〈本文理解〉

出典は佐藤伸彦『ナラティブホームの物語』。著者は臨床医。
 
①段落。寝たきりになってしまった。もう会話することもできない。でも現にこうして生きている一人の人への「家族のやり場のない想い」。子どもの成長の喜びや老後の楽しみを元気でいれば味わえただろうにという「本人の無念な想い」。この二つの「想い」のあいだに成り立っている「物語」の中に、日本特有の高齢者医療の本質がある。
 
②段落。何も語らない寝たきりの身体に、「まるで会話を交わしているかのように」(傍線部(1))家族が語りかけることはよくある。…
 
③段落。…
 
④段落。こうした語りかけの中には「二つの状況」(傍線部(2))があるように思う。一つは語れない人の言葉(想い)を、家族がその人に代わって語るという場合である。「母は寒がりでね。この毛布だけじゃ寒いと言ってます。必ず股引はかせてくださいね」…
 
⑤段落。もう一つは、家族の想いを、語れない人の言葉を借りて、語るという場合である。「お父さんがね、兄弟みんな仲良くしろと言ってるんですよ。今まで離れ離れになってましたからね。お父さんがみんなを呼び集めたようなもんですよ。子どもたち仲良くしていけよって‥‥」…
 
⑥段落。こうした語りを通じて、「語りえない人と家族とが一体化する」(傍線部(3))ということが起きる。語れない人の言葉を家族が代筆するというかたちで新しい物語が展開する一方で、家族の語りえないことを語れない人の言葉として代弁するということを通して、家族の物語もまた続いていく。
 
⑦段落。寝たきりの本人そしてその家族が、お互いの声にならない声を聞き、語ることによって、物語は良い悪いに関わらず次のページを開けることになる。
 
⑧段落。患者さんの手をさすり話しかける。その顔を見ただけでその日の状態がわかるともいう。…毎日毎日、一日も休むことなく病室を訪れて、患者さんのケアを行っているご家族がいる。
 
⑨段落。当たり前のように寝たきりの患者さんに話しかける。手足に触れ、身体が硬くならないようにリハビリテーションのスタッフ顔負けに機能訓練をし、テレビを見せ、ラジオで音楽を聴かせる。…
 
⑩段落。私はそれを「自己満足」だとか「家族が病気を受け入れていない」のだなどと勝手に考えていた時期もあったが、そうした家族を多く見るにつけ、医学とは全く相いれないところでつながっている関係があることを認めざるをえなくなった。
 
⑪段落。臨終の場でも、同じような印象を持つ。すでに呼吸も心臓も止まり、死の宣告を受けたにもかかわらず、「まだ、あったかいわ。おばあちゃん、おばあちゃん」「今までありがとうね。ほんとにありがとうね。ごくろうさま」と話しかける娘、「そこにはありありと親子の対話が実現している」(傍線部(4))。死人との一方的な会話ではなく、二人の思い出、人生、歴史、物語がそこには表れている。
 
⑫段落。私の中にも、小学生のときに死んだ父が、つい最近死んだ母が、同じ時代に生きている感覚で、明らかに存在する。かたちとして見ることはできないが、語ることはできるものとして存在する。…まるで生きて話をしているかのような感覚で、突然現れる。…同じことが、意思の疎通ができない患者さんとご家族のあいだで起こるのではないだろうか。目の前に横たわっているただの寝たきりの老人ではなく、その人との関係性を持ち続けることで、自らの意識の中に、実にリアリティーを持ってその人が現れてくるということがある。
 
⑬段落。私はこの語るものと語られるものとの関係性を、「心象の絆」(傍線部(5))と呼んでいる。私たちは、そういった心象の絆の中で、自分というものを意識し、自分というものの存在を成り立たせているのだと思う。
 
