〈本文理解〉

出典は村上靖彦『交わらないリズム』。
 
①段落。「居場所」はおそらく2000年ごろから頻繁に耳にするようになった言葉だろう。… 21世紀になって居場所がクローズアップされるようになった「背景には、二つの文脈がある」(傍線部(1))。
 
②段落。一つは困難の文脈だ。高度経済成長から新自由主主義の発展にともなって地域の共同体が壊れていき、競争社会が浸透してさまざまな排除が正当化されたため、とりわけ弱い立場に置かれた人の「場」が失われ、「居場所」をあえて人工的に作り出す必要が生じたのだろう。…
 
③段落。もう一つの文脈は自発的なものである。浦河べてるの家や、私が関わっている大阪市西成区のこどもの里は、1970年代後半に精神障害者や子どものニーズに応える形で自然発生的に生まれた居場所である。過疎地域の精神障害者が集う場所や、大都市の貧困地区で子どもたちが集う場所が、この時期に自然と生まれたのだった。高度経済成長期には、身体障害者・精神障害者・虐待から保護された子どもが大規模施設に収容された。障害を持つ人が再び地域で暮らすための脱施設化の運動と、地域での居場所の創設とは連動している。
 
④段落。2000年代に当事者研究やオープンダイアローグといった仕方で具体化していった対話の文化もまた、困難を抱えた人たちが(施設を出て)地域で暮らしていく動きのなかで生まれたものだといってもいいだろう。つまり新自由主義の進行に対するカウンタームーブメントとして居場所と対話の文化が密かにかつ自発的な仕方で日本そして世界の各地に拡がっていったのだ。
 
⑤段落。居場所とは人が自由に「来る」ことができ、「居る」ことができ、「去る」こともできる場所である。
 
⑥段落。さらに言うと、「何もせずに」居ることができる場所であり、一人で過ごしていたとしても孤独ではない場所である。なぜ一人で居ても孤独ではないかというと、誰かがそこでその人を気にかけ見守り、放っておいてくれるという感覚があるからである。逆説的だが、居場所とは人と出会える場所であり、かつ一人にもなれる場所のことだ。
 
⑦段落。居場所が持つこの捉えにくい大事な機能については東畑開人が鮮やかに描き出した。東畑はとりわけ居場所型デイケアがもつ「何もしない」と言う特徴の意味を考察した。「だけど本当に不思議なのは、何か不思議なことをしている人ではなく、何もしていない人たちだ。…ときどきお茶を口に含むことはあったけど、基本彼らは何もせずにただただ座っていた。「こんな風景」(傍線部(2))見たことない。僕はそれまで、誰も彼もがセカセカと何かをしている世界にいたからだ」(東畑『居るのはつらいよ』)。
 
⑧段落。実は私自身も数年前に精神科デイケアでのフィールドワークを試みかけたことがあったのだが、今思うとこの「何もしない」ことに耐えられなくて調査を断念した。居場所では行為が必要とされない。あるいはむしろ状況を変化させようとする行為は禁じられているのだ。以下では、来ても来なくてもよく、何もしなくてもよいという曖昧さの持つ意味について考えていく。
 
⑨段落。無為に加えて居場所にはもう一つの特徴がある。それは自由な遊びが生み出される場所であるということだ。…もともとの居場所がもつ無為は、自由で即興的な遊びにつながっているだろう。
 
⑩段落。遊びは、他に目的をもたない行為だ。「〇〇のため」ではなく、ただそのことが面白い、ということである。そして、それが面白いかどうかは、その子にしか決められない。決めるというより、感じるしかない。
 
⑪段落。目的を持たないゆえに、居場所は戯れの場・遊びの場となる。遊びは社会のなかに目的を持たない。遊び自体が遊びの目的だ。居場所が遊びの場になるのは、居場所の本質に無為があり、無為が無目的の遊びを可能にするゆえだろう。遊びは、社会状況へと介入する行為・実践と対立する。遊びはあくまで遊びの瞬間のなかでの動きであり、遊びの空間の外にある生活や社会の状況を変化させるわけではない。…
 
