〈本文理解〉

〈本文理解〉
出典は石原吉郎の随想「望郷と海」。筆者は詩人。
 
前書きに「著者が1941年に満州へ派遣され、45年の日本の降伏後にソビエト連邦軍に抑留されてのち、49年に重労働の判決を受けた前後を回想したものである」とある。
 
①段落。起訴と判決をはさむほぼふた月を、私は独房へ放置された。とだえては昂ぶる思郷の想いが、すがりつくような望郷の願いに変ったのはこの期間である。…この時期には、故国から私が「恋われている」という感覚がたえまなく私にあった。事実そのようにして、私たちは多くの人に別れを告げて来たのである。そのとき以来、別離の姿勢のままで、その人たちは私たちのなかにあざやかに立ち続けた。化石した姿のままで。
 
②段落。弦にかえる矢があってはならぬ。おそらく私たちはそのようにして断ち切られ、放たれたはずであった。私をそのときまでささえて来た、遠心と求心とのこのバランスをうたがいはじめたとき、いわば「錯誤としての望郷」(二重傍線部)が、私にはじまったといっていい。弦こそ矢筈へかえるべきだという想いが、聞きわけのない怒りのように私にあった。
 
③段落。この錯誤には、いわば故国とのあいだの〈取り引き〉がつねにともなった。私は自分の罪状がとるにたらぬものであることをしいて前提し、やがては無力で平穏な一市民として生活することを、くりかえし心に誓った。…しかもこの〈取り引き〉の相手は、当面の身柄の管理者であるソビエト国家ではなく、あくまで日本──おそらくそれは、すでに存在しない、きのうまでの日本であったのであろうが──でなければならなかったのである。
 
④段落。私たちは故国と、どのようにしても結ばれていなくてはならなかった。しかもそれは、私たちの側からの希求であるとともに、〈向こう側〉からの希求でなければならないと、かたく私は考えた。望郷が招く錯誤のみなもとは、そこにあった。そして私が、そのように考えた時期は、海は二つの陸地のあいだで、ただ焦躁をたたえたままの、過渡的な空間として私にあった。その空間をこえて「手繰られ」つつある自分を、なんとしても信じなければならなかったのである。
 
⑤段落。告訴された以上、判決が行われるはずであった。だが、いつそれが行われるかについては、一切知らされなかった。独房で判決を待つあいだの不安と苛立ちから、かろうじて私を救ったものは飢餓状態に近い空腹であった。…
 
⑥段落。なん日かに一度、あたりがにわかにさわがしくなる。監視兵がいそがしく廊下を走りまわり、つぎつぎに独房のドアが開かれ、だれかの名前が呼ばれる。「この次だ」。私は寝台にねころがる。連れ去られた足跡は、二度と同じ部屋に還ってこない。そして、ふたたび終わりのない倦怠と不安のなかで、きのうと寸分たがわぬ一日が始まる。…
 
⑦段落。望郷とはついに「植物の感情」(傍線部(1))であろう。地におろされたのち、みずからの自由において、一歩を移ることをゆるされぬもの。海をわたることない想念。私が陸へ近づきえぬとき、陸が、私に近づかなければならないはずであった。それが、棄民されたものへの責任である。この時以来、私にとって、外部とはすべて移動するものであり、私はただ私へ固定されるだけのものとなった。
 
⑧段落。4月29日午後、私は独房から呼び出された。それぞれドアの前に立ったのは、いずれも同じトラックで送られ、同じ日に起訴された顔ぶれであった。…
 
⑨段落。私たちが誘導されたのは、窓ぎわに机がひとつ、その前に三列に椅子をならべただけの、およそ法廷のユーモアにふさわしい一室であった。…
 
⑩段落。初老の、実直そうなその保安大佐は、席に着くやすでに判決文を読みはじめていた。私が立った位置は最前列の中央、判決文は私の鼻先にあった。ながながと読み上あられる、すでにおなじみの罪状に、私の関心はなかった。全身を耳にして私が待ったのは、刑期である。早口に読み進む判決文がようやく終わりに近づき、「罪状明白」という言葉に、重労働そして二十五年という言葉がつづいたとき、私は耳をうたがった。…
 
