〈本文理解〉

〈本文理解〉
出典は尼ヶ崎彬『日本のレトリック』。著者は美学者(Twitterアカウント有)。
 
①段落。たとえば、夜道を歩いていると前方に巨大な影が動いていたとする。よく見ると柳が風に揺れているのである。しかしそれは単なる柳というより、何か生き物のような不気味さを感じさせる。私はその物の辞書上の名前が「柳」であることを知っている。しかしそれを「柳がある」と述べるだけでは自分の今の「感じ」にてらして何やら不正確に思う。…そこで適切な言葉を探したあげく、「お化けのような柳がある」とか「そこにお化けがいる」とか言うことになる。つまり「柳」を「お化け」に見立てるわけである。この例から何が見てとれるだろうか。
 
②段落。第一に、「見立て」は言葉になってはじめて生じたものであって、私にもともとあったのは言葉以前のある不気味な存在だ、ということである。「見立て」は言語化のための苦しまぎれの方便なのである。ということは、「見立て」の言葉が語られているとき、私は〈柳〉を〈お化け〉と間違えているわけではなく、むしろ違うことを承知で〈柳〉を〈お化け〉と見るふりをしているのである。というのも、「お化け」という言葉が、私の見ているものを言い表すのに最も正確だと思えたからである。だから「見立ては、私の経験の中身ではなく、言語表現のための演技なのである」(傍線部(1))。
 
③段落。第二に、「このような「見立て」としての言表は、既成の言語規則に対する不信、少なくともその不便の証拠である」(傍線部(2))。そしてこの場合言語規則とは、あるものについていかなる名称を与えるかという規則のことであるから、認識の規則と言って差し支えない。規則に従えば、私は〈それ〉を「柳」と種の名称で呼ぶことができる。その上位クラス(類)である「木」と呼ぶこともできる。…これは博物学的な分類基準によるものである。…ただし「猫」とか「動物」と言えば、これは「カテゴリー間違い」とされる。つまり物の分類が規則に外れているというわけである。確かに通常の会話でこの規則に従わなければ、私たちは大いに不便をきたすだろう。私たちは、認識のための分類規則を共有しているからこそ、何事かの認識を言葉によって伝えうるのであって、これが混乱すれば「今朝猫が芽吹いてね」といったわけのわからない話になる。しかし、私がただ「柳がある」と言うことをためらったのは、この分類によって得られる認識は今私が「言いたいこと」と関わりがないと思えたからである。私の語ろうとした〈私の経験〉は、ある異様なものが目の前に立ち現れたということであり、そのモノが博物学上のいかなる分類をうけているかは、とりあえずどうでもよいことなのである。…
 
④段落。従って問題は分類の基準に関わるだろう。博物学的分類の基準は、物の客観的特徴である。…この分類に従って語ることは、「何」について語っているかを容易に相手に了解させるので通常は便利である。しかし私が今語りたい〈それ〉は、どのような客観的特徴をもつかが問題なのではない。問題なのはそれが私に与えている主観的な印象であり、必要なのはそのような印象を持つものとしての〈それ〉を表す言葉である。「柳」という命名は〈それ〉に博物学的な意味を与える。しかし私は〈それ〉に別の分類基準による意味を与えたいと思う。私は〈それ〉に対し命名をやり直さなければならない。つまり、世の中の〈もの〉たちを不気味なものとそうでないものに分類しなおし、さまざまの〈不気味なもの〉(種)を集めたグループ〈不気味なもの一般〉(類)に名前を与えなければならないのである。この新しい〈類〉についてはもちろん既成の名前はない。しかし、この〈類〉に含まれる他の〈種〉の中には既に名前のある場合がある。その一つが「お化け」である。そこで私は「お化け」という名前を借りてくる。つまり〈それ〉を、新しい〈類〉の名前で呼ぶかわりに、「お化け」と呼ぶのである。
 
 

〈設問解説〉
問一「見立ては、私の経験の中身ではなく、言語表現のための演技なのである」(傍線部(1))において、「演技」とはどういうことか、説明せよ。(三行)

内容説明問題。直接的には「演技」について問うているが、傍線部が「見立ては〜演技なのである」という構文なので、「見立て」について、それが本質として「演技」であるように説明するとよい。「演技」とは「似せて表現すること」であるから、「表現性(X1)」「類似性(X2)」、さらにその前提としての「異質性(X3)」を表現できればよい。他に傍線部の要素として「私の経験の中身ではなく(A)」「言語表現のための(B)」も説明に加える。
 
解答根拠となるのは主に、①段落の具体例を承け「見立て」の第一のポイントについて説明した②段落。分かりやすいように例に即して要点をまとめると「柳という対象の不気味さ(→主観的な印象(④))に対し、苦しまぎれの方便として、それを(同様に不気味さを象徴する)「お化け」と見立てる。その場合〈柳〉は〈お化け〉と違うのを承知で〈お化け〉と見るふりをする」というようになる。この内容をもとに上記の留意点を反映させ「対象から受ける主観的な印象を既成の言葉で表現できない場合(A)/印象と類比的な別の言葉を用い(X2,B)/それが別の対象を指示することを承知の上で(X3)/あえて表現すること(X1)」と解答できる。
→「至高の現代文/解法探究29」「3. 自明性の言語化」参照
 
 
〈GV解答例〉
対象から受ける主観的な印象を既成の言葉で表現できない場合、印象と類比的な別の言葉を用い、それが別の対象を指示することを承知の上で、あえて表現すること。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
対象に抱いた主観的印象を最も正確に言い表すために、対象それ自体とは異なることを知りつつ、対象をあえて対象とは別のものになぞらえて表現すること。(71)
 
