〈本文理解〉

(前書き) 妻が病で入院し長期間不在の「私」の家には、三人の子と、夫に先立たれ途方に暮れている妹がいる。心を慰めてくれる存在だった庭の月見草が庭師に抜かれ、「私」(視点)は空虚な気持ちで楽しめないでいる。

1️⃣(21行目まで) 私が朝晩庭に下りて草花の世話をして心を紛らわせていると、或日妹が「空地利用しようか!」と言い、茄子を植え始めた。郷里で百姓をしていた妹は、いかにも百姓が身に染みている感じで、実に手際が好い。二三日して今度はトマトを買ってきた。私は、草花を植えるために、陽あたりの好いところは全部占領していたけれど、「自分だけ好いところを占領するのは気がひけたので、そこの一部を割いて、トマトを植えさせた」(傍線部A)。作りはじめると、妹は急に生き生きとして来た。私が花の世話をするのと同じく、菜園の世話をしていれば、心が慰まるにちがいない。兄が花畠をつくり、妹が菜園をつくるのも、遣り場のない思いを紛らそうがためにほかならない。月見草を喪った私の失望落胆は察してもらえるにちがいない。

2️⃣(30行目まで) その月見草を喪ってから十日と経たぬうちに、私の庭には新しい月見草が還って来て、私の精神の秩序も回復されることとなる。六月の中旬、鮒を釣るという友人のO君に誘われて私は是政に行くことになった。是政に行けば、月見草なんか川原に一杯咲いているといわれ、私は忽ち腰をあげる気持ちになったのだ。O君が釣りをしている間、川原で寝そべったり、山を見たりして遊び、かえりには月見草を引いて来ることに肚を決めたのである。

3️⃣(72行目まで) その日の午後、ガソリン・カアで北多磨に向かい、そこから多摩川沿いの是政まで歩いた。途中、一面に並んだ月見草は痩せた感じで少し物足りなかったが、そこいらいっぱいの月見草を見ると、私は安心し、もう大丈夫だという感じだった。

多摩川の川原に降りると、また月見草がいっぱいだった。O君は瀬の中に入って、毛針を流しはじめた。…
夕翳が出て、川風が冷えて来た。「もうあと十分やるから、君は月見草を引いててくれない?」 私はO君を残し、川原で手頃な月見草を物色した。匂いのある二本と、匂いのないのを二本、新聞紙にくるんだ。振りかえってみると、O君はまだ寒そうな格好をして瀬の中に立っている。

私は仮橋を渡り、橋番の老人と話をしていた。そこへ、O君が月見草の大きな株を手いっぱいに持ってあがって来た。「それは、なんだかよろこばしい図であった」(傍線部B)。それを見ると、私も思い切って大きなやつを引けばよかったと思った。私は、O君の月見草を自分のと一緒に新聞紙に包み、それを結わえて小脇に抱えた。

4️⃣(92行目まで) 是政の駅は、川原から近く寂しい野の駅だった。疲れていた。寒かった。おなかが空いていた。カアが来るまでまだ一時間ある。私は待合室の入口に立って、村の方を見ていた。村は暗く寂しい。畑のむこう林を背にしてサナトリウムの建物が見えた。まだ灯がついていなかったので、暗い窓をもった建物は窩をもった骸骨のように見え、人の住まぬ家かと思われた。そのうちポツリ、ポツリと部屋々々に灯がつきはじめ、建物が生きて来た。それを見ていると、「突然私は病院にいる妻のことを思い出した」(傍線部C)。今日家を出てから、妻のことを思い出すのは初めてである。寂しさがこみあげて来た。恰も自分の妻もこのサナトリウムに住んでいるかの如き気持で、私はその建物に向かって突き進んで行った。…私はサナトリウムを通り過ぎながら、妻が直ぐそこの病室にいるかの如き気持になって、妻よ、安らかになれ、とよそながら胸のなかで物言うのであった。私は感傷的で、涙が溢れそうであった。

5️⃣(111行目まで) ほとんど涙を湛えたような気持でサナトリウムを後に、乾いた砂路を歩いていると、ふと私は吸いつけられたように足を停めた。眼の前一面に、月見草の群落なのである。涙など一遍に引っ込んでしまった。薄闇の中、砂原の上に、今開いたばかりの月見草が、私を迎えるように頭を並べて咲き揃っているのである。遠いのは闇の中に姿が薄れていて、その先一面どこまでも咲きつづいているような感じを与えるのであった。
七時五十五分、最終のガソリン・カアで私たちは寒駅を立った。私は最前頭部にあって、ヘッドライトの照らし出す線路の前方を見詰めていた。是政の駅からして、月見草の駅かと思うほど構内まで月見草が入り込んでいたが、驚いたことには、今ガソリン・カアが走ってゆく前方は、すべて一面、月見草の原なのである。右から左から前方から月見草の花が顔を出したかと思うと、火に入る虫のように、ヘッドライトの光に吸われて後ろへ消えてゆくのである。それがあとからあとからひっきりなしにつづくのだ。私は息を呑んだ。「それはまるで花の天国のようであった」(傍線部D)。