⑪段落。それから奇妙なことが起った。読み終わった判決文を、おしつけるように通訳にわたした大佐は、椅子の上に置いてあった網のようなものをわしづかみにすると、あたふたとドアを押しあけて出て行った。大佐がそのときつかんだものを、私は最初から知っていた。買物袋である。おそらくその時刻に、必需品の配給が行われていたのであろう。この実直そうな大佐にとって、私たち十数人に言いわたした二十五年という刑期よりも、その日の配給におくれることの方がはるかに痛切であった。ソビエト国家の官僚機構の圧倒的な部分は、自己の言動の意味をほとんど理解する力のない、このような実直で、善良な人びとで支えられているのである。
 
⑫段落。つづいて日本語で判決が読みあげられたとき、私たちのあいだに起った混乱と恐慌状態は、予想もしない異様なものであった。判決を終って〈溜り〉に移されたとき、期せずして私たちのあいだから、悲鳴とも怒号ともつかぬ喚声がわきあがった。私は頭から汗でびっしょりになっていた。監視兵が走り寄る音が聞こえ、怒気を含んだ顔がのぞいたが、「二十五年だ」というと、「だまってドアを閉めた」(傍線部(2))。
 
⑬段落。故国へ手繰られつつあると信じた一条のものが、この瞬間にはっきり断ちきられたと私は感じた。それは、あきらかに肉体的な感覚であった。このときから私は、およそいかなる精神的危機も、まず肉体的な苦痛によって始まることを信ずるようになった。「それは実感だ」というとき、そのもっとも重要な部分はこの肉体的な感覚に根ざしている。「手繰られている」ことを、なんとしても信じようとしたとき、その一条のものは観念であった。断ち切られた瞬間にそれは、ありありと感覚できる物質に変貌し、たちまち消えた。「観念が喪失するときに限って起るこの感覚への変貌」(傍線部(3))を、そののちもう一度私は経験した。観念や思想が肉体を獲得するのは、ただそれが喪失するときでしかないことの意味を、いまも私はたずねずにいる。…
 
⑭段落。4月30日朝、私たちはカラガンダ郊外の第二刑務所に徒歩で送られた。…ふた月まえ、私が目撃したとおなじ状態で、ひとりずつ衛兵所を通って構外へ出た。白く凍てついていたはずのステップは、輝くばかりの緑に変っていた。五月をあすに待ちかねた乾いた風が、吹きつつかつ匂った。そのときまで私は、ただ比喩としてしか、風を知らなかった。だがこのとき、風は完璧に私を比喩とした。このとき風は実体であり、私はただ、風がなにごとかを語るための手段にすぎなかったのである。
 
 

〈設問解説〉
問一 (漢字の書き取り)

(ア) 凡庸 (イ) 過度 (ウ) 飢餓 (エ) 恐慌 (オ) 完璧
 
 

問二「植物の感情」(傍線部(1))とはどういう意味か、説明せよ。(二行)

内容説明問題。設問全体を見渡したとき、本問以外にも問四、問五が「望郷」をめぐる内容説明問題なので、設問間で重なりがないように見通しを立てて答える必要がある。先回りして言うと、本問が「望郷」の契機、問五が「望郷」の内実、そして問四が「望郷(観念)」の喪失について問われている。
 
傍線部を一文に延ばして考えると、「望郷とは/ついに/植物の感情/であろう」となるので、「望郷」を「植物の感情」と比喩的に規定する、その意味するところについて述べるとよい。また「ついに」という表現にも配慮し、「望郷」が「植物の感情」として帰結する過程も説明に加えたい。解答根拠は⑦段落、傍線部に続く「地におろされたのち、みずからの自由において、一歩を移ることをゆるされぬもの。海をわたることない想念」(a)。これに続く「私が陸へ近づきえぬとき、陸が、私に近づかなければならないはずであった」以下の箇所は問五の「錯誤」の内容だから、短い解答要求(二行)からしても含めてはならない。また、①段落の冒頭二文「起訴と判決をはさむほぼふた月を、私は独房へ放置された。とだえては昂ぶる思郷の想いが、すがりつくような望郷の願いに変ったのはこの期間である」(b)も、時系列から見て傍線部と対応する。
 
