〈本文理解〉

出典は須賀敦子の随想「となりの町の山車のように」。
〈本文理解〉
1️⃣ あの子はいつも気を散らしています。母が学校の先生に会いに行くと、いつもそういわれて帰ってきた。わたしにも言い分はあった。聞いていると、そこからいっぱい考えがわいてきて、先生のいってることがわからなくなるの。そういうのを脱線というのよ。お願いだから脱線しないで。
脱線しないようにしよう。わたしは無駄な決心をした。

2️⃣ つめたい空気のなかを汽車は走っていた。…通いなれた沿線であるはずなのに、記憶をたぐりよせようにも、すべてが闇に沈み澱んだようになって思い出せない。夜行列車に乗るようになったのは、戦争が終わった16歳の秋、家族を離れて東京で学生生活を送るようになってからだから、1947、8年の頃だったろう。堅い座席で寒さに目がさめるたびに、あと何時間すれば東京に着くのだろうと、窓の外を過ぎてゆく電柱を、一本、一本、数えたりした。一千本になったら、東京。他愛ない事を自分にいいきかせては、また眠りに落ちる。

ぐっすり眠っていて、ふと目がさめると列車はまったく見おぼえのない小さな駅にとまっていた。なにもかもが眠りにこけた風景のなかで、近くに滝でもあるのか、高いところから水の落ちる音だけが暗いなかにひびいていた。

どれくらい停車したのだろう。やがて、かん高い汽笛が前方にひびいて、列車ぜんたいにながいしゃっくりに似た軋みが伝わると、ゆっくりと動き出した。列車が速度をはやめるにつれて、線路わきの電柱の飛ぶ速度がせわしくなる。そのとき、「まったく唐突に」(傍線部(1))、ひとつの考えがまるで季節はずれの雪のように降ってきてわたしの意識をゆさぶった。

《この列車は、ひとつひとつの駅でひろわれるのを待っている「時間」を、いわば集金人のようにひとつひとつ集めながら走っているのだ。…ひろわれた「時間」は、列車のおかげではじめてひとつのつながった流れになる。…列車が仕事をするのは、夜だけだ。夜になると、「時間」はつめたい流れ星のように空から降ってきて、駅で列車に連れ去られるのを待っている》

一連のとりとめのないセンテンスがつぎつぎにあたまに浮かんでは消えていった。「もう旅が退屈ではなかった。暖房のきかない列車も気にならなかった」(傍線部(ア))。

その夜、雪のなかの小さな駅舎の板壁に目をこらしていたわたしのところに、暗い雪片のように降ってきた考えの束は、あのころの旅の記憶といっしょにふつふつとわたしのなかに生きつづけた。

3️⃣ 何年か過ぎて、わたしはパリにいた。大学の夏休みがはじまったばかりのある夕方、わたしはリヨン駅からローマ行きの夜行列車に乗りこんだ。一年まえ、日本からの船がジェノワの港に着いたとき、道ばたでたえず耳に飛びこんできたイタリア語が、あの町を覆っていた嘘のような透明な空の記憶と重なって忘れられなかったし、凍った北国の都会に自分を合わせられなくて、「太陽がオレンジの色に燦く国に帰りたかった」(傍線部(イ))。いつかその国のことばを、自分のものにしてしまいたかった。

…列車が動き出してから、わたしはなんとなく東京にいて休暇で関西の家に帰る時のようなはしゃいだ気分になっている自分に気づいた。

…夜半にとなりの客席から、男たちの声が出て聞こえた。宵口に見た彼らの日焼けした顔や粗末な身なりから、休暇で故郷に帰るイタリアの労働者たちと知れた。内容もわからないまま彼らの話し声に耳を傾けていると、ぶっきらぼうなパリのことばに慣れた耳には、彼らの言葉はわたしが生まれそだった関西の人たちのアクセントにそっくりなように聞こえた。イタリアに行きたいなんていって。わたしは思った。ほんとうは日本に、家に帰りたいんじゃないか。

4️⃣ 六月の終わりというのに、アルプスを越える列車の客室にはうっすらと暖房が入っていた。窓のそとはただ暗いだけで、一本、また一本とうしろに飛んでいく電柱だけが、この世で自分の位置をはかるたったひとつの手がかりのように思えた。そのとき、もういちど、あの遠いころの列車の夜の記憶がもどった。
《夜、駅ごとに待っている「時間」の断片を、夜行列車はたんねんに拾い集めてはそれらをひとつにつなぎあわせる》

脱線、という言葉があたまに浮かんで、母はどうしているのだろうと思った。自分はほんとうに脱線が好きなんだろうか。わたしのは、脱線というのとはすこしちがう。線路に沿って走らないと、思考と思考はつながらない。でも、どれがいったい線路なのか。