花の幻が消えてしまうと、ガソリン・カアは闇の野原を走って武蔵境の駅に着いた。網棚の上から月見草の花を下ろそうとすると、是政を出るときにはまだ蕾を閉じていた花々が、早やぽっかりと開いていた。取り下ろす拍子に、ぷんとかぐわしい香りがした。私は開いた花を大事にして、月見草の束を小脇に抱え陸橋を渡った。

〈設問解説〉問1 (語句の意味)

(ア) お手のもので→得意としていて
(イ) 肚を/決めた→気持ちを/固めた
(ウ) 目を見張っていた→感動して/目を見開いていた

問2 「自分だけ好いところを占領するのは気がひけたので、そこの一部を割いて、トマトを植えさせた」(傍線部A)とあるが、この場面からわかる、妹に対する「私」の気持ちや向き合い方はどのようなものであるか。その説明として最も適当なものを選べ。

心情説明問題。前書きの設定(妻が病気で入院し慰みの月見草を失い空虚で楽しめない「私」/夫に先立たれ途方に暮れている妹)を踏まえ、空白行によって分けられる21行目までの箇所(1️⃣)から、妹に対する私の気持ちや向き合い方を捉える。まず「場面」の把握としては、私が「心を紛らわせる」草花の繁った庭に、「百姓が身に染みている感じで/手際が好い」妹が茄子に続きトマトを植えようとするところである。それに対して「私」は「自分だけ庭の陽あたりの好いところを占領することに/気が引け」(心理(a))、妹にその一部を譲るのである。

傍線後の記述で、「作りはじめると/妹は急に生き生きとして来た」「私が花の世話をするのと同じく/菜園の世話をしていれば/途方に暮れた思いも一と時忘れることが出来/心が慰まるにちがいない」(視点は「私」)にも留意する。同じ哀しみを抱えた者として、そして「草花の世話/菜園の世話」に心の慰みを見出そうとしている、「私」は妹に「共感」(心理(b))を感じているのである。

「場面」と「心理」の把握が正しい選択肢を選ぶ。特に、傍線の中にある「cは/気が引ける」(a)の言い換え部分に着目して選択肢を横に見ると、①③に絞れる(④⑤は「気が引ける」なし/②は「気が引ける」の対象(c)が違う)。このうち①は「一緒にたくさんの野菜を育てる」が事実関係に反していてダメ。③は「妹の回復の兆し」「気遣い」で心理(b)も表現できていて、正解となる。

問3 「それは、なんだかよろこばしい図であった」(傍線部B)とあるが、そう感じたのはなぜか。その説明として最も適当なものを選べ。

理由説明問題(心情)。形式は「理由」を問うている場合でも、小説は「心情」問題として処理する。ここも「よろこばしい図」(G)と感じるに至る「場面」と「心理」を問うている。まず「それ」の指す内容は、「O君が月見草の大きな株を手いっぱいに持って/あがって来た」(a)ことである。それがなぜ、「なんだか(よくわからないが)/よろこばしい図」なのか。「場面」を遡ると、「もうあと十分やるから、君は月見草を引いててくれない?」(60行目)とあるように、月見草に引かれて是政にやって来た「私」に対して、O君は「夕翳が出て/冷えて来」ても釣りに熱中していたのである。そのO君が「月見草の大きな株をを手いっぱいに持って」あがってきたのである。

こうして見ると、aからGに至る間で、月見草の愛好者である「私」の感情として補充できるのは「驚きを含んだ/好感」というところだろう。選択肢を横に見て、Gの「よろこばしい図」につながる結びとして妥当なのは④「ほほえましい」と⑤「うれしい」。④はその「ほほえましい」の承ける「いかにも月見草に興味がない人の行為のような」が場面把握から不適当なのに対し、⑤は「釣りに夢中なO君→月見草の大きな株を手にした光景→意外→自分の思いを理解してくれているよう→うれしい(→よろこばしい)」と場面からくる心理を適切にたどっていて、正解となる。

問4 「突然私は病院にいる妻のことを思い出した」(傍線部C)とあるが、この前後の「私」の心情はどのようなものか。その説明として最も適当なものを選べ。

心情説明問題。前提となる「場面」としては、是政から帰りの汽車が出るまでには一時間ほどあり、「私」は待合室からサナトリウム(療養所)の建物を見ているところである。傍線の前に「それを見ていると」とあり、「それ」が指すのは「サナトリウムの部屋々々に灯がつきはじめ/建物が生きて来た」(a)ことである。aを見て「私」は突然妻を思い出す(傍線)。その後に「今日家を出てから/妻のことを思い出すのは初めてである」「寂しさがこみあげて来た」「妻もサナトリウムに住んでいるかの如き気持で/その建物に突き進んで行った」「(サナトリウムを通り過ぎながら)妻よ/安らかになれ/と…胸のなかで/物言う」「私は感傷的で/涙が溢れそうであった」と、妻に対する哀切な感情が吐露される。(4️⃣)