⑭段落。寝たきりでコミュニケーションのとれない患者さんを見て思った。「何もできない、意思表示もできない、こんな状態で幸せなんだろうか、つらくはないんだろうか」と。しかし、この寝たきりの人の「生きる意味」を問うことが本当に必要なのだろうか。答えがあるのだろうか。もしかしたら、「問いの立て方が逆」(傍線部(6))なのではないだろうか。「何のために生かされているのか、生き続けているのか」を問うのではなく、何も言わないその「生」が、ただ「生き続けること」で、「ただそこに在ること」で、私たちに何を語りかけているのか、傍らにある私たちに何をしろと言っているのかを問うべきではないのか。
 
⑮段落。…
 
⑯段落。もちろん、それは単なる医療者側の頭の中だけの空想ではないかという意見もあるだろう。…しかし、それを謙虚に認めた上で、あくまでも私の勝手な思い込みではないかという懸念を持ちながらも、ビーイング(→ただ、そこに在る)の「声なき声」に耳を傾ける努力をしていくしか、私には今のところ道はない。もの言わぬ身体に少しでも近づきたいと努力してこそ見えてくるものがあると信じている。
 
 

問一「まるで会話を交わしているかのように」(傍線部(1))とある。※印より前にある家族の発話の中に、家族が寝たきりの人と会話を交わしているように見える姿を効果的に表現した動詞がある。その動詞(一語)を探して終止形で答えよ。

 

〈答〉言う
 

問二「二つの状況」(傍線部(2))とある。ここにいう「二つの状況」とは何を指すか。それぞれ25字以内で説明せよ。

内容説明問題。傍線部の直後「一つは」以下と、会話体を挟んだ後の、「もつ一つ」以下をまとめるとよい。

 

 

〈GV解答例〉
語れない人の想いを家族がその人に代わって語る状況。(25)
家族自らの想いを語れない人の言葉を借りて語る状況。(25)

 

〈参考 K塾解答例〉
語れない人の想いを家族が当人に代わって語ること。(24)
家族の想いを語れない人の言葉として語ること。(22)

 

 

問三「語りえない人と家族とが一体化する」(傍線部(3))とある。これはどのような状態を述べたものか。「語り」「物語」という二つの語を用いて説明せよ。(2行)

 

内容説明問題。傍線部の状況をもたらす原因である直前部も含め、「こうした語りを通じて(a)/語りえない人と家族が一体化する(b)」として把握する。aの部分については、前問の「二つの状況」と対応するが、前問で答えた内容なので繰り返し述べる必要はない。そこで、本問では、⑦段落「寝たきりの本人そしてその家族が、お互いの声を聴き、語ることによって(c)/物語は良い悪いに関わらず次のページを開けることになる(d)」の「c→d」が、先の「a→b」に対応することに着目する。この「c→d」には「語り」「物語」という指定用語に相当する表現もある。あとは、dの「次のページを開ける」という比喩的な表現に配慮しするなど、適宜表現を改めて、「寝たきりの人とその家族がお互いに声にならない声を聴き語りあうことで/前者も含んだ家族の新しい物語が展開し始めるということ」と解答する。
 
 
〈GV解答例〉
寝たきりの人とその家族がお互い声にならない声を聴き語りあうことで、前者も含んだ家族の新しい物語が展開し始めるということ。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
語れない人とその家族との語りを通して、家族の物語が生み出されていくということ。(39)
 
 

問四「そこにはありありと親子の対話が実現している」(傍線部(4))とある。臨終の場において一方的な会話ではなく対話が実現していると筆者が感じているのは、家族にどのような感覚があると考えているからか。説明せよ。(2行)

 

内容説明問題。臨終の場において、死んだ家族との対話が実現していると筆者が感じる根拠となる家族の「感覚」について説明する。まず着目したいのは、傍線部を含む⑪段落の冒頭が「臨終の場でも、同じような印象をもつ」となっていること。つまり、寝たきりの患者とそれに語りかける家族との間(⑨⑩)と同じく、「臨終の場でも」、死んだ家族と生きる家族との間には「医学とはまったく相いれないところでつながっている関係がある(a)」(⑩)と、筆者は感じているということである。
 
