〈本文理解〉

出典は蜂飼耳「馬の歯」。毎度ながら、味わい深い随想からの出題だが、今回のは特に難度が高い。

 

①~③段落。仕事の打ち合わせでだれかとはじめて顔を合わせるとき。そんなときには、互いに、見えない触覚を伸ばして話題を探すことになる。(中略)。初対面の人と向かい合う時間は、「日常のなかに、ずぶりと差しこまれる」(傍線部ア)。先日は理系の人だった。もちろん、それは対話を進めているうちにわかってくることだ。相手の話を聞いているうちに、ずいぶん動植物に詳しい人だなという印象が像を結びはじめる。もしかして、理系ですか、と訊いてみる。「ええ、そうです。(前職、蓮田、動物園…)」。嬉々として説明してくれる。相手がどんなことにどんなふうに関心を持っているのか、知ることは面白い。自分には思いもよらない事柄を、気に掛けて生きている人がいると知ることは、知らない本のページをめくる瞬間と似ている。

 

④⑤段落。私たちの前にはカフェ・ラテのカップがあった。その人は、自分のカップをのぞき見ると「あ、柄が崩れている」といった。「残念、崩れている」と繰り返す。それならこちらのカップと交換しようと思った瞬間、その人は自分の分を持ち上げて、口をつけた。申し出るタイミングを失う。相手への親近感が湧いてくる。以前から知っている人のような気がしてくる。「台風の後は、植物園に直行するんです」。相手は、秘密を打ち明けるように声をひそめる。「台風の後はこんな大きい松ぼっくりが拾えるんです」。両手で大きさを示しながら説明してくれる。「それを、リュックに入れて、もらってくるんです」。いつか、そんなことがあった気がする。いっしょに、松ぼっくりを拾った気がする。植物園もまた本に似ている。「風が荒々しい手つきでめくれば、新たなページが開かれて、見知らぬ言葉が落ちている」(傍線部イ)。植物園への道を幾度も通うその人のなかにも、未知の本がある。耳を傾ける。生きている本は開かれない時もある。こちらの言葉が多くなれば、きっと開かれない。

 

⑥~⑧段落。その人の話を、もっと聞いていたいと思った。店を出る。都心の駅。地下道に入ると、神奈川県の海岸の話になった。相手は、また特別の箱から秘密を取り出すように、声をひそめた。「あのあたりでは、馬の歯が拾えるんです。海岸に埋められた中世の人骨といっしょに、馬の歯も出てくるんです。…」。「それ、本当に馬の歯ですか」。思わず問い返す。「あれは馬です、馬の歯ですよ。本当に、出るんです」。記憶と体験を一点に集める真剣さで断言した。その口からこぼれる言葉が、一音、一音、遠い浜へ駆けていく。馬の歯のことは、はじめて聞いた。それから、とくに拾いたいわけでもないなと気づく。ただ、その内容そのものが、はじめて教えられたことだけが帯びるぼんやりとした明るさのなかにあって、心ひかれた。 その人とは、本題についてのやりとりが手いっぱいで馬の歯のことを改めて訊く機会はない。いつまでも、幻の馬は脇に繋いだままで、別の対話が積み重なっていく。

 

⑨~⑪段落。ある日、吉原幸子の詩集『オンディーヌ』を読んでいた。これまで、吉原幸子のよい読者であったことはないけれど、必要があって手に取った。「虹」という詩。 「どうしたことか/雨のあとの/立てかけたような原っぱの斜面に/ぶたが一匹/草を食べてゐる/…/あれは/たしかにぶただったらうか」 なんとなく笑いを誘う。続きを読んでいくと「こころのない人間/抱擁のない愛」という言葉が出てきて、作者らしさを感じさせる。それでも、第一連には紛れもない可笑しみがあり、繰り返し読みたい気持ちになる。あれは、なんだったのだろう。そんなふうに首を傾げて脳裡の残像をなぞる瞬間は、日常のなかにいくつも生まれる。多くのことは曖昧なまま消えていく。足元を照らす明確さは、いつでも仮のものなのだ。そして、だからこそ、輪郭の曖昧な物事に輪郭を与えようと一歩踏み出すことからは、光がこぼれる。「その一歩は消えていく光だ」(傍線部ウ)。「虹」の終わり。 「いま/わたしの前に/一枚のまぶしい絵があって/どこかに/大きな間違ひがあることは/わかってゐるのに/それがどこなのか/どうしてもわからない/消えろ/虹」 苛立ちが流れる。わからないこと、確かめられないことで埋もれている日々にかかる虹はどんなだろう。作者にとっては希望ではない。

