目次

  1. 〈本文理解〉
  2. 問一「彼が凡ての言葉を尽くしたにも係らず、川上は笑って受け附けなかった」(傍線部(1))とある。これは二人のどのような様子を述べているか。説明せよ。(2行)
  3. 問二「こうして彼は俳優になる時から、すでに立派な三枚目の役を勤めた」(傍線部(2))とある。これは深井のどのような資質をあらわしているか。これより前の本文中から六字で抜き出して答えよ。
  4. 問三「自分と違って正当な、立派な立役に仕立てるのが願いだった」(傍線部(3))とある。なぜこのような願いを抱いているのか。理由を説明せよ。(3行)
  5. 問四「その幕はすっかり深井君の虎に食われてしまいますよ」(傍線部(4))とある。これはどういう意味か。説明せよ。(2行)
  6. 問五「彼はこの子供の言葉を、一種の啓示として感謝していいか、一種の皮肉として苦笑していいか、どっちに取るべきかに迷った」(傍線部(5))とある。ここで「一種の啓示」と「一種の皮肉」の意味するものをそれぞれ説明せよ。(各25字程度)
  7. 問六「その獣こそは自分の境遇にも似ているとさえ感じた」(傍線部(6))とある。虎と深井の境遇のどこが似ているのか。本文全体を踏まえて説明せよ。(3行)
  8. 問七「前よりももっと欣然としながら、動物園の門を出た」(傍線部(7))とある。なぜこのように変化したのか。深井の心情に即して80字以内で説明せよ。

〈本文理解〉

出典は久米正雄の小説「虎」(1918)。
 
1️⃣ 新派俳優の深井八輔は、例もの通り、正午近くになって眼を覚した。…彼は俳優の中でも、実に天性の誇張家であった。そしてその誇張が過ぎて道化た気分を醸す処に、彼の役処の全生命があった。彼は新派中での最も有名な三枚目役者だった。
 
彼はもと魚河岸の哥兄(あにい)だったが、持って生れた剽軽な性質は、新派草創のオッペケぺーの川上が、革新劇団の旗上げで、その下廻りを募集した時、朋輩たちの嘲笑をも顧みず、真っ先きに応募した。が、いよいよその試験めいたものを受けた時、川上はつくづくこと毬栗頭の哥兄を見て、さも見縊ったようにこういった。「おまえさんは到底役者になる柄ではないね」。彼が凡ての言葉を尽くしたにも係らず、川上は笑って受け附けなかった(傍線部(1))。が彼はそれで懲りなかった。そして今度は頭をすっかり剃り円めて、人相を変えて再び募集に応じた。ところが丁度一座が多人数を要したので、彼も川上の目を遁れ、人々に紛れてうまく採用されてしまったが、入ってしまってから、川上はすぐに彼に気が附いた。「やあ、こいつとうとう入りやがったな」「へん、どんなもんです」「まあ仕方がない。入ったんなら慥(しつか)りやれ」と川上も笑いながら、それでも心中こういう男の使い道がないでもないと思って、快く入座を許さない訳には行かなかった。こうして彼は俳優になる時から、既に立派な三枚目の役を勤めた(傍線部(2))。そして今では、新派興亡の幾変遷を経て、とにもかくにも由井の一座に、なくてはならぬ俳優となった。…
 
が、彼とてもまた、決して自分の今の地位に、満足している訳ではなかった。彼ももう35歳を越えていた。普通(なみ)の職業に従事しているのなら、分別盛り働き盛りの年輩だった。けれども今のままの彼は、舞台で絶えず道化を演じているに過ぎなかった。真面目な役は一つも振られなかった。…彼はいい年して相変らず、大向うをわやわや笑わして、自ら己の境遇を笑っていた。彼にはもう八歳になる子があった。そして去年初舞台を踏んで、彼と同じく、否彼よりももっと正式な、新派俳優になる未来を有っていた。彼はその子を決して、三枚目にはしたくないと思った。自分と違って正当な、立派な立役に仕立てるのが願いだった(傍線部(3))。
 