以下93行目から(5️⃣)場面が大きく転換することに着目すれば、先に抜き出した傍線前後の「場面」と「心理」の説明が解答根拠となる。選択肢を横に見て、「妻を思い出す」直接の契機となったaが正しく前半に記述されている②③④に絞り、「急に頭に浮かび」「平穏を願い胸がいっぱい」と妻への心情を正しくたどっている②が正解。③は「失望感」、④は「申し訳なさ」が明らかに間違い。

問5 「それはまるで花の天国のようであった」(傍線部D)とあるが、ここに至るまでの月見草に関わる「私」の心の動きはどのようなものか。その説明として最も適当なものを選べ。

心情説明問題。本文末尾に近い「ここ」に至るまで、全文を通して「月見草」について語られている。ただ漠然と全文を見渡すのではなく、「花の天国であった」という感慨をもたらす直接間接の契機を把握して、そこを中心に解答を構成するべきである。ならば、問4でも考察した通り、93行目からのパート(5️⃣)が該当箇所として浮かびあがるはずだ。前のパート(4️⃣)では、帰りの汽車が出るまでの時間を持て余す中で、夜の灯をともすサナトリウムの光景に、病により入院する妻を重ね、それへと足を向け哀切に浸った「私」であった。その後「涙を湛えたような気持で/サナトリウムを後に/乾いた砂路を歩いている」(93行目)と、ふと吸いつけられたように「私」は足を停める。「眼の前一面に月見草の群落」が広がり「涙も一遍に引っ込んでしまった」のであった。それは「私を迎えるように頭を並べて咲き揃ってい」て、「その先どこまでも咲きつづいているような」印象を与えた。ここで「私」の気持ちは、妻を思い沈んだ感情から浮き立つ思いに変化する(4️⃣5️⃣)。ここが一点(a)。

次に、帰りの汽車での場面で傍線につながる箇所である。汽車の最前列からヘッドライトの映す先を見ていた「私」は、その前方一面に広がる月見草の原に驚く。右、左、前の三方から月見草が顔を出したかと思うと、ヘッドライトの光に吸われて消えてゆく。それがひっきりなしにつづく。その光景を指示語「それ」で承け、「それは/まるで花の天国のようであった」(傍線)となるのである。aの場面で沈んだ気持ちが「月見草の群落」を目にしてぶっ飛び、さらに汽車から見える、ひっきりなしにつづく「月見草の原」にまるで「花の天国」にあるかのような至福を感じている(b)と、ここまでの月見草に関わる「私」の心の動きをまとめることができる。

以上より選択肢を横に見て検討すると、「場面の区切り」が適切で、aとbの場面を「さらに」の前後で踏まえている①と③が候補としてあがるが、③は末尾で「妻の病も回復に向かうだろうという希望をもった」としているのが明らかにおかしい。aの場面で「涙など一遍に引っ込んでしまった」(94行目)とあるように、それ以前の妻をめぐる感傷的な気分は一旦引っ込んでいる。その点、①は「~感傷を吹き飛ばす~/さらに~憂いや心労に満ちた日常から自分が解放されるように感じた」となっており、前書きで提示された「私」の暗さが「月見草」により慰みを得るという主題に沿っていて、正解となる。

問6 この文章の表現に関する説明として適当なものを二つ選べ。

表現意図問題。「正答選択」だが、選択肢を順に見て、本文と照らし合わせ、明らかに矛盾するものを消していくのが安全だろう。また、「表現意図」を聞く場面には、「表現自体」(m)と「表現意図」(i)に矛盾がないかを照合するとよい。本問もその方針で。

①は、特に「茄子やトマトなんかを。」(m)という返答から「快活な性格」(i)は導けない。この場面は、問いに対して簡潔に答えただけである。

②は、ここでの「体言止めの繰り返し」(m)は「印象深い記憶であったことの強調」(i)を意味しない。事象の経過を簡潔に示しただけである。

③は、「擬音語・擬態語」(m)が全て「緊迫感」(i)を表すわけではない。「サアサア」「ポツリ、ポツリ」「ポクポク」に「緊迫感」はない。

④は、ここでの「月見草の匂いの有無に関する叙述」(m)は、のちの「収穫体験」の伏線(前振り)になっている。よって、「収穫体験を際立たせる表現」(i)といえる。1つ目の正解。

⑤は、「短い文を畳み掛けるように繰り返す」(m)だけでは、「状況が次第に悪化していく過程」(i)は表現できないだろう。

⑥は、「窩をもった骸骨のように」(m)、「私を迎えるように」(m)はともに直喩だが、前者は「暗い気持ち」、後者は「明るい気持ち」を表しているといえ、「比喩を用いることによって/「私」の心理を間接的に表現」(i)しているといえる。これが2つ目の正解。