「時間」、とあのころ言葉の意味を深く考えることもなしに呼んでいたものが「記憶」と変換可能かもしれないとまでは、まだ考えついていなかった。思考、あるいは五官が感じていたことを「線路に沿って」ひとまとめの文章をつくりあげるまでには、「地道な手習い」(傍線部(2))が必要なことも、暗闇をいくつも通りぬけ、記憶の原石を絶望的なほどくりかえし磨きあげることで、燦々と光を放つものに仕立てあげなければならないことも、まだわからないで、わたしはあせってばかりいた。

ジュネーヴ、というアナウンスが聞こえたように思った。アナウンスというよりは、なにかに驚いて人が発する短くてするどい叫びのようだった。ずっしりとした重たい窓を両手でもち上げてプラットフォームをのぞいてみたが、柱のあいだから弱々しい朝の光が斜めに射しているだけで、駅はほとんど無人に見えた。
《「時間」が駅で待っていて、夜行列車はそれを集めてつなげるために、駅から駅へ旅をつづけている》
もともと、ひとつのまずしいイメージから滲み出たにすぎない言葉の束なのに、それは、ごく最初からしっかりした実在をもってわたしのところにやって来たものだから、わたしは両手でその言葉の束だけを大切に不器用に抱えて、あたためながら歩きつづけた。

5️⃣「線路に沿ってつなげる」という縦糸は、それ自体、ものがたる人間にとって不可欠だ。だが同時に、「それだけでは、いい物語は成立しない」(傍線部(ウ))。いろいろ異質な要素を、となり町の山車のようにそのなかに招きいれて物語を人間化しなければならない。脱線というのではなくて、縦糸の論理を、具体性、あるいは人間の世界という横糸につなげることが大切なのだ。たいていの人が、ごく若いとき理解してしまうそんなことを私がわかるようになったのは、老い、と人々が呼ぶ年齢に到ってからだった。「みなが店をばたばた閉めはじめる夜の街を、息せききって走りまわっている」(傍線部(エ))自分を想像することがある。
そんなとき、あの山間の小さな駅の暗さと、ジュネーヴ! という、短い、鋭い叫びが記憶の底でうずく。

問一 (語句の意味)

〈GV解答例〉
(1)「まったく唐突に」→何の前触れもなく急に
(2)「地道な手習い」→手順を踏んだ文章の練習

 

問二「もう旅が退屈ではなかった。暖房のきかない列車も気にはならなかった」とあるが、「わたし」をそうさせたのは何か。45字以内で説明せよ。

内容説明問題。「わたし」に旅の退屈や列車の寒さを忘れさせたものは何か。直接的には傍線部直前の「一連のとりとめのないセンテンス」(A)である。そして、これは、小さな駅舎に停車していた列車が動き出し、速度をはやめたとき、「まったく唐突に/雪のように降ってきた/ひとつの考え」(B)を起点とするものだった。Bの具体的な内容については傍線部の前段、《》で囲まれた部分に述べられている。そこからBを具体化して、「B(→〜直観)を起点とするA(センテンス→思念)」とまとめる。

〈GV解答例〉
夜行列車が各駅で待つ「時間」をつなぐという直観を起点にひろがる、とりとめもない一連の思念。(45)

〈参考 S台解答例〉
自分が乗っている夜行列車が、時間を拾い集めつなげながら走っているという心を弾ませる考え。(44)

〈参考 K塾解答例〉
駅ごとに待つ「時間」は、夜行列車に拾われなければひとつの流れにならないという、切実な思い。(45)

〈参考 Yゼミ解答例〉
列車が時間をつなげていくという新鮮なイメージと、それを起点とする様々な言葉のつらなり。(43)

問三「太陽がオレンジの色に燦く国に帰りたかった」の「帰りたかった」には、「わたし」のどのような心情が込められているか。30字以内で説明せよ。

内容説明問題。「太陽がオレンジの色に燦く国」とは、日本からの船で最初に着いたイタリアのことである。そのイタリアに、「凍った北国の都会」=パリから「帰りたかった」のである。そこに込められた心情を、求められる短い字数で、「Aであるパリを離れて/Bであるイタリアを求める心情」などとすると内容が薄くなる。ここでは、より直接的な心情である後半のみに解答を絞り内容を濃くするとともに、Aの内容は、それと対比的になるBに反映させる。

すなわち、「わたし」は、最初に上陸したイタリア(ジェノワ)の言葉と透明な空を忘れられなかった(B)。一方で「凍った」パリでの生活に自分を合わせられなかった(A)。これに加え、いざイタリアに向かう列車で「わたし」が東京から地元の関西に帰るときのようなはしゃいだ気分になっていたこと、また実際となりの客席から聞こえたイタリアの言葉が関西のアクセントのように聞こえたことをふまえる(C)。以上より「言葉や気候が心身に馴染んだ、記憶の中にあるイタリアへの憧れ」とする。「馴染んだ」という表現にACを反映させた。
ただし、注意しなければならないのは、イタリアが故郷と重なることに気づいたのは、あくまで事後的なものである。傍線部の地点では、無意識下で故郷との類似を感じとっているのであり、その点で自然と心身に「馴染んだ(しっくりきた)」のである。よって「望郷の念」などとまとめるのは浅薄な誤りである。