2️⃣ 今、深井はぼんやり床の上で、昨日受取った役の事を考えていた。昨日は今度開く歌舞伎座の二階で『継しき仲』の本読みがあったのだが、そこで彼の振られた役というのは、ただ『虎』の役だった。人の名ではない、ほんとの虎に扮する一役だけだった。虎一役! 彼は考えると不満でもあり、また不平もいえぬほど可笑しくもあった。…けれども彼は、彼が虎に扮することの不思議でない事を、ちょっと悲しく感じた。長年馴れて来ていながら、職業だと思っていながら、どうせ茶化しているのだとは思いながら、自分の中なる『人間』が馬鹿にされているような気がして、ちょっとの間は腹立たしくさえ思った。
 
昨日の本読みの時にも、丁度作者が三幕目を読み始めようとして、さて一座をずっと見渡しながら、「ここで一つ在来の趣向を変えまして、清岡球江の豪奢を見せるために、彼はヴェランダに虎を飼うことにしました。南洋産の猛烈な奴で、それが幕切れに暴れて、球江に喰いつこうとする処を考えたんですが、どうでしょう」といった時、皆の視線は一度に彼の方へ注がれた。そして座長の由井が、「そいつはよかろう。それで深井君の嵌り役ができた。受ける事は疑いなしさね」といった時、皆のもう一度彼の方へ投げた視線が、何となく嘲笑の色を帯びているように、彼には感ぜられたのだった。けれどもまた立女形の川原までが、「そいつはきっと評判になりますね。その幕はすっかり深井君の虎に食われてしまいますよ(傍線部(4))」といった時には、彼も笑いに加わりながら、幾らか得意にさえなっていた。
 
「とにもかくにも」彼はなお床の上で考えた。「振られた虎一役は、うまくやらなければならない。獣に扮することが、何も恥辱という訳ではない。獣でも鳥でも、うまく演りさえすれば立派な役者なのだ。そして何といっても、虎をやれる役者は、日本中に俺しかいないのだ。そうだ。一つ虎をうまくやって見物をわっといわしてやろう。そして外の役者どもを蹴とばしてやろう。今の俺が生きて行くには、そうするより外はないのだ」。彼は急いで起き上ると、階下にいる妻を呼んで、着物を着かえた。そしてもう晴々とした顔附きをしながら、階下へ下りて行った。…
 
3️⃣ 縁側には息子の亘が、日向ぼっこをしながら、古い演劇画報の頁を、見るともなく引繰り返していた。その口絵の中には、極く稀にしか載らぬ、彼の小さい写真姿があるに違いなかった。お情けでたまに載せてもらう写真。彼は息子に対して毎もながら恥じらいを感じた。…亘は不意に声を掛けた。「お父さん。今夜は稽古がお休みなの」「ああ立稽古までお父さんは休みだ」。こういいながら彼は、覚えなければならぬ白(せりふ)が一言もない虎の役を、改めて苦々しく思い起した。彼は実際稽古場へは出ても、今度は他人と白を合わせる必要もなかった。要するに稽古というものは、彼にはいかに虎らしく跳躍すべきかを、一人で考えればそれでよかった。がしかし虎というものは、一体どんな飛び跳ね方をするのだろう。彼は絵に画いた虎は見た。旧劇の或る物に出る虎も見たが、実物の虎は、ただそれらを通して、漠然想像しているに過ぎなかった。いざ自分が演ずるとなると、いかに動物役者の自分にも、まるで特徴が解らなかった。…
 
息子の亘は父がそんなことを思い悩んでいるとは知らず、親に阿る子供の技巧の、おずおずするような甘えた口調で、なおも問を進めていった。「それじゃあどこへも行く御用はないの」「うん。まあないな。だが何だって、そんな事を聞くんだ」「僕ね。お父さんが暇なら、今日上野へ連れてってもらいたいんだよ」「上野のどこへゆくんだ」「僕動物園へ入って見たいんだよ」「動物園?」。思わず反問した彼は、頭の中でひらひらと思い浮かぶ事があった。「彼はこの子供の言葉を、一種の啓示として感謝していいか、一種の皮肉として苦笑していいか、どっちに取るべきかに迷った」(傍線部(5))が、たとえ子供を通して、神様から嗤われているにしても、この機会を利用して、虎の実態を研究して置くのが、昨今の急務だと彼の職業が教えた。「動物園へ河馬が来てるんだからさ。ね。連れてっておくれよ」「そうだな。それじゃたまには亘坊の相手になって、河馬でも虎でも見て来ようか」。
 
