ごきげんいかがでしょうか。
進路アドバイザーの翁長理紗です。

早いもので、もう新年度。GVにも、続々と新しい顔が増えてきました。これから一緒に勉強をしていく仲間達です。

先日、GVTVという、グレイトヴォヤージュが企画している取り組みのひとつにおいて、元GV生である大学生の二人にインタビューをさせていただく機会がありました。えいと君、さくらちゃん、その節はどうもありがとう。

二人とお話をさせていただいて感じたことは、二人ともきちんと自分の経験に基づいて、自分の言葉で語ることのできる人間であるということ。それからもうひとつ、彼らはきっとこれから、何にでもなれるのだということだった。彼らの人生が、とても楽しみだと思った。

そのように、若い人々の多い環境に身を置いて、最近はよく、青春について思いを馳せることが多くなった。

青春とは何か。
この命題も、現在に至るまでしばしば語られてきたテーマである。

青春であるうちは、それが青春であるとは気が付かず、それが過ぎ去ってからあの時代が青春であったと気付くものであると、ジャーナリストで作家の立花隆氏が言っていたように思う。

たしかに、恐らく今GVに通っている子供達は自分達がまさしく青春時代を生きているんだ!とは自覚していないだろう。というか、青春という言葉自体がもはや死語になってしまっているのかもしれない。

青春というと、皆さんは何を思い浮かべるのだろうか。盗んだバイクで走り出してみたり、学校の窓ガラスを手当たり次第に壊して回ったり、とにかくもうあの家には帰りたくなかったりする15の夜のことなのか。この支配からの卒業なのか。って言っても分かんないか。

私にとって、青春にまつわるエピソードとして、受験生だった頃に恩師が提示した問いかけが印象に残っている。青春って何だろうというテーマでの議論だった。以下は、 安部公房の著作「砂漠の思想」の中の一部である。

「本当の青春は、自分が青春であることに決して甘んじたりしない自己否定の精神のことである。現状を認めないことが未完成な魂の特質であり、だからこそ完成に向かうたくましさもある」(本文引用)

安部公房によると、たとえば、 青虫は、現状否定によって初めてチョウになれる。もっというと、青春には、すべて過渡的なものにつきまとっている未完成で矛盾に満ちた青虫的ないやらしさが充満しているとも述べられている。押しつけがましい純粋さとか清純さだとか、一般に青春だといって喜ばれているような青春は幻想であって、本当の青春ではないという。

つまり、簡単にいえば、青春はただただキラキラとしたものなんかじゃなくて、いつまでたってもしつこいようにずっと、ぐちゃぐちゃとしていたり、もやもやしていていたり、醜かったり、恥ずかしかったりするということだ。却ってそのことがむしろ、輝かしくあったりするのだ。

青春とは、自己否定の連続である。青春を生きるためには、模索し、探し求め、常に未完成である私自身の、今を否定し続けなければならないからだ。想像するよりももっと勇気が要るし、強いエネルギーがなければ不可能なことだ。しかし、それを止めてしまったときに、人は老いる。したがって、青春に年齢は関与しないのである。

皆さんはどう考えるだろう。ちょっと考えて、意見を聞かせて欲しい。

皆さんの青春は、これから始まる。特に、受験勉強をするということは、きっと青春だ。なぜなら、自身の人生にこれでもかというほど向き合い、考え抜く必要に迫られるからだ。その過程は辛く厳しい。でも、そうしなければ恐らく合格は掴めないし、将来のキャリアを形成していく上でいずれ必ずそのときはやってくる。その苦しみに耐え、敢えて現状を否定し、絶えず未来に向かって進んでいく。現状を否定するということは、決してネガティブなことではない。とても前向きな人生だ。尊くて美しい人生だ。私もずっと青春を生きたい。

皆さんも、青春を謳歌してください。一生です。

何だか難しいブログになっちゃったけれども、今回一番伝えたかったことは、Instagramのフォローをお願いしますということです。いや、むしろGV生はフォロー必須ね。

本当に最近、GV公式(なのか?)インスタ始めたんですよ。詳しくは「グレイトヴォヤージュ」もしくは「greatvoyage7566」で検索してみてくださいね。

では、よろしくお願いします。

翁長理紗