次に、aを具体化したものとして、⑫段落の記述「目の前に横たわっているただの寝たきりの老人ではなく、その人との関係性を持ち続けることで、自らの意識の中に、実にリアリティーをもってその人が現れてくる(b)」も参照できる。ここは、再び寝たきりの患者とその家族に話題を戻した箇所だが、本文構成上、「臨終の場」においても同様に成り立つと考えてよいだろう。以上、abを踏まえて、「親しい家族が死んだ後も生前の関係性が維持され/自らの意識の中に現実感を伴ってその人が現れ/生きて話をしているような感覚(→対話が実現)」と解答する。
 
〈GV解答例〉
親しい家族が死んだ後も生前の関係性が維持され、自らの意識の中に現実感を伴ってその人が現れ、生きて話をしているような感覚。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
死んだ人とは意思疎通ができないはずなのに、その人がまるで生きて話しているかのような感覚。(44)
 
 

問五「心象の絆」(傍線部(5))とある。「心象の絆」とは何か。本文中の言葉を用いて説明せよ。(2行)

 

内容説明問題。傍線部一文を確認すると、「私はこの語るものと語られるものとの関係性を、「心象の絆」と呼んでいる」(⑬)とあるから、「語るものと語られるもの(a)の〜関係性(b)」として解答を締めればよい。ただ、その関係性の中身について直接言及した箇所は本文に見当たらない。そこで、「心象」(=心の中のイメージ)の語義を踏まえ、それと相当する「二人の思い出、人生、歴史、物語(c)」(⑪)を抽出する。ここでの「二人」とは、直接的には、臨終の場での死んだ母と娘を指しているが、これは寝たきりの患者とその家族にも当てはまり(→問四)、その両者は傍線部の主体である「語るものと語られるもの(a)」に含まれるものである。
 
以上で解答要素はそろうわけだが、あとはabcのつながりをどう説明して示すかである。まず「心象の絆」の「心象」に相当するcは、「絆」=「関係性」の結び目となるものである。そのcに媒介された関係性(b)こそが、「語るものと語られるもの」すなわち「何も言わない死人や寝たきりの人とその家族(a)」の「対話」を可能にするのである。これより解答を、「何も言わない死人や寝たきりの人とその家族の間での対話を可能にする/共有された思い出、人生、歴史、物語に媒介される関係性」とまとめればよい。
 
 
〈GV解答例〉
何も言わない死人や寝たきりの人とその家族の間での対話を可能にする、共有された思い出、人生、歴史、物語に媒介される関係性。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
語るものの意識の中にリアリティーを持って現れる、語るものと語られる者との関係性。(40)
 
 

問六「問いの立て方が逆」(傍線部(6))とある。本文中には二つの対立する問いの立て方が挙げられている。そのうち一つは「寝たきりの人の生きる意味を問うこと」である。もう一つの問いの立て方とはどのようなものか。60字以内で説明せよ。

 

内容説明問題。「逆」であることを明確に示す必要がある。根拠となるのは傍線部の次文、「何も言わないその「生」が、ただ「生き続けること」で、ただ「そこに在ること」で、私たちに何を語りかけているのか、傍らにある私たちに何をしろと言っているのかを問うべきではないのか」(⑭)。これ(X)と、設問で親切にまとめてある対立する問いの立て方「寝たきりの人の生きる意味を問うこと(Y)」を比べた場合、Yが「私たち」が問いの主体→「寝たきりの人」が問いの客体なのに対して、Xは「寝たきりの人」が問いの主体→「私たち」が問いの客体という筋が見えてくる。ここを中心に、最終⑯段落「ビーイング(→ただ、そこに在る)の「声なき声」に耳を傾ける努力をしていくしか、私には今のところ道はない」も加え、以下のように解答をまとめる。「何も言わない寝たきりの人が/ただ生き続けそこに在ることで/傍らにある私たちに語る声なき声を聞き取り/その意味を問うこと」。
 
〈GV解答例〉
何も言わない寝たきりの人が、ただ生き続けそこに在ることで、傍らにある私たちに語る声なき声を聞き取り、その意味を問うこと。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
寝たきりの人の何も語れずただ生き続ける姿が、傍らにいる人たちに何を語りかけ、何を求めているのかを問うこと。(53)