4️⃣ 園内に入ると、亘は喜んで駆け出そうとした。深井はそれを引留めて、「じゃお父さんは虎を見ているから、お前はすっかり見て廻ったら帰っておいで」といい渡した。亘は父がなぜそう虎に興味を持つのかと穿鑿する余裕もなく、勇み立って父の許からの解放を喜んだ。…父もまた子からの解放を喜んだ。そして一人ゆっくり歩を運んで、ずっと前に来た時の記憶を辿りつつ、猛獣の檻を探し廻った。目ざす虎のいる所は直ぐに解った。
 
彼は妙な心持で檻の前へ立った。方二間ほどの鉄の檻の中には、彼の求むる虎その物が、懶げに前足を揃えて、蹲っていた。その薄汚れた毛並みと、どんより曇った日のような眼光が、まず彼の眼に入った時、彼はちょっとした落胆を感じた。…けれどもじっと見凝めている間に、彼の心はだんだん虎に同情して来た。一種の憐憫とともに、妙な愛情さえも生じて来た。この朗らかな秋の日を、うすら寒く檻の中に鎖されて、あらゆる野生の活力を奪われ、ただどんよりと蹲って、人々の観るがままに動きもせぬ獣、「その獣こそは自分の境遇にも似ているとさえ感じた」(傍線部(6))。しかしどこが似ているのか、彼自身も解らなかった。彼は漠然とそんな感慨に打たれて自分がこの虎に扮するのを忘れ、虎の肢体を研究するのを忘れてじっと檻の前に立っていた。虎も動かなかった。彼も動かなかった。この不思議な対照をなす獣と人とは、ぼんやり互いに見合ったまま、じっといつまでも動かなかった。終いには深井は、虎と同じ心持を持ち虎と同じ事を考えているように感じた。
 
突然虎は顔を妙に歪めた。と思うとその途端に、それだけ鮮やかな銀色の髭を植えた口を開いて、大きな獣の欠伸をした。開いた口の中は鮮紅色で、牡丹というよりは薔薇の開いたようだった。がそれも一分間と経たずに、虎はまた元のような静けさに帰った。
 
ふと我に返った深井は、危うく忘れかけた自分の目的を、再び心に蘇らせた。けれども眼前の虎は、彼にただ一度の欠伸を見学させただけで、あとは林のように動かなかった。それでも彼は満足した。これだけ虎の気持になればあとは、自分で勝手に跳ね狂えるように感じた。「そうだ。一つ思い切って虎になってやるぞ。俺には色男の気持なぞよりも、もっと切実に虎の気持が解るのだ」。こう彼は心に叫んだ。やがて彼はそこへ戻って来た息子の手を引いて、「前よりももっと欣然としながら、動物園の門を出た」(傍線部(7))。
 
 

問一「彼が凡ての言葉を尽くしたにも係らず、川上は笑って受け附けなかった」(傍線部(1))とある。これは二人のどのような様子を述べているか。説明せよ。(2行)

 
内容説明問題。傍線部自体は前半も後半も、特に言い換えなく理解できる内容である。ならば、ここで聞かれているのは、傍線部の含意、川上の判断の根拠ということを見抜かねばなるまい。根拠となるのは、傍線部直前「川上はつくづくこの毬栗頭の哥兄を見て、さも見縊ったようにこういった→おまえさんは到底役者になる柄ではないね」。要は、「毬栗頭」の風貌がどこまでも引っかかって、「凡ての言葉を尽くし」ても、川上の「役者になる柄」ではないという直感的な判断が覆らないのである。ここでの「役者」は一般的な意味でのそれで、結局、川上の眼を遁れ深井が採用された後に、川上が「こういう男の使い道がないでもない」と思うように、あらゆるタイプの役者を排除するものではない。以上を踏まえて、「毬栗頭の見た目からして/まともな役者としては通用しないと/苦笑する川上の判断を/深井がどんなに自己を説明しても/覆せない様子」とまとめる。
 
 
〈GV解答例〉
毬栗頭の見た目からしてまともな役者としては通用しないと苦笑する川上の判断を、深井がどんなに自己を説明しても覆せない様子。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
役者になりたいと願い、試験で懸命に入団の意志を訴える深井に対して、川上は役者の才能はないとみなして、まともに相手にしていない。(63)
 
 

問二「こうして彼は俳優になる時から、すでに立派な三枚目の役を勤めた」(傍線部(2))とある。これは深井のどのような資質をあらわしているか。これより前の本文中から六字で抜き出して答えよ。

