〈本文理解〉

 
出典は木下是雄『日本語の思考法』。筆者は物理学者。著書『理科系の作文技術』は理系学生必携の書。
 
①段落。ひとに事実をつたえ、あるいは自分の考えをつたえるときには、その前に、言おうとすることを自分の頭のなかでおもてから見、裏から見して、もっとも本質的なことだけを洗いだし、それだけを書き、あるいは話すことが時代の要求である。しかし、と私は考えこむことがある。要約された情報は、なるほど目や耳を通過するのは速いけれども、頭のなかにはいってから、血肉にするのに時間がかかるのではないか。著者が論文を圧縮するのに要した手間と時間に近いぐらいのものが、それを解読する読者の側にも要求されるのではないか。そればかりでなく、要約ではつたえることのできない大切なものがあるのではないか。
 
②段落。この疑問に対する答えはかなり複雑である。いくらかでも話を簡単にするために、以下では話題を自然科学的情報の伝達にかぎることにしよう。
 
③段落。世の中には、結果だけ、あるいは知識だけを必要とする読者がある。(ロケット技術者の例)。そういう読者にとっては、速やかに目や耳を通過できるかたちでできるだけたくさんの情報が供給されることが必要であり、しばしば十分である。つまり、各国の主要な研究報告の抄録を集めた国際抄録誌の類がもっとも有用な情報源として役立つ。そこで、「抄録誌をいちばん重宝がるのは産業界や政府機関であろうという観測が生まれてくる」(傍線部(1))。…じつは、物理や化学の研究者のあいだでは抄録誌の利用率は、一部の化学者を除いて、それほど高くないのである。
 
④段落。その一つの理由として、研究者にとっては論文は要約だけでは役に立たないことがあげられる。…彼自身の研究に直接関連のある研究であれば、抄録を読んだだけで用がすむということはあり得ない。本文を読もうと決心した途端に、彼にとっては著者抄録は意味を失う。著者抄録は著者の目で見た内容抄録であり、彼は自分の目でその論文を読むのだからである。…こういう読者にとっては、要約は単にきっかけを与えてくれるにすぎず、その集録である抄録誌に目をさらす時間はどちらかというと空しいものと感じられる。
 
⑤段落。結果だけを必要とする読者は要約集で用が足りる。その先をめざす読者にとっては、第一線の結果の羅列よりも一つ一つの結果が得られた過程のほうが大切なことが多い。本論文を通じて著者とともに創造の過程に参画してはじめて、将来の展望がひらけるからである。
 
⑥段落。最良の要約は、あるいは、発展の機縁を生むだけのものを内蔵しているかもしれない。しかし、それを読み解くには、鉛筆を片手に本論文のなかの計算を追跡する以上の努力がいるだろう。
 
⑦段落。要約精神の権化は教科書である。高校の物理の教科書は、アルキメデス以来の物理学者がつみ上げてきたものの要約だ。…何を捨て、何をえらぶか──二千年の物理学をいかに要約・抄録して読者を今日の視点に近づけるか──は教科書の筆者の最大の問題である。
 
⑧段落。そういう目で見ると、今日の教科書は、どれをとってみてもかなりよくできている。…しかしそれは抄録であるが故に「つまらない」という宿命をもっている。抄録の集積をよみつづけることができるのは、はっきりした目的をもって何かを探し求めている人──ロケット技術者──か、「たちまち眼光紙背に徹して」(傍線部(2))その抄録の秘めているものを見ぬくことができるえらい人だけだ。高校生はどちらでもないから、彼らにとって教科書がつまらないのは、石を投げれば下に落ちると同じぐらい自然な話である。…
 
⑨段落。教科書が要約集であることは、まあ、仕方がなかろう。しかし、講義までが要約でいいという法はない。教科書の一ページの背後には膨大な研究があり、それらすべてが自然そのものとのつき合いから生まれている。その創造の過程を解き明かし、生徒をその過程に招待するのが教育というものであろう。そんなことをしたら教科書全部はとてもやれない──そのとおり。教科書あるいは抄録集というものは元来そういうふうに使うべきものなのだ。
 
 

〈設問解説〉問一「抄録誌をいちばん重宝がるのは、産業界や政府機関であろうという観測が生まれてくる」(傍線部(1))のように筆者が考えるのはなぜか、説明せよ。(四行)