⑫段落。居場所での遊びは創造的な自発性に恵まれるが、それ自体は社会情勢を変化させることも家族関係を変化させることもない。…
 
⑬段落。無為と遊びという特徴を挙げたうえで、話題にしたいのはこの居場所がもつリズムについてである。居場所は独特の時間と空間をもっている。東畑は状況が変化しない居場所の時間を「円環的な時間」と呼んだ。そして円環的であるということは居場所の無為が〈永遠の現在〉であるということだ。
 
⑭段落。また、言語学者ギュスターヴ・ギヨームは動詞を論じながら二つの時間を区別した。ひとつは「内に折り込まれる時間」だ。「食べる」と「食べ切る」のニュアンスの違いのような、進行形や完了形といった質の違い、リズムの違いであり、現在=現前のなかでの時間の緊張にかかわる。もう一つは「外に繰り広げられる時間」であり、こちらは過去、現在、未来で分節されて現実の世界のなかで年表やスケジュールとして繰り広げられる。「居場所の時間もこの二つの側面から考えることができる」(傍線部(3))。つまり居場所でそのつど内包的に経験される無為のリズムの意味と、居場所が繰り広げる連続性の意味だ。
 
⑮段落。まず前者の「現在=現前の内に折り込まれる時間」から考えてみると居場所がもつ円環的な時間のもつ固有のリズムが見えてくる。
 
⑯段落。さまざまな活動に忙殺される日常生活のなかで、居場所は喧騒から逃れる特異点となる。…多くの場合、緊張に対する弛緩が居場所の特徴となる。日常の生活がもつリズムが解除されてゆるむのが居場所である。今現在においてあわただしいのかゆるんでいるのか、というリズム=強度の違いである。このゆるみは、居続けて良いし何もしなくて良いことと並んで居場所の大きな特徴となる。社会生活という動的でありかつ緊張感のある経験は、静的でゆるんだ時間を必要とする。円環的時間とは、現在が次の現在へと展開していかないということだ。現在=現前しか存在しない時間であるといっても良い。外に繰り広げられる時間という視点から見ると居場所の時間は円環的であり、内に折り込まれる時間という視点から見た時間は〈リズムのゆるみ〉である。
 
 

〈設問解説〉 問一 (漢字/読みはカタカナ指定)

a.露呈 b.キロ c.過疎 d.先駆者 e.タワム f.途端 g.形骸 h.ボウサツ i.ケンソウ j.シカン

 

問二 (空欄補充)

A→イ、B→オ、C→エ、D→

 

問三「背景には、二つの文脈がある」(傍線部(1))について、「背景」となる「二つの文脈」とはどのようなものか。本文に即して、それぞれ50字以内でまとめよ。

 
内容説明問題。21世紀になって「居場所」がクローズアップされる背景となる「二つの文脈」について説明する。二つに重なりのないように、かつ二つが組み合わさってその背景を構成するように、まとめたい。
 
その二つについては、続く②段落、そして③段落の冒頭に、それぞれ「困難性の文脈(A)」「自発的なもの(B)」と要約されている。Aについては、②段落の二文目が「具体的に」展開した箇所(三分目以下は「具体例」)なので、それを参照すればよい。すなわち「高度経済成長と新自由主義/共同体の崩壊/競争社会の浸透による排除の正当化」を繰り込んだ上で、「何の」困難性か、ということを、具体例も参照しながら、「社会的弱者の生存の困難性」と明確化するとよい。以上より、一つ目の文脈は「高度経済成長に伴う地域共同体の崩壊と/新自由主義による排除の正当化がもたらす/社会的弱者の生存の困難性」とまとめられる。
 
Bについては、③段落の二文目以下が「具体例」となるので、Aと異なり解答化しにくい。手がかりになるのは続く④段落の最終文「つまり新自由主義の進行に対するカウンタームーブメントとして居場所と対話の文化が密かにかつ自発的な仕方で日本そして世界の各地に拡がっていったのだ」。ここから、「〜に対抗し/社会的弱者を支援しようとする/自発的な動き」という方向でまとめるとよい。あとは、「〜に対抗し」を具体例を参照しながら具体化する。とくに③段落の終わりの二文「高度経済成長期には、身体障害者・精神障害者・虐待から保護された子どもが大規模施設に収容された。障害を持つ人が再び地域で暮らすための脱施設化の運動と、地域での居場所の創設とは連動している」を参照する。さらに、その動きは2000年代の対話の文化でも「また」見られるというのだから(④)、Aと対応させて、現在の「新自由主義」に対抗する動きであるとも言える。以上より、二つ目の文脈は「高度成長期の隔離政策や新自由主義の進行に対抗し/社会的弱者を地域を拠点に支援しようとする/自発的な動き」とまとめられる。
 
