〈本文理解〉

出典は鶴岡真弓「「芸術人類学」の誕生ーー「根源からの思考」

①段落。西洋発祥の人類学の手法の特徴は、「文明の頂点にいる西洋人」の先進文明からみて、非西洋という「外部」「遠隔」にいる「異民族」「無文字社会」の習俗・習慣等を、観察し分析することにありました。従って「芸術」とは「民族芸術」を指し、今日ルーヴル美術館はじめ欧米の美術館にある西洋中心の美術作品以外の「非西洋の芸術」が考察の対象でした。…
 
②段落。こうした人類学の背景には、「アジア・アフリカ・オセアニア・南北アメリカ」へと進出した列強の「植民地帝国」の観念である、「未開の異境」への探査があったことはいうまでもありません。(進化人類学者のヘンリー・モーガン(1818-81)、伝播主義のフランツ・ボアズ(1858-1942)等)…これは彼らの個人的な開拓ではなく、「西洋人類学の信念」(傍線部一)が「他者の地」へ足を踏み入れさせたのでした。しかしそこで彼らは装飾性豊かな仮面・神像・民具等の多様な美的工芸物に出会います。
 
③段落。もうひとつ人類学史のスコープにおいて特記すべきは、歴史的に西洋の「文明の発展史観・進化主義」には「文化」と「文明」の概念に厳格な位階があり、現代でもそれが生きているということです。
 
④段落。「文化」を精神の、「文明」を物質の所産として、どちらも人類・人間活動の成果として用いる日本人にとっては、想像を超える複雑な歴史がヨーロッパにはあり、特にイギリスやフランスでは「文明/シヴィライゼーション」は「文化/カルチャー」よりも高位の概念でしたし、現在もそうあることです。…
⑤段落。この二語の区別は、先住民へのまなざしだけに適応されたものではなく、ヨーロッパ内の民族・国家の発展に要の術語であり、美術史学や文学をはじめ人文科学の文化概念もそれに関係してきたことは看過できません。
 
⑥段落。19世紀、近代国家フランス、イギリスに大幅な遅れをとったドイツは、「文明」に対抗し、「文化」という言葉・概念を、国民の統一を図るキーワードとして用いました。ドイツの知識人にとって「文化」とは自民族・自国民の「言語・慣習・記憶・哲学・文学」を指し、「精神的・特殊的・伝統的なもの」を意味しました。「物質的・普遍主義的・革新的なもの」を指す「文明」に対抗する概念として用いたのです。
 
⑦段落。ゲルマン民族の国民国家構築のための文化称揚は、逆に英仏にとっては遅れた文明、途上の国に映りました。…「文化」という言葉には「特殊的」で「排除すべきもの」というニュアンスがある。人類の先端文明、ヨーロッパの内にもそのような乖離の歴史があり、「英仏」対「独」の対立構図は、列強間の牽制的外交と20世紀の大戦にまで繋がっていきました。
 
⑧段落。しかしここで浮上するのが先住民「文化」の宝庫、アメリカ(の人類学)です。「精神的なものの記憶、思索、その芸術的表現の総体」を意味する「文化」という概念は、ドイツ出身のフランツ・ボアズを介して合衆国に持ち込まれたといえます。ボアズはユダヤ系で、故郷喪失の「ディアスポラ」の文化を感性的に携え新天地アメリカに移住し、先住民の文化芸術に関する緻密で情熱的な民族調査をしました。
 
⑨段落。ドイツの18、19世紀の芸術・思想には「文化」と重奏したキーワードとして「故郷」という言葉があり、民族固有の故郷を絵画や文学で表彰しました。アメリカという新天地で1880年代、先駆者としてボアズが先住民の人々の「土地」に愛着をもって踏み入り、土地・親族・交換・成長…の根源の場を踏査しました。同じ人類学者でも、モーガンが先住民イロクォイ族の共有地を分割しようとしたこととは対照的に、「人類学における「文化」「文明」観の重さ」(傍線部二)を告げて知らせてきます。
 
 

問一(漢字の書き取り)

A.発祥 B.往還 C.渉猟 D.喪失 E.緻密

 

 

問二「西洋人類学の信念」(傍線一)とは何か、簡潔に答えなさい(30字以内)。

内容説明問題。「信念」の内実について直接的に言及した箇所はない。傍線部を含む一文から確認すべきは、その信念は西洋人類学(者)一般の信念であり、それは西洋列強の為政者による「「植民地帝国」の観念」(②冒頭)に付随しながら、「「他者の地」に足を踏み入れ」(A)るという行為を規定したもの(イデオロギー)である、ということだ。解答に利用できる記述は、本文冒頭の「西洋発祥の人類学の特徴は」に続く「「文明の頂点にいる西洋人」の先進文明からみて(a)/非西洋という「外部」「遠隔」にいる「異民族」「無文字社会」の習俗・習慣等を(b)/観察し分析する(c)」(B)の箇所である。当然、西洋人類学に通じる信念があるのなら、それは西洋人類学に通じる特徴として現象するはずだ。よって、Bの「特徴」を「信念」の形に還元し、Aにつながるように示せばよい。簡潔に「非西洋の非文明は(b)/西洋の文明のによって(a)/記述される(c)/必要があること」とまとめた。
 
 
〈GV解答例〉
非西洋の非文明は西洋の文明によって記述される必要があること。(30)
 
〈参考 S台解答例〉
未開の文化は頂点にいる西洋文明への発展過程にあるという信念。(30)
 
