〈本文理解〉

出典は杜甫の『杜詩詳註』。著者は盛唐の詩人。詩仙 李白と並び、詩聖と称される。漢文は、中国文語を日本語の古語で訓読したものである。古代以来、わが国のエリート層に広く親しまれ、大陸的な世界観や合理的なものの見方は、日本人の思想形成に大きな影響を与えてきた。そうした観点から、現在の国語教育においても、漢文は「古典」の一つとして、語学的に、かつ思想内容的に学ばれている。
漢文解釈においては、以下の三つのレベルに着目し、「小から大」「大から小」と見て総合的に判断する。

①語句のレベル(頻出語、推測語)
②一文のレベル(基本構文、句法・語法)
③文章のレベル(対句・比喩などのレトリック、論理展開)

〈本文理解〉
(前書き) 唐代の詩人 杜甫が叔母の詩を悼んだ文章である。杜甫は幼少期に、この叔母に育ててもらっていた。

①段落。ああ、哀しいなあ。故人の兄の子(杜甫)が喪に服し、故人の徳を記録し、墓誌を刻む。ある人がこう言った。「あの孝童さんの甥ですよね。「奚孝義之勤若此」(傍線部A)」。私は泣いて「対」(傍線部(ア))言った。「「非敢当是也」(傍線部B)、亦為報也。私は昔、叔母さんのところで病気で寝込み、叔母さんの子どもも病気になりました。女性の巫女に尋ねたところ、巫女は『処楹之東南隅者吉(傍線部C)』。姑遂易子之地、以安我。「我用是存、而姑之子卒」(傍線部D)。後に「乃」(傍線部(イ))、このことを使用人から聞きました。かつてある人にこの話をしたところ、涙が出そうなほど、長いこと感じ入っていました。(そこで)二人で叔母さんの諡を「義」と定めたのです」。

②段落。君子は、こう考えたのである。考魯の国の義姑という女性は、町外れで敵国の軍隊に遭遇した際、手を引いていた兄の子を、自分の子と抱き代え守った。「私愛」を断つ、と。「県君有焉」(傍線部E)。

③段落。「是以」(ここをもって/そういうわけで)先の一つの逸話をとり上げて、故人のあらゆる善行を明らかにする。「銘而不韻、蓋情至無文」。墓誌にこう刻む。「ああ、唐王朝に義姑あり。長安の杜氏の墓」。

〈設問解説〉問1 傍線部(ア)「対」・(イ)「乃」のここでの意味として最も適当なものを、それぞれ一つずつ選べ。

語句の意味。「頻出語」と「推測語」双方の出題が想定される。(ア)(イ)は、ともに「頻出語」。(ア)は「或人」の疑問に「杜甫」が答える場面。よって「こたへテ(いハク)」(cf 対話)と読み、意味もそのままで③。

(イ)は「すなはチ」と読む。他の「すなはチ」(則/即/便/輒)と区別しておく。「乃」は、前述の経緯を承け「そこで」と訳すのが基本だが、場合によっては逆接となり「それなのに」と訳したり、感動や強調の意味になる場合もある。ここは「後に乃ち~を知る」となり、省いても意味の通るような「強調」の意味となる。「後に」を強める形で「やっと」と訳すのが適当であり、④が正解。①「すぐに」という訳は「即」の代用としてありうるが、文脈にそぐわない。②「いつも」/③「ことごとく」/⑤「くわしく」という意味は持たない。

問2 「奚孝義之勤若此」(傍線部A)から読み取れる杜甫の状況を説明したものとして最も適当なものを選べ。

状況説明問題(文脈理解)。傍線部Aは「奚ぞ孝義の勤むること此のごとき(と)」と書き下し、「どうしてこんなに「孝義」に励んでいるのですか」という意味になる。「孝義」とは「孝行の大義」、「親孝行」のことである。それに励む主体は杜甫(私)で、その対象が杜甫の叔母であることは、この後、杜甫が受けた叔母からの大恩に言及していることから確定できる。以上の整理により、傍線から読み取れる杜甫の状況としては、杜甫は「或人」から見て(杜甫自身は謙遜するのだが→問3)実の親でもない叔母に孝行を尽くしているように見える、ということになる。答えは②。

問3 「非敢当是也」(傍線部B)は、「とんでもないことです」という恐れ多い気持ちを示す表現である。なぜ杜甫はこのように語るのか、その理由として最も適当なものを選べ。

理由説明問題。直後の「亦為報也(亦た報ゆるを為すなり)」がヒントになる。「亦(まタ)」は通常、並列「a/bもまた~」を表す(他の「又」(その上)/「複」(再び)と区別)。ここで「a/b」に当たるものは捉えにくいので、一旦保留。「報ゆ(る)」は「相手から受けたものを(+/-)/返す(+/-)」ことである。ここでは後述の内容から、「叔母から受けた大恩を/杜甫(私)が返す」ことを意味する。ならば、「或人」から「どうしてこんなに叔母さんへの孝行に励むのですか」と問われて、杜甫が「とんでもないことです」と応えた理由は、杜甫としては叔母から受けた大恩に少しでも報いようとしているだけだと謙遜しているからだ、ということになる。答えは⑤。