 
理由説明問題。抄録誌を「本来」重宝するのは研究者であるはずだ、というのが言外の前提としてある。よって解答構文は「〜抄録誌は、〜その本来的な読者層である研究者よりも〜産業界や政府機関の要望に適うものだから」となる。あとは「抄録誌」の端的な説明、それと対応させて「研究者」がそれを必要としない理由と「産業界や政府機関」がそれを必要とする理由を対比的に加えるとよい。「抄録誌」の説明は傍線部前文、「研究者」と「産業界や政府機関」の対比は⑤段落の記述「結果だけを必要とする読者は要約集で用が足りる。その先をめざす読者にとっては…一つ一つの結果が得られた過程のほうが大切なことが多い」などを参考に、以下のように解答した。
 
〈GV解答例〉
主要な研究報告の抄録を集めた抄録誌は、研究過程を原書の記述に沿って追体験することを必要とする、誌の本来的な読者層である研究者よりも、多くの実用的知識を結果として得たい財界や政界の要望に適うものだから。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
創造の過程を重視する研究者と違い、明確な目的のために迅速に多量の結果や知識を求める産業界や政府機関にとっては、研究の最も要約されたかたちの抄録集か有用な情報源となると考えられるから。(91)
 
 

問二「たちまち眼光紙背に徹して」(傍線部(2))はどういうことか、筆者の考えに即して説明せよ。(三行)

 
内容説明問題。「眼光紙背に徹」するとは、表面的な字句から背後にある深意を看取することである。この辞書的な意味を、本文の具体的な文脈に乗せて説明するとよい。傍線部を含む一文は「抄録の集積(→教科書)をよみつづけることができるのは〜「たちまち眼光紙背に徹して」その抄録の秘めているものを見ぬくことができるえらい人だけだ」となるので、ここから解答構文を「えらい人だけが(A)/教科書の記述から(B)/背後にある深意を(C)/看取できるということ」と定め、ABCをそれぞれ具体化するとよい。Aは文意から「一流の研究者」と置き、Bについては「何を捨て、何をえらぶか(⑦)/「つまらない」という宿命(⑧)/抄録(→結果)の集積(⑧)」、Cについては「教科書の一ページの背後には膨大な研究があり(⑨)/抄録の秘めているもの(⑧)」を根拠に、以下のようにまとめた。
 
〈GV解答例〉
一流の研究者だけが、物事の重要な結果を限られた紙面に取捨選択して詰め込んだ無味乾燥に映る記述から、背後にある膨大な研究群と本質を看取できるということ。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
研究の結果や知識だけを要約したつまらない教科書でも、特別な人は、その字句の背後にある膨大な研究における創造の過程をも読み取れるということ。(69)
 
 

問三「教科書」はどのように使うべきものであると筆者考えているのか、説明せよ。(四行)

内容説明問題。「教科書」を使っての「講義」のあり方について言及している、最終⑨段落を中心にまとめるとよい。すなわち「教科書の一ページの背後には膨大な研究があり(a)/それらすべてが自然そのものとのつき合いから生まれている(b)/その創造の過程を解き明かし、生徒をその過程に招待するのが教育というものであろう(c)/そんなことをしたら教科書全部はとてもやれない──そのとおり。教科書あるいは抄録集というものは元来そういうふうに使うべきものなのだ(d)」の箇所。加えて、これまでの解答に反映していない箇所から、①段落「要約された情報は…血肉にするのに時間がかかる…それを解読する読者の側にも要求される(e)」、⑥段落「最良の要約は…発展の機縁を生むだけのものを内蔵している(f)」も根拠とした。以上の配列を考え、「あらゆる知識を詰め込んだ教科書の中から話題を選び(d)/それを機縁として(f)/背後にある研究群が(a)/どういった自然との交流から生じ(b)/結果に帰結するかという創造の過程に生徒を招き(c)/その知が血肉化するよう使うべきである(e)」とまとめた。
 
〈GV解答例〉
あらゆる知識を詰め込んだ教科書の中から話題を選び、それを機縁として背後にある研究群がどういった自然との交流から生じ、結果に帰結するかという創造の過程に生徒を招き、その知が血肉化するよう使うべきである。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
要約情報としての表面的知識を授けるものではなく、対象との交流を通した膨大な研究によって結論が生じる創造の過程を解き明かし、生徒にその過程を追体験させ、主体的に考えさせる機縁となるもの。(92)