 
〈答〉天性の誇張家

問三「自分と違って正当な、立派な立役に仕立てるのが願いだった」(傍線部(3))とある。なぜこのような願いを抱いているのか。理由を説明せよ。(3行)

 
理由説明問題。「なぜこのような願いを抱いているのか」という問い方に対して、直前の内容をまとめ、「その子を決して、三枚目にはしたくない」から、と締めるのは考えが足りない。ここでは「願いを抱」くに至った心情的な背景を指摘する必要がある。そこで根拠となるのは、さらに一つ遡ったところ、深井自身の現状に対する自己評価の記述。「が、彼とてもまた、決して自分の今の地位に、満足している訳ではなかった(a)。…普通の職業に従事しているのなら、分別盛り働き盛りの年輩だった(b)。けれども今のままの彼は、舞台で絶えず道化を演じているに過ぎなかった(c)。真面目な役は一つも振られなかった(d)。…彼はいい年して相変わらず、大向うをわやわや笑わして、自ら己の境遇を笑っていた(e)」。さらに後の記述(しかし小説の時間では傍線部より前)、「昨日の本読みの時」、虎の役が深井にあてがわれるということで「皆のもう一度彼の方へ投げた視線が、何となく嘲笑の色を帯びているように、彼には感ぜられた(f)」。加えて、自分の写真が小さく載っているかもしれない演劇画報をめくる息子に対して、「毎もながら恥じらいを感じた(g)」という記述も参考になる。
以上より、「働き盛りの年齢にもなって(b)/道化として食えてはいるものの(c)/まともな役を配されず(d)/周囲にも見下されているように感じてしまう(f)/自らの恥辱を(aeg)/役者の道を継ぐ息子に感じさせたくなかったから」とまとめることができる。
 
 
〈GV解答例〉
働き盛りの年齢にもなって、道化として食えてはいるものの、まともな役を配されず、周囲にも見下されているように感じてしまう自らの恥辱を、役者の道を継ぐ息子には感じさせたくなかったから。(90)
 
〈参考 K塾解答例〉
幼くして役者の道を歩み始め、正統派の役者になる可能性がある息子には、真面目な役は一つももらえず、道化のような役ばかりをあてがわれる自分のような道を歩んでほしくないから。(84)
 
 

問四「その幕はすっかり深井君の虎に食われてしまいますよ」(傍線部(4))とある。これはどういう意味か。説明せよ。(2行)

 
内容説明問題。「食う/食われる」は慣用表現で、「主役を食う/脇役に食われる」(主従の逆転)というように使われる(a)。「幕は…食われる(b)」というつながりは、台本作者の発言「清岡球江の豪奢を見せるために、彼はヴェランダに虎を飼うことにしました(c)。…そいつが幕切れに暴れて、球江に喰いつこうとする」を意識したものだろう。それを座長の由井が「深井君の嵌り役ができた(d)。受ける事は疑いなしさね(e)」と承け、それに続いた立女形の川原の発言が傍線部である。以上の語義と内容を踏まえ、「主人の性格を(c)/引き立てるはずの深井扮する虎の演技が(a)/あまりに嵌って(d)/笑いを生み(e)/その一幕の観客の目を釘付けにするという意味(ab)」とまとめる。
 
 
〈GV解答例〉
主人の性格を引き立てるはずの深井扮する虎の演技が、あまりに嵌って笑いを生み、その一幕の観客の目を釘付けにするという意味。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
変わった趣向として深井が見事に演じる虎に、観客の注目が集まり、他の役者がかすんでしまうという意味。(49)
 
 

問五「彼はこの子供の言葉を、一種の啓示として感謝していいか、一種の皮肉として苦笑していいか、どっちに取るべきかに迷った」(傍線部(5))とある。ここで「一種の啓示」と「一種の皮肉」の意味するものをそれぞれ説明せよ。(各25字程度)

 
内容説明問題。「良い知らせ」を意味する「啓示」については、亘との対話の間に挿入される、虎の役を演ずるにあたり、深井にはまるでその特徴が解らないという内容と、傍線部直後「たとえ子どもを通して、神様から嗤われているにしても、この機会を利用して、虎の実態を研究して置くのが、昨今の急務だと彼の職業が教えた」という記述を踏まえる。以上より「特徴の解らない/虎の実態を知る契機となる/よい知らせ」となる。
 