なお、前述の「亦」を含む「亦為報也」の訳は、「(親からの大恩に報いるのと同じく)叔母へもまた/その大恩に報いようとしているだけです」となるだろう。

問4 「処楹之東南隅者吉(傍線部C)」の書き下し文とその解釈として最も適当なものを選べ。

白文訓読問題。まず、前後の文脈を確認する。傍線は、杜甫の幼少期、叔母の元にいた頃、杜甫と叔母の実子が病気にかかり、それについて巫女に尋ねたことへの、巫女の返答の部分である。その返答に応じて叔母は「遂易子之地、以安我」、すなわち「とうとう実子の場所を私と交替し、それで私を大事にしたのだ」と続く場面である。
次に傍線自体の語句を確認する。注目するのは「処」「之」「者」。「之」は「の/これ/ゆク」の用法があるが、その前後が「楹」(はしら←選択肢)と「東南隅」と名詞で挟まれていることから、とりあえず「楹の東南隅」と連体格の助詞として読む。「者」は「人」以外にも「もの」「こと」と訳す場合があり、他に主題を承けて「は」と読む場合もある。ここでは名詞の塊「楹之東南隅」から動詞「処」に返り、その「者」(人)が「吉」だとしたら、巫女の台詞として良さそうだ。

「処」は選択肢で「しょする」(処分)と「をる」(出処進退)の2パターンで読んでいるが、「しょする」では意味が通じないのに対し、「をる」と読んだ場合、「柱の東南の隅にいる者は吉です」という意味となり巫女の言葉として適当だし、次文の意味「叔母は実子の部屋を私と交替し、私を大事にした(→東南の隅に置いた)」にもつながる。よって正解は③。上で検討から外した、「之」を「ゆク」ととり「楹に処りて東南隅に之く者」と読んでいる②も読みとしては可能だが、意味が通じない。白文訓読問題は、「句法・語法・構文」(形式)と「文脈上の意味」(内容)を往復して総合的に判断しなければならないのである。

問5 「我用是存、而姑之子卒」(傍線部D)の説明として最も適当なものを選べ。

内容説明問題。傍線の書き下し文は「我是れを用(もっ)て存し、而して姑(叔母)の子卒(しゅっ)す」。「是れ」が指す内容は、「姑遂易子之地、以安我」。これは、問4で考察したように、叔母は巫女から東南の隅が吉だと聞いて、ともに病気を患う実子の場所を甥の杜甫と交替し、甥を縁起の良い東南の隅に置いた、ということだ。「是れを用って」、「我」(杜甫)は「存」し、「子」は「卒」した、ということになる。杜甫はそのことを、後に使用人から聞き、そのことで叔母に強い恩義を感じている。

こう文脈をたどれば、「存」が生存を意味するのに対し、「卒」は死を意味すると推定できる。つまり叔母は、「私愛」を断ち、わが子の命に代えてまで、兄から預かった甥の命を守ったのである。この理解から正解は⑤に決まる。もちろん、「卒」の意味を知識として知っておけば早く解ける。「卒」には、「下級の兵士(兵卒)」「にわかに(卒中)」「おわる/おえる(卒業)」「死ぬ(卒去)」の意味がある。「しゅっす」と読む場合は「死ぬ」を意味するのである。

問6 「県君有焉」(傍線部E)の説明として最も適当なものを選べ。

内容説明問題。「県君」とは、注に婦人の称号で、ここでは叔母を指すとある。ならば、傍線は「叔母様には、焉(これ)がある」と直訳でき、「焉(これ)」の指す内容が焦点となる。その内容は前文で紹介されている、魯の義姑が実子を身代わりにして兄の子を守ったというエピソードと、それに対する「君子」の「私愛をたつ」という評価である。つまり、叔母は魯の義姑のように、「私愛」すなわち「個人的な情愛」を断ち実子を犠牲にしてまでも兄の子(杜甫)の命を守った、(その行為は「義」という諡にふさわしい)ということである。正解は②。

漢文では、「公」と「私」を対比し、「個人的な事情」を犠牲にしても「国家的な利益」に服することを君子のあるべき姿として説くことが多い。ただし、現代の民主社会において、自らは公的な利益を省みず私的な関係や事情を重んじる公人が、国民に対して公的な義務を強調するのは筋違いも甚だしいが、よく見られる現象であるから嘆かわしいのである。

問7 「銘而不韻、蓋情至無文」(傍線部F)についての説明として最も適当なものを選べ。

内容説明問題。傍線は「銘して韻せず、蓋し情至れば文無し」と書き下せるが、「文」の読み・意味がポイントになる。

傍線は最終段落の結論部(「是以」(そういうわけで)以下)にあり、「茲(こ)の一隅を挙げて、彼の百行を昭(あきら)かにす」(先の一つの逸話をとり上げて、故人のあらゆる善行を明らかにする)に続く。「文無し」以外の傍線の訳は注を参考にして、「銘文を作り故人への哀悼を示すが、韻は踏まない。情が極まると、「文無し」」。続いて、墓誌には「唐王朝にあの義姑がいる(それは叔母さんのことだ)」と(だけ)刻む、という内容で終える。注には「通常は修辞として韻を踏む」とある。

以上の文脈と注を参考にすると、「文無し」というのは「文章が無い」ということではなく、「情が極まれば、韻などの修辞は要らないのだ」ということになるのではないか。これについては、「文」は「あや/かざり」と訓読みでき、「表現上の技巧/文飾」といった意味を知っておくのが望ましくはある。正解は、「(韻を踏まないのは)うわべを飾るのではなく、真心のこもったことばを捧げようとしたため」とある、③となる。