〈参考 K塾解答例〉
対象に感応して抱いた名状しがたい印象を、その経験それ自体とは異なることを承知しつつ、あくまで言語化のための方便として、ある言葉に仮託して表現しようとすること。(79)
 
〈参考 T進解答例〉
ある対象の主観的な印象を、自分の経験とは異なることを承知しつつ、言語化のための方便として、一般的に通じるある言葉に仮託して表現しようとすること。(72)
 
 

問二「このような「見立て」としての言表は、既成の言語規則に対する不信、少なくともその不便の証拠である」(傍線部(2))はどういうことか、説明せよ。(三行)

内容説明問題。本問は、①段落の具体例を承けた「見立て」の第二のポイント(③段落)について説明する問題である。傍線部の要素は「見立て→不信→不便」の順に並ぶが、現象する順に直して「不便→不信→見立て」とした方が書きやすいだろう。問一と同じく本問も、つまるところ「見立て」の発生について聞いているわけだが、問一が「柳」に対する「お化け」のような一語のレベルであったのに対し、本問は「言語規則=類=カテゴリー」のレベルに話題が移っていることを見抜きたい。
 
解答の筋としては、③段落の結びに入る箇所「私がただ「柳がある」と言うことをためらったのは、この分類によって得られる認識は今私が「言いたいこと」と関わりがないと思えたからである」を参考にして、「自らの言いたいことを「既成の言語規則」に基づく言葉(→認識)で言い表せない(A)→「既成の言語規則」に対する不信が生まれる(B)→「見立て」を行う(C)」となるはずだ。ただ「既成の言語規則」は自明としてはならず、③段落の半ばで具体例を交えながら説明されているが、これを抽象化して示すのが難しい。手がかりとなるのは「言語規則とは〜認識の規則と言って差し支えない」「何事かの認識を言葉によって伝えうる」という記述。つまり、発信者の「認識」が「言葉」を媒介にして受信者の「認識」となる(=表現の成立)には、「言葉-認識」の変換式が共有されている必要があるが、発信者が「既成の言語規則(=変換式)」に従って「認識」を「言葉」に置き換えるとき、どうもしっくりこないことがある(A)。そして、それが規則自体の不信につながる(B)、ということである。また、その規則は、柳のような「種」が木のようなより上位の「類」にカテゴライズされるように、体系化され分類されたものである。
以上の理解を踏まえると、解答は「自らの言いたいことを予め体系化された言葉と認識との対応関係により十分に表せないと感じた場合(A)/その関係群自体を問い直し(B)/新たな関係に移行するということ(C)」となる。Cの箇所については最終④段落の帰結を踏まえたが、問三で詳しく説明する箇所でもあるので「「見立て」を行うということ」くらいでも構わないだろう。
→「至高の現代文/解法探究29」「7. 構文変換」参照
 
 
〈GV解答例〉
自らの言いたいことを予め体系化された言葉と認識との対応関係により十分に表せないと感じた場合、その関係群自体を問い直し、新たな関係に移行するということ。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
対象の主観的印象を別のものに擬して表現するのは、博物学的分類基準に基づく認識の規則に従う言葉では表現欲求が満たされない証しであるということ。(70)
 
〈参考 K塾解答例〉
「見立て」により類比的にしか表現できないのは、人間の認識や経験には、一般的認識に適した分類規則にもとづく言葉では表現できないものが存在する証しだということ。(78)
 
〈参考 T進解答例〉
対象の主観的な印象を正確に表すのに「見立て」を使わざるをえないのは、客観的特徴を基準とする認識の規則では、表現不能なものがある証しであるということ。(74)
 
 

問三 最後の段落の「〈それ〉」とはどのようなものか、「分類の基準」と関わらせて説明せよ。(三行)

内容説明問題。④段落を解答根拠として「〜もの」かそれに変わる適切な名詞で解答を締める。④段落五六文目より「私が今語りたい〈それ〉は〜それが私に与えている主観的な印象であり〜そのような印象を持つものとして〈それ〉を表す言葉である」とあるので、締めは「(対象についての)主観的な印象(A)」と決める。
 
次に設問条件「「分類の基準」と関わらせて」を踏まえる。すなわち、ここでは二つの基準「博物学的分類の基準(B)」と「別の分類基準(C)」があり、Bは「物の客観的特徴」と対応し「何」について語っているか「相手に了解させるので通常は便利」である。しかしBはAに対しては意味を持たないので、Cにより「意味を与えたい/命名をやり直さなければならない」(→新しい類への移行、そこに含まれる一つの種による見立て)と述べるのである。以上より「対象の客観的特徴を伝えるのに便利な博物学的分類の基準に基づく言葉では表現できないため(B)/新たな基準の構築による意味づけが必要となる(C)/対象の主観的な印象(A)」と解答できる。「客観的特徴-博物学的分類の基準」「主観的な印象-新たな分類基準」という対比を意識してまとめたい。
→「至高の現代文/解法探究29」「12. 対比の設定」参照
 
 
〈GV解答例〉
対象の客観的特徴を伝えるのに便利な博物学的分類の基準に基づく言葉では表現できないため、新たな基準の構築による意味づけが必要となる、対象の主観的な印象。(75)
 
〈参考 S台解答例〉
「私」の主観的印象を伴う対象認識の経験であり、客観的特徴による博物学的な分析の基準が与える意味とは別の意味を「見立て」によって与えられるもの。(71)
 
〈参考 K塾解答例〉
対象が喚起した主観的な印象であり、事物の客観的特徴による一般的な分類の基準では捉えがたく、新たな基準を仮構することでしか意味を付与できないようなもの。(75)
 
〈参考 T進解答例〉
ある対象が喚起した主観的な印象であり、一般的な客観的特徴による分類規則では捉えがたく、別に新たな基準を作ることでしか意味を付与できないようなもの。(73)