〈GV解答例〉
言葉や気候が心身に馴染んだ、記憶の中にあるイタリアへの憧れ。(30)

〈参考 S台解答例〉
自分がなじめないパリを離れてイタリアに温もりを求める心情。(29)

〈参考 K塾解答例〉
凍ったパリを忌避する中、温暖なイタリアに重ねられた望郷の念。(30)

〈参考 Yゼミ解答例〉
イタリアの雰囲気や言葉に故郷のような親しみを感じている心情。(30)

問四「それだけでは、いい物語は成立しない」とあるが、「わたし」の考える「いい物語」とはどのような物語か。本文の内容に即して60字以内で説明せよ。

内容説明問題。「それ」(A)とAの不足を補うBが「いい物語」の要件になる。傍線部前後から、Aは「線路に沿ってつなげる/縦糸/論理」、Bは「いろいろ異質な要素/山車のように招きいれ/人間化/具体性/人間の世界/横糸」という要素が拾える。これに加え、Aの「線路」との対応で「脱線」(筆者自身はそう思ってないが、周囲からそう指摘される性質1️⃣ 4️⃣)もBの説明として加える。つまり、「聞いているといっぱい考えがわいてきて…わからなくなる(=「脱線」)」(1️⃣)、「一連のとりとめのないセンテンスがつぎつぎにあたまに浮かんでは消えていった(=「脱線」)(2️⃣)を加える。

以上の要素から、比喩的な要素(線路、縦糸、山車、横糸)と抽象的な要素(人間化、具体性)を言い換える。また、筆者の叙述の順は「A→B」だが、「いい物語」の成立は、まさに本文を貫くメタファー、夜行列車が時間=記憶(4️⃣)を回収してつなぐように、「人生の豊かな経験と思念・記憶(B)→論理による回収(A)」となるであろう。解答は「生活世界での豊かで多様な経験→広がる思念・記憶の断片→言葉により理路を見出す」とつなげた。

〈GV解答例〉
生活世界での豊かで多様な経験を経て、とりとめもなく広がる思念や記憶の断片を、言葉により理路を見出してつなぎ合わせた物語。(60)

〈参考 S台解答例〉
自己の記憶を固有のあり方でつなげることに加え、異質なものを取り込みながら人間的な実感を伴ったものとして描き出した物語。(59)

〈参考 K塾解答例〉
断片的な記憶を磨きあげてつないだ論理の縦糸に、具体的で多様な要素を横糸として招きいれ織りあげた、人間化された物語。(57)

〈参考 Yゼミ解答例〉
全体を貫く筋道だったストーリーと共に、個別の記憶が呼び起こす様々な人間模様のエピソードが挟み込まれて組み立てられた物語。(60)

問五「みなが店をばたばた閉じはじめる夜の街を、息せききって走りまわっている」とは、どのようなことを言っているのか。本文の内容に即して45字以内で説明せよ。

内容説明問題。「みなが店をばたばた閉めはじめる夜の街を(A)/息せききって走りまわっている(B)」という比喩の意味する内容を説明する。この傍線部は、直前の「たいていの人が、ごく若いときに理解してしまうそんなこと(=物語の人間化/縦糸(論理)と横糸(人間の世界)の結合/その必要性)を筆者がわかるようになったのは、老い、と人々が呼ぶ年齢に到ってからだ」と対応する。ならばAの「夜」というのは人生におけるその段階である「老い」であり、そこで「みなが店をばたばた閉めはじめる」というのは「物語の人間化」という営みが終わりに差しかかっているということだろう。そんな中で、同じく老齢になりながら、やっと「そんなこと」がわかるようになった筆者は、その夜の街を走りまわっている、のである。

この「走りまわっている」(B)は、本文を貫く夜行列車のメタファー、夜行列車が時間(=記憶)を回収してつなぎ合わせる、という心象とも重なってもいるだろう。そう読むことで「Bの自分を想像する」の直後、「そんなとき、あの山間の小さな駅の暗さと、ジュネーヴ! という、短い、鋭い叫びが記憶の底でうずく」(この二つの場面2️⃣ 4️⃣で「夜行列車のメタファー」が思念に浮かんだ)という記述も生きてくる。以上より、「人が人生をまとめあげる/老齢にして漸くその術を知り/懸命に記憶の断片(←横糸)を言葉(←縦糸)で繋いでいること」とまとめることができる。

〈GV解答例〉
人が人生をまとめあげる老齢にして漸くその術を知り、懸命に記憶の断片を言葉で繋いでいること。(45)

〈参考 S台解答例〉
多くの人が理解し終えたものがたる人間としてのあり方に老いた今ようやく至り奮闘を続けている。(45)

〈参考 K塾解答例〉
老いの中で、物語にならず忘れられてしまいそうな記憶の断片を拾い集めようとあせっていること。(45)

〈参考 Yゼミ解答例〉
一線を退くような老齢になって初めて、年甲斐もなく創作の作法をがむしゃらに模索しているさま。(45)