 

⑫⑬段落。拾われる馬の歯。それが本当に馬の歯なら、いつ、だれに飼われていたものだろう。どんな毛色だったか。人を乗せていただろうか。荷物を運んだだろうか。わかることはなにもない。その暗がりのなかで、ただひとつ明らかなことは、これはなんだろう、という疑問形がそこにはあるということだ。問いだけは確かにあるのだ。問いによってあらゆるものに近づくことができる。だから、問いとは弱さかもしれないけれど、同時にもっと遠くへ届く光なのだろう。「馬の歯を拾えるんです」。その言葉を思い出すと、遠くへ行かれそうな気がしてくる。松ぼっくり。馬の歯。「掌にのせて、文字のないそんな詩を読む人もいる」(傍線部エ)。見えない文字がゆっくりと流れていく。

〈設問解説〉問一「日常のなかに、ずぶりと差しこまれる」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。「ずぶりと差しこまれる」という比喩的な表現を一般的な表現に置き換える。といっても、筆者が比喩表現を選んで使っているわけだから、普通それを俗な言葉で筆者自ら言い換えたりしないものだ。したがって読み手は、前後に手ががりを求めながら、同時にもとの語感から離れないようにして、最後は「これだろ?」という言葉を当てはめないといけない。
ここは、初対面の人と向かい合い、対話をする場面である。この時、「見えない触覚を伸ばして話題を探す(①)」ことで、「対話を進めているうちに/印象が像を結びはじめる(②)」。つまり、ここでは相手との共通の前提があてにできないので、敏感に状況を探ることが求められるのである。だからこそ、前提を取り払って、「知らない本のページをめくる(③)」ように、普段は見ることのなかった日常の深い次元に踏み入ることになる、これを「ずぶりと差しこまれる」と表現しているのだ。

<GV解答例>
初対面の人に向かう時、共通了解をあてにできないからこそ、あらゆる兆しを鋭敏に探る中で未知の日常に深く踏み入ることになるということ。(65)

<参考 S台解答例>
初対面の人と語り合う時間は、自分が当たり前と思い込んでいた日常の世界を不意に揺るがす、新たな驚きをもたらすということ。(60)

<参考 K塾解答例>
初対面の人から、その人が独自の関心を抱く話を聞くという体験は、漠然と馴染んできた生活の中で突然起こり、聞く側に新鮮な発見をもたらすということ。(71)

<参考 T進解答例>
初対面の人と話すうちに、思いもよらない事柄に関心を持つ人の存在を知り、ありふれた日常のなかにいきなり異質な世界が立ち現われ、はっとさせられるということ。(76w)

問二「風が荒々しい手つきでめくれば、新たなページが開かれて、見知らぬ言葉が落ちている」(傍線部イ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。比喩のオンパレードである。こんな時も慌てずに、特に随想や小説においては、状況を明確にすることで外堀を埋めていくとよい。まず、傍線の直前から「植物園」の話題である。筆者の話し相手である「理系の人」は、「台風の後/植物園へ直行して/大きな松ぼっくりを拾う(⑤段/傍線前)」のだと言う。
ここから、「風が荒々しい手つきでめくれば、新たなページが開かれて…」というのは、「台風により大きな松ぼっくりを拾うという体験」を受けていることが分かる。ただ、これでは具体的過ぎて比喩を使って筆者が言わんとしていることが伝わらない。そこで、こうした具体的状況を踏まえた上で抽象すると、「自然が人知を越えた力で新たな局面を開いた時(A)」と導くことができる。「ページが開かれ」という語感を生かしていることに注意しよう。
傍線後半部の「見知らぬ言葉が落ちている」だが、これは「思いもよらない豊かな体験に出会える(B)」(←台風の後の大きな松ぼっくり拾い)くらいにすると良いが、こうした体験の享受には条件がある。設問一とも通じることだが、「植物園への道を通うその人のなかにも未知の本がある/こちらの言葉が多くなれば開かれない(⑤段/傍線後)」より、「既知の言葉に頼らず状況を感受する姿勢(C)」が求められるのだ。A→C→Bと解答を構成する。

<GV解答例>
自然が人知を超えた力で新たな局面を開いた時、既知の言葉に頼らずその状況を感受する者は、思いもかけぬ豊かな体験に出会えるということ。(65)