以上より「望郷とは/移動が不自由となり(a=植物性)/昂ぶる思郷の想いが絶たれた(b)/故にかえって(c)/切実に望まれる感情だ(b)/という意味」と解答した。cの表現により、「望郷」が逆説的な過程(アイロニー)を経て生じることを強調し、傍線部前の「ついに」という表現に対応させた。
→「至高の現代文/解放探究29」「28. 解答範囲の特定」参照
 
 
〈GV解答例〉
望郷とは、移動が不自由となり昂ぶる思郷の想いが絶たれた故にかえって、切実に望まれる感情だという意味。(50)
 
〈参考 S台解答例〉
望郷とは、移動を自らの自由でなしえず、他者に委ねるしかない者の焦燥のうちに抱く想念であるという意味。(50)
 
〈参考 K塾解答例〉
どれほど帰郷を切望しても、拘束されて移動できず、恋しい故郷の方が自分に近づいてほしいと願う気持ち。(49)
 
〈参考 T進解答例〉
異郷で自由な移動を禁じられた者が、海に隔てられた故国の方にこそ近づいて来てほしいと恋焦がれる感情のこと。(52)
 
 

問三「だまってドアを閉めた」(傍線部(2))で、監視兵はなぜそのような態度をとったのか、説明せよ。(三行)

理由説明問題。漢字問題以外で本問のみが主題である「望郷」とは異なる話題を問うている。いわば「対視点の作問」(小説ならば「サブキャラ視点の作問」)は、設問の頭数をそろえるという実際上の都合もあろうが、質の高い出題ならば、本文を立体的に理解させよう、あるいはその理解を問おうとの狙いで設けられる。京大もその視点の作問が多い(2022年で言えば共通一の問三、文系二の問三)。
 
まずは傍線部に至る⑫段落の流れ。「私たち日本人捕虜に二十五年の刑期が告げられる→〈溜まり〉で悲鳴とも怒号ともつかぬ喚声がわく(a)→監視兵の怒気を含んだ顔がのぞく(a)→「二十五年だ」という→だまってドアを閉めた(傍線部)」。こう見ると、「怒気を含んだ顔」から「捕虜たちを怒鳴りつける」(順接)などではなく、「だまってドアを閉めた」という態度へ向かう、逆接的な転換にポイントがあることが分かる。その転換の鍵は、ドアを閉めるときに監視兵が言った「二十五年だ」という台詞である。もちろん、この「二十五年」は日本人捕虜の「喚声」の原因となった刑期である。そうすると、捕虜の「喚声」に怒った監視兵は「二十五年」という捕虜の刑期を聞き、その怒りを収めて「だまって」ドアを閉めたということになるが、その態度の理由となる心情は捕虜への「同情」ということになろう(b)。ただし、それは決して強いというものではなく、せいぜい「だまってドアを閉めた」という程度のものであることに注意しなければならない。「その程度」である理由は、監視兵は立場上、その矩を越えられないからであるが、その事情(c)はもっと微妙なものがある。
 
その事情を説明するのが前⑪段落。ここは、保安大佐が二十五年の刑期を告げるや買物袋を持ち必需品の配給に向かった(と思われる)という「奇妙な」出来事の叙述である。これを承け著者はこう述べる。「この実直そうな大佐にとって、私たち十数人に言いわたした二十五年という刑期よりも、その日の配給におくれることの方がはるかに痛切であった。ソビエト国家の官僚機構の圧倒的な部分は、自己の言動の意味をほとんど理解する力のない、このような実直で、善良な人びとで支えられているのである」。この考察は、直接的には「保安大佐」についてのものである。しかし、この考察を挟み、件の「監視兵」の叙述に移るのには、ただの時系列に沿った叙述以上の意味(必然性)があると考えるのが妥当ではなかろうか。つまり「保安大佐」の性格記述は「監視兵」にも置き換え可能なのである(c)。
 
以上より「ソビエト国家の末端で自らの生活のために任務を果たすだけの監視兵にとっても(c)/二十五年という刑期は(b)/仕事の妨害に対する怒りを(a)/冷まし同情を催すのに十分だったから(b)」と解答した。
→「至高の現代文/解法探究29」「24. 場面整理からの心情の推定」参照
 
 
〈GV解答例〉
ソビエト国家の末端で自らの生活のため任務を果たすだけの監視兵にとっても、二十五年という刑期は仕事の妨害に対する怒りを冷まし同情を催すに十分だったから。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
監視兵は、著者たち日本人捕虜の悲鳴と怒号ともつかぬ喚声に怒り、静かにさせようと走り寄ってきたが、二十五年という刑期を知って同情を覚えたから。(70)
 
