凡夫である以上、逃れることのできない素直で偽りのないありのままの心。(50)

<参考 RED本解答例>
色情を好む人間の自然な性質という意味。(19)