〈本文理解〉

出典は大西祝「悲哀の快感」(文語文)

問一「得ればなり」(傍線ア)、「なくんばあらず」(傍線イ)、「云ひて可ならん」(傍線ウ)を現代語に訳しなさい。

〈GV解答例〉
ア. 得るからである
イ. あるはずだ
ウ. 言ってよいだろう

 

問二「他の喜を喜ぶは天使の心」(傍線一)とあるが、「他の喜を喜ぶ」ことがなぜ「天使の心」と言えるのか、答えなさい(25字以内)。

 
〈GV解答例〉
人間の抑え難い嫉妬心を離れた高潔な態度であるから。(25)
 
 
〈参考 S台解答例〉
嫉妬ゆえに他人の幸せを喜べないのが人心の常だから。(25)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
人間は、性質として他者の喜びに嫉妬するものだから。(25)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
人間として抑え難い妬みを乗り越えた心の境地だから。(25)
 

問三「他人の悲哀に我身を打忘れて熱き涙を流す時も亦右と同じく一時の救に入れるが如き思あるなり」(傍線二)とあるが、「他人の悲哀に我身を打忘れて熱き涙を流す」ことがなぜ「救に入れるが如き思」を発生させるのか。文章全体をふまえて説明しなさい(60字以内)。

〈GV解答例〉
他人の悲哀に共鳴し自己の悲哀のように受け取ることで、狭隘な利己心への執着から自ずと解放され、本来の自己を実感できるから。(60)
 
 
〈参考 S台解答例〉
狭隘な利己心を脱して他者の悲哀を共有することで、真の人間性を取り戻し、罪や煩悩を超えて清浄な心へと至ることになるから。(59)
 
 
〈参考 K塾解答例〉
人は、他者の悲しみに共感する時、利己心が取り払われ、社会的存在としての自己を実感し人間の本性を回復する喜びを覚えるから。(60)
 
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
他人の悲哀に同情し自身もその悲哀を共有することで、自分が利己的な人間ではなく、その本性に大きな博愛心があると思えるから。(60)