〈参考 K塾解答例〉
捕虜の騒ぎに怒りを覚え、取り鎮めようとしたものの、重労働二十五年という過酷な判決が下されたことを知り、捕虜の激しい動揺も無理からぬことだと思ったから。(75)
 
〈参考 T進解答例〉
監視兵は、混乱する捕虜たちを怒鳴りつけようとして駆け付けたが、刑期が二十五年だという事実を知り、それでは悲嘆するのも無理はないと同情の念を抱いたから。(75)
 
 

問四「観念が喪失するときに限って起るこの感覚への変貌」(傍線部(3))はどのようなことを言っているのか、説明せよ。(三行)

内容説明問題。傍線部の「変貌」を「そののちもう一度私は経験した」とあるのだから、傍線部の内容説明は、本文の事例にも「もう一度」にも適用できるような抽象的な記述でなければならない。
 
傍線部の換言はそれほど難しくない。いずれも⑬段落から「故国へ手繰られつつあると信じた一条のものが、この瞬間にはっきり断ちきられたと私は感じた(a)/それは、あきらかに肉体的な感覚であった(b)/このときから私は、およそいかなる精神的危機も、まず肉体的な苦痛によって始まることを信ずるようになった(c)/その一条のものは観念であった(a)/断ち切られた瞬間にそれは、ありありと感覚できる物質に変貌し(d)」を根拠として、「(実体に欠ける)観念は/それが断ち切られることによる(a)/肉体的な苦痛として(bc)/初めて実体を得(d)/精神に定着するということ(c)」と換言できる。
 
ここで「観念」に対して「実体」という対義語を使い、「観念の実体化」という方向でまとめたのだが、逆に「実体に欠ける観念」というものを本文の文脈に即し、かつ抽象レベルで説明できないだろうか。いったん著者の経験(具象)レベルに戻して考えるならば、ここでの「観念」とは「故国へ手繰られつつあると信じた一条のもの(=錯誤としての望郷)」に相当する。この「望郷」観念の中身については問五の範囲だとして、それの著者の中での位置づけは以下のようなものだ。「弦こそ矢筈へかえるべきだという想いが、聞きわけのない怒りのように私にあった(②)」「その空間をこえて「手繰られ」つつある自分を、なんとしても信じなければならなかった(④)」「「手繰られている」ことを、なんとしても信じようとしたとき、その一条のものは観念であった(⑬)」。これらを参考にしながら、抽象レベルで「観念」を叙述すると、まず「観念」とは現実にそぐわない空想の産物(構築物)である(②)。そして、それゆえ主体の弛まぬ意志により何とか維持されるような、安定性を欠く、不確かな存在である(④⑬)、ということになる。以上より「主体の弛まぬ働きかけにより/辛うじて維持される/構築物としての観念」とまとめ、先述の記述につなげ解答とした。
→「至高の現代文/解法探究29」「2. 術語の語義への配慮」参照
 
 
〈GV解答例〉
主体の弛まぬ働きかけで辛うじて維持される構築物としての観念は、それが断ち切られることによる肉体的な苦痛として初めて実体を得、精神に定着するということ。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
実体を伴わない想念は、現実によって否定され完全に失われる際にのみ、その消失が肉体的な感覚に根ざした、ありありとした実感となるということ。(68)
 
〈参考 K塾解答例〉
思い込みで信じていた帰郷の可能性が奪われ、落胆のあまり身体的苦痛を感じ、自分がどれほど帰郷を切望しているかを、はじめて骨身にしみて実感したということ。(75)
 
〈参考 T進解答例〉
単なる希望による何も根拠のない観念は、その現実的な可能性が否定されることによってのみ、絶望へと転化して、肉体的苦痛そのものとして実感されるということ。(75)
 
 

問五「錯誤としての望郷」(二重傍線部)はどのようなことを言っているのか、説明せよ。(六行)