〈参考 K塾解答例〉
異民族の探査から、西洋文明への発展過程を見出せるという確信。(30)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
未開文明の探究が頂点である西洋への発展過程を示すという考え。(30)
 
 

問三「人類学における「文化」「文明」観の重さ」(傍線二)とあるが、なぜ重いのか、簡潔に答えなさい(30字以内)。

内容説明問題。傍線部を含む一文で把握すると、人類学者ボアズの立場は、同じく人類学者のモーガンの立場と対照的に、「人類学における「文化」「文明」観の重さ」(傍線部)を告げ知らせている、となる。それでは、ボアズとモーガンの「人類学における「文化」「文明」観」とはそれぞれどういうもので、どのような意味で ボアズのそれの方が重いといえるのか。
 
まず、ボアズもモーガンも同様にアメリカをフィールドとしたが、モーガンが先住民の共有地を分割しようとしたのに対し、ボアズは先住の人々の「土地」に愛着をもって踏み入った(⑨)。その違いはどこからくるのか。ドイツ出身のボアズは「精神的なものの記憶、思索、その芸術的表現の総体」を意味する「文化」概念をアメリカに持ち込んだ(⑧)。その「文化」概念は19世紀に近代国家の英仏に遅れをとったドイツで発達したもので、英仏の「文化」を遅れたものとみなす「文明」観に対抗するものだった(⑥⑦)。
 
つまり、1880年代に新天地アメリカに渡ったボアズはドイツの「文化」概念を経由したことで、西洋の伝統的な「文明-文化」の厳格な位階(←③)を相対化することができ、先住の人々の「土地」に愛着をもって踏み入った。一方、ボアズより世代が上のモーガン(1818-81)(←②)は、西洋伝統の「文明-文化」の厳格な位階にとどまっていたために、先住民の共有地を分割しようとした。両者の「文化」「文明」観の重みの違いとは、それらが背負う歴史の厚みの違いといえるだろう。30字以内で簡潔に答えるため、主語(=ボアズの「文化」「文明」観)は自明とし、それに続ける形で「文化と文明の厳格な位階を乗り越えてきた/歴史が反映されているから」と解答した。
 
 
〈GV解答例〉
文化と文明の厳格な位階を乗り越えてきた歴史が反映されるから。(30)
 
〈参考 S台解答例〉
「文化」「文明」観が文化の根源への訴求力を決定するから。(28)
 
〈参考 K塾解答例〉
文化や文明をどう規定するかで調査対象への接し方が決まるから。(30)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
文化と文明の捉え方の違いが各々の研究を深く規定しているから。(30)
 
 

問四 筆者のいう、ヨーロッパの「文化」概念をまとめなさい(60字以内)。

内容説明問題。③段落「歴史的に西洋の「文明の発展史観・進歩主義」には「文化」と「文明」概念に明確な位階があり、現代でもそれが生きている」、④段落「特にイギリスやフランスでは「文明/シビライゼーション」は「文化/カルチャー」より高位の概念でしたし、現在もそうである」とあるように、英仏を始めとした欧州において「文化」概念は、現在に至るまで「文明」の下位に位置づけられるものである。そのとき、西洋は自らを「文明の頂点」(①冒頭)とみなし、非文明の「外部」に「文化」をあてがうわけだから(④)、「文化」概念は「文明」に付随するものともいえる。
 
ここで問題となるのは、英仏から広がった「(文明-)文化」概念を「本流」と見なした場合、19世紀にドイツで興った「傍流」をどう扱うか、ということである。新興国ドイツでは、英仏が自らを「文明」と位置づけ「文化」を「排除すべきもの」(⑦)としたのに対抗し、自らの「精神的・特殊的・伝統的」な「文化」を称揚しようとした(⑥)。この「傍流」は20世紀の大戦で敗北を喫するわけだから、一時的な例外として解答から省くこともできようが、その姿勢は本文における「傍流」の記述の重要性からも本文の真意を汲み取る立場からも安直に過ぎよう。「本流」に「傍流」を包摂する形で解答を作りたいところだ。
そう考えると「傍流」ドイツの「文化」を強調する立場も、結局のところ、英仏の「文明」観に囚われたある種のコンプレックスが表出したものに過ぎないということが了解されるだろう。以上より「物質的で普遍的な文明の概念を基準として/排除すべき(=本流)/または特出すべき(=傍流)とされる/精神的で特殊的な/文明に付随する概念」とまとめた。なお、19世紀のドイツで顕著だった自国文化称揚の潮流は、現在もヨーロッパ社会に伏流し、時折顕著に現れる。面白いことに、19世紀と逆転してドイツを中核とした欧州統合に対し、英仏の側の文化保持が特徴的な傾向にある(英のBrexit、仏の国民戦線)。
 
〈GV解答例〉
物質的で普遍的な文明の概念を基準として、排除すべき、または特出すべきとされる精神的で特殊的な、文明に付随する概念である。(60)
 
〈参考 S台解答例〉
物質的・普遍的・革新的な文明に対し、精神的・特殊的・伝統的なものを意味し、一般に排除の対象として文明より劣位に置かれる。(60)
 
〈参考 K塾解答例〉
文化を自民族の精神性や伝統として文明に対置し称賛したドイツを除けば、一貫して文明より劣った排除の対象だと考えられている。(60)
 
〈参考 Yゼミ解答例〉
高度な社会秩序を持つ普遍的な文明に劣る未開の生活様式とみなす考えが主流だが、独では民族固有の精神の発現として重視された。(60)