〈本文理解〉

出典は塩野谷祐一『エッセー 正・徳・善』。筆者は経済学者で元一橋大学長。2015年没。

①~⑤段落。「かけがえのない人格」とは、他の人と自分の人格を取り替えることはできないということである。人々はそれぞれ「かけがえのない人格」を持つ。「かけがえのない人格」であればこそ、個々の人格はそれ自身として冒しがたい尊厳性を持つと考えられる。
「それ自身として」というのは、かけがえのなさそのものゆえに価値があるということである。かけがえのなさという内在的事実だけで「価値」を持つのである。そのような場合には、「価値」ではなく、「意味」という言葉を使うのがよいかもしれない。「価値評価」は、対立するものの間で価値あるものを推奨し、取捨選択する役割を持つ。その観点から見れば、劣った人間は優れた人間に取って代わられるから、かけがえのない人格とは言えない。それに対して、「意味賦与」は、価値基準に照らして排除された存在でさえ、「意味」を持つと考える。「かけがえのない人格」とは、人間存在の「意味」を表しているのである。

⑥~⑨段落。「かけがえのない人格」という公理的な命題から導き出される哲学的な議論を二つ取り上げよう。第一は、ジョン・ロールズの正義の理論である。ロールズの正義の理論は「格差原理」と呼ばれるものであって、容認できる格差はどのようなものであるかを問う。人々の間で社会的・経済的な格差はつねに不可避であるが、道徳的に容認される格差は、自分が最も不遇な地位にあると仮定しても受け入れることのできるものでなくてはならない。これが「無知のヴェール」の考え方である。

「無知のヴェール」という仮想的状況の下では、個々人のアイデンティティは消去され、人々はかけがえのない人格を奪われ、置換可能性を体験することになる。その結果、自分がどのような運命に直面するかを知らないという状態に置かれ、「かけがえのない人格」の集団を支配する正義の原理に導かれるのである。

この考え方の根底には、人々の間の現実的地位の相違を生み出している要因(富、才能、意志、運など)の分布は恣意的であるという認識がある。「かけがえのない人格」から生み出される「かけがえのない人生」をこのような偶然のいたずらに任せてよいものだろうか。本人の意思や努力や活動によらないリスクやハンディキャップを負った人々がいる。「「かけがえのない人格」と考えられる人間存在も、実のところ、道徳的にはそのまま固定化すべきものではない、ということになる」(傍線一)。「かけがえのない人格」を道徳的に実現するための解決策が、正義と連帯にもとづく「格差原理」である。

⑩段落。第二に、ハイデガーを取り上げよう。彼によれば、人間はあらゆるものの存在の「意味」を問うことができる。人間は、過去によって制約されつつ、将来に向かって自己の可能性を投げかける。こうして、彼は、自己の存在の意味を与えるものは時間的視野であるという命題を確立する。人間は「死へと向かう存在」である。死ぬということだけは他の人に代わってもらうことができないという意味で、各人は「人格の置換不可能性」を持つ。死に対する不安と絶望の中で、人間は本来的なあり方を求めて生きることを求められる。しかし、人間は日常性の中にあって安閑として暮らし、死の事実から目をそらし、それを忘却している、とハイデガーは言う。

⑪⑫段落。「かけがえのない人格」を実感するのは、人間の自己省察を通じてである。ロールズは「無知のヴェール」という仕組みによって仮想的な「人格の置換可能性」の状況を作り出し、このことによって、かえって各人に「かけがえのない人生」を保障するための正義の観念に到達した。ハイデガーは「死へと向かう存在」という存在了解によって、個人が「かけがえのない人格」を全うするための本来性の観念に到達した。

二人の哲学者のアプローチは、「置換不可能性」という基本公理から出発して、異なる方向に議論を展開した例である。ロールズは、他人と立場を交換し、他人の立場に立つことができると考え、正義論に到達した。ハイデガーは、死を他人によって代行してもらうことは不可能であり、限りのない自己の実現という実存的な生き方に目覚めるべきことを説いた。「前者は「正」ないし正義の理論であり、後者は「徳」ないし卓越の理論である」(傍線二)。