<参考 S台解答例>
ふとしたきっかけが、これまで見えなかった世界を開き、現実の自然や人間に潜む未知の言葉を顕在化させるということ。(55)

<参考 K塾解答例>
ページをめくると未知の言葉が現れる本と同様、強風にさらされた後の動物園では、思いがけない未知の様相が現れ、新たな知覚がもたらされるということ。(71)

<参考 T進解答例>
台風の吹き荒れた後の植物園では、暴風によって落下した様々な果実や種子などを手に入れることができ、新たに思いもよらない事柄を知ることができるということ。(75w)

 

問三「その一歩は消えていく光だ」(傍線部ウ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。これも比喩。「その一歩」を明確にするところから。吉原幸子の「虹」という詩で気に掛かる一節。「あれはなんだったのだろう/そんなふうに首を傾げて脳裡の残像をなぞる瞬間は日常のなかにいくつも生まれる/多くは曖昧なまま消えていく/だからこそ輪郭の曖昧な物事に輪郭を与えようと一歩踏み出すことからは光がこぼれる(⑩)」に続くのが傍線部である。とりあえず「疑問を抱き/それに答えを与えようとすると同時に/光が逃れる」とする。
ここで、「光」について記述だが、吉原幸子「虹」についての考察の前後、「馬の歯」についての記述で言及されていることに注意したい(「虹」のパートは、「馬の歯」についての考察を進めるにあたり挿入されたものである)。まず⑦段落「その(馬の歯)内容そのものが、はじめて教えられたことだけが帯びるぼんやりとした明るさのなかにあって、心ひかれた」、そして⑫⑬段落「その暗がりのなかで明らかなことは疑問形がそこにはあるということ/問いによってあらゆるものに近づくことができる/問いとは…もっと遠くへ届く光」に着目したい。以上と先述の「虹」の記述を総合すると、「未知の体験で物事が意識に浮かび疑問が生まれる/答えを与えようとするや否や/それは新たな疑問となり想像を喚起する(←遠くへ届く光)」とまとめられる。

<GV解答例>
初めての体験で物事が意識に浮かび、そこから派生する疑問への答えを与えるや否や、それは新たな疑問となり再び想像を喚起するということ。(65)

<参考 S台解答例>
より確かな認識を問う営みは、未知の事柄を垣間見たときの新鮮な驚きを、束の間の認識として消し去っていくということ。(56)

<参考 K塾解答例>
日常の中で曖昧なまま消えていくものを明確化する行為は、常に仮象をもたらすものでしかありえないが、そうした問いが次の問いへのつながるということ。(71)

<参考 T進解答例>
日常の中に表れる様々な曖昧な物事を明確に理解しようと脳裡のイメージを探っても、一瞬わかったような気がするだけで、結局は曖昧なまま忘れ去られるということ。(76w)

問四「掌にのせて、文字のないそんな詩を読む人もいる」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。(60字程度)

内容説明問題。解答根拠は問三と重なる。加えて「詩」という表現形式(象徴性)への基本的な理解がなければ、適切な解答はできないだろう。まず「掌にのせ」るという比喩的な表現から。そこにのせるのは「松ぼっくり。馬の歯」のようなものである。これを一般化して示すと、「印象に残る/象徴的なイメージ」となり、これを手がかりに(←掌にのせて)、詩的体験を展開することもできる、ということである。問三と同じく⑫⑬段落の記述をもとに、その「詩的体験」とは「象徴的なイメージを手がかりに/疑問と想像を反復することで/豊かに膨らませていくもの」とまとめられる。

<GV解答例>
書かれた詩でなくとも、印象に残る象徴的なイメージを手がかりに、疑問と想像を反復し膨らませていく豊かな詩的体験がありうるということ。(65)

<参考 S台解答例>
未知への想像力をもって問い続けることで、現実の自然や人間は不思議な魅惑に満ちた詩の世界として立ち現れてくるということ。(59)

 <参考 K塾解答例>
珍しく意味ありげな事物を手にしてさまざまな疑問を抱くことで、言葉に依らずに豊かな想像力の世界を広げる人もいるということ。(60)

<参考 T進解答例>
ありふれた日常の中で、よくわからないものに対して虚心に何だろうと問いかけることで、日常とはかけはなれた豊かな世界を想像力によって拡げる人もいるということ。(77w)