内容説明問題。六行という字数だからといって何でも書いて埋めれば良いというわけではなく、むしろその字数の中で叙述の重要性を吟味し、優先順位をつけて要素を絞り込み、有効な解答に仕立てる必要がある。本問では特に③段落の処理がそれに当たるが、その冒頭に「この錯誤には、いわば故国とのあいだの〈取り引き〉がつねにともなった」とあるように、〈取り引き〉は主題である「錯誤としての望郷」に付随するものにすぎないから、主題の説明を差し置いて〈取り引き〉の内容を長々と述べる必然性は全くないのである。
 
ここでの「錯誤」に相当するのは、二重傍線部直後の「弦こそ矢筈へかえるべきだという想い」である。この象徴的な表現には、二つの「錯誤=倒錯」が含意されている。一つは「主客における倒錯(矢/弦)」、もう一つは「時間における倒錯(過去/現在)」である。一つ目については、④段落の以下の記述が決め手となる。「私たちは故国と、どのようにしても結ばれていなくてはならなかった。しかもそれは、私たちの側からの希求であるとともに、〈向こう側〉からの希求でなければならないと、かたく私は考えた。望郷が招く錯誤のみなもとは、そこにあった」。つまり著者からの故国への希求は、観念の上で、故国から著者へも向かっていなければならないという点で「倒錯」しているのである。
 
二つ目については、二重傍線部の前部「弦にかえる矢があってはならぬ。おそらく私たちはそのようにして断ち切られ、放たれたはずであった」(②)が「正常」の時間の流れなのに対し、「弦こそ矢筈へかえるべき」という観念上の操作は、時間を過去に戻すという点で「倒錯」と言えるのである。これについては、①段落の以下の記述が参照できる。「この時期には、故国から私が「恋われている」という感覚がたえまなく私にあった。事実そのようにして、私たちは多くの人に別れを告げて来たのである。そのとき以来、別離の姿勢のままで、その人たちは私たちのなかにあざやかに立ち続けた。化石した姿のままで」。つまり、著者は「故国からの希求」が、国が戦争に敗れ数年経ち、抑留を受けた著者の安否を知りようがない、そのような状況の中で「別離の姿勢のまま」すなわち別離の時の感情を維持したままのものであるはずだ、と観念しているという点で「倒錯」しているのである。
 
以上の二つの「倒錯」を「錯誤としての望郷」の内実だと捉えた上で、その前提となる「正常」な望郷を、それが起こる状況(①)と併せて説明するとよい。解答は二文構成にし、一文目に「正常」、それを承け二文目に「倒錯」について説明する。構文としては「〜状況下、著者は〜望郷の願いに捕らわれるに至った。その願いは同時に〜倒錯した想いを伴うものだったということ」とし、二つの「倒錯」ほか、必要な要素を繰り込んで仕上げるとよい。
→「至高の現代文/解法探究29」「26. 象徴の含意」参照
 
 
〈GV解答例〉
ソビエト軍の抑留を受け起訴から判決までの不確かな状況下、独房へ放置された著者は、すがるような望郷の願いに捕らわれるに至った。その願いは同時に、著者からの物理的移動が叶わない故、著者との別離を惜しんだ故国の人々から、その時の感情のままで希求されているはずだという倒錯した想いを伴うものだったということ。(150)
 
〈参考 S台解答例〉
二度と帰郷しないという想いと思郷の想いとの均衡を疑い始めたとき、著者は自分が故国を希求し、帰郷を願うだけでなく、罪状が些細であり、平穏な市民生活を送ると誓う自分を故国が許し、故国が自分を抑留へと追いやった責任を果たすべく、故国が自分を希求すべきであるとする倒錯した想念に陥ったということ。(144)
 
〈参考 K塾解答例〉
独房生活の当初は近しい人々との別れも覚悟の上だと思えたが、過酷な日々を送る中で帰郷の念が高まるにつれ、裁判でも重罪にはならず、かつての穏やかな生活に戻れるように、私を戦地に送った故国こそが私の帰郷を望み、その責任を果たすべきだという、後に覆される根拠のない考えに、一縷の希望を見出そうとしたこと。(149)
 
〈参考 T進解答例〉
著者は、故国のために命を捧げるのを当然のことだと考えていたが、日本の降伏を機に、自分個人の戦争責任はそれほど重大なものではなく、また今後は無力で平穏な一市民として生活しようと誓うことで、むしろ故国が責任をもって自分を希求し、無事に帰国できるよう尽力すべきだという倒錯した観念に陥っているということ。(149)