 
〈GV解答例〉
高度経済成長に伴う地域共同体の崩壊と新自由主義による排除の正当化がもたらす社会的弱者の生存の困難性。(50)
高度成長期の隔離政策や新自由主義の進行に対抗し社会的弱者を地域を拠点に支援しようとする自発的な動き。(50)
 
〈参考 S台解答例〉
弱い立場の人々が伝統的な居場所を失ったという困難に対して、人工的に新たな居場所を作り出すというもの。(50)
障害者や子どものニーズに対応し、彼らが再び地域で暮らすための居場所が自然発生的に生まれるというもの。(50)
 
〈参考 K塾解答例〉
地域共同体の崩壊と競争社会の浸透によってもたらされた、社会全体がゆとりを失ったという困難な状況。(48)
精神障害者や子どもといった社会的弱者が地域において集うための場所が、自発的に生まれたという状況。(48)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
競争社会の浸透やSNSの普及が伝統的な居場所の維持を困難にし、新たな居場所を作る必要が生じたこと。(49)
精神障害者や子どもが地域で暮らしていくことのできる集いや対話のための場所が自然発生的に生まれたこと。(50)
 
〈参考 T進解答例〉
排除を正当化する競争社会の浸透で失われた、ゆとりを確保できるリアルな場所を再生する必要が生じたこと。(50)
新自由主義へのカウンタームーブメントとして困難を抱えた人々の集いの場と対話の文化が生成してきたこと。(50)
 
 

問四「こんな風景」(傍線部(2))について、次の問いに答えよ。

 
(1)「こんな風景」の特徴を、筆者が最も端的に示した二字の語を、本文から抜き出し、答えよ。
〈答〉無為
 
(2)「こんな風景」と「遊び」は、どのようにつながっていると考えられるか。本文に則して、100字以内で説明せよ。
 
内容説明問題。「こんな風景」(東畑、⑦)は、(1)で答えたように「何もしない」=「無為」(⑨)で特徴づけられる居場所型デイケアに見られる「風景」である。そして「無為に加えて居場所にはもう一つの特徴がある。それは自由な遊びが生み出される場所であるということだ」(⑨)とあるように、「居場所」は「無為」とともに「遊び」によって特徴づけられる。解答の方向性としては、「無為」に特徴づけられる「居場所」の「風景」が、「自由な遊び」を生み出す、ということを、根拠が明確になるように示せばよい。
 
解答の根拠となるのは、居場所の無為性との関わりで「遊び」について述べた⑨段落から⑫段落までの内容。とくに、「もともとの居場所がもつ無為は、自由で即興的な遊びにつながっているのだろう(a)」(⑨)、「遊びは、他に目的をもたない行為だ(b)」(⑩)、「居場所が遊びの場になるのは、居場所の本質に無為があり、無為が無目的の遊びを可能にするゆえだろう(c)」(⑪)、「居場所での遊びは創造的な自発性に恵まれるが、それ自体は社会情勢を変化させることも家族関係を変化させることもない(d)」(⑫)を参照する。これらに加えて、「何もせずに」居ることができる、ということの見落とせない含意、「居場所とは人と出会える場所であり、かつ一人にもなれる場所のことだ(e)」(⑥)も踏まえて、以下のように解答した。「外部の生活や社会の目的から独立して(d)/何もせず居ることのできる居場所の無為性は(c)/遊ぶことそれ自体以外を目的としない(b)/遊びを可能にし(c)/居場所の他のメンバーとも関わりながら(e)/その創造性や自発性を促すものである(a)」。
 
d要素を「無為性」の頭に乗せて、同様に「遊び」の頭にb要素を乗せることで「無為性」と「遊び」の相似性を強調し、「無為性」が「遊び」を可能にする、という論理性を明確にしたことが、解答のポイントである。
 
