問1 二十傍線部「人文知を下支えする大衆的な基盤の喪失ということに尽きるだろう」について、なぜ筆者はこのような見解を述べたか、本文に沿って600字以内で説明しなさい。

 戦後初期においては、兵士の復員や都市経済の混乱、食糧難などの戦争の影響、そして「嫁姑問題」などの農村固有の問題に向き合うために人文社会科学への関心が高められた背景があったことに加え、義務教育以上に進めなかったノンエリート層はその格差ゆえに「真実の生き方」を模索し、教養への関心を高めていた。大衆教養主義はこうした心性に支えられていた。  

 しかし、1960年代半ば以降、都市部への若年層の流出が進んだ農村部では教養文化を支える場そのものが機能不全に陥ってしまった。また、高度経済成長のなかで全日制高校への進学率が高まり、定時制高校は「全日制に合格できなかった生徒」を多く抱えるようになっていた。もちろん、経済的な理由で高校に進めなかった層も見られたが、消費文化の浸透や労働条件の改善が進むことに伴って教養に自己の拠り所を求める層は確実に少なくなっていた。そして大学でも教養主義が凋落したことなどが重なり合い、教養文化は衰退してしまった。たしかに、大衆歴史ブームに垣間見られるように大衆教養主義的なものが社会的に消え去ったというわけではなかったが、そうした関心は「生」や「社会」を捉え返すものではなかった。  

 こうしたことから知的なものへの憧憬は見られなくなり、人文社会系の知への人々の支持や関心が失われたことによって人文知を下支えする大衆的な基盤が喪失したと筆者は考えている。(580字)

 

問2 「格差と教養」「実利を超越した教養」「人文社会系の知」の語句を用いて、現代における教養について歴史・民族・文学・言語のいずれかの側面から、あなたの考えを600字程度で述べなさい。

 格差と教養の結びつきが見られなくなった現代においては、実利を超越した教養を獲得していくために人文社会系の知の価値を再認識していくことが重要になると私は考える。  

 近年、科学技術の発展や消費社会の浸透に伴い、私達が暮らす社会は便利で豊かなものとなっている。また、都市化が進んだことによって人々は村社会から離れてより条件の良い仕事や環境を求めることができる時代になったと言えるだろう。  

 しかし、そうした状況は同時に過剰な消費を中心とする社会や生き方を生み出し、人々の孤立を生じさせている。実際、市場には常に大量の商品が出回り、私達はそれを飽くことなく消費し続けている。そのことによって自然環境も深刻な影響を受けているのである。また、かつての村社会に見られた人と人との繋がりは大きく失われ、特に都市においては孤独を抱えて生きている人も少なくない。こうした社会はすでに限界に達しており、個人としても社会としても持続可能な在り方を模索することがこれから必要となる。そこで、歴史や民俗学の観点からこれまでの人々の暮らしや文化を見直すことが私達の生きる日常や社会を相対化し、個々の生き方や社会のあるべき姿を再考する契機になりうる。その点で、目先の利益に追われるのではなく自らの生き方や社会の在り方を学ぶことができる人文社会系の知に価値があると言える。  

 以上のことから、現代においては実利を超越した教養を獲得していくために人文社会系の知の価値を再認識していくことが重要になると私は考える。(632字)