「予期に反する事柄」(前提と帰結が食い違うこと)を表す「皮肉」については、直後の「神様に嗤われている」側面に相当する。これについては明示されていないが、帰結としては「動物園に行くこと」である。ここから前提を導くと、動物役者がその実態を学ぶために動物園に行くのは、後で思うと当然の理屈だが、それを別の意図を持った「息子のおねだり」によって気づかされた、ということである。傍線部の「苦笑」も踏まえ、「息子のねだりで/動物役者が動物園に行く/気恥ずかしさ」となる。
 
 
〈GV解答例〉
(一種の啓示) 特徴の解らない虎の実態を知る契機となる良い知らせ。(25)
(一種の皮肉) 息子のねだりで動物役者が動物園に行く気恥ずかしさ。(25)
 
〈参考 K塾解答例〉
(一種の啓示) 虎の演じ方は、動物園に行けばわかるということ。(23)
(一種の皮肉) 動物役者である自分を、動物園に行かせるということ。(25)
 
 

問六「その獣こそは自分の境遇にも似ているとさえ感じた」(傍線部(6))とある。虎と深井の境遇のどこが似ているのか。本文全体を踏まえて説明せよ。(3行)

 
内容説明問題(類比)。本文の最終場面(深井による虎の観察)から問われる本問と次問を分けるのは、「突然虎は顔を妙に歪めた。と思うとその途端に、それだけ鮮やかな銀色の髭を植えた口を開いて、大きな獣の欠伸をした」以下の記述である。その前部、特に傍線部直前の記述から虎の境遇を表す要素を拾い、それと対応する深井の境遇を本文全体を踏まえて抽出するとよい。すると虎の境遇は「野生の活力を奪われ(a)/檻の中にどんよりと蹲り(b)/見物人の観るがままに動きもしない(c)」となる。これと対応するように、主に1️⃣の後半を根拠として深井の境遇をまとめると「まともな役者としての本懐を遂げることなく(a)/道化の役に甘んじて(b)/観客の笑いに身を委ねている(c)」となる。以上を「〜虎(の境遇)と、〜深井の境遇」という形にし、解答とする。
 
 
〈GV解答例〉
野性の活力を奪われ、檻の中にどんよりと蹲り、見物人の観るがままに任せている虎と、まともな役者としての本懐を遂げることなく、道化の役に甘んじて、観客の笑いに身を委ねている深井の境遇。(90)
 
〈参考 K塾解答例〉
虎が、野性を封じ込められ、見世物として人々に従順な態度をとっているところと、深井が、自らの意思をないがしろにされ、周囲の要望に合わせた役を演じ続けているところとが似ている。(86)
 
 

問七「前よりももっと欣然としながら、動物園の門を出た」(傍線部(7))とある。なぜこのように変化したのか。深井の心情に即して80字以内で説明せよ。

 
理由説明問題。変化のきっかけになったのは、自らと対照をなし無為に蹲っているように見えた虎が(a)、大きな欠伸をし、口の中の鮮紅色を一瞬見せたことだった。それが一種の啓示となり(b)、深井は「危うく忘れかけた自分の目的を、再び心に蘇ら」せ、「俺には色男の気持なぞよりも、虎の気持が解るのだ」と心に叫び(c)、そして「欣然と」(=喜び勇んで)園の門を出るのであった。虎への共感(a)とそれが一瞬に見せた煌めき(b)、その出来事が深井に虎を理解し演じ切ることのできる(c)、自己の役者としての無二性の(これまで持つことのできなかった)自負をもたらした(d)、それが深井を今までになく高揚させたのである。以上より、「自らと対照をなすように感じられた虎が(a)/一瞬見せた、口の中の鮮紅色に心を打たれ(b)/それを機に虎の気持ちを理解し切って演じることのできる(c)/自己の演技の無二性を悟ったから(d)」と解答する。
 
 
〈GV解答例〉
自らと対照をなすように感じられた虎が一瞬見せた、口の中の鮮紅色に心を打たれ、それを機に虎の気持ちを理解し切って演じることのできる自己の演技の無二性を悟ったから。(80)
 
〈参考 K塾解答例〉
虎役を演じることを周囲から認められていささか得意になっていたが、実際に動物園で虎を見て、虎の心が分かり、自分こそが立派に虎を演じられるのだと確信できたから。(78)