 
〈GV解答例〉
外部の生活や社会の目的から独立して何もせず居ることのできる居場所の無為性は、遊ぶことそれ自体以外を目的としない遊びを可能にし、居場所の他のメンバーとも関わりながら、その創造性や自発性を促すものである。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
社会へと介入する行為と対立する遊びは居場所という社会からの退却を前提とし、来ても来なくても、何もしなくてもよい居場所の本質である無為が、自由で即興的な、創造的自発性に恵まれた無目的の遊びを可能にする。(100)
 
〈参考 K塾解答例〉
社会的な活動から離れ、何もせずにいることができる居場所は、そもそも目的というものを必要としないために、社会のなかに目的を持たず社会に影響を与えることもない、自由で即興的な遊びを生み出すことができる。(99)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
居場所とは何をしてもしなくてもよい場所であり、社会生活が要求する「何かのため」という目的から解放されているので、それ自体の面白さを目的とした自由で即興的な遊びが生み出される場所になっているということ。(100)
 
〈参考 T進解答例〉
「こんな風景」とは無為すなわち無目的を本質とする居場所であるが、遊びも生活や社会から遊離した場で繰り広げられる無目的な営みであるが故に、「こんな風景」と自由で即興的な無目的の遊びがつながることになる。(100)
 
 

問五「居場所の時間もこの二つの側面から考えることができる」(傍線部(3))とあるが、「居場所の時間」にはどのような特徴があると考えられるか、本文に則して、100字以内でまとめよ。

 
内容説明問題。傍線部の「二つの側面」とは、「内に折り込まれる時間」(A)と「外に繰り広げられる時間」(B)のことを指す。AとBはそのまま居場所の時間の「特徴」ではなく、その特徴を導く手がかりに相当する。その詳しい説明は最終⑯段落にあるが、とくにその末文「外に繰り広げられる時間という視点から見ると(B)/時間は円環的であり(B+)」「内に折り込まれる時間という視点から見た(A)/時間は〈リズムのゆるみ〉である(A+)」のB+とA+が、問いで求められる二つの「特徴」となるのである。あとは、B+とA+を⑯段落の他の箇所より具体化するとよい。
 
B+については、「円環的時間とは、現在が次の現在へと展開していかない/現在=現前しか存在しない時間」という箇所と、それと対比的な「外に繰り広げられる時間」についての説明、「過去、現在、未来で分節されて現実の世界のなかで…繰り広げられる」(⑭)を参照する。A+については、「緊張に対する弛緩/日常の生活がもつリズムが解除されてゆるむのが居場所/静的でゆるんだ時間」を参照する。以上より、以下のような解答に決まるだろう。「居場所の時間は/過去・現在・未来へと展開する外部世界の時間と別の/「現在」のみが現前する円環的時間であり(B+)//日常生活の緊張感から解放された固有のリズムをもつ/外部世界の内に折り込まれる/静的な時間である(A+)」。
 
 
〈GV解答例〉
居場所の時間は、過去・現在・未来へと展開する外部世界の時間と別の「現在」のみが現前する円環的な時間であり、日常生活の緊張感から解放された固有のリズムをもつ、外部世界の内に折り込まれる静的な時間である。(100)
 
〈参考 S台解答例〉
居場所の時間は円環的であり、あわただしい日常生活がもつ緊張に満ちたリズムが解除されてゆるむという、現在=現前のなかでの静的な特徴と、現在が次の現在へと展開せず、常に現在として連続するという特徴がある。(100)
 
〈参考 K塾解答例〉
外に繰り広げられる時間という視点から考えると、現在しか存在しない円環的な時間であり、内に折り込まれる時間という視点から考えると、日常生活の緊張やあわただしさから解放された静的でゆるんだ時間である。(98)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
居場所の時間とは、動的な社会生活の緊張したリズムから解放してゆるんだリズムをもたらす静的な時間であるとともに、現在が次の現在へと展開せずに、現在だけが永遠の現在として現前する円環的な時間である。(97)
 
〈参考 T進解答例〉
無為を本質とする居場所の時間は、目的に向かって展開する社会生活の時間とは異質な、常に現前する現在へと回帰する円環的なものであり、それは社会生活の緊張から解放された静的で弛緩したリズムを持つものとなる。(100)
 
 

問六「居場所」について説明された内容として、最も適当なものを、次のア〜エの中から一つ選べ。

 
〈答〉