全体の構成は、始めに「かけがえのない人格」という命題(公理)を示し(①~⑤段)、次にそれから導かれる哲学的な二つの議論(ロールズ⑥~⑨段、ハイデガー⑩段)を展開、最後に二つの議論を総合する(⑪⑫段)、というものである。

〈設問解説〉問一 (漢字)

A 洞察 B 推奨 C 慈悲 D 福祉 E 忘却

問二 (語句の意味)

<GV解答例>
ア(恣意) 自由気ままな考え。
イ(安閑) のんびりして静かな様。

問三 「「かけがえのない人格」と考えられる人間存在も、実のところ、そのまま固定すべきものではない、ということになる」(傍線一)とあるが、これはなぜか。問題文全体をふまえて答えなさい(80字以内)。

理由説明問題。「全体をふまえて」という要求があるが、まずは足元から。傍線はザックリ「かけがえのない人格は固定すべきでない」ということだが、「Xでない」という否定表現(消極的規定)については「Yである」(X↔️Y)という肯定表現(積極的規定)につなぐのが定石(ないある変換)。理由ならば、「AにはYが必要だから(Xではダメだ)」とまとめればよい。
そこで手がかりになるのが、傍線直後「「かけがえのない人格」を道徳的に実現するための解決策が、正義と連帯にもとづく「格差原理」である」という要素(B)。「格差原理」については⑦⑧段を参照する。すると、⑧段落から「人々は置換可能性を体験する→「かけがえのない人格」の集団を支配する正義の原理に導かれる」という要素(C)に着目できる。「置換可能性を体験する」が、「かけがえのない人格(=置換不可能性)は固定すべきでない」を肯定に返したYにあたる。よって解答の核は、BCを踏まえて、「かけがえのない人格を実現するには/逆に(逆説)/人々が相互に置換可能性を体験し/正義と連帯の原理を導く必要があるから」(R)となる。
さらに、ここから根本理由に遡及する。傍線のある⑨段落より、「人々の間の現実的地位を生み出している要因の分布は恣意的/「かけがえのない人生」を偶然のいたずらに任せてよいか(いや、よくない)」という内容に着目する。つまり「現実社会の格差が偶然性に規定される以上、この偶然性を克服し~」という形でRにつなぐ。それで「全体をふまえて」という要求だが、本文構成より参照するのは、ロールズ(とハイデガー)の議論の前提となる「公理的な命題」(①~⑤段)しかないはず。ここから「全ての人格の尊厳性を確保するには」(←②段)を加えた。

<GV解答例>
現実社会の格差が偶然性により規定される以上、この偶然性を克服し全人格の尊厳を確保するには、逆に相互に置換可能性を体験し正義と連帯の原理を導出する必要があるから。(80)

<参考 S台解答例>
人間は現実には偶然による所与の格差を抱えこんだ存在であり、それをそのままかけがえのなさとして固定してしまうと、個人としての冒しがたい尊厳を実現できなくなるから。(80)

<参考 K塾解答例>
現実には偶然的な要因による「価値」の格差が生じるなかで、最も不遇な人との間でさえも人格の置換可能性を認め、他人の立場に立ちえてこそ、正義への道が開かれるから。(79)

問四 「前者は「正」ないし正義の理論であり、後者は「徳」ないし卓越の理論である」(傍線二)とあるが、ここにある「正義」および「卓越」とは何か、自分の言葉を用いつつ答えなさい(80字以内)。

内容説明問題。「自分の言葉を用いつつ」という、一橋大定番の要求がある。1️⃣比喩的表現などただの抜き出しでは意味が通じにくいか、2️⃣論理的な推論により言葉を補う必要があるか、である。また、「正義」「卓越」をそれぞれ漠然と説明するだけでは不十分で、🅰️対比的に捉える、🅱️語義を踏まえる、ことが要求されている。特に🅰️の必然性については、⑫段一文目「二人の哲学者のアプローチは…異なる方向に議論を展開した」からも確認できる。
そこで、まず対比要素として「(他者との)置換可能性→正義」、「(死という)置換不可能性→卓越」を指摘する。両者とも「かけがえのない人格/置換不可能性」を目的とするが、正義は「置換可能性」、卓越は「死への存在」という自己省察(⑪)を経由することが不可欠なのである。次に、語義を踏まえて「正義」「卓越」の内容を対比する。「正義」については、⑪段二文目「各人に…人生を保障する」とあるように、主体と主体の間に成り立つ理論である。また「置換可能性」を経由し「他者の立場に立つ」(⑫段二文目)という前提により導かれる理論である。ここからは自力で、「公共的価値についての客観的理念」といった内容を導きたい。
一方「卓越」だが、⑪段三文目「個人が…全うするための本来性の観念」とあるように、個体がそれぞれに持つ理念である。また、傍線で「徳」を「卓越」としていることも重要だ。哲学的な背景をもった文章では、「徳」はギリシア語の「アレテー」を踏まえているが、その意味するところは「そのもの本来の良さ」のことである。ここでも、「日常性の中にあって/安閑と暮ら」す生(⑩段)に対して、「死への存在」を自覚するところから導かれる「本来的(⑪)/実存的(⑫)な生き方」に「卓越」を見るのである。以上より、「本来的自己についての主観的理念」と導く。

<GV解答例>
正義は他者との置換可能性の想定により得られる公共的価値についての客観的理念、卓越は死という置換不可能性の自覚により得られる本来的自己についての主観的理念である。(80)

<参考 S台解答例>
正義は立場の交換可能性を前提にした互いの尊厳にとって容認できる格差原理の設定であり、卓越は自己の死の単独性の自覚による現在の生を越えた自己実現への志向である。(79)

<参考 K塾解答例>
正義は他者の立場を想像し、容認可能な社会的格差の範囲を探りつつ人間らしい生を保障するものであり、卓越は死を自覚しつつ自己本来の生を不断に追求する生き方である。(79)

問五 「與論なるものも欺瞞性を免れ得ない」(傍線四)について、なぜ「與論」が「欺瞞性」をもつのか、述べなさい(80字以内)。

理由説明問題。傍線の前に「その限り」とあり前文をたどると、「與論(S)」の「欺瞞性(G)」は「ブルジョア(→近代)デモクラシーの欺瞞性」と対応することが分かる。では、近代デモクラシーの欺瞞性とは。さらに遡って、近代デモクラシーの「想定」の根底にある「人類の平等」が、「ただの仮定にすぎず、しかも全く事実に照応しない仮定でさえあった」点にある。以上より解答の締めは、「近代デモクラシーの「想定」の前提にある、人類の平等は歴史の実態と乖離しているから(R1)」(→欺瞞(G))となる。
あとは、近代デモクラシーの「想定」を明確に示した上で、そこに理由説明の始点(S)となる「與論」を繰り込むことが必要である。「想定」の内容は⑧段落より、「大衆的な自主性をもつ民衆の一般意志が/少数の選良分子に対比して/積極的な価値を持つ」というものである。これに⑦段落の内容「普通選挙による/合理化された決定」を加え、また、④段落をふまえて「一般意志」を「與論」と言い換えた上で、「近代デモクラシーは/大衆的的な自主性をもつ民衆が/普通選挙を通して/相対的に/合理的な與論を形成すると想定した」とまとめ、先のR1に接続させる。

<GV解答例>
近代デモクラシーは、大衆的な自主性をもつ民衆が、普通選挙を通して相対的に合理的な與論を形成すると想定したが、その前提である人類の平等は歴史の実態と乖離するから。(80)

<参考 S台解答例>
近代デモクラシーがその基盤とする人類の平等は、事実ではなくただの仮定にすぎず、現実には社会的合意という装いのもとに社会的強者の意志が與論として通用していくから。(80)